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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

復讐鬼

作者: AMEJIS

夜の帳が落ちた宿の一室。薄汚れた木造の壁はところどころ亀裂が入り、そこから冷気が忍び込んでくる。部屋の中央には、安物の木製テーブル。その上には、広げられた地図と数枚の羊皮紙が置かれていた。部屋の隅には、使い古された椅子が三脚。壁に立てかけられたままの武器類が、彼らが戦場を生業とする者たちであることを物語っていた。


 燭台の炎がゆらめく中、四つの影が机を囲む。重い空気が漂い、まるでそれが形を成しているかのように、誰一人として気軽な言葉を発しなかった。


「——そろそろ決行するべきよ」


 沈黙を破ったのはキリアだった。彼女はテーブルの上に肘をつき、長い指先で地図の一点をなぞる。そこには、エルドガが普段の鍛錬に使っている森の広場が記されていた。


 その声は冷え冷えとしており、感情の色はほとんど感じられなかった。まるで、すでに決まった未来を語るかのように——。


「……おい、本気か?」


 メヌスが低く唸るように言った。普段は何も考えずに行動する男だが、今夜ばかりは違った。分厚い腕を組み、眉をしかめながらキリアを見据える。


「言っただろう、メヌス」


 キリアは溜息混じりに呟く。


「もう待つ時間はないのよ」


「だがよ……」


「メヌス、お前だって分かってるはずだ」


 ハタが椅子の背もたれに寄りかかりながら言った。口元には皮肉めいた笑みが浮かんでいるが、その目には危険な光が宿っていた。


「エルドガの成長速度は異常だ。最初はただの小僧だったが、今じゃ俺たちと肩を並べるどころか、越えかけている。——このまま放っておけば、どうなると思う?」


 メヌスは黙り込んだ。


「今はまだ、お前もアイツと対等に渡り合えるかもしれない。けどな、その差はどんどん開いていくぞ。あいつが強くなるたび、俺たちはただの”足手まとい”になっていくんだ」


「……そうは言っても、エルドガにそんなつもりはないだろ」


 メヌスは言い返したが、自分の言葉に確信はなかった。確かに、エルドガは仲間を見下したことなど一度もない。むしろ誰よりも仲間を大事にし、分け隔てなく接していた。


 だが、それが逆に恐ろしかった。


 どれだけ彼が成長しても、彼は決して見捨てたりしない。どれだけ力をつけても、仲間である限り、彼は変わらず「大丈夫か?」「手伝おうか?」と声をかけるだろう。


 それは優しさかもしれない。だが——


(それがいつか、俺たちの首を絞める縄になるかもしれない……)


 何もできない仲間を、エルドガは守ろうとするだろう。弱くなってしまった仲間を、それでも同じ目線で見ようとするだろう。


 それが、あまりにも惨めだった。


 メヌスはゆっくりと息を吐く。


「……分かってるさ」


「なら話は早いわ」


 キリアは満足そうに笑った。


「エルドガは、もはや仲間ではない。“敵”よ」


「そういうことだな」


 ハタが鼻を鳴らした。


「決行は三日後。エルドガがいつも鍛錬に使ってる森で待ち伏せする」


「……俺が止めを刺す」


 メヌスが低く呟いた。


「……お前が?」


 キリアが意外そうに眉を上げる。メヌスは拳を握りしめた。


「アイツとは、それなりに付き合いが長かった。だからこそ……俺がやる」


「ふぅん……」


 キリアは少し考え込むような仕草をした後、ふっと微笑む。


「まあ、構わないわ。とどめを刺せるのならね」


「……ああ」


 メヌスは口の中が苦くなるのを感じながら、拳を強く握りしめた。


 陽が沈み、森の中には静寂が広がっていた。風が木々を揺らし、ざわざわと葉擦れの音を立てている。月光が木漏れ日となって地面に影を落とし、朽ちた落ち葉の上を淡く照らしていた。


 エルドガはいつもの鍛錬場へ向かっていた。ここは彼が数年前から使い続けている場所で、魔物の出現も少なく、剣の素振りや魔法の調整を行うのに最適だった。


 腰に下げた剣の重みが心地よい。今日の鍛錬も、いつも通りのはずだった。——そう、“あの日”までは。


「……ん?」


 森の奥に続く小道を歩いていたとき、エルドガの足が自然と止まった。


 何かがおかしい。


 周囲の空気が妙に張り詰めている。普段ならば小動物の鳴き声や虫の羽音が聞こえるはずなのに、今はまるで全ての音が消えたかのように静まり返っていた。


(気のせい……じゃないな)


