伯爵令嬢は実家としばしのお別れです
ムーン・レナ・シュヴァルツリヒト:今作の主人公でシュヴァルツリヒト伯爵令嬢。魔女になりたい
ソフィア・ルーン・シュヴァルツリヒト:ソフィお婆様。主人公・ムーンの祖母で、尊敬すべき魔女の先輩
リリア・クライスラー:主人公の乳兄弟で姉のような存在。伯爵家の次期メイド長となるべく修行中。実は剣が扱えて強い
セラ:シュヴァルツリヒト伯爵家に仕える下男。黒猫に変身出来る。隠密が得意
ジルヴェスター・ファーレンハイト:シュヴァルツリヒト伯爵家騎士団の第一部隊長。熱血漢
アドルフ・ノア・ヴァイスシュタイン:ヴァイスシュタイン公爵家長男で主人公の元婚約者。正義漢
マリウス・リースベルク:ヴァイスシュタイン公爵家の参謀役。魔導師
ルドルフ:ヴァイスシュタイン公爵家の騎士団長
カーネギー:ヴァイスシュタイン公爵家の相談役
エムロード王国:今作の舞台となる国。王子が3人、王女が2人いる
聖クラウディア教:エムロード王国建国の王を支えた聖女クラウディアの教えから生まれた。教会は王国内の各地に存在している。
王立魔術学校:聖女クラウディアが創設した歴史ある魔術学校。王都に存在している。
――そして翌朝。いよいよ、家族に報告をして出発の日だ。
早めに目を覚ました私は、セラを彼の部屋へ戻して身支度を始めた。
(私の家、私の部屋とも、しばらくのお別れね…)
着替えをしながら、部屋にある全身鏡で改めて自分自身を見てみる。
真珠にも似た揺らめきを持つ、長い銀の髪。湖水と例えられることの多い、色素の薄い青の瞳。
周りに銀髪の人間は誰もいない中で、この色はやや目立つ。
帽子でも被れば少しは目立たなくなるだろうか…。
あるいは魔女のようなフード付きマントとか。うん、フードが自然でいいかな。
旅をしていくのに丁度いい、丈夫で動きやすい服を探して身に付けてみた。
うん。魔女と冒険者の中間のような雰囲気でいいかも!
昨夜お婆様から受け取った白樺の杖を手に持って、身支度は完了だ。両親の居室へ向かう。
そして私は家を出る意向を伝えた。
『私が命を狙われている原因がわからないし、いつ戻れるようになるかも分からない。けれど、その間に旅をして世間を知り、成長したい』と言った。
父親は最初、狼狽して引き留めてきたけど、このままでいてもまた命を狙われてしまうことを説明すると、渋々納得してもらえた。…昔から少し、心配性なところのある人だった。
母親は…私の話には終始興味がない様子で、形だけは「貴女の納得のいくようにしたら良いでしょう。気を付けていってらっしゃい」と言った。特に感慨は無さそうだった。
「伯爵令嬢として結婚する義務」については特に突っ込まれることは無かった。
命を狙われていることは両親に納得してもらえたようだし、しばらくの間は結婚は保留していても良さそうだ。
家族からはあまり認められて来なかった私だけど…生まれてきてからずっと暮らしていたこの伯爵邸を去らなければいけないのは、それでもすごく寂しい。
寂しさの原因は、やっぱりお婆様だ。
お婆様は「伯爵邸の中にいた方が、騎士団に守ってもらえるし安全かもしれない」とも言われたが、やっぱり守りの姿勢に入るのは性に合わないわ。
ある日突然、刺客に忍び込まれてオシマイ…となるのに怯えながら過ごす毎日なんて嫌だし。
「自分に出来ることがあるなら、行動していきたいと思ったの」伝えると、「お前も成長したねえ」と、抱きしめてもらった。
「あら、ムーン。貴女まだそこにいたのね」
「お姉様…そろそろ私は出発します。今までありがとうございました」
赤いドレスを着こなしているすらりとした長身の彼女は、私の姉のサンドラだ。
長い金髪を綺麗に結い上げて、パールの髪飾りが光っている。
…お姉様とは、一緒に遊んだ記憶が無い。
外に出て草木や土に触れることが好きな私を、いつも汚いものを見るような目で見ていた。
母と一緒に舞踏会やお茶会によく参加していて、私が近づこうとすると二人ともうざったそうに私を遠ざけた。
おかげで、私はこの年になっても社交界の作法というものを身に付けられていない。
たまに舞踏会に連れていかれる時に、周囲にクスクスと笑われていることもあるけれど、原因がわからない。
