公爵令息は私の幼馴染
「――突然の訪問、失礼仕ります。私はヴァイスシュタイン公爵家の騎士団長、ルドルフと申します。
シュヴァルツリヒト伯爵令嬢、ムーン・レナ・シュヴァルツリヒト殿。アドルフ・ノア・ヴァイスシュタイン公子より、至急のお呼び出しにございます」
―――は?
招待状無しで? 何様? …ああ、公爵家の公子様か。
私は我ながらフランクというか庶民的な性格だと思うのだけど、それでも眉間にしわが寄ってしまうのを止めることは出来なかった。
「…ランチの途中なのですけれど?」
「…至急、お願いしたく存じます」
「この格好で…?」
私はさっきまで畑に入り浸って薬草や野菜を収穫していて、すっかり手は泥まみれになっていた。
いや、その手は食事の前に洗ったけれど、爪の間まで念入りに洗ったわけではない。
動きやすい作業着にはたくさんの土や砂がつき、ひっつめられた髪は乱れてさながら庭師のような風情だ。
「…はい、今すぐにお願いします」
「私、アドルフ様のお叱りを受けるようなことを致しましたでしょうか? それとも急な事件でも? アポイントのない突然の呼び出しは初めてでございます」
抗議の目で騎士団長を見上げると、彼・ルドルフは困ったような顔で目を逸らした。
「その…今、申し上げることは出来ません。お許しを」
(彼も自分の仕事をこなすのに精いっぱいのようね)
「…わかりました」
――ガタンガタン…ゴトン…
馬車の単調な揺れに身を任せながら、昔のことを振り返る。
アドルフ・ノア・ヴァイスシュタイン公子はヴァイスシュタイン公爵家の長男で、私の婚約者だ。
小さな頃はお互いの家で遊ぶことも度々あったし、幼馴染と言っても良いかもしれない。
ヴァイスシュタイン公爵領はシュヴァルツリヒト伯爵領と隣接していて、お互いの家は馬車で数時間の距離だ。
(小さい頃はそれなりに仲が良いと思っていたけど…)
私は幼少期からずっと家庭教師から逃げながらお婆様の家に入り浸り続け、一方の彼は6年前から士官学校に通うようになり、年頃になってからは年に数回の手紙で近況を知ることが出来る程度だ。
一年前――私が15歳、彼が17歳になった時に、お互いの肖像画を送り合って交換した。
(随分背が高くなったけど、まなざしは小さい頃から変わらないなって思ったものね)
赤いマントの礼服からすらっと伸びた長い手足に、さらさらでちょっと癖のある金の髪と、青い瞳。
まっすぐ前を見つめる鋭い瞳は、彼の強い正義感を表しているかのようだ。
魔女であるお婆様にあこがれて、昔から変わった行動ばかりしていた私は、よく周囲の子供達にからかわれたり、仲間外れにされたりしていた。
そんな時に「やめろよ!」と間に入ってくれたのは、いつも彼だ。
ヴァイスシュタイン公爵家の息子たちは皆士官学校に入り、剣や馬術の腕を鍛え、将来は我が国・エムロード王室軍を率いる重鎮となるはずだ。もちろんアドルフも。
持ち前の正義感とまっすぐな性格で、彼の将来はきっと輝かしいものになるだろう。
「最初っから、私には不釣り合いの縁談だったのよね…」
ふと、そんな言葉が口から洩れてしまう。
このような礼を欠く呼び出し方は初めてだ。彼は何かしら怒っているのかもしれない。
今までのやり取りで、そんなことを匂わせる態度は一切感じたことは無かった。
しかし、世間知らずで野性的な変わり者と評判の私のことだ。
私の心無い噂を流す輩はいくらでも心当たりがある。
――公爵家の長男と、伯爵家の次女。
縁談を組むにしてはいささか身分の差が気になる組み合わせだ。
(どうして伯爵家の娘がヴァイスシュタイン公爵家と…。
うちの娘の方がアドルフ様に釣り合っているではないか…)
(いや、アドルフ様ならセリーヌ王女様の隣だって相応しいだろう)
そのように思う貴族はいくらでもいるだろう。
…というか、この前イヤイヤ参加した舞踏会でそんな話し声が聞こえてきた。
きっと聞こえるように大きな声で話していたに違いない。
思い出してはあっと大きくため息をつくと、隣から肩をポンっと叩いて明るい声がした。
「なーによ。ムーちゃんらしくないわね。お姉さんが側にいるんだから、安心してなさい?」
「リリア…」
彼女の笑みを見ると急に安心して、涙が込み上げてきた。
ぎゅっと抱き着くと、優しく抱きしめて頭をぽんぽんと叩いてくれた。
リリアは私の乳兄弟で、今は屋敷で私の身の回りの世話を務めるメイド長の後継として絶賛修行中だ。くるんとカールした赤毛をポニーテールにして、メイド服の短いスカートの下から動きやすいスパッツの足が伸びていて、活発な彼女によく似合っている。
うちの屋敷のメイド服はクラシックな形状ではなく、厨房の割烹着に近い。彼女はそこから下半身だけ動きやすいスタイルを選んで着こなしている。
(彼女のような明るさが、私も欲しいなあ…)
そんな風に考えながら、馬車の中で着替えを済ませて公爵家のお屋敷へと向かった。
着替えの服は馬車に同乗する時にリリアが持ってきてくれた。髪型も軽く整えてくれた。
化粧は間に合わなかったけど、口紅だけリリアの物を借りた。
これで何とか、公爵家のお屋敷に入れるくらいの恰好にはなれただろうか?
不安に駆られながら、リリアに付き添われて私は屋敷の階段を上がっていった。
屋敷を取り巻く街並みの景色は、少しずつ夕焼けの朱に染まろうとしていた。