 エルドガは慎重に辺りを見回した。だが、木々が生い茂るだけで、人の気配はない。


「……深く考えすぎか」


 気を取り直し、再び歩き始めた。


 鍛錬場に着くと、そこには見慣れた仲間たちの姿があった。メヌス、キリア、ハタ——そして他の数人の仲間たちもいた。


「お前たち、何してるんだ?」


 彼らは普段、ここには来ない。だからこそ、エルドガは疑問に思った。


 しかし、彼らの表情はどこか硬い。いや、それ以上に——冷たい。


「おう、来たか」


 メヌスが短く言った。だが、その声にはいつものような親しみはない。


「……お前ら?」


 エルドガの中で、得体の知れない不安が膨れ上がる。


「——悪いな、エルドガ」


 その言葉が終わるよりも早く、エルドガの背後から襲いかかる影があった。


「っ!」


 咄嗟に身を翻し、剣を抜く。しかし、すでに遅かった。


 首筋に何かが突き立てられる。直後、視界がぐらりと揺れた。


「な……ん……だ……?」


 力が抜け、膝が地面に沈み込む。意識が遠のく中、キリアの冷えた声が聞こえた。


「魔力封じの薬よ。これでもう、あんたの魔法は使えない」


 エルドガの全身から力が抜け落ちる。指先すら動かせない。


「ま……さか……」


 目の前に立つ仲間たち。だが、その顔には何の情もなかった。


「エルドガ、お前の才能は化け物じみていた」


 ハタが冷笑を浮かべながら言う。


「オレたちはな、ずっとビクビクしてたんだよ。お前がどんどん強くなって、いずれは俺たちを見限るんじゃねえかってな」


「そ、そんなこと……」


「——あるわよ」


 キリアが冷酷に言い放つ。


「このままあんたを生かしていたら、私たちは”ただの負け犬”に成り下がる」


 その言葉の意味が理解できなかった。いや、理解したくなかった。


「違う……俺は……」


「言い訳なんていらない」


 キリアは手を振りかざし——そして、エルドガの胸元へと魔力を込めた。


 次の瞬間——全身を焼き尽くすような痛みが襲った。


「ぐぁあああああああああっ!!」


 魔力が流れ込み、エルドガの身体の内部を掻き乱していく。


「なぁ、エルドガ。これからどうするよ?」


 メヌスが肩をすくめた。


「ここで終わらせてもいいが……なぁ?」


 剣が振り上げられる。


 終わるのか? ここで?


 ——嫌だ。


「……っ、ま、て……!」


 だが、メヌスの剣は振り下ろされる。


「がぁ……っ!」


 その刃が、エルドガの左腕を切り裂いた。


 肉が裂け、骨を断つ音が響いた。


 血が噴き出し、視界が真紅に染まる。


 痛みが脳を焼き尽くす。


 叫ぶこともできず、エルドガの意識は、深い闇へと沈んでいった。


——この夜、エルドガはすべてを失った。


エルドガは深い暗闇の中で目を覚ました。ひんやりとした土の感触が背中を支えている。体は痛みで満ちていたが、どうにか息をしていることだけは分かった。傷口からは血が滲み、激しい痛みが体を貫いていた。右腕が無いという現実を受け入れるのにしばらく時間がかかった。元々戦士として名を馳せ、剣を振るうことが自分の生き様だった。その腕が無いとは、どうしても信じることができなかった。


「エルドガ、エルドガ!」


耳を澄ますと、かすかに呼びかける声が聞こえた。それは少女の声だった。ミナギだ。彼女の顔が浮かんだ瞬間、記憶が蘇る。裏切りの瞬間、すべてが崩れた。仲間だったはずの者たちが、同じく傷を負わせる側に立ったのだ。メヌス、キリア、ハタ。それぞれが裏で手を組み、エルドガを無惨に追い詰めた。


「エルドガ!」


やがて、ミナギの姿が見えた。顔を真っ赤にして、心配そうに駆け寄ってくる。彼女はエルドガの右腕が無いことに気づくと、驚きと恐れが混じった表情を浮かべた。


「どうして、どうしてこんなことに……!」


ミナギは膝をつき、涙を流しながらエルドガの体を支えようとした。彼女の手がエルドガの顔に触れると、あたたかさと共にその手の震えが伝わった。


「すまない、ミナギ。俺は……裏切られたんだ……」


エルドガはその言葉を必死に絞り出す。彼の心の中で、裏切りの記憶が重く圧し掛かる。メヌスの荒々しい一撃、キリアの冷酷な微笑み、ハタの嘲笑。それぞれがまるで夢のように遠く、そしてすぐそばに感じられた。


「裏切られた? そんな……」


ミナギは言葉を失い、目を伏せた。その表情には、エルドガを見守りたいという強い思いが込められていた。彼女は震える手で、傷だらけのエルドガの体を支えながら、必死に手当をし始めた。傷口に湿布を当て、血を止めるための包帯を巻く。エルドガはその手際に思わず感心するが、すぐに痛みに引き戻された。


「痛い……? でも、がんばって。少しだけ我慢して。」


ミナギはエルドガの言葉に頷きながら、慎重に包帯を巻いていった。彼女の顔には必死さと共に、エルドガを助けたいという純粋な思いが感じられた。その目を見つめると、エルドガは心の中で静かに誓った。彼女を守らなければならない、と。


「ありがとう、ミナギ。お前がいてくれて助かった……」


エルドガの声はかすれていたが、その中にしっかりと感謝の気持ちが込められていた。ミナギは小さく微笑んだ。


「もう大丈夫よ。あなたは強いから、きっと治る。私がいる限り、何があっても一緒に戦っていこう。」


エルドガはその言葉に微かに胸が熱くなった。だが、すぐに冷静にならざるを得なかった。今の自分には戦う力がない。片腕も失い、魔法の力も奪われた。以前の自分ではない。以前のように剣を振るうことも、魔法で敵を討つこともできない。


