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96 暗号


 そんなこんなでその後、ヴィクトリアが何度か怪我をしたり、アーデルがテンパリングに苦戦したりしながらも取り敢えず全員がチョコを型に流し込むところまでは終えることが出来、後はチョコが固まるのを待つのみになった。しかし、その時間が結構長い。俺と数人はその間、部室に戻って小説を書くことにした。


「......ねえ、ケイ?」


 俺の左隣の机でパソコンに向かっていたアーデルがツンツンと俺の肩をつついてきた。


「んー?」


「貴方の小説、最近読んでなかったから溜まってた分、一気読みしたんだけど」


「うん」


「このドイツ人のヒロインは私がモデルで、主人公は貴方がモデルなのよね」


「ああ」


 誇張表現や実際には無かったエピソードが多々、含まれているものの、俺が現在、執筆し続けている作品の原作は俺とアーデルの日常そのものである。最近、やっと、メインヒロインと主人公がドイツで再会するシーンを書くことが出来た。


「つまり、この小説には書いてあるけど、実際にはなかった出来事は貴方の願望、ということになるのかしら」


「全部がそうって訳じゃないけど、まあ大体はそうだな。特に主人公とヒロインがイチャイチャしてるシーンは大体、願望」


 それとは別に主人公とヒロインの気持ちがすれ違ったり、喧嘩をしたりするシーンも描写してはいるが、それらは物語を面白くするために描写しているだけで、全く望んでなどいない。アーデルと気持ちがすれ違ってトラブルになったり、喧嘩になって口をきいてもらえなくなるなんて、想像しただけで寒気がする。


「ふぅん......つまり、本当は私と再会したとき、貴方は私のことを優しく抱きしめてキスをするつもりだったのね」


「そっちの方がストーリー的に綺麗だろ。再会した瞬間に足を踏みつけられるより。......実際、その小説に書いているような再会を望んでいなかった訳ではないが」


「へぇ。じゃあ、これは? お正月に二人でおせちを作って食べてる奴」


「それは本当にしたかった奴だな。アーデルの初めての正月だからのんびり日本文化を楽しんで貰おうと思ってた」


 そのため、作中ではヒロインがドイツに行ってしまうのは史実よりも少し遅めの一月中旬あたりということになっている。


「フォーゲルさんが居なくなって先輩が廃人化したせいで、ウチも先輩とお正月に遊べなかったんですよ」


 俺の右隣の机でポチポチと執筆作業を続けていた月見里がそうぼやいた。


「悪かったわね。......ケイの廃人化って実際、どんな感じだったの?」


「んー、何か兎に角、やさぐれてて生活能力が著しく下がってましたね。私が家に行った時はパンツしか履かずにベッドで腐ってました」


「ついでに言うと、洗い物は溜まりっぱなし。ゴミ箱にはカップ麺とゼリー飲料が捨てられまくってましたよ。何か痛々しいというか、見てられないって感じでしたね」


 と、月見里の横の椅子に座り、スマホを弄っていたソ連が溜息を吐く。


「とか言いながら、アフリア先輩、誰よりも早く先輩の家に行って先輩のお世話してあげてたんですよね」


「コイツがバイトを休み続けてたせいで、たかさごでの私の負担が死ぬ程増えてたんですよ。さっさとコイツを復帰させるために色々してやってただけに過ぎねえのです」


「......ありがとうな。お前らが助けてくれなかったら今頃、どうなってたか。想像するだけでも恐ろしい」


 彼女らが居なければ俺はアーデルを連れ戻すためにドイツに行くことはおろか、アーデルロスから抜け出すことすら出来なくなっていた筈だ。本当に彼女らには頭が上がらない。


「貴方、私が居ないとそんなことになっちゃうのね」


 アーデルが憐れむような、呆れるような表情で俺を見つめてくる。ルドルフ君の存在を除いて、ドイツで一人だったアーデルとは違い、周りに友達が沢山いながらアレだけ腐っていた自分が情けない。


「マジで頼むから、ハイジは二度と勝手に五六の前から消えてくれるななのです。コイツのメンタルケアをやらされる私の身にもなって欲しいのです」


「あの時は久しぶりにソ連が甘やかしてくれたから悪い気分では無かったんだけどな」


「前言撤回。ハイジ、こんな奴さっさと捨て置いてドイツかどっかに帰れなのです。フランスも良いところですよ」


「悪いがもしそんなことになったら、俺はまたソ連を頼るぞ」


「開き直って言うことじゃねえのです。絶対に見捨ててやりますからね!」


「アフリア先輩が先輩のことを見捨てる状況が想像出来ないですね......」


「ソビエト......貴方、マスターと出会えて良かったわね。自覚無いでしょうけど、貴方って悪い男にひっかかったら、一生、尽くしてしまうタイプよ」


 アーデルがそう言って苦笑する。DV男を養うソ連の姿が何故か鮮明に浮かんでしまった。


⭐︎


「あ、五十六番達帰って来た。もう取り出すのー?」


「そろそろ固まっただろうからな。......で、お前ら何してんの? 円卓の騎士の真似事?」


 約三時間ぶりに帰ってきた家庭科室、其処には全員で一つの机を囲う蜂須賀と霊群、プラス岬川組の姿があった。何かヴィクトリアがルミの頬を引っ張り、北里に止められている。


