帰らずの呪い
Tと出会ったのは場末の居酒屋だった。
彼が店を出る際に財布を落とした。それを拾い、渡したところ。彼は大層私に感謝して、高い酒を奢ってくれた。
私が※※大学で駅伝部のコーチをしているという話をしたところ、彼は有名な大学の教授だと告げた。彼の大学も駅伝の常連であった。これも何かの縁と私たちは連絡先を交換し、たまに酒を飲むような仲になった。
そんなTから、大学に電話がかかってきたのは、つい先刻のこと。
「ちょっとやりたい実験がありまして。足が速い奴がいるんですよ。貴方のとこの学生に頼めないですか?」
「どうだろう。俺は一介のコーチだからな……学生にそういうこと斡旋するのは……。貴方のところの学生に頼めば良いじゃないですか」
「もう頼みましたよ。ただ、たくさんデータが欲しいんだ。もちろん彼らにバイト代は弾む。ある民宿周辺を歩くだけでいいんだ。宿泊費も出すし、一人一万円謝礼を出そう。頼みますよ!貴方にも今度飯ご馳走するから」
あまりに彼が食い下がるので、「話してみるだけなら」と、渋々返事をした。彼は弾んだような声でお礼を言って、詳しい日時と場所を話して電話を切った。
駅伝部員たちにこのことを話すと、彼らは二つ返事でこの話を受けた。結果的にほぼ部員全員での参加となった。
電話口でそのことを話すと、Tは喜んでシャトルバスまで出してくれると言った。
しかし当日、シャトルバスが到着したのは、聞いていた民宿とは違う場所であった。
「すまない。予定していた民宿が、向こうのミスで泊まれなくなってしまったんだ。そこで急遽ここにお願いすることにした。まあ、実験はどこでもできるから。構わないですよね」
「ああ……、まぁ」
驚くことに彼の指定した民宿は今年の夏、駅伝部の合宿で訪れた宿であった。まぁ、確かにこの辺りでこの人数を急に泊めてくれるといったらこう言ったオンボロ宿にならざるをえないのかもしれないが……。
学生たちの何人かはこの偶然にどこか色めき立っていた。
「実験は夜だから。それまではゆっくりしてくれ」
日が沈み、夜になると私たちは民宿の前に集められた。
「いや、学生の諸君。今日は実験に参加してくれてありがとう。何、難しいことはない。私は民族学を教えていてね、分野は……まぁ、わかりやすくいうと妖怪とか幽霊とかそういう類の話の伝播について研究しているんだ。そこで君たちにやってもらいたいのは肝試しだ」
肝試し。その言葉にくすくすと学生から笑いが溢れる。
「今から一人ずつ祠にあるお札を取って、ここに帰ってきて欲しい。一本道だ。街灯はないが迷うことはない。歩いても走ってもらっても構わない。怖いという者は参加しなくてもいいが、その場合は宿代と交通費の方を請求させていただく……こちらもバイトとして君たちを呼んでいるからね。何もしない人にお金は払えない」
卑怯な奴だ。こんなバイトに食いつく学生が金に余裕などあるはずない。交通費も宿代もきっと微々たるものだが、それでも彼らには痛すぎる出費だろう。
「いや、なに。安心してくれここら一体にお化けが出るなんて話はないんだ。そういう場所でどういう恐怖を感じるかという実験なんだ」
何人かの学生がほっとしたような顔をする。
「それでは、私は祠で待っているから、十分間隔で一人ずつおいで、灯りは蝋燭を用意しているからそれを持ってくるといい。ああ、スマホと腕時計は置いていってくれ、灯りになると雰囲気がでないから」
私にタイマーと蝋燭束を押し付けて、Tは道をかけていった。
十分が経ち、最初の学生が暗い道を歩み出した。五分ほどすると彼は駆け足で戻ってきた。
「どうだった」と囃し立てる周りの学生に「怖い怖い」と笑いながらお札を見せびらかしていた。彼らにとっては良い思い出だろう。
私は次から次へと帰ってきては送り出す。飽きた学生は部屋に戻り、暇を持て余した学生は隠し持ってた花火で遊び出す。
もはや出発地点としては肝試しなんて雰囲気ではない中でひどく顔が青ざめた学生が、出発した。
そして彼は十分過ぎても帰ってこない。
仕方なしに、もう一人を送り出す。しかし十分もたたずに、後に送りだした方が帰ってきた。
戻ってきた彼に尋ねても、先に行った学生とはすれ違わなかったという。
不可解に思いながらも、次の学生を送り出す。三十人ほど送り出しだが、そのうち三名は何故か帰ってこなかった。
最後の一人が帰ってきたのを確認して、私は彼らを探しに一本道を進んだ。
三分ほど歩くと、すぐに祠は見えた。
そこにTが、じっと立っている。
蝋燭の灯りにぼんやりと顔を照らされ、にやにやと微笑む彼に、背筋に泡立つものを感じる。いやいや、これが肝試し効果というものだ。
「もう終わったよ」
「そうか」
