第36話:貨幣と共通規格
四箇条の承認と聖ヴィート大聖堂の権限移譲――
プラハ大司教の宣言はあまりにも衝撃が大きく、
両陣営は申し合わせて、初日はそのまま散会となった。
驚愕と興奮のチャースラフ。
それをいち早く領地や居城へ伝えようと、早馬が四方八方へ向けて出立する。
誰もが声を荒げ、誰もが何かを失い、何かを得た気になっている。
そして、何もかも醒め止まぬまま会議の最終日――
「それでは、王不在のボヘミアを統治するための王国委員会を樹立いたします。
王国委員会には大貴族五名、下級貴族七名、都市代表八名の
合計二十名の統治者を置きます」プロクが草案を読み上げる。
表面上は身分ごとに均衡を取った数字だ。だが、その内訳こそが重要である。
「大貴族代表にはチェニェク・ゼ・ヴァルテンベルカ卿、
下級貴族代表にジリ・ゼ・フルム卿、
都市代表筆頭にプラハ旧市街参事会長ヤン・ヴェルヴァーを――」
名前が読み上げられた瞬間、張り詰めていたプラハ陣営から、安堵の息が漏れた。
代表三席のうち、二席はプラハ側に譲られたのだ。彼らの目に生気が戻る。
「続いて、カダニ市の――」
しかし、統治者の名が読み上げられるにつれ、
その安堵は徐々に不穏などよめきへと変わっていった。
スミル卿やジャテツ市代表といった、中立に見える代表が含まれているものの、
二十名のうち過半数は、明らかにターボル側の人間で占められている――
「次に、要職の補任を申し述べます」
プロクの続ける内容に、プラハ陣営は再び言葉を失う。
「まず、王国の法と公文書の全てを司る者として、
王国最高書記官に私、プロコフ・ゼ・スミルコヴァを」
プロクが眼鏡を押し上げ、優雅に一礼する。
聖職者の彼が、法と文書を握ることで
ターボルの暴力は、法的な正義へと変換される。
「総督付副官にアネシュカ・ゼ・レデチ卿」紅一点。
本来なら、この時代の女性が就ける地位ではない。
不満を漏らしかけた騎士を、ジシュカの鋭い眼光が射抜く。
「文句があるのなら、聖騎士団長を討ち取ってきて吠えるがいい」
その一言で、反対意見は封殺された。
「続いて――全ギルド総代にミクラーシュ・ズヴィナジ。
そして王国工廠主監にカテジナ・ナスミスを」
王都の参事会を完全に無視した人事。
プラハのギルド長たちが色めき立つが、プロクは冷たく言い放つ。
「これからは古き特権ではなく、新たな技術を生み出す者こそ重んじられます。
鋼や新型火薬を作れぬ者に席はありません」
反論の隙を与えず、最後にして最大の楔が打ち込まれる。
「王国最高造幣官、鉱山主監ならびに兵器廠主監にジリ・ゼ・フルム卿を」
経済と兵器は、私が直接握る。
「そして、総督にヤン・ジシュカ・ゼ・トロツノヴァ卿を指名いたします」
堂内右列、プラハ陣営に吹き抜けた沈黙は、死者の呻きよりも重かった。
あからさまなターボル偏重。だが、もはや異議を唱えることはできない。
初日こそ意気軒昂に反対意見を述べていたプラハ派貴族たちも、
会期最終日ともなれば、誰もが目を逸らし、石床を見つめている。
チェニェクが肩をすくめ、白旗を上げるかのように両手を広げた。
「――王国委員会の統治者、補任案すべて飲もう。
だが、プラハ市の自治と古き特権だけはこれまで通り認められたい」
チェニェク伯が、最後の抵抗とばかりに交換条件を持ち出す。
これを蹴れば、会議は決裂するだろう。
ここから飴と鞭、そして毒を含ませた交渉が始まる。
「プラハの自治は尊重する」
ジシュカはあっさりと頷いた。
「おおっ…」
予想外の回答に、プラハ陣営から驚きと歓迎の声が漏れる。
「市参事会が裁きと税を司るのも、これまで通りだ。
ターボルはプラハに口を挟まぬ。杯の典礼も、プラハの流儀で続ければよい」
これはプラハ陣営にとって、あまりに大きな飴だった。
「ただし――軍事と外政は別だ」
しかしジシュカは、ここで鞭を飛ばす。
「対十字軍の指揮権ならびに外国との交渉は、王国委員会に一元化される。
各都市や領主が好き勝手に皇帝や諸侯と取引することは許さぬ。
バラバラに振る舞えば、一つずつ叩き潰されるだけなのでな」
本来なら、貴族の特権を削ぐに等しい暴挙。
だが予想された猛反発は起きず、場を支配したのは重苦しい沈黙だった。
「――それは、致し方あるまいよ」
チェニェクは苦々しい顔で頷いた。
彼は甥のオルドジフ二世が、どのように潰されていったのかを間近で見た一人だ。
目の前にいる将軍の実力、ピスタラやワゴンといった新兵器だけではない。
債務の即時返済要求、ヴィテク家門の反目、そして突如として流行した疫病。
あまりにもターボル側に都合よく起きすぎている――
それが『神の加護』なのか、あるいは『悪魔の知恵』によるものなのか。
少なくとも、この場で敵意を見せるのは下策中の下策だろう。
最大の障壁と思われていたチェニェク伯があっさり膝を折ったことで、
他の貴族たちも黙して従うしかなかった。
「もうひとつ、提案があります」
ターボルとプラハ、両陣営の視線が私へと向けられる。
私はゆっくりと口を開いた。
「ロジュンベルク家から没収した銀山と製塩所を、
この国の共同財産としましょう」
プラハ陣営の目は疑わしげに鋭くなり、都市代表たちの目は輝きを増した。
「その銀をもとに新たな貨幣を鋳造し、全ボヘミアで通用する通貨と度量衡を
定める。プラハの商人も、ターボルの農夫も同じ秤と銀貨で取引できるように」
「新貨幣……?」
プラハの商人代表が、興味を隠しきれずに身を乗り出した。
「もちろん、造幣と兵器製造、そして新しい農具や工具は――」
私はわずかに笑みを浮かべ、
「全てをターボルのアーセナルが指導することになります」
ざわざわ、と小さなどよめき。貴族たちは顔を見合わせ、安堵の息を漏らした。
「ほう、アーセナルの新技術を無償でプラハに献上するというのか」
「プラハ市参事会が存続できるのなら、文句はないわ」
「面倒な十字軍との戦争は、王国委員会とやらに押し付けてしまえばよいわ」
「銀山や製塩所を差し出してくるとは、殊勝な心がけではないか」
「フフッ、結局のところ、我ら抜きでは何も出来ぬということよ」
彼らは、この提案が何を意味するのか分かっていない。
たしかに名目上、プラハの自治は守られる。
しかし、通貨と技術規格を握るのはターボルになるのだ。
経済とインフラの根幹をターボルに依存すれば、
プラハ独自で動くことなど直ぐに出来なくなる。
もしもプラハが逆らうことがあれば、
ロジュンベルクのクルムロフ城などよりも早く、容易に締め上げられるだろう。
もっとも、彼らが愚かなのではない。史実においても、
第一次世界大戦までは経済封鎖の脅威など認識されなかったのだ。
大日本帝国がどのように追い込まれていったのかを思い返すといい。
その結末を、十五世紀の人間が予見できるはずもない。
(これに反対されないということは、プラハ側に二十世紀以降の転生者はいないな)
「異議なし!」「承認する!」
両陣営から満場一致の拍手が、堂内に響き渡った――




