タイトル未定2025/09/28 12:39
一晩が経った。
それは長い晩であった。
たよりと円仁、それに経徳は、日が昇り役所の門が開くと同時に、例の牢の番人の元へと駆けて行った。
番人は、果たして、三人の顔をみるや、満足そうにうなずいて言った。
「やぁやぁお三方、朝早くからご苦労なことだ。昨夜の坊主は大層うまかったぞ」
艶めいた顔を片手でぬるりと撫でながら、番人は満面の笑みを向けた。
見ると、牢の中には、疲れ切ってぐったりとしなだれた礼郎が、牢内の隅の方にうずくまっていた。
「礼郎!」
たよりたちは間髪入れずに駆け寄った。
素肌を見る限り、あざのようなものは見受けられない。
円仁は、心の中で、これは幸運だったなと思った。
「約束だ。連れて帰れ」
番人はそう言うと、牢の中から礼郎を引っ張り出した。
つかんだ腕を離す際に、番人は礼郎に「縁があったらまた頼むぜ」と耳打ちした。
酒くさい番人の耳打ちなどつつぬけであったが、あえて聞こえないふりをして、たよりたちは礼郎をかついで役所を去った。
春のおだやかな陽気が、あたりにただよっていた。
「なぁに、簡単なことであったわ」
妙顕寺の本堂の片隅に体を休めて、自分を囲む三人に笑顔を向けて、礼郎はそう言い切った。
「無茶をしおって。殺されておったかもしれぬのだぞ」
そう心配そうに怒りをあらわにするのは経徳である。
「耳元で甘い言葉をたんと囁いてやってな、また次回も楽しもうと言っておいたから殺されることはない」
礼郎はそう言うと、かっかと、なおも笑ってみせた。
たよりは力なく、
「私はそこまで教えておらぬぞ」
とぼやいた。
「よくしゃべるたよりを思い描きながら抱かれてやったわ」
礼郎がそう言うと、「なんか複雑」と、たよりは言葉少なに肩をすくませた。
「しっかし。案外抵抗感が無かったな。俺、娼の才能があるのかも」
礼郎はすっとんきょうな調子で言った。
「馬鹿を言う出ない。おぬしが女好きであることは、私がよく知っている」
たよりは声を荒げた。
「いやいや、開眼したのよ」
礼郎はなおも続ける。
「いや、本当に。たより、どうじゃ、俺を弟子にしてくれぬか。俺は坊主になるのはやめた。俺もたよりのような娼になる」
この礼郎の発言には、たより、円仁、経徳の三者が三様に驚いた。
「本気か、礼郎」
まず怒ったのは経徳である。
「ああ、本気よ。幸い、色は浅黒いが骨は細い。力仕事や厳しい修行には向かぬ身よ」
これには、しばし沈黙した後、たよりが口を開いた。
「おぬしの生き方じゃ。好きにせい。ただ、楽ではないぞ」
そこに円仁が割って入る。
「話は聞かせてもらった。大丈夫だ。寺には儂を含め、両刀使いがたんとおる。忙しくなるぞ」
しかし経徳は顔色を失い声を荒げた。
「俺は反対だ。考え直せ礼郎!」
つかみかからんとする経徳の両目を見据えて、礼郎は静かに言った。
「悪いな経徳、もう決めたことだ」
「礼郎なら大丈夫じゃ。かわいがってやるから安心せい」
円仁が言う。
「円仁どの!困ります!」
礼郎は円仁のにこやかな顔を見て、「どうぞお手柔らかに頼みまする」としゃなりと腰を折った。
「こらこら!女の私を差し置いてなにを楽し気に言い交わしておる!」
たよりが二人の間に体を割り込ませる。
「ははは、私は二人いっぺんでもよいのですよ」
円仁はそう言うと、礼郎とたより、二人の顔を見比べた。
「まことでございますか!では一緒に。どうじゃたより」
礼郎はやぶさかではないらしい。
「私は嫌だぞ」
たよりが口を尖らせる。
「もう知らん!勝手にせい!俺は知らんぞ!」
ついに経徳はそう言うと、立ち上がってその場をあとにしてしまった。
残された三人は顔を見合わせると、長い先行きを思い互いに慰め合うのであった。
本堂の縁側の日向では、猫のテンが、大きくあくびをしたところであった。