表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/42

第39話:中世の閾値

プラハ城内で静かに佇む、聖ヴィート大聖堂。

それは、ボヘミアにおけるカトリックの権威そのものだ。

だが今、その中枢へと足を踏み入れようとしているのは、

大司教と数名の()()()たちだった。


「……寒すぎるわね。ここ、本当に教会なの?」

カテジナが自分の両腕をさすりながら呟く。


「地下なのに、妙な風が吹いてやがる」

松明を掲げるギルド長ズヴィナジも、不快そうに鼻を鳴らした。


螺旋階段を降りるにつれ、石造りの壁は滑らかになり、空気は乾燥していく。

いつの間にか、カビや湿気の匂いは消えていた。


「ここから先は、選ばれし者にしか通れぬ聖域だ。

護衛の者たちには遠慮してもらおう」


最下層、巨大な鉄の扉の前でヴェフタが立ち止まる。

大扉には鍵穴も取っ手もない。ただ、中央に掌ほどの窪みがあるだけだ。

ヴェフタがその窪みに自身の右手を当てる。


『――認証、プラハ、大司教、コン、ラート、フォン、べフタ』


無機質な()が響いた瞬間、カテジナとギルド長が驚きの声を上げて飛び退いた。


「な、な、なに!? 誰かいるのっ!?」

「壁が喋った……!? 悪魔か!?」

「二人とも静かに。ただの自動音声だよ」


私は二人を制しつつ、脈拍の上昇を感じていた。

ラテン語ではなくチェコ語。

しかし、そのイントネーションは明らかに現代的で

合成音声特有の揺らぎがあった。


ズズズズズ……と重苦しい音を立てて、大扉が開く。

ホワイトリスト最上位の生体認証。

まだ聖蹟システム上はブラックリストにあるはずの私たちも、

ヴェフタと同伴ゆえにゲストとして認識されているようだ。


その向こうに広がっていた光景を見て、私は息を呑んだ。

隣でカテジナが「嘘でしょ……」と絶句し、ギルド長は腰を抜かしかけている。


そこは、想像していた、薄暗い地下聖堂のような場所ではなかった。

壁一面に埋め込まれた、青白く明滅するクリスタルの板。

整然と並べられた白い直方体の列。


そして部屋の中央には、祭壇の代わりに奇妙な『台座』が鎮座していた。

薄く発光するガラスの板。そしてその手前にある、文字が刻まれた小さな板。


「おいおい、なんだこりゃあ……教会の地下に、こんなモンが埋まってんのか?」

ギルド長が口をあんぐりと開ける。だが、私が驚愕したのはそこではない。

私が駆け寄ったのは、台座に備え付けられている、文字が刻まれた小さな板。


「……QWERTY配列の、キーボード……だと……?」


磨き上げられた黒曜石のような板に、見慣れた文字配列が浮かび上がっていた。

並び方も、形も、刻まれた文字も、前世の職場で毎日のように叩いていたものと

寸分も違わない。これは二十一世紀のインターフェースだ。魔法陣などではない。

明らかに現代の、あるいは未来の人間が作ったコンソール。


(――上位次元の存在を疑っていたが、どうやらそうではないらしいな)


神だの天使だの聖霊だのが作ったにしては、

あまりに人間臭いシステムデザインだ。

二十一世紀人の私に、聖蹟のメカニズムは解明できないが、

明らかに同次元の存在、ただし、私よりも未来の人間の関与が感じられる。


(まぁいい、世界の謎を解き明かすのは後回しだ。

今はボヘミアから魔法を消すことに集中しなくては)


私は気持ちを落ち着けて、コンソールへと歩み寄る。


「……ジョージ、これ何なの? アルファベットみたいだけど、見たことない並び」

カテジナが、私の背中に隠れるようにして覗き込む。


一九世紀の彼女ならタイプライターを知っているかもしれないが、

キーボードと薄く発光するガラスの板――おそらくモニタは、

彼女の時代の科学すら超越しているはずだ。


「これが、聖蹟ボヘミアンだ」代わりにヴェフタが厳かに告げる。


「だが、ローマからの命令を受け付けるだけで、

こちらからの繋がりは拒否される」ヴェフタが忌々しげに言う。


「私は長年、この繋がりを断とうと試みてきた。祈り、儀式、魔力、破壊……

ありとあらゆる手段を試したが、監視の目は欺けなかった」


(それだけ試しても、ヴェフタがローマから排除されていないということは

ネットワーク内部のログは送信されていないと考えてよさそうだな)


「猊下、これに触れても?」

「構わんよ。ただ、私以外の操作を受け付けるかは分からないがね」


どうぞ、ご自由に。ヴェフタはそう言わんばかりに肩をすくめる。


私は指先をキーボードに走らせる。硬質なタッチ感。

この端末がただの受信機なのか、こちらからの送信も受け付けるのか。

まずはそこを確かめようと、テストパケットを生成する。

ペイロードは『Hello World』。


だが、即座に赤い文字が返ってきた。

ACCESS DENIED. HOLY SEE OVERRIDE ACTIVE.