「その場合、私がアーサー王ですわね! イングランド人だし!」


「アーサー王はケルト系じゃなかったか」


「こ、細かいことは良いんですの。それに私のお父さんはウェールズ人ですから似たようなものですわ。......あれ、何の話だったかしら?」


「俺達が部室に行ってた間、何してたのかって話」


「あー、そうそう、五六聞いて下さい! 皆で人狼ゲームをやっていたのですけど、ルミが酷いんですの。騎士のフリをして私の信頼を勝ち取りながら、最後の最後で私を食い殺したんですわ!」


「いや、そういう、ゲームだから。単純過ぎる、ヴィクトリアがわる......痛い」


 成る程。確かに無表情で考えていることが分かりにくいルミは人狼ゲームのような心理戦の絡むゲームでは強そうだ。


「ぷっ、くふふ、アーサー王名乗ってた癖に本物の騎士が見分けられないんですか......。お前にはエクスカリバーを持つ資格は無さそうですね」


 何やらツボに入ったらしく爆笑するソ連を横目に俺は冷蔵庫から皆のチョコを取り出した。うん、全てしっかり固まっている。


「適当に机に置いていくから各自で自分のチョコを取っていってくれ。チョコを入れる袋とか箱は黒板の前の机の上に置いてあるから」


「どうせ今から食べるんですから袋とか勿体なくないですかね。うーん、我ながら美味しい......」


 そう言いつつ取り出したばかりのチョコを摘むのは月見里である。


「折角、俺がチョコの材料を買うついでに100均に寄って色々、買って来たのに。てか、別に今、全部食べる必要はないだろ」


「あそっか。じゃあ、先輩にあげる分はラッピングしますね。見て下さい、ちゃんとハート型にしたんですよ」


「ヒビ入ってるけど」


「なんでっ!? こんなの先輩にあげる訳にはいかへんし......やはり、ウチが食べちゃいましょう」


 とか何とか言いながら月見里は一番大きなひび割れハートのチョコをバリバリ食べ始めた。何か前回のバレンタインもこんな感じだった気がする。

 というかそのチョコ、俺も作るのを手伝ったのだが。


「なぁ、五十六番? 勢いで作っちゃったけど、これどうするべきだと思う?」


 と、言って霊群は手の上の箱に視線を落とした。どうやらチョコの箱詰めをこの短期間で終わらせてしまったらしい。その箱には可愛らしくリボンが結ばれていた。


「不知火先輩に渡せよ」


 霊群の想い人であり、彼の隣人である毒舌美少女、不知火望奈。俺は片手で数えるほどしか会ったことがないが、霊群にとっては自分の小説のヒロインにするくらい大切な人の筈だ。チョコをあげるにはもってこいの相手だろう。


「......いやぁ」


「レイグン様ね、ぬい先輩と絶賛、関係悪化中なの」


「何があったんだよ」


「まあ、色々......。アズアズ、要る?」


「えー? その余り物押し付けるみたいな雰囲気で渡されるの嫌だなあ。まあ貰いますけど」


「貰い手が現れて良かったな」


「......ははは」


 ガラにも無く落ち込んだ様子で乾いた笑みを浮かべる霊群。どうやら、想い人と相当、トラブったらしい。後で話を聞いてやろう。

 そう思いながら俺は周囲に目を向けた。ルミと北里がお互いにチョコを贈り合っている。微笑ましい。それに対して、ヴィクトリアと井立田のカップルは何故か罵り合っている。最早、あの二人の喧嘩は様式美と言える。


「だから、俺はお前に何もするなって言ったんだよ! めっちゃ表面に模様浮いてるじゃねえか!」


「ゴタゴタうるさいですわね......。ちょっと模様が付いてるくらいなんですの。もぐんぐ......ほら、美味しいですわ!」


「溶かす前のチョコを食って美味い美味い言ってた馬鹿舌にはそりゃ上手く感じるだろうなあ!?」


 家庭科室の中に響き渡るヴィクトリアと井立田の声。

 『ホワイトデーくらい仲良くすれば良いのに』とルミが溜息を吐いていた。まあ、アレが彼らなりの『仲良くする』という行為なのかもしれないが。


「あそこは相変わらずね......。はい、貴方が欲しがっていたもの」


 俺の所へやってきたアーデルは俺と同じようにヴィクトリア達を見て少し笑うと、片手で少し投げやりに赤茶色の包装紙に包まれた箱を突き出してきた。赤いリボンが結ばれたその箱を見た俺は思わず声を上げる。