「でも、俺はもう……」


エルドガは自嘲気味に言葉を漏らす。


「戦えない。もう誰にも……」


「それでも、私はあなたを信じる。だから、絶対に諦めないで。」


ミナギの言葉には力がこもっていた。エルドガはその強い意志を感じ取った。自分が失ったものは多いが、今の自分にできることがあるのだと。少なくとも、目の前の少女を守るために、戦わなければならない。


「ありがとう、ミナギ。お前がいてくれて、本当に良かった。」


エルドガはゆっくりと目を閉じた。包帯を巻き終えたミナギが、彼の顔をそっと撫でる。


「大丈夫、すぐに治すから。お休みなさい。」


その言葉に、エルドガはそのまま意識を手放した。


そして、エルドガは目を覚ました。薄明かりの中、部屋の中は静まり返っている。体を動かすと、少しばかりの痛みが走ったが、あの絶望的な状態から考えれば、十分に回復したと言えるだろう。傷口はしっかりと癒え、右腕の切断部分も包帯でしっかりと固定されていた。最初の頃のような激痛はなく、今は動けるようになった自分の体に少し驚きながら、彼はゆっくりとベッドから起き上がった。


「おはよう、エルドガ。調子はどう?」


部屋の隅で、ミナギが微笑みながら彼を見守っていた。その目はいつもより少し疲れているようにも見えたが、何よりも安心したように穏やかな表情を浮かべている。


「おはよう、ミナギ。」


エルドガは彼女に向かって軽く頷くと、体を伸ばしてから言った。


「随分と回復したようだ。もう歩けるかもしれない。」


ミナギは少し心配そうに彼の様子を見つめたが、すぐに頷く。


「無理しないでね。まだ少し様子を見たほうがいいかも。」


エルドガは軽く微笑んだ。


「ありがとう、でももう大丈夫だ。少し散歩してくる。」


ミナギはその言葉に黙って頷き、エルドガは家を出ることに決めた。ここは、小さな村の一角にある宿屋で、彼が倒れてから数日間、ミナギに助けられながら静養していた。空気は澄んでおり、周囲には緑が広がっている。少し歩けば森の中に入ることもできる、穏やかな場所だった。


村の広場に出ると、エルドガはゆっくりと周囲を見渡した。足元にはまだ不安が残るが、それでも歩けることが嬉しかった。無事に回復できた自分を確認することで、心の中で一歩を踏み出せる気がした。


「……」


突如、エルドガの足が止まった。広場の一角に、見慣れた人物の姿を見つけたからだ。それはメヌスだった。だが、その姿はすぐに消え、広場の端で立ち止まる人々の影の中に溶け込むように消えていった。エルドガは目を凝らしたが、確信が持てなかった。彼の目を欺くように、メヌスはまるで夢のように消えた。


「……」


エルドガはその場でしばらく立ちすくんだが、すぐに足を動かして歩き出す。無駄な考えを止め、今やるべきことに集中するためだ。メヌスが見えたのなら、きっとどこか近くにいるのだろう。しかし、それが本当のメヌスだったのか、それとも幻覚だったのかは分からない。


歩き続けながら、エルドガは自然と村の掲示板に目を向けた。そこには近隣の村から来たと思われる旅人たちの情報や、商人が求めている物資などが記されていた。そして、ひときわ目を引く掲示があった。


「――メヌスの名前?」


エルドガの目がその掲示に釘付けになった。文字にはこう書かれていた。


「メヌス、一週間前にこの村を去り、カロトス村へ向かったとの情報あり。」


それがすべてだった。メヌスが村を去り、すでに別の街へ向かっていた。キリアやハタも恐らく、その頃にはすでに他の場所に移動していたに違いない。


エルドガはその掲示板をじっと見つめながら、ゆっくりと目を閉じた。彼の仲間は、もうこの村にはいない。裏切り者たちが去った後の無力感が胸に広がり、彼は深いため息をついた。


「……そうか。」


言葉に出したものの、それが無意味であることは分かっていた。もう一度、戦う理由を探さなければならない。裏切られた自分を乗り越え、彼らを追い詰めるための方法を考えなければならないのだ。


再び目を開けたエルドガは、その掲示をもう一度見つめながら、心に決意を固めた。次の目的地は決まった。カロトス村だ。どんなに離れていようとも、彼の元仲間たちを追い詰めるために、少しでも近づくために――


「行こう。」


エルドガはその場を立ち去り、再び道を歩き始めた。


エルドガはカロトス村へと向かう途中、険しい山道を歩いていた。ここは、どこかに魔物が潜んでいることで知られる地域であり、エルドガもそのことを警戒していた。村の近くまで来た時、ふとした瞬間に耳を澄ませた彼は、遠くから不穏な音を聞いた。それは、草を踏み鳴らす音、そして低い唸り声だった。


「……来るか。」


エルドガは慎重に歩を止め、周囲の様子を探る。その音がどんどん近づいてくるのが分かった。しばらくすると、茂みの中から何かが飛び出してきた。それは一匹の獣――四足歩行の巨大な狼、魔獣の一種だった。その目は赤く、獰猛な輝きを放っている。