ACCESS DENIED: HOLY SEE LINK OVERRIDE.

(アクセス拒否。聖座との接続が厳格なオーバーライドを確立中)


英語だ。ラテン語でもチェコ語でもない。システム言語は英語。


「……どうだね、ジリ主監。何か分かったかね?」

「ええ……少しだけ」私はいつの間にか吹き出していた額の汗を拭う。


ローマとの回線は生きている。だが、私がコマンドを打ち込んでも、

即座にローマ側のホストコンピューターが異常を検知して受け付けない。


(さて、どうしたものか? 物理的なケーブルを見つけ出して引きちぎるか?)


いや、おそらくは霊脈という名の無線、

あるいは未知の通信インフラに直結している。

通信ポートを物理破壊したところでシステム自体は止まらず、

猊下の言う通りなら、ハードウェアごと修復されるだけに違いない。


ここで必要とされているのは、論理的な遮断クラッキングだ。


私は腕組みをし、思考の海へと沈む。

このシステムをハックし、ローマからの通信を遮断する。

だがこちらの操作権限パーミッションは低く、システムの修復速度は即時。

まともにやり合っては勝てない。

だが――勝機はあるはずだ。これまでの戦いがそうであったように。


()()ボヘミアンか――

私は初心に返って、これまでに打ち破ってきた聖蹟のことを思い返す。


ヴィートコフの戦い。

聖蹟アイギスは、衝撃を感知してから展開する物理障壁だった。

あれを破れたのはなぜだ?――速度だ。

中世の黒色火薬を基準に設定されていた展開速度を

十六世紀の粒状火薬の弾速で凌駕した。


ヴィシェフラドの戦い。

聖蹟ヘカトンケイルは、物理干渉を拒絶する広域防御陣だった。

あれを破れたのはなぜだ?――エネルギーだ。

中世のトレビュシェットで想定されていた耐久値を

十九世紀の大砲の運動エネルギーで破砕した。


ジェレズニーとの戦い。

聖蹟ヴァーチュースは、肉体を鋼鉄に変化させた。

あれを破れたのはなぜだ?――熱量だ。

中世の炉では到達しえない温度を、

十九世紀に発見されるテルミット反応で融解させた。


オルドジフ二世との戦い。

聖蹟ヴィテクの暴走は、自身の周りに高熱バリアを張り巡らせた。

あれを破れたのはなぜだ?――融点だ。

中世の鍛冶では作りえない限界温度を、

十八世紀に発見されるタングステンで潜り抜けた。


(――ああ、すべてに共通点があるじゃないか)


私の脳内で、バラバラだったピースが組み合わさっていく。

まず、聖蹟には『限界値』が設定されている。

そしてその限界値は、すべて『中世レベル』に基づいている。

だから未来の物理法則(オーバーテクノロジー)による攻撃は想定外で、あっけなく崩れ去った。


(――なら、今回、破るべき限界値はなんだ?)


私は、モニタ上で静かに点滅する文字列を見つめた。

ローマとの通信。祈りの同期。どれだけの祈りをどれだけの速さで処理できるか。


十五世紀の世界で起こり得る祈りの限界とは?


(――人が口で唱える祈り。鐘を鳴らす回数。

鳩や狼煙で送れる合図の数。写字生が一日に書き写せる写本の行数)


聖職者が祈りの言葉コマンドを口で唱える、あるいは手入力する。

その速度はせいぜい一分間に数百文字程度だろう。

ん? あれ? それがこの時代の情報伝達の限界ということにならないか?


「――ああ、そういうことか。帯域幅か」

思わず、その単語が口をついて出ていた。


「なんだそりゃ? 帯域……?」ギルド長が怪訝な顔をする。

「情報の太さと速さのことさ」私はニヤリと笑った。


視界がいきなり開けた。


これまでの戦いが『速度』『エネルギー』『熱量』『融点』といった

物理的な閾値への挑戦だったとすれば、

今回、私たちが打ち破る壁は『帯域幅』の限界値ということなのだろう。


「――猊下、必要となる物が分かりました。

我々はいちどターボルへ戻りたいと思います」

※ 主人公はプラント出身のため、純粋なIT屋とはアプローチが異なります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