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94 チョコ


「美味しいわ。Danke schön、マスター」


 ソ連と一緒に夜の学校からたかさごまで移動した俺達は、『アーデルハイドちゃんが日本に戻ってきた記念』と称してマスターが焼いてくれたケーキを食べていた。チョコケーキを頬張りながら微笑むアーデルに思わず、俺の表情も緩んでしまう。

 

「口に合ったようで良かった。アーデルハイドちゃん、お帰り」


「ありがとう。......ねえ、マスター?」


「何かな」


「どうして貴方はそんなに私のことを気にしてくれるの? ケイがドイツに行くためのお金を工面してくれたのも貴方なんでしょう?」


「ソレンヌちゃんに金出せって脅されたから」


「え」


「嘘嘘、いや、半分くらい本当だけど......。君はソレンヌちゃんの友達であり、五六君の大切な人だからね。俺にとってソレンヌちゃんと五六君は家族って言うとアレだけど、それくらい大切な人だからさ」


 少し恥ずかしそうに笑うマスターの言葉にアーデルは何度か小さく頷いた。


「俺とマスターが家族かは置いといて、確かにマスターとソ連は家族みたいなもんですよね」


「まだ籍は入れてないんだけどねー」


「そんな日は一生来ねえから安心するのです」


「......そうかあ。ソレンヌちゃん、俺のこと嫌いかー」


「うわだっる。そういうノリ吐くほど嫌いなのです。お前のことが嫌いだったら今頃、こんな職場辞めてるに決まってんでしょ」


「ソレンヌちゃん!」


「抱きつくな暑苦しい。私は五六によく抱き付かせてるハイジと違って、そういうしょうもないスキンシップされたら容赦なく蹴りますからね」


「カハッ......蹴ってから言うな......よ」


 ナチュラルにイチャつき始めたマスターとソ連を眺めながら俺とアーデルは同じタイミングで紅茶を啜った。美味しい。身体が温まる。


「仲良いとは思ってたけど、マスターとケイって家族レベルに仲良かったのね」


「まあ、そこそこな。この店がオープンしてからそこそこ直ぐに働き始めたから。開店早々、経営難になっていたこの店の再建をマスターと二人三脚でやったソ連程の関係ではないにしろ」


「大体、ソレンヌちゃんのお陰なんだけどね。ソレンヌちゃん、看板娘としての働きは勿論、上手いこと店を宣伝してお客さんを集めてくれたり、色々してくれたから」


 と、マスターが口を挟む。


「そそ。まあ、マスターの作るものが全部美味しいってのは大前提ですけど、客を呼んで定着させたのは全部、私の功績なのです。だから、マスターが新しいバイトを雇うとか言い出した時はキレそうになりましたよ。私じゃ不足かよ、って」


「いや、アレはソレンヌちゃんの負担を軽減してあげようと思って......」


「というか、結局、人事もソ連がやってたよな。俺、覚えてるぞ。ソ連に面接して貰って、ソ連にその場で合格言い渡されたの」


 マスターはソ連の横でちょこんと椅子に座っているだけだった気がする。


「『どうしても、バイトを雇うって言うならせめて、私に面接をさせろなのです』って言われちゃってね。大変だったんだよ? 渓君が来るまでに何人も優秀そうな子をソレンヌちゃんが落としちゃって」


「......へぇ、つまり、逆に言えば、ケイはソビエトのお眼鏡に適った訳ね。どうして?」


「別に大した理由はねえのです。当時の五六、めっちゃ暗くて第一印象は良くなかったんですけど......何か、悪い奴じゃない気がしたんですよね。金銭的にも困ってるみたいなこと言ってたんで慈悲をくれてやっただけなのです」


「ふうん。成る程......ケイのこと、助けてくれてありがとうね」


「お前は五六の親か何かですか」


 ソ連が苦笑する。アーデルのママ適正が高いのは確かである。


「というか、ソビエトが定期的にゲンキュウする、『暗かった頃のケイ』気になるわね」


「あー、気になります? あの頃の五六は冗談の一つも言わないクソ真面目な奴でしてね......」


「頼むからそれ以上、何も言わないでくれ。半分、黒歴史みたいなもんだから」


 前の自分が嫌いという訳ではないが、あまりアーデルには知られたくなかった。


「今も黒歴史みたいなもんでしょ、お前は」


「......そう言えばこのチョコケーキで思い出したんだが」


「おい無視すんななのです。そして、露骨に話を変えようとすんな」


 と、抗議するソ連をスルーしつつ俺はアーデルに掌を向けた。


「何この手は」


「チョコ」


「は?」


「バレンタインチョコ。ずっと、楽しみにしてたのにアーデルがドイツに行ってたせいで貰えなかった」


「......あー」


 アーデルは明らかに面倒臭そうな表情で俺から目を逸らす。しかし、俺も負けじと彼女の目を追った。


「......マヒルに貰ったでしょ?」


「貰ったけど月見里に『よくよく考えたんですけど、ハート型のチョコなんて貰ったら先輩、色々とキツいですよね。ウチが原型なくしてあげますよ』とか何とか言われて、八割くらいその場で食われた」


 多分だが、あの行為の理由は照れ隠しではなくただの食欲だったと思う。


「マヒル何やってるのよ......。他の子はくれなかったの?」


「蜂須賀が皆に義理チョコを配ってたのを貰ったくらいだな」


「そう」


「で、アーデル、チョコいつくれるの?」


「千円くらい渡すからその辺で買ってきてくれない?」


「嫌だよ生々しい!」


 せめて、買ってきたものを渡して欲しい。


「というか、前も言った気がするけれど、ドイツのバレンタインではプレゼントを渡すのは男の方だからね」


「でも、その時、アーデル、郷に入っては郷に従えだから、何かくれるみたいなこと言ってたぞ」


「何でそんなことまで覚えてるのよ。私、忘れてたわよそれ」


「因みにその時、俺はアーデルが欲しいって言った」


「確かにチョコより一日デートとかの方が助かるわね」


「俺としてはそっちの方が嬉しいけど......。どうして、そんなにチョコを渡すのを嫌がるんだよ。ちゃんと、お返しはするぞ?」


 俺がそう問うと彼女は『んんぅ......』と可愛らしい呻き声をあげて顔を赤く染めながら俯いた。


「......日本に帰ってきた時、貴方にあげようと思って、ドイツで何度かチョコを作ったんだけど、全部失敗したせいでトラウマになってるのよ」


「え」


「料理はかなり出来る自負があったから、かなりショックだったわ。大体、何? どうして、一度、固まっていたチョコを溶かしてからまた固めないといけないのよ」


 珍しくご乱心のアーデルに俺が何と言って良いのか分からずに困惑していると、ソ連がクスクスと笑った。


「馬鹿ですね、ハイジは。五六はハイジからチョコを貰うという事実が欲しいだけなので失敗したチョコでも何でもいいからあげれば良いのです」


「......そういう貴方はマスターにあげたの?」


「何で私がマスターにチョコをやらないといけねえのですか」


「確かバレンタインの時は俺が今日と同じチョコケーキをソレンヌちゃんに焼いたよね。渓君もアーデルハイドちゃんのために何かお菓子使ったら?」


 と、マスターがニコニコしながら言った。チョコをねだったマスターに対してソ連が『逆にお前が寄越せなのです』みたいなことを言ったのだろう。


「もう直ぐホワイトデーだし、アーデルと一緒にチョコ作るか」


「......お気遣い感謝するわ」


 珍しくアーデルが溜息を吐いていた。

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