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00.子供の口約束

 薄赤色の髪をなびかせて、少女は俺に手を差し伸べてくれた。


「九年前のお約束を、果たしに参りました。セオドール様」


 九年前の、約束。

 その言葉をずっと胸に抱いて生きてきた俺は、何のためらいもなく彼女の手を取った。




 あれは、ロードリック兄上が十歳になったことを記念しての、誕生日パーティでのことだった。兄上は今年で十九歳になるから、今からちょうど九年前のことになるな。


「お前、あっち行ってろ。今日の主役は俺なんだからな、目立つんじゃねえぞ」


「は、はい。わかりました」


 一つ年下の俺は、家族と並んで来客に挨拶をした後は兄上にそう言われて、広間のすみっこに追いやられていた。

 軍人を多く輩出してきたアルタートン伯爵家の嫡男である兄上は、次期伯爵として来客……つまりは貴族の方々と会話を交わし、親御さんに伴われてやってきた数多くの令嬢と顔合わせをしている。まあ、要するに婚約者探しだ。


「アルタートン家も、ロードリック君がいれば安泰ですな」


「ええ、もちろん。良い跡継ぎだと、私は満足しております。このままきちんと成長してくれることが前提ですが」


「まあ、たしかにそうですな。ところでどうでしょう、うちの娘などは」


「おいおい、一人で先走るのは感心しませんな。うちの娘はどうか、とお声がけするところだったのですよ」


 現当主である父上は、王都守護騎士団の副長にして第一師団長という立場でもある。つまりは軍の幹部ということで、その長男に娘を嫁がせたい貴族が数多く顔を見せていた。父上も、そのつもりで招待状を送っていたようだし。

 対して次男である俺は、一つしか歳の違わない兄上には腕っぷしで敵わない程度の存在だった。頭脳は……分からない。一緒に勉強したことなんて、なかったからな。一応家庭教師はついてくれたし、俺は本を読むことが好きだったけどさ。

 一度勝負してみろ、と父上に言われて木剣で試合をしたことがあるけれど、とにかくフルボッコにされた。剣術の試合のはずなのに最後は殴られて、蹴られて。


『セオドール。その程度では、お前は騎士団に居場所などない。幸いお前にはロードリックという良い兄がいる、その補佐としてせいぜい働くことだ』


 そう、父上に命じられた。父上も、そのまた父上も……アルタートンの後継者はみんな、十歳前後でその身体能力を開花させていたそうだから、俺は力不足の役立たずということなんだろう。

 父上にとっては、腕っぷしと剣術が強い兄上だけが可愛い息子であるようだ。もし俺が女として生まれていたら、そこそこの家に嫁に出されることを前提に教育されただろうけれど。


「どうしたの?」


 さて。

 食事は良いものが出ているので、それをいくらか皿にとって俺はカーテンに隠れるようにもくもくと食べていた。

 そこへいきなり声をかけられてびくっと震えてしまったけれど、口の中のローストビーフはどうにか落とさずに済んだ。もぐもぐと噛み砕いて飲み込んで、それから振り返る。


「な、なに?」


「どうして、そんなすみっこにいるのかなっておもって」


 声をかけてきたのは、薄赤色のちょっと癖のある髪を持つ、浅黒い肌の女の子だった。質のいいドレスを着ているから、どこかの家の令嬢なんだろう。要するに、兄上の婚約者候補の、ひとり。

 兄上は……ああ、今度は父上と母上と一緒に別の家族と話をしてるようだ。なら、大丈夫かな。


「目立つな、っていわれたんだ。ぼく、兄上とちがってできがわるいから」


「そうなの? でも、お父さまはじぶんのとくいなことをがんばればいいよ、っていってくれるわよ」


「ぼくの父上は、戦に強い子どもがいいんだって。ぼく、戦うより本を読むほうがすきだから」


「え? それってすごいんじゃないの?」


 その女の子からそう言われて、俺は目を見張った。

 武芸で成り立っているといっても過言ではないアルタートン家の俺が、本を読むのが好き。

 それをすごい、と言われたのは生まれて初めてだったから。他所の家から嫁いできた母上ですら、アルタートンの男は戦って勝つのが当然というお考えだったしな。

 ただ、この少女がすごいと言った理由はちょっと別のところにあった。


「だってわたし、本読むのにがてだもの。文字が多いと、ねむくなっちゃう」


「でも、勉強はちゃんとしないと。大きくなっておうちのしごとをするのに、文字はいっぱい読まないといけないし」


「……それもそうね。お父さま、ときどきおしごとをためこんでお母さまにおこられてるもの」


 いやちょっと待て、と当時の俺はとても突っ込めなかった。

 こんなことを言われている『お父さま』は、それでもきっとどこかの当主なのである。それが、仕事を溜めてご夫人に怒られているなんて、俺にはとても想像できない光景だ。

 そこからしばらく、俺は彼女と話をした。その中で名前も、聞いたっけな。


「ぼくは、セオドール」


「すてきな名前ね。わたしは……そうね、ヴィーって呼んで」


「うん、わかった。ヴィー、だね」


 本名が長いのか、ヴィーという呼ばれ方が気に入っているのか。いずれにしろ彼女はそれしか名乗らなかったから、俺は結局彼女の本当の名前を知ることはなかった。

 でもまあ、多分再会なんてなさそうだしな、と思ったからか……なんか、ヴィーには家族に言えないことをいろいろ言った気がする。父上も母上も兄上ばっかりかわいがってるとか、兄上は俺を子分か何かにしか思ってないかも、とか。


「そっか。うん、わかった」


 ヴィーは俺の話をひとしきり聞いてくれて、それから大きく頷いた。


「セオドール。大きくなったらお父さまにおねがいして、かならずむかえにいくからね。それまで、がんばって。わたしと同じ年だから、同じだけがんばろう」


「……う、うん」


 そう言ったところで周囲がちょっと騒がしくなって、それをきっかけにヴィーとは別れた。手を振って去っていく彼女の、淡い赤の髪を俺はずっと見送って。

 その日の夜、俺は父上に散々怒られた。不出来な弟なのだから、兄を持ち上げるように話をしろ、だってさ。

 さすがにそれは理不尽だろう、と今でも思う。大体、兄上の婚約者はきっちり見つけただろうが。

 兄上と婚約することになったのは、母上の親戚である侯爵家のご令嬢だった。このあと父上は王都守護騎士団内で勢力を広げ、兄上もやがて入団することになる。

 そうして俺は、あくまでも兄上の補佐として家に閉じ込められる形になった。兄上は開いてもらった誕生日パーティも、俺にはなくて。


 それでもそこから九年、耐えてこられたのはヴィーの言葉があったからだった。

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