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93/103

93 再確認


 立ち上がった俺に急に身体を抱き寄せられ、キスをされたかと思えば、突如、俺の言葉をツラツラと聞かされ始めたアーデル。彼女はその一瞬の出来事をまだ頭の中で処理できていないらしかった。


「これからも愛想を尽かすまで、アーデルが俺を好きじゃなくなるときまで、俺と一緒に居て欲しい」


 そう言って俺は彼女に頭を下げる。緊張のせいだろうか。頭を動かすと、少しだけ痛かった。


「......付き合いたい、ってこと?」


 その問いに俺はかぶりを振った。


「前まではそう思ってたんだけどな。アーデルに提示された条件のことをどうやったら満たせるか、ずっと考えたりして」


 告白に相応しい時と場所で、自分を頷かせるような告白をしろ、アーデルはドイツで俺にそう言った。どれも、俺が今までマトモに考えたことのないものだったのでそれはそれは悩まされたものだ。


「今は違うの?」


「ああ。付き合ってる訳でもないのに、こうやって急にアーデルにキスをしても怒られない関係......何か、付き合ってるよりも燃えるというか、特別というか、エロい気がして」


「エロいで台無し。......まあ、そうかもね。今更、付き合うとかよく分からないし。交際、というのも目には見えないものだけど、私達はもっと見えない、言語化すら出来ないような関係で結び付けられている気がするわ」


「俺はその『見えない、言語化すら出来ないような関係』を再確認したかったんだ。俺達、付き合ってる訳ではないけど、お互いがお互いのことを好きな間は一緒に居よう、って」


 自分でも自分が何を言っているのかよく分からなかった。きっと、明日になったら昨日の自分は何を言っていたのかと後悔するかもしれない。それでも良かった。


「......普通に付き合おうって言われてても受け入れてたんだけど。ケイがそれでいいなら、私は構わないわ。その代わり、頑張ってね。私がケイに愛想を尽かさないように」


「おう。頑張る」


 アーデルは『私も頑張るわ』と、言いながらニコリと笑う。彼女の満面の笑みはかなり珍しい。


「あの、きちんと言えてなかったから改めて言うけど......ドイツまで私を追いかけてきてくれてありがとう。嬉しかった。日本に比べて孤独で、つまらなくて、ストレスでおかしくなりそうになっていた私を救ってくれてありがとう」


「ドイツまで追いかけてくるなんて気持ち悪い、って拒絶されるのも覚悟の上で行ったから、そんなことにならなくて良かったよ」


「そんなこと言わないわよ。軽く引きはしたけどね。......それに、私、貴方のお陰でドイツのことを好きになれたの」


「というと?」


 俺がアーデルをドイツから連れ戻したことと、アーデルがドイツを好きになること、あまり関連性があるようには思えなかった。


「私、昔は自分の国があまり好きじゃなかったの。友達が殆ど出来なくて、虐められることもしばしばで、つまらない日常を送らされていたドイツが嫌いですらあった。でも、日本で貴方に会って、過ごしていくうちにドイツへの帰属意識が生まれてきたって言うのかしら。ドイツの文化が段々と好きになっていったの。貴方がドイツの文化に興味を示してくれたから、ってのもあると思う」


 意外だった。アーデルといえば、ドイツ。ドイツといえば、アーデル......という程に日本に来てからの彼女はドイツ人としてのアイデンティティを大切にしているように見えた。この一年で日本の文化をどんどん吸収していったアーデルだが、彼女がドイツ人としての自分を忘れたことはなかったのではないだろうか。それくらい彼女はいつも、ドイツ人としての自分を表現していた。

