伯爵令嬢たちは休息の時間です
ムーン・レナ・シュヴァルツリヒト:今作の主人公でシュヴァルツリヒト伯爵令嬢。魔女になりたい
ソフィア・ルーン・シュヴァルツリヒト:ソフィお婆様。主人公・ムーンの祖母で、尊敬すべき魔女の先輩
リリア・クライスラー:主人公の乳兄弟で姉のような存在。伯爵家の次期メイド長となるべく修行中。実は剣が扱えて強い
セラ:シュヴァルツリヒト伯爵家に仕える下男。黒猫に変身出来る。隠密が得意
ジルヴェスター・ファーレンハイト:シュヴァルツリヒト伯爵家騎士団の第一部隊長。熱血漢
アドルフ・ノア・ヴァイスシュタイン:ヴァイスシュタイン公爵家長男で主人公の元婚約者。正義漢
マリウス・リースベルク:ヴァイスシュタイン公爵家の参謀役
ルドルフ:ヴァイスシュタイン公爵家の騎士団長
カーネギー:ヴァイスシュタイン公爵家の相談役
エムロード王国:今作の舞台となる国。王子が3人、王女が2人いる
聖クラウディア教:エムロード王国建国の王を支えた聖女クラウディアの教えから生まれた。教会は王国内の各地に存在している。
王立魔術学校:聖女クラウディアが創設した歴史ある魔術学校。王都に存在している。
「どうしてムーちゃんが貴族の地位を捨てる必要があるの!?」
「生活力皆無のお前がこれからどうやって金を稼ぐんだよ!」
「お嬢様の意思が固いのならば私はこの身に代えても…! いやしかし…」
「世間知らずの公女様らしい発想ですね…。いやでも…そこまで的外れでは無いのか…」
全員が同時にやいのやいのと喋るので、話が全く聞こえてこない。
皆が言いたいことを言いきって落ち着いた頃を見計らい、私は確認した。
「…とにかく、私は早急に移動する必要があるのですよね?
その前に休息を取ったり、出発の準備をする時間を持っても大丈夫でしょうか」
「伯爵邸の中なら騎士団も常駐していますし、今はまだ大丈夫でしょう。
一先ず、貴女の生命の危険についてを早めにお伝えしたかっただけです。
その間に、『どのような形で』出発するのかを決めていきましょう。では今日はここまでということで、いったん解散でよろしいですか?」
とマリウスが言ってこの場は終了するかと思いきや…。
「あー、その前にちょっと待て」
「私も…お待ちいただきたいです」
セラが手を挙げてジルがそれに続くと、マリウスは頷いて応えた。
「はい、どうぞ」
「一発殴らせてもらう件が、まだ終わっていない」
思わず私が目を逸らすと、鈍い音が、時間を置いて二発響いた。
――必要な話が一通り終了し、各々が自分の部屋に帰っていく。
両頬に赤い腫れと青痣を作ったマリウスに、私は声を掛けた。
彼はやや不機嫌そうにこちらを振り向いた。…無理もない。口の端から一筋の血が流れている。
「まだ、何かございましたか? 公女様」
「マリウスさんは、どちらで休まれるのですか?」
ハンカチで口元を拭いながら、彼は答えた。片眼鏡は今は外されている。
「貴女のお婆様の家の一角をお借りしようかと思っています。貴女の現状を考えると、伯爵邸の客人として私が中に入った痕跡を残してしまうのはどうかと思いまして」
「では、そこまで一緒に。…その怪我を治療する術を掛けなければ」
やはりと思い、私は治療を申し出た。
私のせいで、彼が負ってしまった怪我に思えてならない。責任を感じてしまうのだ。
「貴女に、それが使えるのですか?」
「使えないですけど…お婆様に教えてもらいながらなんとかします」
「ダメです。今の私達に必要なのは睡眠です。しっかり休んでおきなさい。私もすぐに休みます」
「でも…!」
首を振って拒否する彼に、私はなおも食い下がる。
すると、彼はため息をついて諭すように答えた。
呆れながら、と言ったポーズを取ってはいるが、口調は不思議と優しい。
「貴女は確かにまだまだ力不足です。ですが少々焦りすぎです。
持っていない技術や苦手分野は、他の人を頼るという方法があるのです。
何でも一人で抱え込むものではありませんよ。それは美徳ではなく、無能というものです」
「でも今回はマリウスさんにばかり負担を掛けてしまって…。
それはとてもありがたかったのですが、申し訳ない気持ちもあるし、無力感もあるし…。
私はもっと力を付けないとって思って…」
「貴女がそこまで気を回すものではありません。私とて、自分の利になるかどうかも考慮に入れた上で、貴女に力をお貸ししています。自分のやったことへの罪悪感でもありますがね。
――いいから、子供はさっさとおねむの時間ということですよ。ほら、おやすみなさい」
私が思い詰めている様子もお見通しなのか、からかうようにそう言うと、マリウスは私を部屋に向かわせようとする。
そんなに子供扱いしなくても…。
「う…私はそんなに子供ですか?」
「私から見れば子供ですよ。貴女を見ていると、青臭かった昔の自分を思い出して恥ずかしくなるのです」
「マリウスさんって、実際おいくつなんでしょうか」
「親子ほどの年の差…とまでは言えませんね。あとは秘密です」
「教えてくれないんですか?」
「貴女がもう少しだけ大人になれたら、検討して差し上げましょう。
…さあ、もういいでしょう? 部屋へお戻りください。
さもなければ…実力行使と致しますが」
「実力行使…?」
彼の言わんとしていることが判らず、ぽやっと彼の言葉を反復してしまう。
マリウスは、教科書を読み上げるかのように言った。
「…魔女術式の【眠り】は、成功率がほぼ確実という利点はありますが、効果範囲が非常に狭いのが欠点です。対して精霊魔法のそれは、ほぼ逆のメリットデメリットを持っています」
「急に何を…」
「こういうことです。あの時貴女を眠らせた方法ですよ」
言うとマリウスは私の顔の前にハンカチをかざした。
そこから何だか覚えのあるいい香りがする。
…と、意識が急速に薄らいでいった。
「貴女の【眠り】はすごいですね。魔女術式と精霊魔法の【眠り】の良さをバランスよく取り入れているなんて。私にも教えていただきたいものです」
と言うマリウスのセリフを最後まで聞き取ることは出来なかった…。
気が付けば私は、自室のベッドの上に寝かされていた。
側には黒猫になったセラが香箱座りでこちらをじっと見つめている。
きっと私を運んでくれたのは彼なのだろう。
「ありがとう」と声をかけると、彼はぷいと向こうを向いて座り直した。
視線を天井に向けてぼんやりとこれまでのことを思い返す。
命の危機にあったこと。それを何とか切り抜けたこと。
それがショッキングで、何度も何度も思い返してしまう。
(私は、これからどうすればいいの…?)
そして、自分の未来のことを考えていると、時間はあっという間に過ぎていって…。
気が付けば、再び私は眠りに落ちているのだった――。




