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91 散歩


「......そう言えば、ソビエトとはまだ会ってなかったわね」


 散歩に出てから数分後、まだ振り向けば家が見えるくらいの距離を歩いたところでアーデルがそう呟いた。


「ソ連とマスターは仕事があるからアーデルを迎えにいけなかったんだよな。後で店に寄れって言ってたけど、行くか?」


 俺の言葉にアーデルは唸った。


「もう少し貴方と散歩をしたい気もするし、あのふてぶてしい態度のフランス人の顔を拝みに行きたい気もするわ」


「なら、もう少し時間が経ってから行くか。向こうもその方が客が少なくて楽だろうし」


「それもそうね」


 アーデルのその言葉を最後に俺達の会話は途絶えた。ひたすら無言で、ゆっくりと街の景色を視界に入れながら歩いていく。分かれ道があったときは俺と彼女のどちらかが片方の道を指差し、もう一方がそれに合わせて進路を決定した。

 殆ど会話のない散歩は日が完全に暮れてからも暫く続いた。その状況が気まずくない訳ではなかったが、不思議と心地良くもあった。


「あ、猫......」


 散歩を始めて、一時間くらいが経った頃、アーデルが不意に足を止めて、数メートル先を指差した。暗くてよく見えないが、確かにそこには黒猫が一匹居るらしい。その猫は逃げることなく様子を伺うように此方を見つめている。


「アーデルって猫好きだったっけ」


「私、動物は大体、何でも好きよ。昔はドイツで犬を飼っていたし」


 と言いながら彼女はゆっくりとその黒猫に近付いていく。が、彼女と猫の距離が一メートルあるかないかくらいにまで縮まったとき、その猫は不意に彼女に背を向けたかと思うと、猫特有のジャンプ力で道の横の塀に飛び乗り、そのまま姿を暗ませてしまった。

 アーデルは少し不満そうな表情を浮かべて俺の方を見る。


「......まあ、私にはこれがいるから良いか」


 どういう納得の仕方なんだ。


「俺、猫の代替品?」


「ええ。まあ、貴方は猫というより犬に近いかもしれないけれど」


「ええ、の一言で俺=猫or犬の等式が成り立つことを肯定しないで欲しい」


「可愛いもの、貴方。昔は格好良い、の方が強かった気もするけれど」


「えぇ〜」


 何食わぬ顔で彼女が放つ言葉は俺を複雑な気持ちにさせる。彼女が歩き出したのを見て、俺は心の整理が付かないままに彼女の後を追った。

 

「褒めてるのよ。不満?」


「......別に。アーデルに褒められて嬉しいなー」


「ま、ドイツまで来てくれたのは格好良いと思ったけどね」


「あ、やっぱり? せやろ?」


「でも、その後、私にベタベタくっついてきたのとかで帳消しになったわ」


「ごめんなさい」


「後、言葉も辿々しかったし。格好良さをアピールするならもっと、颯爽と現れてビシッとキメて欲しかったわ」


「やめて。それ結構、気にしててんから」


 アーデルと再会できた感動が大きすぎて、事前に脳内で行っていたシミュレーションの記憶が全て飛んでしまったのは軽くトラウマである。


「......まあ、私と貴方の立場が逆なら、私も同じようなことになってたでしょうけど。緊張し過ぎて数ヶ月ぶりに会う貴方とマトモに話せる自信がないわ」


「アーデルも俺にベタベタしてきてたってことか」


「いや、それは別にしてないと思う。......というか、する前に貴方がしてくるでしょ」


「言われてみれば確かに」


 そんな会話をしつつ、俺達は既に街灯の光が道を照らし始めた街をブラブラと歩く。先程までの無言の時間は減り、少しずつ、会話が増えていった。ほうと吐き出す息はまだ白い。どうやら、春はまだ少しだけ先のようだ。

 ならば、と俺はたまたま見かけたコンビニに入り、二つの肉まんを買ってきて一つを彼女に手渡した。


「冬の風物詩、って程でもないが、好きなんだよ。寒い冬の日の肉まん」


 そう言いながら俺は肉まんに包まれた紙を外し、まだ湯気を出しているそれにかぶりついた。アーデルは少しだけ困惑した様子を見せながらも、俺に続く。


「うん。ケイの地元で食べたやつも美味しかったけど、これも美味しいわね」


「口に合ったなら良かった。今年は中々、日本の冬をアーデルに楽しんで貰うことが出来なかったからさ。ちょっとでも、それを取り返したいなと思って」


「......Danke、って言っておくわ。謝罪の言葉とか、貴方は欲してないでしょうから」


 複雑そうな表情で俯きながら彼女はそう呟くと、俺から顔を逸らしてパクパクと肉まんを食べ始めた。


「どういたしまして。来年の冬はアーデルと色々やりたいなあ」


「ハツモウデに皆で行きたいわね。ケイの大学合格祈願もかねて」


「うわ、そうやん。俺、来年、受験生なんやった」


「本人が忘れてるのおかしいでしょ......。というか、もう勉強している人ならしている時期じゃない?」


 耳が痛い。アーデルとの再会とこれから始まる生活に想いを馳せて高揚していた気分が現実という名の冷水を掛けられて、冷めてしまった。


「いや、それを言うならアーデルも......ああ、クソッ。そういえば、アーデルは一年生なんだった」


「今更、何を間違えてるのよ」


「いや、先輩って呼んでくれる月見里は絶対に間違わないんだけど、アーデルはタメ口だし俺より大人びてるから同級生か先輩のように錯覚してしまうんだよ。......てか、アーデル、一年前まで中学生だったのか。何かそっちの方が現実味ねえな」