「ちょうど良い、鍛錬になるな。」


エルドガは軽く息を吐き、身構えた。片腕を失い、魔法もほとんど使えない状態ではあるが、それでも無力なわけではない。剣を握りしめ、狼に向かって駆け出した。魔獣は牙をむき出しにして、エルドガに向かって猛然と突進してきた。その動きは素早く、エルドガの目の前に一瞬で現れた。


「速い……!」


エルドガはすかさず身をかわし、狼の体が通り過ぎるのを避ける。しかし、狼はすぐに軌道を変え、振り向いて再度エルドガに襲いかかろうとする。その瞬間、エルドガは反射的に剣を振るった。魔獣の前足が剣に触れ、鋭い音を立てて跳ね返る。エルドガは体勢を崩さず、すぐに次の攻撃に備えて踏み込みながら振り返る。


「っ……!」


狼の牙がエルドガの肩をかすめる。鋭い痛みに一瞬顔を歪めるが、エルドガはそのまま前進し、狼の首元を狙って剣を一閃する。剣が魔獣の皮膚に食い込み、血が飛び散った。そのまま力強く押し込んで、エルドガは獣を地面に倒すことに成功した。


「……やるな。」


エルドガは息を整え、狼の体をじっと見下ろした。死んだ魔獣を前に、彼はしばらく無言で立ち尽くしたが、やがてそれを見ていたミナギが近づいてきた。


「エルドガ、大丈夫?」


ミナギは心配そうに尋ねる。


「問題ない。ちょっと傷ができただけだ。」


傷の一つや二つ、今のエルドガには大した問題ではなかった。剣を鞘に収め、再び歩き始める。ミナギも一歩後ろからその背中を見守っていた。


数日後、エルドガはカロトス村に到着した。村は静かで、穏やかな雰囲気に包まれていた。だが、彼の足取りはどこか重く、心の中で仲間たちの行方を探し続けている自分がいた。


村の広場に着くと、掲示板を再度確認した。そこには、商人や冒険者の依頼が並んでいたが、肝心のメヌスやキリア、ハタに関する情報は一切なかった。彼らがここにいた形跡も、どこかに向かったという情報も無い。


「やっぱり、もうここにはいないか。」


エルドガは肩を落とし、掲示板の下に掲示されている次の依頼を見つめる。そこには、村人からのお願いが書かれていた。


「……」


その依頼は、どうやら近隣の森で頻繁に出現する魔物に関するもので、村人たちがその対処を依頼しているようだった。メヌスたちの追跡を続けるには時間がかかるが、今すぐにできることはこの村の手助けだろう。


エルドガは思い切って、掲示板に掲示された依頼を受けることに決めた。


「俺が行く。魔物の件、解決してやろう。」


それからすぐに、エルドガは村の広場で依頼主である村人に話しかけ、必要な情報を得る。依頼内容は、近くの森に出現する魔物の討伐だった。その魔物は一度に群れで現れ、農作物を荒らしたり、村人に危害を加えることもあるという。村の外れにある森での戦闘になるため、少しばかり準備をしてから出発することになった。


数時間後、エルドガは準備を整えて森の中に入っていった。身の回りの木々が鬱蒼と生い茂り、暗がりの中で数本の枝がガサガサと揺れる音が聞こえる。魔物の気配を感じながら歩を進めると、すぐにその姿が現れた。まずは小さな魔物、狼のような姿をした魔獣が現れ、その後ろには数匹の仲間たちも見えた。


エルドガは足を止め、剣をしっかりと握り締めた。


「来い。」


戦闘は始まり、エルドガは魔物たちとの激しい戦闘を繰り広げた。獣たちは素早く、鋭い爪や牙で攻撃してくるが、エルドガもその動きを見切り、次々と剣を振るっていった。途中で何度も傷を負いながらも、ついには魔物たちを全て討伐することに成功する。


息を整えながら、エルドガは倒れた魔物たちを見下ろし、静かに呟いた。


「これで、村人たちは少し安心できるだろう。」


その後、彼は村に戻り、報酬を受け取ると共に、依頼を完了したことを村人に伝えた。


「これで少しは、前に進んだ気がする。」


エルドガは、心の中で新たな決意を固めながら、再びメヌスたちを追う旅を続ける覚悟を決めた。


カロトス村を後にしたエルドガは、次の目的地として少し大きな街を選んだ。その街は、近隣の国々との交易が盛んな港町で、旅人や商人で賑わっていた。彼はその街に着いた際、まずは宿屋を見つけ、少し休息を取ることにした。歩き疲れた体を癒すために、しばらくは何も考えずに自分の身の回りのことだけに集中しようと思った。


だが、宿屋の広間で人々の話に耳を傾けていた時、エルドガはある噂を耳にした。それは、盗賊団がこの街の地下にある下水道を根城にしているという話だった。さらにその話の中には、彼の元仲間の一人であるハタの名前が出ていた。


「最近、盗賊団のボスが新しくなったらしいぜ。前のボスは殺されちまったけど、今のボス、あのハタって男がどうも元々ここの仲間だって噂だ。」


その言葉を聞いたエルドガの心は一瞬で凍りついた。ハタの名前が、盗賊団のリーダーと結びつけられているとは思わなかった。彼はエルドガの元仲間であり、裏切りの一員でもあった。その後の行動や動機を知るためにも、ここで確かめる必要があると感じた。


