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第30話:ジャガーノート

一四二一年、三月。ボヘミアの春は遅い。

雪解け水が流れ出し、冷たい風がターボルの丘を吹き抜けていく。

だが、その冷気を切り裂くような熱を持った早馬が、市庁舎へと駆け込んできた。


「――スミル卿より急報! ロジュンベルク軍、全軍出撃! 早ければ明日の日没、

遅くとも明後日の朝には、ターボル南街道に現れるとのこと!」


市庁舎の作戦会議室は、瞬く間に凍りついた。

泥まみれの伝令兵の言葉は、そこにいる誰にとっても予想外の凶報だった。


「あまりにも愚かね――まだ三月よ?

雪解けの泥濘がどれほど行軍を阻むか、理解していないのかしら」


アニエは信じられないとばかりに、首を振る。


「クルムロフは崩壊寸前のはずでしょう。それなのに耕作を放棄し、

城を空けて総攻撃だなんて。自ら破滅を望んでいるとしか思えないわ」


その通り。

常識に照らし合わせて考えれば、この時期に大規模な軍事行動など不可能だ。

道はぬかるんでいて、馬が脚を折る。兵糧の輸送もままならない。

雪解けを待ち、地面が固まる五月以降が戦の季節だ。


「――いや、違うな」

上座で地図を睨んでいたジシュカが、低く呻くように言った。


「破滅を望んでいるのではない。逆だ、生への執着だ。

もはや奴らの城には、収穫の季節までの食料も、

疫病に耐えられるだけの体力も残っていないのだろう」


隻眼が、冷静に状況を読み解く。


「座して飢え死にするより、

食料のあるターボルを奪って生き延びる道を選んだか。

――狂ってはいるが、飢えた獣としては正しい判断だろう」


我々の当初の戦略は、夏まで待つことだったのだ。

搦め手を繰り返し、内部から崩壊させ、クルムロフでの籠城を選べなくして、

出てきたところを野戦で討ち取る


――そのはずだった。


だが、毒が回るのが、あまりに早すぎた。

私は見誤っていたのだ。中世の統治がどれほど脆いのかを。

ビザンツの都が陥ちた時も、サッコ・ディ・ローマも、あっという間だったのに。

私は史実でそれを知っていたはずなのに、

復讐に逸るあまり、加減を誤ってしまった。


その結果、窮鼠は猫を噛むどころか、

猫の喉笛を食い破らんと捨て身で飛びかかってきた。


「打って出るぞ」ジシュカは即断する。

「将軍、お待ちを!」バルトシュが慌てて食い下がる。


「敵は死に物狂いですぞ。まともにぶつかれば被害は甚大!

ここはターボルの外壁を頼りに籠城すべきでは!?

奴らに攻城兵器などありますまい!」


「できん」ジシュカは短く、冷たく切り捨てた。


「外を見ろ」

ボヘミア中から逃れてきた避難民たちの天幕が

外壁の外にまで溢れかえっている。

ターボルの収容能力はとうに限界を超えていた。


「門を閉ざせば、避難民たちを見捨てることになる。

見殺しにすれば、ターボルの大義は地に堕ちるぞ」


その通りだ。『神の前の平等』を掲げる我らが、最も守るべき弱者を盾にする。

そんなことをすれば、たとえ戦闘に勝利できたとしても、

イデオロギーで敗北することになる。


「くっ……」バルトシュは拳を握りしめ、沈黙する。


「総員、戦闘準備! 南門で迎え撃つぞ! ジリ!」

「はッ!」


「工匠隊を動かせ。陣地を構築しろ。

ワゴンを展開し、即席の野戦要塞を作れ。時間は無いぞ!」


「将軍、新型ワゴンはまだ一二機しかありません」

夏の開戦で生産予定を組んでいたのだ。まだ戦争の準備が整っていない――


「ある分だけでいい。それを中核にして、残りは旧型ワゴンで穴埋めを――」

そこで言葉を区切り、ジシュカは何かを思いついたように、

小声で私の耳元に『()』を授ける。


私はそれを傾聴した後、一礼して作戦会議室を飛び出した。


走る。アーセナルへ向けてひた走る。

私の計画は頓挫した。だというのに――唇が、勝手に吊り上がる。

心臓がうるさい。だが、待ち焦がれていたのだ、この瞬間を。

オルドジフ二世・フォン・ロジュンベルク。

私の家族を焼いた怨敵が、自ら首を差し出しにやって来る。


(ああ、神よ。心から感謝いたします)


アーセナル前は、すでに蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。

非常呼集の鐘が鳴り響き、職人たちが武器弾薬の搬出に追われている。

工匠たちが怒号を上げながら、

真新しい塗装の匂いのワゴンを次々に牽引していく。


「新型だけでなく、旧型ワゴンも全機南門へ持って行け!」

私は走りながら、すれ違う工匠隊長たちに指示を出す。


工場室へ向かうと、既にカテジナが不機嫌そうに腕組みして待っていた。


「遅いわよジョージ。スイベルなんて間に合うわけないでしょ。

ベアリングの球体加工、甘く考えてるのかしら?」


「分かってる。無い物ねだりなんてしないさ。ある物だけで戦うしかない」


「ふんっ――ほら、こっちは間に合ったわよ。念のため持って行きなさいよ」


カテジナは作業台の下から、黒い革張りのケースを引きずり出した。

開けてみると、そこには鈍い銀色の輝きを放つ一丁のピスタラが鎮座していた。


いや、それはもう、ピスタラと呼べる代物ではない。


全長一二〇センチ。銃床はウォールナット材に似た硬木で削り出され、

引き金には板バネを使ったスナップロック式の点火機構が組み込まれている。

そして、その銃身内側には美しい螺旋――ライフリングが刻まれている。


対司教級決戦兵器ライフル・ピスタラ。


「六条右回り、ツイストは四八インチワン・イン・フォーティエイト

三日寝ないで彫ったんだから、感謝しなさいよね」


カテジナは大きな胸を張って、小さな箱を渡す。

中には真鍮色のジャケットを被った、異様に重たい弾丸が一発だけ入っていた。


「タングステン焼結コアAP弾。

鉛でコーティングしてあるから、ライフリングに食い込んで回転するわ。

初速は音速を遥かに超える。ホローポイントじゃないから人道的よね?

相手がどんな黒魔術で守っていようと、どんな鎧を着ていようと、

身体の真ん中に当てたら確実に死ぬけど。


ただ分かってると思うけど、それ一発きりよ。

炉を潰して、やっと成功した奇跡の弾丸なんだから。

名手のアニーに撃ってもらった方がいいんじゃない?」


私はその重みを手に取る。ズシリとくる質量。

これはもはや、弾丸などではない。

カテジナと何百人もの親方たち下働きたちの血と汗の結晶、

そしてフルムの無念が合わさって凝縮された『執念の塊』だ。


「――本当に、本当にありがとう。心から礼を言うよ、アーセナルディレクター」


「死なないでよね、ジョージ。

アンタに死なれたら、誰がアタシの給金を支払うのよ!」

カテジナはウィンザー城でも通用する、エレガントなカーテシーを披露する。


「ああ! 必ず戻ってきて、報奨金をたっぷりはずむさ」

私は戴冠式の最前列にいても、恥じることのないボウスクレープで返礼する。

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