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幕間ティータイム

ヴィシェフラド陥落から五日。

城内の残敵掃討は終わり、戦死者の埋葬も一段落ついた。

鹵獲した物資の仕分けと、負傷兵の治療。

今はアーセナル職員たちを中心に、

ヴィシェフラド城の解体作業が進められている。


その城の一角に設けられた工場長室。

アネシュカ・ゼ・レデチ上級隊長は歩哨に入室許可を求めていた。


「工場長殿に面会を。戦勝の謝礼だ」

「はッ。取り次ぎますゆえ、少々お待ちを」


本来なら先触れを出し、侍女を伴って歩くのが貴族女性の常識だが

ここは過激な平等主義を掲げるターボル軍。

あまり貴族の色を出すのは好ましくない――


「どうぞ」扉が開かれる。

アネシュカは軽く息を整え、中へと踏み入れる。


――工場長室には、予想外の光景が広がっていた。


窓際の小さなテーブルに、二人の少女が向かい合って座っている。

一人は工場長カテジナ。もう一人は、見覚えのある従卒の少女だった。

二人の前には、湯気を立てるティーカップと、焼き菓子の載った皿。


「あら、アニー。いらっしゃい」

カテジナが気軽に手を振る。


ボヘミアでは、まず見かけることのない綺麗な金色の髪。

透き通るような白い肌。その両手には似つかわしくない、夥しい火傷の痕。

いつもの無骨な革エプロン姿ではなく、クリーム色のブラウスに深緑のスカート。

煤に汚れていない彼女は、年相応の――

いや、豊かな胸元が強調されて、むしろ年齢以上に見える。


「カタリーナ、その……」

アネシュカの視線が、従卒の少女へ向かう。


彼女もまた、質素だが清潔なワンピースを身につけ、

主人と同じテーブルについていた。主人と従卒が同じ席で茶を飲む。

生粋のボヘミア貴族として育ったアネシュカには、

到底理解の及ばない光景だった。


「ああ、リドミラのこと?」

カテジナは肩をすくめる。


「イングランドじゃ別に珍しくもないわよ。

工場主と職工が同じ食堂で食事するなんて」


「そう…なの…かしら?」

「アニーが潔癖すぎるのよ。ほら、座って座って」


(『閣下』とは呼ばないよう、私に注意するジシュカ将軍ですら

従卒と席を共にされることはない。だが海の向こうの島国は

それほどまでに野蛮、もしくは進歩的なのかしら?)


アネシュカは訝しんだが、

これ以上、異国の文化に口を挟むのも、貴族として無礼が過ぎる。

彼女は勧められるまま、空いている椅子に腰を下ろした。


従卒の少女――リドミラは素早く立ち上がり、本来の給仕の仕事に戻る。

その動きには、訓練された淀みなさがあった。

避難民から雇い上げたと聞いているが、

どこかで奉公の経験があるのかもしれない。


「アネシュカ様、リンデンティーに添えるのは蜂蜜でよろしいでしょうか」

「ああ、頼む」

リドミラが茶を淹れる間、アネシュカは改めてカテジナを見た。


「……今日は、その、戦勝の礼を言いに来ましたの」

「礼?」

「ええ、いただいた試作銃のことですわ」


アネシュカは腰に佩いた細身のピスタラに手を添えた。

ライフリングを施した特注品。


「おかげで、多くの敵を仕留められましたわ。感謝いたします」


「ふぅん」カテジナの唇が、意地悪く吊り上がる。

「それ、アタシに言うことかしら?」


「……どういうことかしら?」


「だってあれ、急いで作れって言ってきたの、ジョージよ?