「おお......! おおっ......! ダンケ! 有り難く頂戴します!」


 俺は恭しく彼女の手からそれを受け取った。チョコと箱以外の質量を感じる。


「どういたしまして。ソビエトに手伝って貰ったから食べられる物にはなっていると思うわ」


 ツンとした態度を崩さないまま彼女はそう付け加えた。ふと、ソ連の方に目を向ける。チョコをもぐもぐと食べていた。二人で作ったチョコなので半分に分けたのだろう。......そう言えば、俺も月見里と作ったよな。


「月見里、俺の分は? アーデルにお返ししたいんだけど」


 何処から用意したのか、ペットボトルの珈琲と共に出来たばかりのチョコを堪能している彼女に聞いた。


「やっぱり、チョコとコーヒーは相性抜群ですね......。はいこれ、先輩の分。先輩の分というか、フォーゲルさんの分ですね」


 彼女はテーブルの上の小さな水色の包装紙に包まれた箱を俺に手渡してきた。ただ、チョコを貪っていただけのように見えたが、ちゃんと箱詰めもしておいてくれたらしい。


「サンキュー、月見里。そしてはい、アーデル」


 俺は月見里から受け取ったチョコをアーデルに渡した。問屋の仕事をしている気分だ。


「Danke.」


「ウチが製作に関わったチョコがお返しとしてフォーゲルさんに渡されるの、何か変な感じがしますね」


「マヒル、毒を盛ったりしてないわよね」


「人を何だと思ってるんですか。してませんよ。こうしてウチが同じチョコを食べてるじゃないですか」


「マヒルって毒とか効かなそうだから」


「......先輩、この人の口に直で毒ぶち込んだっても良いですか」


「一応、これ、ジョン先生にお願いして文芸部としてやってる調理実習なんだよ。死者を出したら部活が存続出来なくなるからやめてくれ」


「止めるポイント何か、おかしくないですか」


 そんなやり取りをしながら笑っていると、不意にアーデルが俺の肩をつついてきた。俺はどうしたんだと彼女の方を見る。何やら顔を赤らめて視線を落としていた。


「......貴方に渡したチョコの入った箱、ちょっと開けてみてくれるかしら」


「ん。ああ、分かった」


 何処かよそよそしい彼女の態度を不思議に思いながらも、俺は出来るだけ丁寧にリボンを解き、ラッピング用紙を外していった。


「フォーゲルさんこそ、何か変なもんでも入れたんじゃないでしょうね」


「......別に」


「え、何、その反応。ホンマに変なもん入れたんですか?」


 とか何とか彼女らが言い合うのを聞きながら俺が箱を開けると、其処にはプラスチックの容器に入ったチョコの上に一枚のカードのようなものが添えられていた。俺は首を傾げながらそれを手に取る。


「何これ。原材料表示? 俺、アレルギーとかないから大丈夫だけど」


「な訳ないでしょ。......メッセージカードよ。折角だし、書いてみようと思って」


 成る程、彼女の様子が先程からおかしかったのはこれを書いて箱の中に入れていたからか。基本的にいつもアーデルは余裕たっぷりなので、こんな風に恥じらっている彼女は希少である。顔を赤くしている可愛い彼女を見られて良かったと思う反面、俺もメッセージカードの一つや二つくらい書けば良かったと若干の後悔が襲ってきた。後で別で書いてみようか。


「あー、メッセージカードね......成る程」


 俺はジーッとそのカードに視線を送る。最初、俺がそれを原材料表記か何かかと勘違いしたのには理由がある。


「フォーゲルさん、ウチも読んでいいですか。どんな甘い言葉が並んでるのか気になります」


「良いわよ」


「どれどれー......?」


 そのメッセージカードを興味津々で覗き込んでくる月見里。しかし、彼女は直ぐに首を傾げることになった。


「何語ですかこれ」


「ドイツ語よ」


 即答するアーデル。そう、そのメッセージは仮名文字でもなければ漢字でもなく、明らかにアルファベットで書かれていたのだ。それも英語では見たことのないような、『ä』や『ö』のような文字もチラホラ見える。


「どうしてドイツ語で書いた」


「こっちの方が自分の想いを伝えられる気がして」


 想いどうこうの前に言語の壁にぶち当たっていることに気付いて欲しい。


「ま、まあ良いよ。じゃ、これどういう意味か教えて」


「嫌よ。恥ずかしい」


 食い気味に即答された。


「......帰ったら頑張って翻訳してみるか」

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