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第25話:金の切れ目

――大司教区のある一室にて


重厚なオーク材の扉が閉ざされ、部屋には二人きりになる。

ボヘミア教会の管財人コゾイェドは、書類を暖炉に放り込みながら

背中越しに、インホフ商会プラハ代理人ペーター・インホフへ語りかける。


「――お互いに忙しい。直截に言おうか。

大司教区は、貴会の『健全性』を憂慮している」


「は……? 支払い能力、でございますか?

手前どもインホフ商会の金庫は盤石です。

猊下からの送金業務に遅延など一度たりとも――」


「今は、な」コゾイェドは振り返り、冷ややかな目でペーターを射抜く。


「だがな、南ボヘミアの戦況は知っているだろう? ロジュンベルク家は連戦連敗。

フス派の異端どもは、彼の領地を焦土に変えつつある」


「え、ええ。ですが、ロジュンベルク卿はカトリックの守護者。

いずれ皇帝陛下の援軍が――」


「その『いずれ』が来る前に、担保である銀山がフス派に奪われたら?

当主のオルドジフが万が一にも戦死し、借金を踏み倒されたらどうする?」


コゾイェドは机の上にある帳簿を指先で弾く。


「貴会がロジュンベルク家に貸し付けている額は莫大だ。

もしそれが焦げ付いた場合、いくらインホフ商会といえど無傷では済まないな。

――かつての『()()()()()()()()』とならなければよいが」


ペーターの顔から血の気が引く。


「ま、まさか……。公署は、我々が破綻するとお考えで?」


「可能性の話だ。だがな、教会としても底が抜けかけてる金庫に、

神聖な浄財を預けておくわけにはいかんのだよ」


コゾイェドは、慈悲深い聖職者のような表情で囁く。

だが、その目はまったく笑ってはいない。


「インホフ商会が破滅しては、我々ボヘミア教会も困る。

長年の付き合いだが、共倒れは遠慮したいのでな」


「……っ!」

ペーターは刹那に悟る。これは最初から忠告などではないのだ。


『ロジュンベルクから資金を回収せよ。

さもなくば、教会はインホフ商会との取引を打ち切り、預金を全て引き上げる。

異端に認定されたいのか?』という脅迫、命令に等しい。


「……ご忠告、痛み入ります。直ちにニュルンベルク本店の兄たちに報告し、

ロジュンベルク家への債権回収に着手いたします。――担保が灰になる前に」


「うむ、それが賢明だ。神も貴会の繁栄を望んでいるだろう」




――そして数週間後、南ボヘミアのある名門修道院にて


夜の静寂を破り、管財担当のヴァーツラフが血相を変えて

ズラター・コルナ修道院長の私室に飛び込んでくる。


「院長! ドルスラフ院長! 一大事にございます!」


「騒々しい、ヴァーツラフ。夜の祈りの時間だぞ」

ドルスラフ修道院長は、帳簿の数字を追っていた手を止め、

不機嫌そうに顔を上げる。


「フス派の野盗でも現れたか?

ならばロジュンベルクの守備兵にでも伝えればよかろう」


「そのロジュンベルク卿のことでございます!」

ヴァーツラフは誰にも聞かれぬよう、後手で扉に鍵をかける。

そして声を潜め、しかし早口でまくし立てる。


「先ほど、リンツから来た塩商人が密かに教えてくれました。

――あのインホフが、ロジュンベルク家の債権回収に動いていると」


「――何だと?」

ドルスラフの指から、羽ペンが滑り落ちる。


「ニュルンベルクのインホフが、か?

馬鹿な。奴らはロジュンベルクの金庫番も同然だぞ。

いくら戦時中とはいえ、長年の付き合いを切れるはずが――」


「それが、資産凍結の恐れがあるとのことで」

ヴァーツラフは青ざめた顔で続ける。


「教皇特使の随員が酒場で漏らしていたとの噂です。

ロジュンベルク卿による教会財産の流用は、もはや看過できぬ。

教皇庁は卿を聖物窃盗者として断罪し、

見せしめとして全資産の凍結を命じる勅書を準備している、と……!」


「な、ローマ自ら断罪だと……!?」

ドルスラフが椅子から跳ね起きる。

その顔には、敬虔な信仰心などではなく、強欲な計算が浮かんでいた。


(ロジュンベルク卿は皇帝の腹心だぞ?

断罪などありえるのか? いや腹心だからこそありえるか!)


実際に、ズラター・コルナ修道院の資産に手を付けているのだ。

ボヘミア大司教区ならともかく、ローマから直接乗り込まれては

誤魔化しようがない…皇帝も庇い立てようがない…


もしもロジュンベルク家の資産が凍結されれば、

クルムロフ城の地下金庫に『安全のため』にと

預けている我が修道院の莫大な財宝や聖遺物も、

借金のカタに取られるか、ローマに没収されてしまう――


「それはマズイ……。それは非常にマズイぞ……!」

ドルスラフは部屋をうろうろと歩き回り、爪を噛む。


「オルドジフ卿は『戦費として一時的に借りている』と言って

我々の金を隠すことに協力してくれているが、こうなると話は別だ。

ローマ、そしてインホフにすべて食い荒らされてしまうではないか!」


彼は立ち止まり、ヴァーツラフの肩を掴んだ。


「ヴァーツラフ、使いを出せ! クルムロフ城へ!」

「はっ。なんと伝えましょう? 『債権回収の噂は本当か』と?」


「愚か者ッ! そんな聞き方をすれば、財産を隠されるだろうがッ!」

ドルスラフは叫ぶ。


その目は、沈没船から逃げ出す鼠のように鋭く、必死だった。


「理由など何でもいい、『修繕に必要になった』とでも言え!

『我が修道院も、預けていた資産の全額返還を求める』とな!

聖遺物、金貨、銀食器、聖杯、預けてたもの全てだ!

明日の朝一番で、馬車を仕立てて回収に向かえ! いいな?

インホフより先に、我々の財産を取り戻すのだッ!」


「は、はいッ!直ちに!」

ヴァーツラフが部屋を飛び出していく。


残されたドルスラフ修道院長は、震える手で胸の十字架を握りしめた。

祈りの言葉は、神への感謝ではなく、己の財産への執着だった。


「おお神よ。

ロジュンベルクが破産する前に、どうか私の金だけはお守りください」

Tips: 当時のプラハは欧州主要都市の一つ。グレートインホフといえども

パワーバランスはボヘミア教会の方に軍配が上がります。

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