アニーのために、って」


アネシュカの頬に、かすかな朱が差す。


「……知りませんわ。私は貴方に礼を言いに来ただけです」


リドミラは会話の邪魔にならないよう、静かにカップを差し出す。

アネシュカは礼を言い、口元に運んだ。

菩提樹の花の、ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「……良い香りですわね。久しぶりに飲むわ」


「でしょう? ダージリン・ファーストフラッシュに近いのよね。

アールグレイに近いのも、見つけられたらいいけど」

カテジナは自分のカップを傾けながら、物憂げに呟いた。


「まあ、茶葉の種類は諦めるとしても、茶菓子はいろいろ欲しいのよねえ」

「茶菓子?」


「たとえばスコーンとか。小麦粉とバターと砂糖で作る焼き菓子なんだけど、

ベーキングパウダーがないと膨らまないのよ。重曹だけじゃ代用できないし……」


「ベーキング……?」

アネシュカは眉をひそめる。聞いたことのない単語だった。


「ああ、ボヘミアにはまだ無いのかな。要するに、膨らし粉の一種ね。

炭酸水素ナトリウムと酸性剤を混ぜた――って、この説明じゃ分からないわね」


「……ごめんなさい」

「いいの。とにかく、サクサクの焼き菓子が作れないのが悩みってこと」


アネシュカは少し考え、口を開いた。

「なら、ヴァーノチュカはどうかしら?」


「ヴァー……なに?」

「ボヘミアの編みパンね。祝祭の日に焼くの。甘くて柔らかいわよ」


「へえ、編みパン……」カテジナは興味を示したようだった。

「甘い焼き菓子代わりになるのなら試してみたいわね」


「私、作れますよ」リドミラが控えめに手を挙げた。

「あら、本当?」カテジナの目が輝く。

「じゃあ今から作って」


「かしこまりました。ただ……」リドミラは少し躊躇ってから、続けた。

「お嬢様方も、作れるようになった方がよろしいかと」


「は?」さすがのカテジナも、

従卒に『下働きの仕事も学べ』とまで言われては、少々面食らう。


だが――


「今は戦時中ですし、何と言ってもターボルですから。

いざという時、自分で食べ物を用意できないと困りませんか?」


カテジナとアネシュカは顔を見合わせた。


「……一理あるわね」「……否定できないわ」

「では、ご一緒に。城の厨房をお借りしましょう」



そして一時間後――


窯から取り出されたのは、

リドミラの手による美しい黄金色の編みパンと

アネシュカの手による黒焦げの塊と

カテジナの手による平たく潰れた何かだった。


「……私のは炭になりましたわね」

「アタシのは膨らまなかったわ。発酵時間を短縮したのがまずかったのかしら」


「お二方とも、銃や炉の扱いはあんなにお上手なのに……」

リドミラは困ったように微笑んだ。

そして、自分の焼いたヴァーノチュカを切り分け、二人の前に差し出す。


「……美味しいですわね」

バターの香りと、ほのかな甘さがアネシュカのの口の中に広がる。


「スコーンとは全然違うけど……」カテジナも頬張りながら頷いた。

「これはこれでアリね。リドミラ、また作って」


「かしこまりました。

でも次は、アネシュカ様もお嬢様もきちんと作れるようになりましょうね」


「「……そうね」」二人は目線を合わせず、適当に返事する。


「と、そういえば」カテジナが会話の流れを切りたいとばかりに切り出す。

「アニー、ジョージにはお礼言った?」

「……まだよ」

「あら、どうして?」


「どう言えばいいか、分からないのよ」

アネシュカは視線を逸らした。

「ジークは、いつも眉間に皺を寄せて、いつも一人で戦っているから…」


「確かに、いっつも難しい顔してるわよねえ」

カテジナはクスクスと笑った。


「最近、髭も生やしてること多いでしょ。

アタシ、あの方が貫禄あって好きだけど」

「……そうかしら?」


「アニーはどういうのが好み?」

「私は……別に、どんなジークでも……」


「お二人とも」

リドミラが給仕の姿勢を崩さぬまま、静かに口を挟んだ。


「ジリ様のこと、よくご覧になっていらっしゃいますね」

沈黙が落ちる。アネシュカとカテジナは、また同時に視線を逸らす。


「……ルドミラ、お茶のおかわりを貰えるかしら」

「アタシも」

「かしこまりました」


窓の外では、破城作業の音が響いている。束の間の平穏。

だが誰もが知っていた――皇帝ジギスムントは必ず報復に来ると。

この静けさは、嵐の前の凪に過ぎないのだと。


だが今だけは――このリンデンティーの香りと、

ヴァーノチュカの甘さに、少しだけ浸っていたかった。

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