「ドイツには中学校ないけどね。ギムナジウムよ、Gymnasium」


「あぁ、そっか。学校制度も日本とドイツじゃ、全然、違うもんな」


 俺はそう言いながら彼女の頭から足までを観察する。言うまでもなく、彼女の冷静で何処か肝の据わった性格は彼女を大人びているように見せている要因の一つだ。

 しかし、彼女は内面だけでなく、その容姿も非常に成長している。その身長はまるで俺を超えるくらい......。


「アレ、超えてる? 超えてない? え? 待って、アーデル、何か身長伸びてない?」


 アーデルの身長は明らかに以前よりも伸びている......気がする。以前の彼女の身長をちゃんと確認していないが。


「貴方、何センチよ」


「160後半から170前半」


「振れ幅大き過ぎでしょ......。直近の身体測定の結果いくらよ」


「怖くて見てない」


 俺が結果を確認するまで、俺の中で俺の身長は無限の可能性を持つのである。


「因みに今の私は166くらいよ。去年の冬は163くらいだったからこの約一年で3センチくらい伸びてるわね」


「......伸び過ぎだろ」


 以前は毎日、会っていたから彼女の身長の変化に気付かなかっただけ、ということだろうか。それにしても、今の彼女の身長、自分よりも高い気がしてならない。ドイツ人女性の平均身長、どれくらいなんだろうか。


「意外。貴方、身長とか気にするタイプだったのね」


「......人並みには」


「そう。でも、ごめんなさい。私、今が成長期みたいだから。多分、来年か再来年くらいにはケイの身長、抜いてると思うわよ」


 勝ち誇った様子で小さなドヤ顔をするアーデル。少しだけ、ほんの少しだけイラッときた俺は視線を彼女の頭ではなく胸に移した。


「......こっちは去年のアーデルのままで安心した」


「身長が低すぎて目の高さが私の胸の辺りになってしまったの? 貴方も大変ね」


 そう言いながら彼女のドヤ顔はたちまち、怒りを我慢するための恐ろしげな微笑に変わる。一瞬でその返しを思いつくところにムカつくどころか、そこはかとないセンスを感じてしまった。


「......その未来がいずれ、本当に来そうで怖いよ」


「それは身長が抜かれたくないから? それとも、私の胸の高さに目があっても見るものがないから?」


 あ、めっちゃ、根に持ってる。


「前者。後者に関しては、今も、その時も俺のやることは目線を下げてアーデルの足を見ることだからアーデルが巨人にならない限り、何も変わらない」


「......ドイツにいる間に色々と思い出補正入ってたけど、この男、ただの足フェチのHENTAIだったわね。忘れてたわ」


 アーデルは何処か諦観の入った視線を俺に向けながら溜息を吐く。思い出補正の入った俺、どんな感じだったんだろうか。


「部室でソーセージを茹でるようなドイツ人に言われたくない。どう考えてもあの部屋、火器厳禁だろ」


「また懐かしい話を......いつの話よそれ」


「お前と初めて会ってすぐの事だよ」


「あー、そうだったかしら」


 俺の中ではかなりショッキングなイベントとして記憶されているのだが、彼女の中ではそうでもないらしい。


「あの頃と比べると、アーデル、相当、落ち着いたよな」


「そう? 次の部活では私が帰ってきた祝いとして、皆で部室でバーベキューでもしようと思ってたんだけど」


「流石に煙が出る系は教員にバレるからやめて。何か火災報知器に引っかかりそうだし」


「煙が出ないタイプのホットプレートが姉さんの家にあるわ。取ってきましょう」


「匂いとかでバレるだろ」


「Ah〜」


 というか、どうしてコイツは何でも部室でやりたがるんだ。


「パーティーがしたいなら、閉店後のたかさごでも使わせて貰えば良いだろ」


「マスターに迷惑をかけるのはシノビナイわ」


「どういう倫理観してんだお前」


 俺がそうツッコむと彼女はクスクスと笑い出した。


「たまにはボケの方も楽しいわね」


「アーデルのボケは、ボケなのかガチなのかよく分からないからやめて欲しい」


「半々で喋ってるわ」


「あのなあ......」


 しかし、この次から次に訳の分からないことを言い出すアーデルに俺がツッコむという状況も若干、懐かしい。最近こそ、俺がアーデルにツッコまれることの方が多くなっていたが、俺と彼女が出会った頃はその逆が多かった。出会ったばかりの頃の俺達のことを思い出すと、次から次に色んな記憶が溢れてきて、何故か泣いてしまいそうになる。


「どうしたの? 何処か痛い?」


 突如、感傷に浸り出した俺を心配そうにアーデルは見つめる。そんな彼女を見ていると、自然と笑みが溢れるのが分かった。


「心が少し」


「え? あ、ごめん。 そんなに身長からかわれたの嫌だった? 大丈夫、ケイもまだ高校生なんだからこれから伸びるわよ」


「それは別に気にしてないし、フォローされると何か惨めになるからやめて」


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