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第17話:ボス戦

ヴィシェフラド城は、もはや要塞としての機能を失い、巨大な石棺と化していた。


飢えと恐怖で動けなくなった守備兵たちを、

泥まみれの農民兵たちが槍で追い回し、フレイルで撲殺していく。

聖遺物を持たぬ神官たちは引きずり回され、

窓から崖下へ投げ捨てられ、殺された。


回廊に響くのは、鈍い打撃音と断末魔だけ。

あまりに一方的な虐殺だった。


「城主を討つぞ!付いて来い!」

血煙のなか、ターボル軍の将軍自ら駆け抜ける。

それに続くのは、プロク、アニエ、バルトシュ、そして私。

各部隊の指揮官たちは精兵だけを引き連れて、最上階の謁見の間を目指す。

分厚い扉を蹴破り、大広間へとなだれ込んだ。


「――遅かったな」


そこには、階下の惨劇が嘘のような静けさがあった。

磨き上げられた大理石の床。壁を飾る豪奢なタペストリー。

そして部屋の最奥にある主座には、一人の男が優雅に足を組んで座っていた。


ヴィシェフラド城主ジェレズニー領主司教。

返り血と泥まみれの闖入者たちを見ても、彼は眉一つ動かさず

手に持っていたゴブレットをサイドテーブルへと置いた。


「土足で余の庭に踏み入るとはな……これだから礼節なき異端は嫌いなのだよ」


「ジェレズニーッ!!」普段の沈着冷静さをかなぐり捨て、プロクが咆哮する。

目の前の男は、ただの敵将ではない。かつてコンスタンツ公会議で、

フス前プラハ学長を陥れ、無実の罪を着せて、生きたまま焼いた張本人――


「よくも……よくもぬけぬけと!貴様がフス先生にした仕打ち、

忘れたとは言わさんぞ!神の名において誓っておきながら、

騙し討ちにした大罪!その首で償ってもらう!」


「フス?」ジェレズニーは心底不思議そうに首を傾げた。

「ああ、あの煤けたガチョウのことか。忘れていたよ。

道端の糞などいちいち覚えておらんのでね」


ブチリ。アニエの中で、何かが切れる音がした。硝煙が立ち込める大広間。

だが、彼女の碧緑の瞳は一瞬も標的を見失わない。

彼女は無言のまま、流れるような動作でピスタラを放つ。タァァン!

鋼鉄の銃声が響く。音速の弾丸がジェレズニーの眉間を――


ガキンッ!!


乾いた金属音が、謁見の間に鋭く反響した。

アニエの放った鋼鉄の弾丸は、間違いなくジェレズニーの眉間を捉えていた。

だが、そこには血の一滴も滲んでいない。弾丸はひしゃげ、

まるで分厚い鉄板にでも当たったかのように、床へと力なく転がり落ちた。


「――なッ!?」アニエが凍りつく。

アイギスのような障壁は見えなかった。皮膚そのものが弾いた――


「そんなに驚くことかね?」ジェレズニーは指先で額を払い、薄く笑った。


「余が授かりし聖蹟ヴァーチュースは、肉体の格を引き上げる。

神に選ばれしこの肌は、異端の使う卑しい鉄屑などより、

遥かに尊く、硬いのは当然のことではないか」


カン、と彼が自分の頬を爪で弾くと、陶磁器のような澄んだ音が鳴った。

質量保存の法則も、生体構造も無視した、絶対強者の理屈。


「構わん、撃ち続けろ!生身である以上、限界はあるはずだ!」

ジシュカは即断する。


ピスタラ隊が一斉に火蓋を切る。轟音。そして白煙。

数百の死の礫がジェレズニーへと向かう。

しかし、司教は動こうともしない。ただ煩わしそうに手を振っただけだ。


「煩わしい、不敬な羽虫どもを吹き飛ばせ。聖蹟ケルビム」


ゴオゥッ!!