宿屋を後にし、街の広場を歩くうちに、エルドガはさらに耳に入った情報を集め、盗賊団の拠点である下水道への行き方を知ることができた。彼は準備を整え、昼過ぎにはその場所へ向かう決心を固めた。


下水道の入り口は、街の外れにある荒れた区画の一角にひっそりと隠れていた。埃をかぶり、苔むした石段を降りると、地下へ続く薄暗い通路が現れる。しばらく歩くと、湿気と悪臭が鼻をつき、エルドガは顔をしかめた。だが、ここに足を踏み入れた以上、後には引けなかった。


しばらく進むと、盗賊団の気配を感じ取った。通路の奥から、低い話し声や物音が聞こえてくる。エルドガは息を潜め、慎重に足を進めた。やがて彼の前に現れたのは、薄明かりの中で酒を飲んでいる盗賊たちだった。その数は十人を超え、どこか野蛮な雰囲気を漂わせていた。


エルドガは隠れながら、周囲を観察する。その瞬間、目の前に見慣れた、粗野で無愛想な顔が現れた。


「……ハタか。」


彼は心の中で呟き、その人物を見つめる。その男は、以前から変わらない不敵な笑みを浮かべていたが、エルドガの姿を認識すると、驚きの表情を浮かべることなく、すぐにその場に座り込んでいる仲間たちと何かを話し始めた。


「奴が来るとはな。」


エルドガは、後ろに控えていた盗賊団の一人に気付かれないようにしながら、もう少し近づくことに決めた。彼の目当ては、ハタに関する情報を得ること。できるだけ少しでも多くのことを知りたかった。


