第3話:ヴィートコフの戦い
地鳴りが、押し寄せてくる。朝霧を切り裂き、ヴィートコフの丘の斜面を
登ってくるのは重装騎兵、その数七千。先鋒を務める聖ヨハネ騎士団の甲冑は、
朝陽を浴びて白銀に輝いているだけではない。その表面には、薄い膜のような
青白い燐光――聖蹟による防御術式を纏わりつかせていた。
奴らは盾すら構えていない。我々のような異端の放つ矢や、
黒色火薬で放つ弾丸など、神の加護の前では無意味と知っているからだ。
その傲慢な行軍に、私はひそかにほくそ笑む。
「総員、構え。――まだ撃つな」
ジシュカ将軍のしゃがれた声が、驚くほど鮮明に響く。
我らは、荷車を鎖で連結した即席の城砦ヴァーゲンブルクの隙間から
ピスタラの銃口を突き出している。
左翼には、アネシュカ隊長の率いるピスタラ隊の姿が見える。
レデチ鋼のブリガンダインに身を包み、ケトルハットの下から覗く横顔は
緊張にこわばっている。だが、革のブレーサーに覆われた腕はしっかりと
ピスタラの木柄を握りしめ微動だにしない。彼女の後ろに、数十名の射手が並ぶ。
距離、残り百メートル。
聖騎士たちはランスを下げて加速する。蹄の音は、腹の底を叩く地鳴りに変わる。
「――右翼クロスボウ隊、放てッ!」
ジシュカの号令が飛ぶ。ヒュンッ、ヒュンッ! 乾いた弦音と共に、
数百のボルトが死の雨となり聖ヨハネ騎士団へと降り注ぐ。
騎士相手なら、これで第一陣は崩れる
――はずだった。
カァン!キィン! 無機質で甲高い音が、虚しく戦場に響き渡る。
鏃が白銀の甲冑に触れようかの刹那、青白い光の膜が薄く輝き
まるで軽い枯れ枝にでも当たったかのように弾き飛ばした。
「フハハハッ!異端の矢など神の御前では無力よ!」
指揮官先頭で洋々と駆けていたイゼンブルク聖ヨハネ騎士団長は、
高らかに嘲笑い、ますます速度を上げていく。
聖騎士団員の誰一人として傷ひとつ負わないその姿は、まさに無敵の神軍。
対照的に、我らターボル軍の新兵たちには恐怖に似た動揺が走った。
「だ、駄目だァ……」「やっぱり聖騎士様には勝てっこねえんだ……!」
(やはり亜音速の飛翔体では、術式の反応速度を上回ることはないな――)
私はひとり、臨床試験の機会と
また一つ貴重な実戦データを採らせてくれた神に、深く感謝する。
「狼狽えるな!想定通りだ」
ジシュカの雷のような一喝が、新兵たちの混乱を押し留める。
彼は抜いた剣を、迫りくる鋼鉄の波へと突きつけた。
「矢が通じぬなら、鉛を食らわせてやるまで。―ピスタラ隊、狙いをつけろッ!」
距離、残り五十メートル。
アイギスの光がさらに強まる。隣にいるプロクが、ごくりと喉を鳴らす。
しかし私の目には、その輝きが今にも砕け散るガラス細工のように映る。
「もっと撃てェ!もっと足掻けェ!異端どもの絶望が深ければ深いほど
我らの聖蹟はより強く、美しく、輝くのだからなァ!」
イゼンブルクは、異端どもを皆殺しにできる
至福の機会を与えてくださった神に、深く感謝する。
「残り四十クロク!」
私は声を張り上げて距離を告げる。残り三十メートル。
これまでの常識なら、我々の人生はここが終着駅となる。
だが今、我々の筒の中にあるのは、未来人の作った禁断の粒状火薬だ。
「――撃てぇッ!」
本陣のジシュカの号令とほぼ同時に、左翼のアニエが叫ぶ。「パルテッ!!」
ズダンッ!!
