【アドルフ視点】心の中の絵本
「ねえねえ! 聞いてアドルフ! この花の蜜は、美味しいけれど毒があるのよ?
吸ったら、ぺっと吐き出すの」
「この虫は、さなぎから孵ったら蝶になるのよ? かわいいでしょ」
俺の記憶の中にいる彼女は、いつも楽しそうに微笑んでいた。
庭に咲く花の蜜、草木の名前の話。
土を素手で掘り起こして髪も服も、泥や土にまみれていた。
それでも一向に陰ることのない彼女の笑顔。
葉の上で蠢く芋虫を素手で掴もうとする女児は、彼女以外には誰もいなかった。
俺と彼女は、一緒に遊ぶたびに日が暮れるまで中庭ではしゃいでいた。
中庭の緑が、夕焼けの朱に染まる瞬間が、いつも悔しかった。
少し大きくなって家庭教師が付くようになると、庭で泥だらけになって遊ぶことは止められるようになった。
俺の屋敷では部屋で大人しく絵を描いたり本を読んだりしていた。
その代わりに、彼女の屋敷に遊びに行った時には、周囲が真っ暗になって彼女のご両親が心配するくらいまで庭で遊んだり、彼女の祖母の家にお邪魔したりしていた。
もっと大きくなると、一緒に遊ぶこと自体止められて、手紙でのやり取りだけになっていった。
たまに親の舞踏会に同伴した時に、顔を合わせるだけになった。
そうなると、今度は何故だか恥ずかしくなって、あまり多くはしゃべれなくなっていた。
それでも会場で目が合うと、彼女はにこっと笑って手を振ってくれた。
6年前、士官学校に入学すると寮生活になり、彼女と会うことは出来なくなった。
厳しい訓練に挫けそうになった時は、幼い頃の彼女の笑顔を思い出した。
いつも兄弟と比べられる厳しい環境の中で、なんとか自分の実力を育てていくことが出来た。
手紙を送るのは恥ずかしいから、年に数回しか送れなかった。
早く会いたいだとか、うっかり書いてしまいそうになって何度も書き直した。
そうして1年前、久しぶりの彼女とお互いの肖像画を送り合ったんだ。
あの頃と全く変わらない、真珠のような柔らかい銀髪と、湖水のような水色の瞳。
あの頃とはちょっと違う、はにかんだ微笑みでこちらを見つめている。
(――彼女が、俺のお嫁さん)
そうつぶやくと、胸の内がくすぐったくて。
肖像画を額に入れて自室の壁に飾ったけど、家族や使用人に見られたくなくて、その上からタペストリーで隠した。
――6年ぶりに実際に会った彼女は、肖像画なんかとは比べ物にならないくらい眩しくて。
そして、これから彼女に伝えなければいけないことが後ろめたくて。
今の俺では何もできない、そんな自分が歯がゆくて。
俺は、彼女と目を合わせることも出来なかった。
――彼女は何も、変わっていなかった。
子供の頃から語っていた夢。
「魔女はね。物語に書かれているような恐ろしいものじゃないのよ? ソフィお婆様のように、多くの知識と魔術の力で、人々を救う力を持っているの」
――そして、周囲も俺も、変わっていない。
だから、この状況が生まれたんだ。…俺は変わらないといけない。
「アドルフ様…?」
「俺は…俺の道は………お前の道と再び交わると信じている」
「ええ、私も信じています。貴方様の歩む道が、輝けるものでありますようお祈り致します」
握りしめた拳に、血が滲みそうなほどに力を込めた。