突然、エルドガは気配を感じ取ると、盗賊団の一員が声を上げる。


「おい、あんた誰だ?」


その声に反応することなく、エルドガはすぐに近くの暗がりに身を潜め、素早く一歩後退した。盗賊たちが周囲を警戒し始めたが、エルドガの気配は完全に消えていた。


「どうした、気のせいか?」


「いや、なんでもない。」


しばらくの間、盗賊たちはエルドガの姿を見逃し、その場で酒を飲んでいた。エルドガは再度忍び寄り、ハタに接近した。数分後、エルドガは再びその男の近くに立っていた。


「ハタ……」


エルドガは静かに声をかける。ハタはその言葉を聞いて驚き、振り向く。目が合うと、少しの間、無言のまま静かな対峙が続く。


「……お前か。」


ハタがそう言ったのは、驚きとも冷徹とも取れる冷たい声だった。


「どうしてここに来た?」


「お前が盗賊団のボスだと聞いた。」


エルドガは低い声で答えた。


「それが本当なら、話がある。」


ハタは眉をひそめ、しばらく黙っていたが、やがてゆっくりと立ち上がる。


「話がある……な。じゃあ、どんな話だ?」


エルドガは自分の手に持っていたナイフを示しながら、冷徹に言った。


「まずはお前の部下に口を割らせてもらう。お前の裏切りについて、知っていることを全部話せ。」


その言葉を聞いたハタは、わずかに驚いたような表情を見せるが、すぐに冷笑を浮かべた。


「裏切りだと? お前が俺を裏切ったんだろうが。」


ハタは挑発的に言ったが、すぐにその言葉が続いた。


「……まぁ、いい。お前がどうしても話を聞きたければ、手段を選ばないのか?」


エルドガは一歩前に踏み込むと、ナイフを手に取り、ハタの腹部を少し突き出すように構えた。


「今すぐだ。お前の仲間たちが、どんなことをしてきたか、全て話せ。」


ハタはそのナイフに一瞬動揺し、しかし冷静に口を開いた。


「わかったよ、わかった……話す。だが、その前にお前も覚悟を決めろ。」


エルドガはナイフを握りしめ、目の前の男に冷徹な視線を送った。その男は小さく肩をすくめ、気にした様子もなく言った。


「お前が何を言おうと、俺の名前はハタだ。もういいじゃねぇか、何もかも。」


エルドガは少し黙った。目の前の男は、元仲間のハタと全く似ても似つかない。年齢も、雰囲気も違う。だが、今のエルドガにはその名前にこだわる理由があった。


「お前がハタだと?」


エルドガは冷ややかな声で問う。


「本当にハタか?」


男は薄笑いを浮かべると、軽く肩をすくめた。


「ああ、そうだ。俺がハタだ。どうせお前は俺の名を知っているってわけだろ。」


エルドガはさらに詰め寄った。


「だが、お前は本物のハタじゃない。お前のことを知っているものはいない。お前はただ、あのハタの名声にあやかって名乗っているだけだろ。」


その言葉に、男は一瞬顔を顰めたが、すぐに口元を歪めて笑い出した。


「ああ、その通りだよ。元々、ハタなんて俺の名じゃねぇ。あの名は、俺が盗賊団をまとめ上げるために借りた名前だ。」


エルドガはその言葉に納得し、やっと冷静に息をついた。男は自分を「ハタ」と名乗ることで、盗賊団の中で権力を得ようとしただけの偽物だということが分かった。


「つまり、お前は本当のハタとは何の関係もない。ただの盗賊団のボスってわけだ。」


エルドガは冷静に言った。


「その通りだ。」


男は肩をすくめ、無関心そうに言った。


「最初からそのつもりだったし、今さら言うことでもない。」


エルドガは少し黙って考える。そして再び冷静に男に向き直り、手に持っていたナイフをじっと見つめた。


「そのナイフ、俺が貰うぞ。」


エルドガは淡々と告げ、男の手からナイフを奪い取った。


男は驚くことなく、むしろ笑いながら言った。


「お前がそれを欲しがるんなら、持って行けよ。どうせお前も剣を失ったんだろ?」


その言葉にエルドガは一瞬、深い思考に沈んだ。しかし、すぐに冷徹な表情に戻り、そのナイフを手にしっかりと握り直した。このナイフは、今の自分にとって新たな武器になるだろう。小さな刃だが、扱いやすさと精緻な作りに、エルドガは少しばかりの安心感を覚えた。


「これで十分だ。」


エルドガはそう呟き、軽くナイフを振った。それを見た男は無言で腕を組み、少し肩をすくめてから言った。


「好きにしろ。だが、お前が俺に何を求めているのかは分からないな。」


「お前が知っていること、全部話せ。」


エルドガは短く言い放った。


「盗賊団のこと、そしてハタに関して。全部だ。」


男は一瞬、黙り込んだ。そして、重い口を開いた。


「俺が名乗っている『ハタ』は、ほんとにただの名前だ。元々、盗賊団のボスだった男が、どこかで死んだ後にその名を引き継いだんだ。」


エルドガはその言葉にしばらく黙って耳を傾けた。


「それで、ハタの名を借りて盗賊団をまとめたというのか。」


男はやや誇らしげに頷いた。


「そうだ。その名で俺は盗賊団を大きくして、街の裏でかなりの力を持った。今じゃ、それなりに有名だ。」


「だが、元のハタとは何の関係もないんだな。」


エルドガは冷たく言った。


「そうだ。俺が名乗るに値するのはその名だけだ。」


男は肩をすくめた。


その言葉に、エルドガはしばらく黙って考える。そして、再び口を開いた。


「じゃあ、俺はお前に用はない。」


男は笑いながら言った。


「ふっ、好きにすればいいさ。」


エルドガはその男に一度だけ冷ややかな視線を向け、そして無言でその場を去った。


街に戻ると、エルドガは少しだけ滞在して情報を集め続けた。宿屋の周辺や広場で、耳に入る情報に目を光らせ、商人や旅人との会話を重ねていた。その結果、新たに得た情報は、街の南側にある王都の城下町が次の目的地として挙げられていた。王都では、強力な武器商人や、冒険者ギルドが活発に活動しており、エルドガが失った力を取り戻すための手がかりを得られるかもしれないという期待があった。


「王都か……。」


エルドガは深く息を吐き、決意を固めた。これからの道のりは容易ではないだろうが、彼には進むべき道があった。仲間たちを裏切ったその者たちに対する復讐、そして自分自身を取り戻すための戦いが待っている。


「王都の城下町。次の場所はそこだ。」


エルドガは呟き、荷物をまとめた。


その目には、かつて失ったすべてを取り戻すための決意が宿っていた。


数日が経ち、王都に着いたエルドガは、まず冒険者ギルドを訪れた。目的は単純だった。裏切り者である仲間たちの情報を得ること、そして彼らの行方を追うこと。ギルドの掲示板を前にしばらく立ち止まり、掲示されている数々の情報に目を通すと、ふと一つの掲示が目に留まった。


それは教団に関する情報だった。教団の名前は「オルトラ」。教団は神の名を冠してその信者を集め、国々で暗躍しているという。それに関わる者たちには、重い懸賞金が掛けられていた。よく見ると、その中にメヌス、キリア、ハタといった名前が記されていた。


「……まさか。」


エルドガは驚愕した。彼らが教団と繋がっているとは考えもしなかったが、この情報を前にすると、すべてが繋がるように思えた。裏切りが計画的で、彼らの行動に裏があったことは明白だ。そして、今その姿を追うことができるかもしれない。


ギルドの掲示板を確認し終わると、エルドガはギルドのスタッフに近づき、情報を得るために声をかけた。


「オルトラ教団について、知っていることを教えてくれ。」


エルドガの声は冷徹で、真剣そのものだった。


ギルドのスタッフは一瞬躊躇したが、エルドガの眼光の鋭さを見て、何かを察したのだろう。すぐに情報を提供してくれた。


「オルトラ教団は、表向きは信仰の場を提供していると言っているが、実際には非常に危険な存在です。神官たちは暗躍し、社会の裏で悪事を働いています。教団の拠点は城下町の外れにありますが、そこと繋がりのある者たちも多い。」