 それだけに、彼女がドイツを好きではなかった、というのは衝撃的だったのだ。


「成る程なぁ......ああ、でも、俺もドイツに行ってる間、自分が日本人であることを実感したよ。何もかも、は言い過ぎだが、結構、日本と違うところがあってさ」


 世界史上、異民族に支配されることで被支配民族の民族意識が成長する、というのはよく聞く話だが、それに近いものがある気がする。


「でしょ? だから私、日本に来てから結構、苦労したのよ」


「それに関しては非常に尊敬しております。俺が明日からドイツで暮らしていくとか無理だし」


 アーデルだけじゃなく、ソ連やヴィクトリア、ルミなんかもそうだが、海外から来た奴らは本当によく日本のシステムに順応していると思う。


「無理、じゃ困るわよ。私と結婚したらドイツに住むことになるかもしれないんだから」


「あー......確かに」


 今のうちにドイツの社会について勉強しておく必要があるかもしれない。


「いや、ツッコミ待ちだったんだけど。......まだ、結婚とかその辺りはフワッとさせておいてくれていいから」


 と、少し引き気味に言うアーデル。冗談か冗談じゃないかのギリギリのラインを攻めるのはやめて欲しい。


「アーデル、まだ高一だもんな」


「ええ。そんなのを考えるのはお互いが大学生になってからでも遅くないわ。その時までこのよく分からない関係が続いているかも分からないし。......あ、でも、貴方とはまたドイツへ旅行に行きたいわね。私も年に一回帰省しろとか言われてるし。それまでにドイツ語を仕込んであげるわ」


「ああ、頼む。次はルドルフ君とちゃんと喋りたいしな。アーデルとのドイツ語レッスンなんか楽しそうだし」


「それは良かった。ケイの受験勉強の休憩時間に、ドイツ語の勉強させるから覚悟しておいて」


 彼女は機嫌良さげにクスリと笑った。今日の彼女はよく笑う。そんな彼女を見ていると、自然と笑みが溢れた。


「さっきの強引なキス、貴方にしては悪くなかったわよ」


 ふと、思いついた様に彼女はそう言った。


「もしかして、もっと強引になっても良い感じ?」


「私は構わないけど? 貴方の強引って、程度が知れてるし」


「さっき、いきなりキスしたらめちゃくちゃドキドキしてた癖に」


「アレはちょっと、驚いただけ。それに貴方も同じことをされたら、ああなるでしょ」


 ムッとした様子でアーデルは言い返す。俺はそんな彼女に近付き、再び、彼女を抱きしめながらキスをした。


「......タイミング」


 少し苛立った様子で彼女は言う。


「ごめん。何か可愛かったから」


「本当に下手くそね。急にキスするのも、繰り返したらつまらな......んぅ、しつこい」


 俺の顔を彼女は無理矢理、引き剥がすと俺の額にデコピンをした。


「強引になってもいいって」


「時と場は弁えて。ここ、学校よ」


「この部室、昼でも誰も来ないんだから夜に来る訳ないって」


「......確かに」


 イチリあるわね、と彼女は顔を赤らめ、目線をあちらこちらに飛ばしながら呟くように言う。


「ということで、スキンシップ続行させて下さい」


「......Na gut.」


 ナーグットゥ、の意味は分からないが、恐らく了承の意なのだろう。彼女は溜息を吐くと好きにしろと言わんばかりに手を左右に広げた。

 俺が彼女に抱きつくと、彼女はゆっくりと自分から地面に倒れ込んだ。俺はそれにつられて彼女と一緒に倒れてしまう。


「アーデル、頭打ってないか。大丈夫?」


「大丈夫よ......寒いからちょっと、抱き締めて」


「ドイツの方が寒かったけど」


「向こうにいた時は防寒対策してたのよ。ほら、早く」


 俺は彼女に言われるがまま、倒れ込んだ彼女を同じく倒れ込みながら抱き締めた......。

 その時だった。ガタンガタンという大きな音が突如、部室全体に響き始め、何処からともなく大きな声が聞こえてきたのは。


「ああああああああああああ! 限界! 限界なのです! 何やってんですかテメエら!」


「出たああああああああああああああああああ!」


 俺は突如、聞こえてきたアーデル以外の女の声に絶叫し、這うように部室から出ようとした。しかし、足をアーデルに掴まれてしまい、身動きが取れなくなる。


「何、私を置いて逃げようとしてるのよ」


「いやだって! アーデル、アレ、ヤバいって! ポル、ポルターなんちゃら!」


「Poltergeist、ね。いや、確かにヤバいけど......何やってるのよソビエト、こんなところで」


「......ソビエト?」


 そういえば先ほど、幽霊には似つかわしくない『なのです』とかいう語尾が聞こえてきた気がしたが。俺は首を傾げながら立ち上がり、振り返ると、そこには俺のことを血走った目で睨み付けているたかさごの制服姿のソ連が居た。