それでも、せめて家族としての礼は尽くしたいと思い、挨拶をした。
「…ふん」
しかし、彼女はそれすらも要らない様子だ。
私はこちらを見ようとしないお姉様に向かって一礼すると、お兄様の方へ向かった。
「お兄様も、お身体に気を付けてください。私はこれで…」
「ああ、気を付けて行っておいで。家のことは気にするなよ」
私の兄・ステファンは、鷹揚に私の挨拶に答えた。
薄い茶色のふわふわした短髪で、その笑顔を見るとなんだか安心する。
のんびりとした優しい兄ではあるんだけど、ある日突然武者修行の旅に出掛けることもあるマイペースな人で、母や私達姉妹の確執にはあまり気付いていない様子だ。
私はお兄様のことは好きだったけど、家に不在のことも多く、あまり関わる機会は無かった。
「ありがとうございました。それでは、行ってまいります」
一礼すると、今度こそ私は屋敷を辞した。
屋敷から出て、門の前まで歩いてきてから、私の住んでいた部屋の方向を振り返る。
(当分帰ってくることは無い。いや、帰ってこれるのかな…)
…そして、すぐ側に付いてきてくれているリリアに向き直る。
「ありがとう、リリア…あなたに迷惑を掛けないかと心配だったけど、やっぱり私はまだ一人で生きていく力が無くて」
「何言ってるの! ここで遠慮されたら私許さないからね? 絶対に付いていくんだから!」
ずっと本当の姉妹のように一緒にいてくれたリリアが付いてきてくれるだけで、心強いことこの上ない。
彼女は丈夫な服の上に軽鎧を纏い、細剣を腰に差している。
そして…。
「当然俺も付いて行くぜ。と言うか、屋敷に残るとかあり得ないし」
と、当たり前の顔して付いてきたのはセラだ。
彼は何も持ち物が無いまま屋敷に来たので、いつもの使用人の服を纏っているだけだ。
私の方が魔術書や着替えや薬草といった荷物が多く、彼にいくつか荷物を持ってもらった。
「…それにさ、どうもお前を狙ってきている奴ら、俺が追っている『ローブ姿の人攫い』とも繋がりがありそうじゃん? 何か手掛かりを掴めたら良いよなぁ」
「うん。セラが前に言ってたもんね。私を狙っていた男達と、ローブ姿の男との繋がり…」
「なんとかローブ姿の野郎を捕まえて話を聞きたいよなぁ…」
今回の旅はなかなかゴールが見えないものだけど、その辺りから取っ掛かりを見つけていきたいわね。
「そうね、それじゃ、行きましょうか…」
「お嬢様ーーー!!」
…と、元気な声が後ろから追いかけてくる。振り返ると、騎士の鎧で武装して槍を携えたジルがいた。
「ジル、どうして…。騎士の仕事があるのに…」
「何を仰います? お嬢様の命を守ることより大事な仕事がありますか!? それに、私の『お嬢様の護衛』の仕事はまだ終わってはいません!」
ジルには騎士としての地位や仕事のこともあるから遠慮しようかと思っていたけど…。
そこまで言ってもらえるならありがたく力を借りよう。
彼の忠誠心…かな? いつも私を気に掛けてくれる振る舞いには、いつも救われていた。
力を貸してくれるのは、とてもありがたいことだ。
門の前で、マリウスと落ち合う。
彼は、先日の事件で帰る時に買った馬を連れてきていた。
「ではそろそろ出発しますか。馬もいることですし、どこかの町で大きめの馬車を入手したいものですね」
「馬車で寝泊まりできるようにしちゃう? なんだかワクワクするわねー」
うきうきと明るい声で言うのはマリアだ。
皆で馬車の旅か…なんだか夢があるなぁ。
命の危険とか怖いことを言われているけど、楽しいところも見つけていきたいな。
「ふふっ、そういうのも良いわね」
ついはしゃぎたくなってしまう私たちに、マリウスは冷静に返事をしてくる。
「さすがに一頭では馬車は引けませんね。もう一頭くらいいれば…。
そのためにも、まずは町を目指しましょう」
「行き先は決まっていると仰っていましたね。どちらですか?」
マリウスは青く晴れ渡った空の向こうに視線を向けた。
雲が強めの風に吹き流されて、細長く広がっている。
鳥達が連れ立って羽ばたき、丁度彼の視線の向こうを渡っていこうとしていた。
「ここより南西にある――田園の町、ヴァイツェンです」