スタッフは少し顔色を変えながら説明を続けた。


「そして、教団に関わった者たちは、ほとんどが監視され、時には排除されます。」


その説明を受けて、エルドガはしばらく考え込む。そして決意を固めるように言った。


「教団を壊滅させ、彼らを捕まえ、処刑すべきだろう。」


ギルドのスタッフは、エルドガの言葉を聞きながら少し驚き、しかしすぐに頷いた。


「確かに、その通りです。教団が持つ力は計り知れませんが、もしあなたが参加するのであれば、それは大きな力になります。ギルドとしても、協力を惜しみません。」


その言葉を聞いたエルドガは、嬉々として決意を新たにした。復讐の時が来た、あの裏切り者たちを捕え、そして処刑する。その瞬間が楽しみでたまらなかった。


翌日、エルドガはギルドの指示で教団に関連する神官たちと戦うために出発した。ギルドの仲間たちと共に、王都から離れた場所にある教団の拠点へと向かう。


拠点に到着した時、すでに神官たちが待ち構えていた。彼らは長い黒いローブを身にまとい、暗い雰囲気を漂わせている。教団の神官たちは、エルドガたちの到着を察知したのだろう、すぐにその場を囲んできた。


戦闘が始まった。エルドガはナイフを構え、すばやく神官たちを切り裂いていく。彼の動きは素早く、精密で、ひとつひとつの攻撃に無駄がない。ギルドの仲間たちも協力し、神官たちを倒していったが、教団の信者たちは次々と現れる。


「こいつら、いくら倒してもキリがない……!」


エルドガは歯を食いしばりながら叫ぶ。だが、その中でも冷静さを失わず、ナイフを巧みに操り、神官たちを排除していった。


そして、ようやく戦いが終息を迎えると、エルドガは周囲を見渡しながら言った。


「しかし、あいつらの姿はどこにもなかった。」


メヌス、キリア、ハタ。彼らがどこにもいない。確かに、ここに関連しているはずの人物がいない。


「逃げたな。」


エルドガは冷静に呟いた。


「だが、そう遠くには行っていないはずだ。」


エルドガは森の中に足を踏み入れると、決意を込めて言った。


「お前たちは必ず見つけ出してやる。」


そして、エルドガは森の奥深くへと進んでいった。その背中には、復讐への強い意志と、失われたものを取り戻すための執念がにじみ出ていた。


エルドガは、王都の城下町を離れてから数日、追跡を続けていた。教団の残党たちが森の外れに潜んでいるという情報を元に、エルドガは一行を追い詰めていった。その足取りは確かで、迷いはなかった。かつての仲間たちがどれほどに堕ち、今なお裏切りを繰り返す者たちかを知ることになった。


そしてついに、目の前にそれらしき人物たちの姿が現れた。彼らは森の中で身を隠しているようだったが、エルドガの鋭い感覚により、その位置を突き止めることができた。風の音を頼りにしながら、静かに一歩一歩距離を縮めていった。


突如、暗闇の中から突進してきたのは、ハタだった。


「お前、どこまで俺たちを追い詰めれば気が済むんだ!」


と叫びながら、ハタは鋭い刃を振り下ろした。しかし、エルドガはその攻撃を軽々と受け流し、反撃の機会を伺った。


一瞬の隙をついて、エルドガはハタの胸元にナイフを突き刺した。ハタは悲鳴を上げて後退するが、エルドガの冷徹な眼差しは一切揺らがない。


「無駄だ。」


エルドガは低く呟きながら、ナイフを引き抜く。


ハタは自分の血を見て愕然としたが、すぐに後ろに続くメヌスとキリアの方に向き直り、助けを求めるように叫んだ。


「メヌス、キリア! 来てくれ!」


メヌスとキリアはすぐに反応し、エルドガを囲みながら戦いを挑んできた。メヌスは大剣を構え、キリアはその場に立ち、魔法を準備している。二人がかりでの戦闘となれば、さすがのエルドガでも一筋縄ではいかないだろう。


しかし、エルドガは冷静だ。ハタの一撃を難なくかわした後、次にメヌスの攻撃が来た。


メヌスは一撃一撃が重く、その刀はエルドガを切り裂こうと迫る。しかし、エルドガはスピードと正確さでメヌスを圧倒していった。メヌスの攻撃をかわす度に、反撃の機会を逃さずに一撃を繰り出す。


「くっ……!」


メヌスは攻撃を止め、とうとう膝をついた。戦闘不能だ。エルドガはそれを見届けると、次にキリアの方に目を向けた。キリアは怯えた様子を見せつつも、冷静に魔法を準備している。


「お前もか。」


エルドガは冷たい視線でキリアに歩み寄る。


キリアは必死に後退しながら、言葉を震わせて言った。

「お願い、許して。あなたには分からないわ……!私たちには理由があったの、エルドガ!」


その言葉にエルドガは一瞬だけ足を止め、瞳の奥に怒りと憎しみを湛えて見つめ返した。しかし、気を緩めたその瞬間、キリアは魔法を放ってきた。


エルドガは一瞬の隙を見せたが、まったくその魔法は効かなかった。彼は冷徹に、動きを止めずにキリアに迫る。次の瞬間、キリアの足元にエルドガのナイフが突き刺さった。


「こんなもの、もう効かない。」


エルドガは、キリアの魔法を完全に無効化して言い放った。


キリアは恐怖に目を見開き、何とか逃げようとした。しかしエルドガはその背後に回り込み、冷酷に言った。


「お前が何をしようと、もう遅い。」


その後、エルドガはキリアの足を切り裂き、さらにその指を一本ずつ関節ごとに切り落としていった。痛みによる叫び声が響く中、エルドガは顔を歪めながらも、容赦なく切り続けた。キリアの命乞いも耳に入らず、その絶望的な叫びが山中に響き渡った。


