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第4話:エコロジー

日は落ちかけ、ヴィートコフを闇の帷が包み始める頃。

勝利の美酒に酔いしれる歓声は次第に遠のき、

代わりに丘を支配していたのは、低く、湿った呻き声だった。


「痛い……痛いよぉ……」


治療幕舎――といっても、泥の上に汚い布を敷いただけの場所で、

少女が呻いている。名はたしかミレナ、農家の子だったはずだ。

火薬を手渡した時の「これであたしたちも悪魔の手先どもを殺せるんですねっ」

そう言って、はにかんだ笑顔を覚えている。


彼女の右腕もまた、肘から先がなくなっていた。

包帯代わりのボロ布には、どす黒い血が滲んでいる。敵の攻撃による傷ではない。

私が作った粒状火薬が起こした暴発事故――いや、事故などとは呼べない。

呼んではいけない。これは私が計算して許容したコストだ――


(――十のうち九を救う)


九を救う裏で、こうして『いち』の犠牲者を生み出す。


おまえはこうなると知っていて、それを配っただろう?――

ふいに、視界が、ぐにゃりと歪む――


『お兄様ッ!熱い、熱いよぉッ!!』

ヴィートコフの丘が消える。代わりに現れたのは、紅蓮の炎に包まれるフルム城。

崩れ落ちた梁の下で、最愛の妹エリシュカが燃えている。

あまりに無警戒で思慮に欠ける、愚かな私が招いた懲罰の炎。

それがエリシュカの白い肌を、可愛い指先を、黒く焦がしていく。

彼女は最期まで私を信じて、手を伸ばしていた。私は掴めなかった。


前世の知見があろうと才覚に優れていようと、妹ひとり救えなかった無力な記憶。


――ッ


私は嘔吐感を堪えるように、口元を強く押さえた。

胃液が上がってきて、酸が舌を刺す。ヴィートコフの丘に引き戻された。

幻影は消える。だが、少女()()の阿鼻叫喚は続く。

私は奥歯で噛みしめ、そしてその奥歯を噛み砕かんとばかりに力を込める。


今の私は、嘆き悲しむ兄であってはならない。

この地獄を生み出した一人のエンジニアとして計算し続けなければならない。


「――さあ行こう」私は誰にともなく呟き、治療幕舎を出る。


丘の下では、フス派の農民兵たちが、泥にまみれた聖騎士の遺体に群がっていた。

もっとも、彼らは死者への冒涜を楽しんでいるのではない。


「おい、この鎧は上物だぞ!留め紐を切って剥がせ!」

「剣だ!剣を持っていけ!これで俺たちも戦える!」


彼らにとって、聖騎士の身につけている武具は

一生働いても手に入らない財産であり、明日を生き延びるための必需品なのだ。

剥ぎ取られた聖騎士たちの真っ白な裸体が、

再び泥濘の中へと無造作に転がされていく。


かつて神の御加護を纏っていた英雄たちの、あまりに惨めな末路。


「――見ちゃいられないね」


ワゴンの影で、プロクが吐き捨てるように呟く。

視線を逸らすよう、眼鏡を外し、ガラスを袖口で拭う。

彼もまた、かつては助祭の叙階を受けた、貴族だった男だ。


まるで泥人形のように扱われている遺体に

かつてスドミェルジュの戦いで沈んだ大貴族の面影を

いや、あるいは未来の自分の姿を重ねているのかもしれない。


「あんなにも圧倒的で、誇り高かった彼らも、死んでしまえばただの肉塊さ。

魔法も、信仰も、家柄も、死んだら何も残らない」


「残るものはあるだろう、プロク」

私は部下たちの回収した鉄屑の山を確認しながら、

自分に言い聞かせるように言い放つ。少女たちの阿鼻叫喚は続く。


「鉄さ。私たちには鉄鉱石がないんだ。

鉄は鉱山から掘るより、死体から掘る方が早い」


「君は本当に合理的で――残酷な男だね」

プロクは苦笑したが、その目は笑っていない。


「ジークが正しいわ、プロク」

会話に割って入ったのは、アニエだった。彼女もまた没落貴族だが、

その碧緑の瞳には感傷よりも、私と同じ種類の暗い覚悟が宿っている。


「誰の死も無駄にはならないわ。私たちが革命の糧にするもの」

彼女の言葉もまた残酷かもしれないが、その声には不思議と救いがあった。


「――やれやれ。どうにも堕ちたものだね、僕らは」

プロクは降参とばかりに、肩をすくめた。


「高貴な聖騎士様から追い剥ぎするなんて、地獄へ一直線さ」

プロクの束ねた後ろ髪が、風に揺れている。


「地獄なら、もうここにある」


私は暗い沼の方を見やった。鼻をつく死臭。泥にまみれた尊厳。

少女たちの阿鼻叫喚は続く。

前世にあった現代日本人の道徳と良識が、この凄惨な光景を拒絶しようとする。

戻ってこいと言っている。だが、それはもう手放さなければならない。


「この地獄を、鉄と火薬で埋め立てて新たな道を切り開くんだ

――さあ行こう。休んでいる暇などない」


この光景を感情で見てはならない。物質として見なくてはならない。

そう、炭素と尿素とカルシウムの塊だ。これは遺品などではない。


再利用可能な資源に過ぎない。


(――イゼンブルクの遺体を受け取りに行かないとな)


私は人知れず、血の味のする唾を吐き捨てた。

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