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92 柄にもなく


 それからも気の向くままに街の中を歩いていた俺達。偶然か、はたまた何かしら必然になる要素があったのかは分からないが、気がつくと見覚えのある建物の前に来てしまっていた。


「......あれ、学校やん」


 どうやら、先程まで俺達が歩いていた道はウチの学校の前の大通りに繋がっていたらしい。いつも決まった道しか使わないので知らなかった。


「本当ね。何だかこの高校を見るのも久しぶりで懐かしいわ」


「ちょっと、入ってみるか」


 俺はそう言いながら鍵のかかっていない門を開け、中に入っていく。当たり前だが、いつも運動場で練習をしている陸上部やサッカー部の姿は既に無く、不気味な静けさが学校中に広がっていた。


「......大丈夫なの?」

 

「グレー。特別な許可が降りてる部活と委員会だけ、活動が出来る時間だ」


「私達は普通にBlackじゃない。Schwarzよ、Schwarz」


「ドイツ語で黒ってシュヴァルツって言うのか。カッコいいな」


 とか何とか言いながら、俺達はどうにか校内まで侵入することに成功した。上の階から微かに楽器の音が聞こえてくる。軽音か吹奏楽部が練習をしているらしい。良かった。彼らのお陰で教師に見つかっても怪しまれることはなさそうだ。


「どこに行く気?」


「部室」


「鍵は?」


「面倒臭いから職員室に返さずにずっと、俺が持ってる」


 俺は財布のキーケースの中に家の鍵と一緒に収納してある部室の鍵を見せた。


「この学校の鍵の管理体制、ズサンね......」


「大して使われてない教室だからスルーされてるんだろうな。もう一個、スペアの鍵もあるし」


 下駄箱や職員室、学生達のホームルーム教室など主要な教室が集中している校舎の南側から北側へと歩き、更にそこから幾つかの曲がり角を曲がって、その部室へはやっと、辿り着いた。節電のためか何だか知らないが、頼りない光を放つ蛍光灯しか、真っ暗な廊下を照らしてくれるものが無かったため、いつもより到着するのに時間がかかってしまった。


「夜の学校、って何か気味悪いよな。微かに吹奏楽部の演奏が聞こえるからまだマシだが」


「......あの演奏、本当に人間がしているのかしら」


「・・・・」


 俺は無言でアーデルを睨みつけたのち、彼女にピトッとくっ付いた。彼女のタチの悪い冗談だと分かっていても、震えが収まらない。


「お化け屋敷みたいな家に住んでおきながら今更、何を怖がっているのよ。あの家、夜とか普通に怖くない? 広いし、和室多いし、たまに私もケイも寝てる時に廊下で足音するし」


「あの、マジで洒落になんねえからやめて。もうあの家に住めなくなる」


「今日からトイレに行く時は私が一緒に行ってあげましょうか」


「いや、流石に情けないから......」


「そうよね、ケイは私よりも年上だものね」


「......マジで動けなくなった時は付いてきて。漏らす方が情けない」


 今日、一人で眠れるだろうか。アーデルは一緒に寝ようと言ったら受け入れてくれるだろうか、そんなことを考えながら俺は鍵を部室の鍵穴に刺す。しかし、右側に回してもガチャリという音がしない。どうやら、元から開いていたらしい。......あ、俺の鍵のかけ忘れか。

 しかし、俺はそこで扉を開けることなく立ち止まってしまう。


「何してるの? 開かないの?」


「いや」


「じゃあ、開けて」


「嫌」


「今の『いや』は完全にキョゼツの『嫌』だったわね。どうしたの? 嫌なことでもあった?」


「そのよく分からん子供扱いやめて。......いや、そうじゃなくて、あの、アーデルさん、ほら、レディファーストだし、先に開けていいよ」


「私、レディファーストとか嫌いだからケイが先に開けていいわよ。......というか、ケイってレディファーストとかいうタイプじゃないでしょ」


「アーデルファーストではあるよ。大体、アーデルを一番に考えてる。だから、先に開けて」


「何で」


「......中に何か居たら嫌やん」


「何かって何よ」


「いや、知らんけど、何かという言葉でしか名状しがたいアレだよ。開けた瞬間、暗闇の中の何かと目があったりしたら怖いだろ」

 