「お前の裏切りには、代償が必要だ。」


エルドガは冷酷に告げ、その最後の一撃を加えた。


そして、夜が明ける頃には、キリアの姿はすっかり変わり果て、事切れていた。周囲には、戦闘を終えたエルドガの無表情な姿が立ちすくんでいた。メヌスは依然として苦しんでいるが、命を取り留めているようだ。


「あぁ、復讐ってこんなものか。」


その後、ギルドの職員たちが到着し、エルドガを見つけた。彼の周囲には、破壊された遺体が散乱しており、その光景はあまりにも凄惨だった。


「これはいけない……。」


一人の職員が顔を歪めながら呟いた。


その瞬間、ギルドの判断は下され、エルドガは裁判にかけられることになった。彼の行動は、復讐としてはあまりにも過剰で、冷徹で非情すぎた。その過程で、エルドガの名前はすぐに広まり、彼は討伐任務を果たしたものの、その結果として恐れられる存在となってしまった。


裁判が進む中、エルドガの心には一つの思いが強く根付いていた。それは、もはや彼にとって復讐だけではなく、失ったすべてを取り戻すために必要なことだったのだ。


――裏切り者への報復、そしてその先に待つ運命は、まだ誰にも分からなかった。


あの夜から数日が経ち、裁判が行われる前夜。エルドガは薄暗い牢獄の中で静かに座っていた。まるで何もかもが決まったかのように、心の中で時が過ぎるのを感じるだけだ。あの日から数日が経ち、ギルドの職員たちが彼を囲んでいた。エルドガに対して向けられる冷徹な視線や、さまざまな噂の中で、彼の心はますます沈んでいった。


だが、そんなある晩、予想もしなかった訪問者が現れた。


「エルドガ。」


その声を聞き、エルドガはすぐに顔を上げた。牢獄の前に立っていたのは、ミナギだった。あの時、彼に手当てをしてくれた少女だ。彼女の目は疲れと不安に満ちていたが、同時に決意がこもっているのも感じ取れる。


「ミナギ……」


エルドガは声を漏らし、驚いた。


ミナギは牢の扉を見つめた後、ふっと息をつき、静かに話し始めた。


「今、エルドガが裁判にかけられたら、きっとすぐに死刑になる。あの時のこと、みんな知ってしまったから。だけど、私はあなたを一人にさせたくない。」


エルドガは黙ってミナギを見つめていた。彼女の目には、彼を心配する気持ちが溢れている。だが、エルドガは顔を伏せてゆっくりと言った。


「一緒に逃げれるわけがないだろう。君の命を危険に晒すわけにはいかないんだ。」


彼の言葉は優しくも冷たかった。自分の運命をすべて受け入れ、彼女を巻き込みたくないという思いが強く、声にそれが込められていた。


だが、ミナギはその言葉を否定するように、扉を開ける音を立てて歩み寄った。彼女の顔には迷いはなく、むしろ強い意志が込められていた。


「私はあなたと一緒にいたいの。あなたがどんな目にあっても、私が支えるから。お願い、エルドガ。逃げましょう、今すぐに。」


その言葉を聞いたエルドガは、胸の奥で揺れる感情を感じた。だが、すぐにその想いを抑え込むように、首を横に振った。


「逃げることなんてできない。あんなことをした俺が、どこに行けるって言うんだ。」


エルドガの声は、どこか震えていた。復讐が終わった今、彼の心は空っぽのようで、過去の記憶が重く圧し掛かっていた。


「俺は、かつての仲間を殺した。もう戻れない。」


ミナギはしばらく黙って彼を見つめていたが、やがて決然とした声で言った。


「私がいるから、戻れる場所があるって思ってもいいんじゃない?」


彼女はエルドガの手を取ると、その温もりが伝わってきた。


その一言で、エルドガの心は完全に崩れた。彼女を一人にしておけないと思った。ミナギがどれだけ彼を信じ、彼を支えようとしているのか、それが痛いほどわかる。心の中の迷いが消え去り、エルドガはついに答えることができた。


「……分かった。お前と一緒に逃げよう。」


その夜、二人は王都を離れ、遠くの街へ向かって歩き出した。エルドガは一度も後ろを振り返らなかった。何もかもを失ってしまった彼にとって、今やただ一つ大事なのは、目の前にいる少女だけだった。


逃亡生活は過酷で、道中では何度も危険が迫った。だが、二人は無事に過ごしながら、少しずつそれでも前に進んでいった。エルドガは復讐を終えた後、心の中でしばしばその感覚に悩まされた。


あの時のキリアの顔、メヌスの断末魔、そしてハタの冷たくなった体。どれも今でも鮮明に耳に残り、手に残った感覚は時折彼を悩ませた。


「こんなことをして、本当に何かを取り戻せたのだろうか。」


時々、エルドガはそう自問することがあった。


だが、その問いの答えは分からなかった。ただ一つ確かなことは、今、目の前にいるミナギと共に生きることが、彼にとっての唯一の救いだということだった。


そしてそれが二人だけの物語となり、世界には決して知られることはない――。

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