指向性をもった暴風はピスタラの弾道を変え、天井や床へと突き刺さる。

そのまま暴風は、アニエらピスタラ隊をも突き抜け、彼女らを壁へ叩きつける。


「おのれぇッ!フス師を焼いた報い、いまこそ受けさせてやるッ!」


吹き飛ばされたピスタラ隊を横目に、バルトシュが、血走った目で突撃する。

それに続いて、隊の農民兵たちもフレイルを片手にジェレズニーへと迫る。

戦術など何もない。あるのは煮えたぎる闘志と不倶戴天を討つ決意のみ。


「やれやれ。家畜の分際で、そう熱くなるな」

ジェレズニーは、まるで汚物を消毒するかのように、冷酷に指を鳴らす。


「望み通り、あのガチョウと同じ丸焼きにしてやるとするか。聖蹟セラフィム」

ボッッッ!司教の背後から、六枚の翼を模した紅蓮の炎が顕現する。

聖遺物を媒介にした、純粋な熱エネルギーの奔流。


「ぎいゃアアアアアアアアッ!?」

その翼の一枚がバルトシュの隣にいた農民兵に触れ、瞬時に火だるまへと変える。

皮膚が弾け、脂肪が溶け出し、人が炭へと変わっていく嫌な音が続く。


「あ、熱ッ、熱いィィッ!助け、て……!」


――ああ、あの日と、同じ声だ。同じ臭いだ。吐き気がする。


「バルトシュ、下げさせろッ!プロコフ、衛生兵を呼べッ!」

ジシュカは即座に農民兵たちを下げさせ、

階下にいる衛生兵たちを呼ぶよう命じる。


ジェレズニーは、サイドテーブルからゴブレットを手に取り、

転げ回る農民たちを冷ややかに眺めながら、ワインを一口含む。

あまりに圧倒的だった。我々の憎悪も信仰も、そして私の科学も、

高位聖職者の振るう『本物の奇跡』の前では、無力な児戯に過ぎなかった。


「さて、と。下々の余興にも飽いてきたな」ジェレズニーは主座から立ち上がる。

燃え尽きた農民の遺体を見下ろし、つまらなそうに呟いた。


「そろそろ終幕とするか。やはり余の庭に灰や煤は似合わぬ」


キィィィィン――


不快な高周波と共に、灼熱の部屋の空気が一変した。肌を刺すような冷気。

吐く息が一瞬で凍りつき、床や壁に白い霜が走る。

今度はジェレズニーの背後に、黄金の装飾が施された巨大な水瓶が顕現していた。

そこから溢れ出した水は物理法則を無視して空中に留まり、

無数の鋭利な氷柱へと変貌していく。


「泥人形どもは、そこで凍てついているがいい。聖蹟スローンズ」


ジェレズニーが指揮棒を振るうかのごとく腕を動かす。

津波のような冷水と氷の礫が、我々を襲う。


「総員退避ッ!」ジシュカが叫ぶが、遅かった。

水を被った兵士たちが、悲鳴を上げる間もなくその場で凍りつく。

パキパキという音と共に生きたまま氷像へ変えられていく。


「くッ……これ以上、撃たせはしないわ!」

最前線へ復帰したアニエが叫び、水瓶と氷柱に向けて再び引き金を引く。

だが、音はしない。カチッ。虚しい金属音だけが響く。


「な……!?」発火しない。部屋に充満した極低温の冷気と湿気が、

点火薬を湿らせてしまったのだ。さらに鋼鉄製の銃身が急速冷却されたことで、

内部に結露した水分が凍りつき、物理的に銃口を塞いでいる。

最新鋭の鋼鉄製ピスタラが、完全に敗れさった瞬間だった。


「どうした?自慢の玩具はもう壊れたのか?」

ジェレズニーは嘲笑いながら、氷の床を踏みしめて歩き出す。


「理、人知、火薬――下らぬ小細工よ。

神の与うる奇跡の前では、異端の知恵など塵芥」


「終わりだ」ジェレズニーが手を掲げる。

無数の氷槍が、切っ先をこちらに向けた。


「フスと同じように、お前たちも歴史の染みとして消え去れ。

――いや、あのガチョウは焼かれたのだったな。

ならばお前たち、永遠に溶けぬ氷塊の中で、その醜い骸を晒し続けるといい」


――ああ、あの日と、同じだ。

前世の知見があろうと、才覚に優れていようと、妹ひとり救えなかった。


『お兄様ッ!熱い、熱いよぉッ!!』

幻聴が聞こえる。ありもしない鐘の音が鳴り、可愛らしいドレスが炎に舐められ、

黒く縮れていく。紅蓮の炎に包まれるフルム城。

崩れ落ちた梁の下で、私のエリシュカが燃えている。

彼女は泣き叫びながら、その白い肌を黒炭に変えていく。

彼女は最期まで私を信じて、手を伸ばしていた。私はその手を掴めなかった。


――ああ、あまりに無警戒で思慮に欠ける、愚かな私への罰。


『違うわ、お兄様ッ!あの悪魔どもにも、《《エリ》》と同じ報いを受けさせてッ!』


(ああ、そうか。そういうことか、エリシュカ。

私に、私に、奴を燃やせと言っているんだな――)


エリシュカの伸ばした手はようやく届く。

穏やかなヘーゼルの瞳が、再び暗い琥珀へと沈んでいく。

あの夜、燃え盛るフルム城で妹の最期を看取った時と、同じ目。

この期に及んで、まだ使いたくないと願っていたのだろう。

自分の心を壊すのを恐れていたのだろう。


少女たちの阿鼻叫喚はまだ消えてはいない。


ジェレズニー、貴様には、神すら焼き尽くす真の業火を見せてやる――

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