「ケイってそんなにビビりだったっけ」


「......普段は暗闇でも、ホラゲーでも、何でも怖くないんだが、アーデルが変なこと言うせいで怖くなった。てか、アーデルはそういうの怖くないのか」


「一番怖いのは災害と人間だから。あ、後、感染症とかも怖い」


「めっちゃリアリストだな......」


 俺の中のドイツ人のイメージにはかなり合致する。


「でも、一番怖いのは人間なんだから中に血走った目つきのマヒルが居て、扉を開けた瞬間、睨んできたりしたら怖いわね」


「お前ら、お互いにちょっとずつイジリあってるよな」


「実は結構、仲良いのよ、私達」


 なんて言いながら彼女は『仕方ないわね』と、俺に代わって部室の扉を開けた。当たり前だが、部室の中には闇が広がっており、何も見えない。良かった。何も見えなくて良かった。そう思いながら俺は急いで電気をつける。


「よーし、制圧完了! 何も居ない!」


 外と同じく、蛍光灯は頼りない光しか放っておらず、部屋の中はかなり薄暗いが、それでも電気がついていないのと、いるのとでは大違いだった。


「さっき暗闇の中で光る目がこっち見てたの気付かなかった?」


「その手には引っかからんぞ」


「......わっ」


「ヒイッ!?」


「......ださ」


 からかうような口調ではなく、ただ、ひたすらに俺に呆れ返るような口調で彼女はそう吐き捨てた。


「・・・・」


「ちょっと喜んでるでしょ」


「アーデルにおどかされた心臓のバクバクとアーデルの罵倒による興奮が吊り橋効果というか、相乗効果みたいになってとんでもないことになってる」


「......あー、こんな男だったかしら。私がドイツで想い続けてた男は」


 アーデルはまるで現実から目を逸らすように、俺から目を逸らし、そのまま机の前に置いてある椅子に座った。


「俺がずっと、不貞腐れたり、病んだりしながらも想ってたアーデルは間違いなくお前なんだけどな」


「そう」


「そう、やめろ」


「何だか最近、ケイに魅力を感じなくなって来たのよね。思えば、ドイツまで来てくれた時がピークだったわ。付き合ったことにしてなくて正解だったかもしれないわねこれ」


「・・・・」


「ケイってほら、あんまりカッコよくないし、何やかんや未だにマヒルのことはフワッとさせてるヘタレだし、恋愛だっていっつも受け身で......」


「・・・・」


 言葉を失い、必死に身体の震えを止めようとする俺に彼女は溜息を吐いた。


「......嘘よ。嘘に決まっているじゃない。だから、今にも泣きそうな顔するのはやめて。何? 貴方にとって、私ってこんなこと言う人間だったの?」


「......いや、全部事実だなと思って。アーデルって学校中にファンがいるレベルのスーパー美少女だからさ。いつ見ても可愛くて、いつ話しても楽しくて、いつでも恋愛において主導権を握ってくれる、ハイスペックなアーデルと俺......冷めたって言われたらもう、何か言い返せないから」


 ポツリポツリと言葉を紡いでいく俺にアーデルは若干呆れたような視線を向けつつ、再び、溜息を吐いて口を開いた。


「いや、そんなこと考えてたの貴方。私は対等な関係のつもりだったんだけど。......いつか言わなかったっけ。私、貴方の為なら大抵のものは捨てられるのよ。そうね、自分の命くらいなら......結構、悩むけど捨てられると思うわ」


「重いし、自分の命は大切にして欲しい」


「それくらい好きってことよ。......ごめんね、だからそんな貴方を虐めて楽しんだ私のことを許して」


「アーさん、最近、Sっ気強くなってきてない?」


「貴方には私のことを心の奥から考えていて欲しいの。そのためには不安感や、焦燥感が一番効くでしょ?」


「行動もだけど、行動理由が一番、怖い。......てか、アーデルも変わったな。前はお互いを拘束したくないから付き合うのは嫌、みたいなこと言ってたのに」


 俺とアーデルが互いの気持ちを知りながらも『付き合う』という選択を取らなかった理由の一つ、それはアーデルの『相手を拘束したくない』という考えによるものだった。

 お互いに本当に相手のことが好きならば浮気など起きない。逆に言えば、相手のことを本当に好きでなくなったときに浮気は起きる。ならば、そんな相手を浮気と糾弾してまで関係を続けようとは思わない。という、何ともアーデルらしいというか、何というか割り切った考えを過去の彼女は俺に突き付けたのだ。


