伯爵令嬢は婚約破棄を受け入れます
「は?? えっと…それって…どういう」
「どうもこうもない。俺は、お前との婚約を破棄するということだ」
いきなりのことに呆けてしまった私とリリアにもわかるように、アドルフはそう繰り返してきた。
(なるほど…びっくりしたけど、言われてみれば納得できる対応ね)
私は元々貴族らしくない振る舞いをしていて、貴族同士の良い噂話のネタにされていた。
やれ近くの森で採った草をすり潰しては怪しげな薬を作ろうとしたとか、草と虫を集めて鍋で煮込んで「いっひっひ」と笑う遊びをしていたとか。拾った枝を削って継ぎ合わせて悪魔の顔が付いた杖を作っていたとか。
年頃になってもお洒落に興味を持たずに、ずっと自室に引き籠り本を読んで暮らしているとか。
(その噂は、あながち嘘でも無いのよね…)
両親はそんな私のことを諦めにも似た気持ちで受け入れていて、そんな噂は全く気にしていなかったし、伯爵領で暮らしている分には全く問題の無いことであったのですっかり感覚が麻痺していた。
でも公爵家にしてみれば、そんな私が嫁に来るというのは、大問題というものよね。
私は、気が付けばそんな風に自分を納得させていた。
そう思えば、先ほどまでのおかしな対応にも納得できるというものだ。
急な呼び出しがちょっと無礼だったくらいで。
「えっと…はい、そうですか…」
「何だその薄い反応は!?」
ところがアドルフは、私がもっと狼狽して縋り付いてくるものと思っていたらしい。
驚いてこちらを見た拍子に、アドルフと初めて目が合った。
「……っ!」
…と思いきや、またすぐに目を逸らしてしまった。
私よりも、アドルフの方が余程狼狽している。
袖口で口元を隠して、表情が読めなくなってしまった。
「あの…私の恰好、そんなに変ですか? すみません。急なお呼び立てでしたので、ちゃんと準備することが出来ずに」
「い、いや、違うんだ! そのことは…こちらこそ………すまない」
「えっと、それは…?」
アドルフは怒っているのでは無かったのか?
確かめようとした時、再度相談役のカーネギーに遮られてしまった。
「えー、ごほん。詳細については私から説明させていただきます。まずは婚約破棄の理由ですな。
こちらについては、貴女も心当たりがおありなのでは無いですか? 貴女の普段の素行についてです」
「え、ええ。まあ…」
「曰く。薬草同士を掛け合わせて毒薬を作ろうとしていたとか」
「…え?」
「曰く。醜い魔女の真似をして近隣の子供を驚かしていたとか」
「えっと…それは誤解…」
「おかしいですな。複数の目撃証言があるのですが」
カーネギーが眼鏡をくいっとかけ直す。
じっとこちらを見つめられると、背中に冷たい汗がつうっと伝わった。
「私は魔女になりたくて…」
「やはり合っているのではないですか。魔女などと言って周囲を脅かす行いを繰り返して」
「皆さん誤解しているのです。魔女というのは…」
「…なんですか?」
「いいえ…なんでもありません…」
――駄目だ。今の私では何を言っても説得力が無い。
世間一般では、魔女というのは恐るべき存在で、周囲を脅かして呪うもの。
その常識を変えることは、まだ出来ていないんだ。―――まだ。
「ではそういうことで、婚約破棄の理由については納得していただけましたかな?」
「…ええ」
魔女の常識は、これから私が変えていくしかない!
私は何故か、胸の内で湧き上がってくる使命感に燃え始めていた。
「………お前はそれでいいのか」
絞り出すような声が聞こえてきた。アドルフは俯いて、じっとテーブル上のカップの紅茶の波紋を見つめていた。握りしめた拳はテーブルの上でわずかに震えているように見えた。
「ええ。私には、私の使命があるということが良くわかりました。これからも頑張って自分の道を進んでいきます!」
「俺は!」
ダンっと大きくテーブルが音を立て、近くにあった火のついていない燭台が倒れた。
紅茶の水面は大きく波を打って、カップはガチャンと音をたてた。
びっくりして、身体ごとアドルフの方へと向き直る。
再度視線が交差すると、アドルフは見たこともない表情をしていた。
悔しいのか、悲しいのか、私には判別が出来なかった。
「アドルフ様…?」
「俺は…俺の道は………お前の道と再び交わると信じている」
「ええ、私も信じています。貴方様の歩む道が、輝けるものでありますようお祈り致します」
そう伝えると、彼の表情は一層くしゃりと歪んだ。