「うっわ、ホンマにソ連やん。何やってんだよお前」


 ある意味、幽霊より恐ろしい存在がそこにはいた。


「いや、それはこっちの台詞ですからね。私はバイトが早めに終わったんで学校に忘れ物を取りに来てただけなのです。その帰り道、お前らが部室の方に歩いていくのが見えたので先回りしてやろうと部室に潜んでたんですが......何か、お前らがドアの前で凄いイチャイチャしてたんで、出るに出れずっと机の下に隠れてたのです」


 そう言ってソ連は自分が出てきた部室の奥の机を指差す。蛍光灯の光が弱く、部屋の中が薄暗かったのが原因だろうか。全く、気付かなかった。


「部室の扉が開いてたのはお前が原因かよ......」


「いや、そのやれやれ、みたいな顔をしたいのは私の方なのです。何ですか今のは。ちょっとイチャイチャしてるだけなら見なかったことにしてやろうと思ってましたが、急に学校の中で変なこと始めようとするななのです」


「ただのスキンシップじゃない。こんな寒い部屋で服を脱げる訳ないし、そんなおかしなことをしようとはしてないわよ」


「ソ連、変なことって何?」


「......うっさい、変態。元カレのキスシーンを何度も見させられたこっちの身にもなって欲しいのです」


 彼女は不満そうな表情で頬を膨らませながら俺の額にデコピンをしてきた。さっき、アーデルがしてきたのよりも痛い。


「お前、別に過去も今も俺のこと好きじゃなかったやろ」


「まあ」


「部分的にでも良いから否定して欲しかった」


「昔、付き合ってた頃はほんの少しだけ好きでしたよ。今はもう何か、ハイジの旦那というか、真昼の愛人みたいな感じなので恋愛対象としては興味ないのです」


 コイツ、言わない方が良いことばかり言っている。


「俺もお前、マスターの嫁って感じだから興味なくなったよ。てか、俺と付き合ってた頃からマスターの方が好きだっただろ」


「いや......別にお前のことを弄ぶつもりじゃなかったのです。少なからず、私もお前に興味ありましたし、一応、試してやろうみたいな?」


 少しバツが悪そうに話すソ連。別に此方はそんなこと、気にしていないのだが。こう、何やかんや繊細というか、細やかなところがソ連の良いところだ。


「でもまあ、俺はソ連と付き合ってよかったよ。付き合って、円満に別れたことがソ連と俺の関係をより強くした気がする」


「何ですかそれキショ」


「ういうい、これからも親友として宜しくな」


「そのノリだっるいのです。ま、お前のことは悪友程度に思っておくのです。あ、アーデルに飽きたらまた付き合ってやっても良いですからね」


 ペロリと舌を出してわざとらしく俺を誘惑するように言うソ連。正直、可愛い。可愛いが、人妻好きではないのでそれ以上の感情が湧かない。


「私に嫌がらせしてるつもりだろうけど、貴方は絶対にそういうことしないって確信出来るからあまりフカイカンが無いわね」


「その信頼はどっから来るのです」


「貴方のマスターへのLiebe、愛よ」


「何でお前らはいつも私とマスターをくっ付けようとするのです。......ねえそんなに私、マスターのこと好き感出てる?」


 俺達以外に聞こえるわけないのに、ソ連は声を小さくして聞いてくる。彼女の顔はいつものふてぶてしいものから、顔を赤くした恋する乙女の表情に変わっていた。


「だってソ連、バイト終わってからもずっとマスターと居るじゃん」


「たまにマスターの家に泊まってるってのも聞くわね」


「バイト終わってからもあそこに残ってると、マスターが夜ご飯作ってくれるんですよ。後、マスターの家は喫茶店の上にあるので実質仮眠スペースみたいなもんです」


「にしても好きでもない男とそんなにベッタリ一緒に居る訳ないじゃない」


「......チッ。はあ、帰りましょうか。あ、二人も寄ってくださいね。マスターがハイジにケーキ焼いてたんで」


「たかさごに行くことお前、『帰る』って言うんだ」


「たかさごから学校に来たんですから、私は『たかさごに帰る』か『たかさごに戻る』あたりが正しい表現なんですよ。揚げ足を取るな」


 と、彼女は俺の頬をギュッとつねる。やはり、アーデルがスキンシップの一環として俺をつねるのとは訳が違う。めちゃくちゃ痛かった。


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