「だからこそ、よ。私は別に貴方が明日からマヒルと付き合い始めても別に......そんなに......まあ、怒ったりしないわ。貴方の自由ですもの」


「言い切るまでに結構な間があったな」


「兎に角、私は貴方の気持ちを拘束するつもりはない。ただ、私は貴方に私のことを想ってほしい。だから、そのための戦略を実行しているだけ」


「な、成る程......」


「逆に貴方は私に自分のことをずっと、想っていて欲しいと思うことはないの?」 


 アーデルは少し不満そうな表情で椅子を立ち、立っている俺の方に近づいて来て、そう言った。まるで、問い詰めるようなその口調に俺は慎重に言葉を選びながら答える。


「ないわけじゃないけど、何て言うんだろな。ほら、俺はアーデルのことを好きって感情を処理するのでいっぱいだから」


「・・・・」


「この回答じゃ不満か?」


「別に。......そうよね。貴方、私のこと好きなんだものね。なら、そんなにヤッキになって色々、する必要はないか」


「そういうこと」


「でも、単純に貴方の困った顔を見るのは好きだから定期的に虐めるわね」


「あっれー」


「虐めた後にしっかり甘やかしてあげるから。ケイ、甘やかされるの好きでしょ? ほら、バブみがどうとか」


「虐めてから甘やかすとか、完全にDVと同じ手口」


 でも、それも悪くないな、なんて思いながら俺は彼女の目をまっすぐ見た。


「どうしたの?」


「......やっとの思いで日本の地でアーデルと再会し、その日の夕方に良い雰囲気の中、街を歩き、夜の学校に忍び込んで部室へ侵入。どう考えてもしっとりとしたロマンチックな雰囲気になる筈の展開なのに、どうして俺達はいつもこうなるんだろうな」


 俺は大きな溜息を吐きながら背後の机の前に置いてあった椅子に腰掛けた。何処からおかしくなったんだろうか。少なくとも二人で西陽を見た時はこう、センチメンタルな気分になっていて、中々、良い雰囲気だった筈だ。

 ただ、身長の話で盛り上がったところで若干、雲行きが怪しくなり、アーデルが夜の学校で俺を怖がらせ始めたことで決定的にその良い雰囲気が壊れてしまったように思う。


「大体、ケイのせいだと思うわよ」


「何故」


「ケイってこう、深刻な場面でも大体、深刻そうにしないじゃない。常に余裕ぶった口調で面白おかしくツッコミを入れたり、ボケたり」


「......心当たりがないでもないかもしれない」


「貴方ってそういう意味で底が見えないのよね。感情的になること、殆どないじゃない」


「底が見えないというか、底が元からないというか......俺は基本的に感情剥き出しのつもりなんだが。ほら、いっつもアーデルに好き好き言ってるだろ」


「そういうのじゃなくて、貴方、何があってももあまり怒らないし、何があっても悲しそうにしたりしないじゃない」


「......母さんに大阪に帰ってこいだの何だの言われたときはアーデルに逆ギレするくらいキレてたし、アーデルがドイツに行ってからは廃人同然くらい絶望してた」

  

「あー、そんなこともあったわね。あの逆ギレ、今でも覚えてるわ。ケイって怒りという感情あったんだなって思った」


「人をロボットか何かみたいに言うな」


「大丈夫? ストレスとか溜めてない?」


「ああ。大丈夫だし、そう言うアーデルだって俺に怒ったこと殆どないだろ」


「そりゃあ、私が貴方に本気で怒るようなことは別に......あっ」


「そういうこと」


「人間関係に恵まれてるのね、私達」


 アーデルが悟りを開いた僧のような目で何処か遠くを見つめながらそう呟く。実際、今の人間関係において怒るようなことは殆どない。本当、俺もアーデルもこの神奈川という見知らぬ地において良い友人達を作れて幸運だった。


「......因みにアーデル?」


「何」


「アーデルはもっと、ロマンチックな雰囲気を楽しみたいとか思うことある?」


 俺のその問いに彼女は少し驚いた様子で目を見開き、少し首を捻った。


「確かにそういうのに憧れないではないけれど、あんまり想像出来ないわね、ロマンチックな雰囲気の私達」


「俺のファーストキスだって、何かアーデルに押し倒されて無理矢理奪われたもんな」


 半年くらい前、少し錯乱した様子のアーデルは顔を真っ赤にしながら俺にキスをしてきた。あの時の彼女の様子は鮮明に覚えている。


「人のことを痴女みたいな言わないで。......まあ、そうね。少し、適当くらいが私達らしくて良いのかもね。適当過ぎる事が多いのも困るけれど」


「そうか」


 俺はそう言って席を立つと、再び、立っているアーデルの方へ近付いていった。心臓の鼓動が速くなるのよりも先に俺は彼女の体を抱き寄せ、彼女に戸惑う暇も与えずに彼女の唇にキスをした。


「......好きだ。お前と出会ってから今日に至るまでお前のお陰で本当に楽しかった。祖父が死んで、一人で神奈川で働きながら暮らすしかなかった俺にとって、お前の存在が心の支えだった」


「......へ。ぁ、J、Ja」


 突如、キスをされ、突如、俺から言葉を聞かされたアーデルは何が起こったのか分からない様子でそう言った。

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