第18話:三昧真火
「終わりだ」
ジェレズニーは、静かに腕を振り下ろす。無数の氷槍が放たれ――
ザシュッ!ガギィィィンッ!
「ぐ、ぅ……!?」「あ、足が……ッ!」みんな同時に悲鳴を上げる。
床から伸びた氷の蔦に、下半身を絡め取られ、瞬時に凍結させられていた。
感覚がない。まるで自分の足が、石化させられたようだ。
だが、まだ生きている。いや、生かされている、と言った方が正しいか。
「……実に無様だな」
ジェレズニーは静かに嗤う。氷のように冷たい、侮蔑の笑み。
「どうだ、ガチョウの孤児たちよ。命乞いならば、聞いてやらんこともない」
圧倒的な強者による、弱者への戯れ。
私たちを、いつでも踏み潰せる虫けらとしか見ていない。
「――ジェレズニー閣下、こいつらは皆殺しにしても構いません。
この私だけは、私にだけはどうかお慈悲を!」私は懇願する。
(――すまない、みんな)
私は心の中で、戦友たちに別れを告げる。
このまま座して氷漬けになるくらいなら、選ぶべき道は一つしかない。
私は復讐を果たさなければならない。もはや手段を選んでいられない。
「閣下!こちらを献上いたします。どうかお受け取りを」
私は懐から陶器の瓶を取り出し、震える手で差し出した。
中身はミスリルと呼ばれているらしき銀色の粉末と
『鉄の墓場』で採取した鉄錆を混ぜ合わせてある。
私はその瓶を、ジェレズニーの顔面めがけて投げつける。
凍りついた下半身が踏ん張れず、投擲はやや狙いが逸れた。
瓶は緩やかな放物線を描く。
ジェレズニーは鼻で笑い、避ける素振りすら見せない。
彼は座ったまま、煩わしそうに指先を振るう。
「異端の汚らわしい供物などいらぬわ。聖蹟スローンズ」
背後の水瓶から聖水が鞭のように伸び、空中で瓶を叩き割る。
パリィーン、銀と赤茶の粉末が空中に撒き散る。
ジェレズニーは、ウンザリとした表情で
その粉末を大量の水で洗い流そうとする
――その刹那
ジュッ、ガァァァァァァァッ!!
私が予測していた爆発的な拡散は起きなかった。
代わりに起きたのは、異常な収束。
水に触れたミスリル粉末は、酸素を奪いながら超高温を発したが、
その熱エネルギーは指向性をもってジェレズニーを襲う。
「――還元反応テルミット。神すら焼き尽くす真の業火だ。受け取るといい」
「ギィャ、ア、アアアアアアッ!?」
絶叫と共に、主座から転げ落ちる。
聖蹟スローンズで作った魔力の導火線を伝って
およそ三〇〇〇度の熱がジェレズニーを直撃。
彼が身にまとっていた黄金の法衣は瞬時に消し炭となり、
聖蹟ヴァーチュースで鋼鉄に変えていた皮膚そのものが、
飴細工のようにドロドロに溶け出していく。
「あ、アツ、熱イッ!なぜだ、水が、水がァ!!」
ジェレズニーは錯乱して、さらに水を呼び出して被ろうとする。
それが最期の姿だった。聖蹟ヴァーチュースで自分の身体を
鋼鉄に変えていなければ、ここまで劇的な還元反応にはならなかっただろう。
この炎にとって、水は消火剤ではない。燃料であり、起爆剤だ。
新たな水が供給されたことで、ミスリル・テルミットはさらに加速。
炎の勢いは倍加し、白熱する光が彼の身体を飲み込んだ。
「が、ギ……ッ」数秒のたうち回った後、その塊は動かなくなった。
ドロドロに溶けた金と、炭化した肉が混ざり合い、床にへばりついている。
『美』を誇った司教の、あまりに醜悪な末路。
フス先生を焼き殺した外道には、時代を超えた業火で尊厳ごと溶かす。
これが私の復讐――
熱が引く。堂内を支配していた轟音が鳴り止む。
残ったのは、肉の焼ける異臭と、耳鳴りだけ。
「……あ、ぅ……」
静寂を破ったのは、慟哭。バルトシュは血まみれのフレイルを床に投げ出し
焼死した若い部下の遺体を抱き上げていた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、彼は震える声で賛美歌を口ずさんでいる。
周囲の農民兵たちも、一人、また一人とその歌声に加わっていく。
「主よ、その霊魂に安息を……」
プロクはその塊にも葬送の祈りを捧げかけようとしたところで
ハッと気づき、慌てて途中で止める。その代わりとばかりに、詩篇を唱えた。
「悪しき者は滅び、主の敵は牧場の青草のように儚く、
煙となって消え去るであろう」
皮肉屋で、どこまでも聖職者らしい彼の餞。
その脳裏には、かつてプラハ大学で真理を授けてくれた
亡き師フスの姿が去来しているに違いない。
「無様なものね」アニエは吐き捨てるように呟いた。
「皇帝が頼りにしてた『鉄の司教』が、あんな汚物に成り果てるなんて」
そして、ゆっくりと私の方へ振り返る。
彼女が纏うレデチ鋼ブリガンダインが鈍く輝いていた。
ケトルハットを外すと、美しいダークブロンドが溢れ出す。
「ジーク、あなたの業火はね、フス師の無念だけじゃないわ。
私たちの……私の過去も、少しだけ焼き払ってくれた。ありがとう」
「今回は、この世界にも助けられたけどな」
そう、私は自爆覚悟であの瓶を投げつけた。
マグネシウムやアルミニウムなら、テルミット反応は粉塵爆発となり、
ここにいる皆を巻き込んで、私たちは全滅していたはずだ。
だが、そうはならなかった。
考えられるのは大量の水によるスクラバー効果と
高熱が生んだプラズマチャンネルによる流体の拘束。
もしくは、未知の素材ミスリルの持つ特性なのだろうか。
どちらにせよ、私たちがこうして五体満足なまま
生きて勝利できたのは単なるマグレ、偶然の産物でしかない。
私は、まだどこか甘く見ていたのだろう。
前世で、ヴィシェフラド攻城戦はフス派が勝利した史実に甘えていた。
ここは魔法がある世界なのだ。もっと『慎重』に動く必要がある。
「フン、世界に助けられたのだとしたら、それは神の御意志だ。
嘆くことはないぞ、錬金術師殿」
ジシュカが重い足取りで歩み寄り、ドンッ、と私の肩を力強く叩いた。
その掌の熱さと重みだけが、確かな勝利の実感を与えてくれる。
「バルトシュ、喚くな!司教が死んだからといって戦が終わるわけではない。
ただちに階下へ赴いて、残りの鼠どもを城から炙り出せ!」
ジシュカが号令をかけたその時――
その塊から、ゆらりと青白い光が立ち昇り始めていた。