「それで、帰ってきてない学生が三人いるんだが、何か知らないか?」
「そうか」
「あいつらのスマホも私が持っているし連絡もとれなくて少し心配でな」
「そうか」
人ごとのように繰り返すTに段々と苛立ちを覚える。
「あのな!俺は引率してきた責任ってのがあるんだよ。分かるだろ?!」
「そうか」
Tの襟首を掴み、睨みつける。しかし彼は相変わらずにやにやと笑っていた。
「俺の学生をどこにやった」
「どこにも?ただ彼らはお札を持って帰り道を進んだはずだ。彼らに罪がないのなら、無事に帰れるはずだ」
「どういう意味だ」
「そういう呪いだよ。罪なきものは帰れる。罪あるものは帰れない」
祠に目をやり、Tは笑う。
私は、彼から手を離すと、祠を開けてみた。
中に入っているのは小さな白い蓋付きの陶器だった。その奥にはお札が一枚残っている。
そっとそれを取り出す。手に取ってみると、それはお札というよりは香典袋のように折り畳まれた紙だった。中に何か入ってる。
「開けてみたら?」
促されるままにおずおずとそれを開き、中身を見た私は思わずそれを地面に落とす。
中に入ったものは長い髪の毛だった。
「娘のなんだ。それも」
指さされたのは小さな陶器。もしやと思い開けてみると、中にはカラカラになった乳白色の塊と、灰色の粉が入っていた。
それはまごうことなき骨壷であった。
「今年の夏に死んだんだ。自殺だったよ」
Tは淡々と呟くように続ける。
「まだ高校生だったんだ。彼女は陸上部でね、その日は遅くまで練習して夜も更けてしまっていた。そして家に帰る途中。名前も知らない男たちに辱められそうになった。彼らから逃れるために彼女は崖から身を投げた。一命は取り留めたんだが、彼女の足はもうダメになってしまった……そうして彼女はその命を自ら手放した」
「犯人は……捕まったのか?」
生唾を飲みなら、尋ねると、Tは静かに首を振った。
「いや、全く。わかることと言えば犯人たちの足が速いということだけだ」
「足が速い?なんでそんなことが分かるんだ」
「留守電が入ってたんだ。「誰かに追われてる、怖い、助けて」って息を切らせながら走る娘の声で……。娘は将来を約束されたスプリンターだった。並の足で彼女に追いつけるわけがない。だが電話口の奴らは明らかに走って彼女を追いかけていた。私はね、必死で奴らを探したよ。娘が襲われた日に、その近くでとある大学の駅伝部が合宿をしていたことを知った……」
「俺の学生たちの中に犯人がいるというのか!?……まさかそのために俺に近づいたのか?」
「そうさ、お陰で今日。犯人三人を特定することができた」
「彼らに何をした!?」
「何も?ただ同じように骨壷を見せて、お札を持たせて送り出しただけだ。私は何もしていない。やったのは娘の無念だ」
「彼らはどこに……」
「わからないさ。わからない。あと、お前に聞きたいことがあるんだ」
Tは私をじっと見つめた。
「娘が死ぬ間際に話してくれたんだが、娘が崖から飛び降りた時に年配の男が崖の上からが覗き込むのを見たそうなんだ。彼は、犯人たちを怒鳴りつけてそのまま四人で去ってたらしい。娘が発見されたのは朝方で、発見が遅れたからか彼女の足はダメになったんだ。彼が、彼が救急車をすぐに呼んでくれれば……娘の足に後遺症は残らなかったかもしれないのに、さうしたら娘は自殺なんてしなかったかもしれないのに……」
あの日の光景が蘇る。崖の下で私を恨めしそうに見つめる足の曲がった少女のことを。
彼らを宿に返し、「忘れろ」と告げ、朝方、家に返した。彼らは有望な選手だった。彼らが抜けてはチームに勝利はなかったから。そんなスキャンダル。あってはならなかったから。
「あ……いや、すまなかった!!私も動揺していて……選手たちを守りたくて!」
「俺だって、娘を守りたかったさ……。俺にとってはお前も同罪だ。だが、娘にとっては分からない。さぁ、その札を持ってここを去れ、娘がお前を許すなら元の場所へ帰れるだろう」
Tは祠から骨壷を取り出すとゆっくりと抱きしめ、歩み出す。
「どこへ……!」
「わからない。ただ俺も同罪なのだ。あの日は本当はあの子を迎えに行く約束をしていたのに、私は仕事にかまけて忘れていた。留守電に気がついたのだって遅くになってからだった。私もきっとあの子に恨まれている。恨まれているはずなんだ」
にこりと笑い、彼は夜の闇に歩む。その背にうっすらと少女が寄り添っているのが見えた。
彼女は振り返ると、じっと私を見つめ、彼と共に闇に消えた。
震える足で立ち上がる、お札を拾い、ぎゅっと握りしめた。元きた道は何も見えない。
この先を進んで、私は帰れるのだろうか。
この先は一体どこへ通じているのだろうか。
わからない。ただ私には、元の場所に帰れる自信がまるでなかった。
end