第26話:ルーヴティエ
南ボヘミアの冬は、骨身に凍みる。
クルムロフ城から一マイルと離れていない、
深い森の中にひっそりと佇む古びた狩猟小屋。
普段は、貴族が鹿狩りの合間に暖を取るための場所だが、
今夜は南ボヘミアの趨勢を占う密議の場となっていた。
当初の取り決め通り、小屋の周囲には互いに十騎ずつの護衛を展開させている。
彼らは剣の柄に手をかけつつも、抜くことはない。
張り詰めた緊張感の中、私はジシュカ将軍の護衛として、小屋の中へと同行した。
「――よく来てくれたな、スミル卿」
「獲物が大きい時ほど、狩りは慎重に行わねばなりませんからな、将軍」
暖炉の爆ぜる音だけが響く室内。
粗末なパインのテーブルを挟んで、二人の武人が対峙する。
スミル・ゼ・クルジェムジェ騎士爵。
四十がらみの精悍な顔つきには、長年、大貴族からの
圧力に耐え抜いてきた者特有の深い皺と殺気が刻まれている。
ジシュカは腰の剣を帯びたまま、傷だらけの手で
持参したワインの革袋をテーブルに置き、二つの木のカップに注いだ。
「毒見は不要か?」
「フス派の英雄が、女々しい手口を好むとも思えませんな」
スミルは自らのカップを無言で煽り、もう一つをジシュカへ押しやる。
ジシュカもまた、それを一気に飲み干した。契約成立。
少なくともこの場で殺し合うことはない。
護衛たちの間にも、僅かに弛緩した空気が流れる。
もっとも、剣の柄から手を放すことはないが。
「では、単刀直入に聞こうか。貴公はなぜ、我々に手を貸す?」
ジシュカが隻眼を細めて問う。
「我らは異端のターボル軍だ。
カトリックの騎士である貴公が、手を組みたがる相手ではないはずだが」
「――その信仰だよ、将軍」
スミルは空になったカップを見つめ、重く吐き捨てた。
「そうだ、私はカトリックだ。だが、今の教会と皇帝のやり方には反吐が出る。
そもそも主イエスを十字架にかけたのは誰だ? ローマ帝国だろう!
ならば真のカトリック騎士が、なぜ帝国なんぞに尻尾を振らねばならんのだッ」
その言葉には、厳かで冷たい怒りが込められていた。
「それに、だ。オルドジフの小僧のやり口は目に余る。
先代とは違い、奴は『カトリックの守護』を名目に
我らのような近隣の小領主を圧迫し、領地を蚕食し続けている
――信仰を盾にした強盗め」
ちらりと私の方へ目をやる。この男、私の出自に気づいているな。
「敵の敵は味方、か。ならばスミル卿、貴公の兵を貸してもらえるな?」
ジシュカの要求に、スミルは静かに首を横に振った。
「断る。私にも守るべき領地と領民がいる。
私個人の苛つきや思い立ちで、表立ってオルドジフと敵対などできんよ。
奴に包囲されれば、クルジェムジェなど三日と持たん」
「ならば、ここへ何しに来た」ジシュカの詰問が尖る。
「兵は出せんが、目はくれてやる。私とて『五弁の薔薇』の端くれだからな。
兵の配置、城壁の補修箇所、補給路の穴、領内の内情……何でも聞くがいい」
スミルは懐から羊皮紙の束を取り出し、テーブルに叩きつけた。
それは金にも勝る軍事機密の塊だった。
そして、彼の提案はそれだけではなかった。
「もう一つ、とっておきの情報をやろう。
――チェニェク・ゼ・ヴァルテンベルカ伯と
メンハート・ゼ・フラデツ卿に渡りをつけてみろ。
全く相手にされない、ということは無いはずだ」
「――なっ!?」 私は思わず声を上げてしまった。
その場にいる全員の視線が私に集まるが、構ってはいられない。
私とて南ボヘミアの元貴族だ。その二人の名が持つ意味を、よく理解している。
「馬鹿な!ありえない!
ヴァルテンベルカ伯はオルドジフの親族、それどころか後見人じゃないか!
フラデツ卿はロジュンベルク分家で、オルドジフの親友だろう!
裏切るはずがない!」
それは、右手が左手を裏切ると言うに等しい暴論だ。
血と縁の結びつきは、そう簡単に解けるものではない。
だがスミルは口元を歪め、皮肉げな笑みを浮かべた。
「やはり貴様がフルム卿の息子か。
あの家は美男美女の家系として有名だったからな。
まあ外から見て、そう思うのは正しい――だがな、最近のオルドジフには、
身内すらついていけない『危うさ』が出ているのだよ」
「危うさ?」
「金、そして傲慢さだ。奴は戦費のため、親族にすら不義理を重ね、
忠言を遠ざけている。ヴァルテンベルカ伯もフラデツ卿も、
沈みゆく泥船と心中するつもりはないらしいな。家名の存続は、血よりも重い。
貴族とはそういう生き物よ――さすがに刃を突きつける、決定的な敵対までは
無理だろうが、支援の取り止め程度なら説得することも可能なはずだ」
スミルの言葉に、私の背筋が粟立つ。
もしそれが真実なら――南ボヘミアの勢力図が根底から覆ることになる。
「――後見人の最高城伯と盟友のヴィテク家門ですら、当主を見放す。
その意味は極めて大きい。ロジュンベルク陣営は大きく揺れ動くだろうな」
私が唸ると、ジシュカも獰猛な笑みを深めた。
「フッ、面白い。戦の旗振りは得意なようだが、搦め手にどこまで対応できるか。
あの『跛行の狼』がどこまで保つか見ものよ」
「手紙を書くなら早い方がいいぞ、将軍。金のない傭兵どもが暴れだす前にな」
スミルはそう言って立ち上がり、剣のベルトを締め直した。
「城へ戻る。次に会うとすれば、オルドジフの葬儀の後だろう」
そして思い出したかのように付け加える。
「――ああ、フルム卿の息子よ。
仇討ちに逸って、オルドジフへ一騎駆けなんて真似はするなよ。
あの小僧が受け継いだ聖蹟『ヴィテク』は、触れる物すべてに業火を放つ。
迂闊に近づけば、貴様ごと燃やされるぞ」
私は、扉へ向かうスミルに向けて、丁重に頭を下げる。
「ご忠告、感謝いたします、スミル様。
あの悪魔は、遠くから狙撃して始末することにいたしましょう」




