葵の告白
葵の母、聡子は倉本稔が捕まる一年前に離婚し、その後行方不明になっている。葵が高校生になると同じくらいに聡子は稔に愛想をつかせており、幼い頃互いに笑っていたような時は2度と訪れないのだと葵は感じていた。
SAで昼食をとっていた時、テレビで沖縄の海難事故の報道を見ていた。若いダイバーが子供を助けようとして海に飛び込んだ。子供の命と引き換えにそのダイバーは亡くなってしまった。それを見ながら葵はそっと呟いた。
「バカみたい。」
「なんで?亡くなったのは確かに残念だけど、勇気ある行動だと思うよ。」
「それは勇気じゃなくて無謀って言うんだよ。彩、誰かを助けるために自分を犠牲にするのはただの自己満足だよ。人にはそれぞれ限界があるんだから。」
彩は心の中で以前、自分を助けるために矢沢に水をかけたくせにと思っていた。
「彩を助けるために矢沢に水かけなかった?」
明菜が代わりに聞いてくれると葵はふっと口角を上げた。
「あれはただムカついただけ。私は自分が1番大事だから。そのための矛先が2人に向いても恨まないでね。」
「怖いこと言わないでよ。」
彩がそう言うと葵は笑いながら水を飲んだ。
拘置所に着くと面会の手続きをした。空は夕日があたりを照らしており、空が茜色に染まっていた。
「明菜は明日になるけど、大丈夫?」
「多分間に合うから大丈夫だと思う。もし間に合わなかったら、その時はその時考えるよ。」
明日の予定を確認していると葵の名前が呼ばれた。
「いってらっしゃい。」
明菜が葵を送り出そうとするが、一歩も動かなかった。
「どうしたの?」
彩が聞くと葵は看守に2人の同行を許してほしいとお願いした。看守は渋い顔をしたが、許してくれた。
「お願い。2人も来て。」
葵がお願いするのは珍しいが、馴れない場所のため、緊張しているのだと深く考えなかった。
面会室で待っていると奥の扉から倉本稔が出てきた。葵は思わず立ち上がった。稔も葵を見ると目を見開いた。
「葵。」
「お父さん。」
稔が椅子に座ると葵もつられるように座った。アクリル板が2人の間に壁を作っていた。
「何しに来たんだ?学校はどうした?」
「今は夏休み。お父さんに会いに来たの。捕まってから1度も会おうとしなかったから。」
葵の言葉に稔はため息を吐きながら俯いた。
「帰れ。こんな俺をお父さんだなんて呼ばなくていい。俺のせいでお前が酷い目に遭ってるのは想像できる。実際そうなんだろう。」
稔の言う通り、葵はクラスで浮いた存在で白い目で見られる毎日だった。葵自身は関係ないのに殺人者の娘ってだけで酷い仕打ちを受けていた。
「そんなの1ヶ月もすれば馴れるよ。お父さんは元気にやっている?」
父親呼ばわりされるのを嫌がっていると思ってたのに、お父さんと呼んでくれる葵に稔は嬉しいのか僅かに微笑んだ。
「なんとかな。後ろにいるのはお友達かい?」
彩と明菜は稔と目が合うと会釈した。
「うん。転校先で仲良くなったの。桐島彩と富永明菜。私と同じバイクが趣味なの。」
「お前まだバイク乗ってるのか?」
葵のバイクはもともと稔のものだった。葵が免許を取得したのと同時に葵にあげたが、葵はここまで稔のバイクを使って来たのを説明した。
「あんなオンボロでよくここまで来たな。すぐに捨てればいいものを。」
「お父さんから貰ったもの、簡単に捨てれるわけないよ。あれはお父さんがくれた私の宝物なんだから。」
自分があげたバイクを宝物と言ってくれたことに稔は思わず涙を流した。
「ちょっと、泣かないでよ。つられちゃうじゃん。」
「ごめんな。お前がそんな風に思ってくれるなんて嬉しくて。そんなお前のそばに居られないなんて俺は情けないな。」
「そんなことない。いつまで経っても私はお父さんの娘でいるから。私はお父さんとの関係を絶対に断ち切ったりしないから。絶対にまた会える時まで、私はずっと待ってる。」
葵と稔は互いに涙を流しながら、それぞれの想いを伝えた。
「桐島さんと富永さんだっけ?」
「はい。」
2人は思わず立ち上がった。稔は2人を見ると、立ち上がって頭を下げた。
「これからも葵のことをよろしくお願いします。父親としてのお願いです。どうか葵を守ってください。」
「もちろんです。」
「娘さんは私たちに任せてください。」
彩と明菜は稔に向かって頭を下げた。
「彩、明菜、」
葵は思わず2人に駆け寄った。泣いている葵の頭を2人はそっと撫でた。
「葵。いい友達に会えて良かったな。」
「うん。最高の友達だよ。」
この言葉を最後に面会は終了した。あたりはすっかり夜になり、真っ暗だった。
「夜になっちゃったね。」
「適当に漫画喫茶で過ごそうか。」
「さすがにホテルで1夜は明かせないか。」
3人は笑いながらバイクに向かって都心へ向かった。
その翌日。稔の元に1人の男が面会に来ていた。
「裁判の日程が決まりました。1ヶ月後に始まります。裁判員制度で行われますが、なんとしても無罪を勝ち取りましょう。」
会いに来たのは稔の弁護を担当する、田口浩輔だった。稔と浩輔は旧知の仲で大学の同級生だった。稔の人柄をよく知る浩輔は、稔の無罪を証明するために弁護を引き受けた。
「浩輔。俺はどんな判決になろうとも受け入れるつもりだよ。」
「そんなのダメだ。早くここを出て、葵ちゃんに会うんだろう。」
「その葵が昨日来てくれたんだ。」
稔は昨日、葵たちが面会に来たことを浩輔に話した。
「お前は愛されてるよ。娘どころか結婚もしてない俺からすれば羨ましい娘さんだよ。」
「女房に捨てられた俺からすれば、葵はかけがえのない存在だ。なんとか守ってやりたい。浩輔。葵に何か遭った時は俺より先に、葵を助けて欲しい。頼む、このとおりだ。」
稔は浩輔に向かって頭を下げた。
「みっともない真似はよせ。言われなくてもお前も、葵ちゃんも絶対守ってやる。だからまずはお前の無罪を勝ち取る。なんとしてもな。」