第34話:シロツメクサの誓い
ターボル南門の戦いが終わり、戦後処理が一段落ついた頃、
私たちはジシュカ将軍より帰郷の許しを得て、馬をゆっくりと走らせていた。
「――この辺りもだいぶ変わりましたね、坊っちゃん」
手綱を握るルカが、しみじみと呟いた。
「そうだな。だが、道は覚えている」
道中、私たちは言葉少なだった。
これから対面する光景を思い描き、各々が心の準備をしていたからだろう。
「ここでいったん別れようか。みんなも家族に会ってくるといい」
私の言葉にルカとペトルは顔を見合わせ、躊躇した。
「しかし、坊っちゃんの護衛が……」
「大丈夫。城の焼け跡には、もう何も残っていない。
お前たちも、報告したいことがあるだろう?」
私の言葉に二人は何かを言いかけるが、口を閉じた。
「――それでは、少しだけ」
「――俺っち、家族の遺体が見つからなかったんで、墓ないんッスよね。ジリ様」
かつて城で下働きをしてた少年ヤクブ(皆から『クバ』の愛称で呼ばれている)は
そう悲しそうに小さく呟く。
「――そうか、それは済まなかったな。ヤクブは私に付き添ってくれ」
「分かりやした、お供しやす」
二手に別れ、私たちは馬を進める。やがて、丘の上の焼け跡が見えてきた。
黒く煤けた石垣。崩れ落ちた屋根。背丈ほどの雑草に埋もれた庭。
すべてが墓標のように朽ちていた。だが――城の裏手だけは違った。
かつて、エリシュカとよく遊んだ牧場。
そこには白い絨毯を敷き詰めたように、無数の小さな花が咲き乱れていた。
「――シロツメクサか」
私たちは馬を降り、草を踏み分けて進む。
牧場の片隅に、盛り土が四つ。
あの日、私が半狂乱になりながら掻き集め、埋葬した家族の墓だ。
「――父上、兄上たち。……そして、エリシュカ」
私は膝をつき、布に包んだ『それ』を取り出す。
赤黒い血がこびりついたままの銀の装飾品。五弁の薔薇。
南ボヘミアの王、ロジュンベルク家の家紋。
オルドジフ二世の遺体から剥ぎ取ってきたものだ。
「――終わりました」
墓前に、血で薄汚れた薔薇を置く。乾いた金属音が、静寂に響いた。
「みんなの仇は取りました。
我らフルムの民を虐殺したあの男は、この手で泥に沈めました。
奴の魂は永遠に、地獄の業火に焼かれ続けることでしょう」
後ろに控えていたクバも無言で膝をつき、祈りを捧げている。
報告すべき復讐の完了――
胸のつかえが取れるような、晴れやかな高揚感を期待していた。
だが、実際に訪れたのは、井戸の底を覗き込むような深い虚無感だった。
オルドジフは始末した。だが、何も戻りはしない。
父の厳しい声も、兄たちの笑い声も、そして私を呼ぶエリシュカの声も
この白い花畑には、もう二度と響かない。
風が吹く。シロツメクサが揺れる。それだけだ。
(――これで、いいのか?)
自問自答する。たしかにオルドジフは死んだ。
だが、あの狂った男を生み出した土壌は、まだそのまま残っているのではないか?
オルドジフは言っていた。『余こそが正義だ』と。
なぜ、奴らは一片の疑いもなく、人を焼き殺せたのだろうか?
それはカトリックという絶対的な権威と、
聖蹟という圧倒的な力を独占しているからではないだろうか。
神の名の下に許された暴挙。選ばれし者だけが振るえる暴力。
それらが存在する限り、第二のオルドジフはまた必ず現れる。
第二のエリシュカは――またどこかで焼かれる。
(そうだな、まだ終われない)
聖蹟ボヘミアン。ヴェフタ大司教が明かしたボヘミア王国の聖蹟を統べる中枢。
あれが存在する限り、暴挙と暴力は続く。
私は立ち上がり、振り返る。いつの間にか、ルカとペトルも控えていた。
「――ルカーシュ、ペトル、ヤクブ。聞いてくれ」
私の声に、三人が顔を上げる。
「オルドジフは殺した。だが、まだ奴の力は残っている。
――私はこのボヘミアから、この欧州から、魔法を消そうと思う」
突拍子もない言葉に、ペトルが目を丸くした。
「魔法を、消す? そんなことが人にできるのですか?」
「できる」私はプラハの方角、北の空を指差す。
「どうやら、聖ヴィート大聖堂にあるらしい。
それを叩き壊せば、聖蹟という不平等な暴力は消える。
カトリックは力の根源を失う。そうすれば、正統も異端もなくなる。
人同士の対等な世界になるはずだ」
三人はよく分からない表情をしていたが、
「エリシュカを焼いたのは、魔法だった――
あんな悲劇は、もう、終わりにしたいんだ」
その言葉に、ペトルとクバが鼻をすすり、ルカが深く頷く。
「ルカーシュ、ペトル、ヤクブ」
私は彼らの目を見て、提案する。
「フルムに来るまで考えていたんだが――お前たちは、ここに残らないか?」
「へっ?」ペトルの間の抜けた声が響く。
「ロジュンベルク領内の残党狩りはこれからだが、ターボルに近い
フルム領周辺はだいぶ安全になるはずだ。復興資金なら私が出せる。
お前たちは畑を耕し、家を建て直し、散り散りになった領民を呼び戻して、
フルムを再建するんだ。これからは、生きるための戦いをして欲しい」
彼らには彼らの人生がある。復讐は終わった。
これ以上、元主人の三男坊に付き合わせるわけにはいかない。
そういう想いがある。
沈黙が落ちた。シロツメクサの上を、蝶が舞っている。
「……水臭いッスよ、ジリ様」
クバが呆れたようにため息をついた。
「坊っちゃん。いえ、ジリ工匠頭。
貴方お一人を戦場に残して、我々がのんびり畑仕事していられるとでも?
天国にいる嫁や子供に顔向けできませんよ」
「俺っち、もうあの日みたいに、ただ隠れて震えてるのは嫌ッス。
教会とか魔法とか、正直よく分かんねえけど、
俺らの暮らしを邪魔するもんは、全部ぶっ潰さねえと安心できないッス」
最後に、ペトルが深く頷いた。
「もう俺らフルムの騎士ですからね。
領地を守るのも仕事ですけど、今はジリ様がフルムそのものじゃないですか。
ジリ様の行く場所が、俺ら領民の居場所です」
彼らの目に迷いはなかった。かつての厩舎番や庭師、
そして下働きだった少年までもが、今や歴戦の騎士の顔をしている。
「……そうか、そうだな」
私は目頭が熱くなるのを堪え、大きく頷く。
「なら、付き合ってもらうとするか。最期の最後まで。地獄の底までな」
「ええ、どこまでもお供しますよ」
ルカたちは、晴れ晴れとした顔で右手を胸に当てて、頷いた。
そうして、私たちは再び馬上の人となり、廃墟となったフルム城を後にする。
背後では、シロツメクサが風に揺れている。それは死者を悼む花ではなく、
新たな誓いの証として白く輝いているように見えた。