それは、これまでの戦場に似つかわしくない音だった。
これまでの火器のボシュッという間抜けな発砲音ではない。
空気を無理やり引き裂くような、乾いた、そして鋭利な破裂音。
この時代に絶対不可能な音速を超える銃弾、
それがこれまで無敵無敗の反応速度を誇ってきた聖蹟アイギスを置き去りにする。
もはや狂気に支配されているとしか思えないイゼンブルク。
その喜色満面の歪んだ顔が、弾ける。いつもとは、順序が、逆だ。
鉛玉が頭蓋を粉砕し後頭部を抜けた後に、遅れてアイギスの青い光が虚しく輝く。
「が、ハぁ…あ…バ、ばかなァ……」
イゼンブルクの身体が、操り糸の切れた人形のように馬上で崩れる。
そして、砕かれた顔面ごと泥の海へと滑り落ち、二度と動かなくなる。
一方的な勝利。物理法則による、神への完全制圧。ターボル軍の兵士たちが
この快挙に喝采の雄叫びを上げようと息を吸い込んだ、その刹那だった。
ピリッ
私のこめかみに、微弱な静電気が走ったような気がした。
そして、イゼンブルクの遺体から霧散しようとしていた
聖蹟の残り火――青白い光の粒子が、奇妙な挙動を見せる。
いつもなら残滓は拡散し、大気へと溶けて消える。
だが、あれは違う。
拡散するどころか、吸い寄せられるように一点へ収束した。
砂鉄が磁石に集まるみたいに、遺体の真上でくるくると渦を巻き、
一瞬で拳ほどの光球になる。
(――なんなんだ、あれは?研究室でも見たことないぞ?)
ブォンッ!
そして光球は、レーザーのような指向性を持って、西の空へと飛び去っていった。
(あとで、あの聖騎士団長の遺体を検める必要があるな――)
私はひとり、自分の研究テーマをまた一歩進めてくれた神に、深く感謝する。
「敵は浮足立ってるぞッ!次弾装填!」
左翼からアニエの凛とした声が響く。他のピスタラ兵たちも、
それに続いて手早く再装填を行う。その動作に、もはや迷いも恐れも感じない。
自分たちは生き残れるのだ
その明日への希望が、彼らを精強な兵士へと押し上げていた。
「第二射、構え――パルテッ!」
再びの轟音。驚愕、そして目の前の非現実的な光景に立ち尽くしていた
聖騎士たちが、なすすべもなく撃ち抜かれる。すべてが馬上から突き落とされ
泥の中で冷たくなっていく。ここにあるのは、もはや戦争ではない。
一方的な処刑だった。
「なッ……騎士団長が……死んだ……だとぉ……!?」
後続の聖騎士たちは慌てて手綱を引き、呆然と立ち尽くす。
彼らの信仰では説明がつかない。神に祝福された鎧が、
なぜ薄汚い異端者の筒ごときに貫かれるのか。哀れな農夫どもの背中を突き刺し
騎馬でぐちゃぐちゃに踏み均すだけの簡単な任務だったはずだ。
「あ、ありえん、ありえんわ…異端どもめッ!悪魔の術を使っているのかあッ!」
恐怖は伝播する。
信仰と兵装、そして規律によって支えられてきた百戦百勝の聖騎士団が、
これまでに味わったことのない理不尽を突きつけられ、混沌へと陥っていく。
「神よ!なぜ我らを守り能わぬのですか!?」悲鳴にも似た祈りが聞こえる。
だが、神がそれに答えることはない。
「第三射、いくぞッ!」
勝利を確信したアニエの指揮が、高らかに丘に響く。
「ひ、ひぃッ……!」「退け!退けィ!退却だぁッ!!」
恐怖に抗いきれず戦線は崩壊。聖騎士たちは馬首を返して散り散りに敗走し出す。
だが、背を見せた敵ほど脆いものはない。
そしてそれを安々と見逃すジシュカ将軍ではない。
この好機に、城砦ヴァーゲンブルクの指揮台へと駆け登り、空に剣を突き上げる。
「見たか!神は奴らを見放した!ここにあるのは鉄と火薬、
そしてお前たちの意志だけだ!一気に突き崩せ!」
そうだ、奴らをこの丘から一騎たりとも生きて帰すものか。
ウォーッ!!
待ちに待った総攻撃の下知に、ヴィートコフの丘が興奮と歓喜に揺れた。
それは、魔法という特権階級の支配が、
物理という平等の暴力によって崩れ去った瞬間だった。
一四二〇年七月一四日。
こちらの世界でもまた、チェコ共和国の歴史が動いた日だった。
本日は第7話まで順次公開します。明日から2週間は1日2話更新です。




