9 絡まれ
「おい、お前」
翌日、俺は早めに登校すると同じクラスの男子に話し掛けられた。確か名字は谷口......だったか。殆ど話したことがないので下の名前は忘れてしまった。
「あ?」
「ちょっと、こっち来い」
苛立っているような、荒っぽい口調で谷口は顎で俺にそう要求する。
「何だよ」
「良いから。来いって」
俺は谷口に半ば無理矢理、制服を引っ張られて体育館裏へと連れていかれた。体育館裏、と言えば連想されるのはアーデルが見せてくれたあの大量の手紙。この前、この場所ではたくさんの男が涙を溢したのだろう。
「こんなところまで俺を連れてきて、何をするつもりだよ」
ふてぶてしく俺がそう言うと、彼は胸ぐらを掴んできた。突然、何をするのか。
「んなもん、決まってんだろ。......フォーゲルさんとの関係を話せ」
そして、谷口は低い声で俺を脅すようにそう言った。
「は?」
「今日、お前がフォーゲルさんと一緒に登校している姿を色んな奴が見ていた。勿論、俺もだ。言い逃れはさせねえぞ」
確かに俺は今日、あのまま寝てしまったアーデルと一緒に登校をした。しかし、誰かに咎められるようなことをした覚えはない。
「言い逃れも何も、確かに俺はアーデルと登校してたよ。俺とアイツはただの部活の先輩と後輩の関係だ」
「アーデルぅ? アイツぅ? フォーゲルさんはお前なんかがそんなに親しく呼んで良い相手じゃねえんだよ!」
「いやだって、本人からファーストネームで呼べって言われてるし。それに後輩だし。てか、お前からしても後輩だろうが。後、胸ぐら掴むのやめろ」
しかし、谷口はそんな俺の言葉を無視して俺の腹に蹴りを入れてきた。かなり痛い。俺はこれ以上、暴力を振るわれないようにと暴れるが谷口は離さなかった。
「ファーストネームで呼べって言われてるだと!? 調子に乗んじゃねえよクソが! つーか、アーデルさんは何処の部活にも入部してないんじゃなかったのかよ!」
激昂した谷口はそう叫んだ。成る程。こういう奴らがアーデル目当てに入部してくるのを防ぐためにアーデルは自分の所属している部活を言わないようにしていたのか。賢いな。
「残念ながら入部してるんやなこれが。そんでもって、俺とアーデルは一緒にたこパをしちゃうくらい仲良しこよしなんやで。お前、アイツに手紙を送った奴らの一人やろ? えらい、情熱的やなあ。まあ、結果は残念みたいやったけど?」
つい、俺の悪い癖が出てしまった。こんなことを言っても火に油を注ぐだけなのに何故か挑発してしまう。
「ふざけんな! 嘘ばっかり並べやがって! お前にフォーゲルさんの何が分かんだよ! マジでイキんじゃねえよクソ陰キャ!」
谷口は俺をそのまま投げ飛ばした。そして、俺は頭から地面に倒れた。ヤッベ。倒れた方を間違えたら確実に死んでたわこれ。
「逆に聞くけど、お前にアーデルの何が分かるん?」
俺は激痛を噛み殺してそう聞いた。
「それは......!」
「悔しかったら、アイツのええとこを五個でも十個でも良いから言ってみ。出会ったばっかりの俺でもそんくらい言えんで」
「っ」
「顔とスタイルがええところくらいしか知らんって顔してんな。ウケるわあ。『お前にフォーゲルさんの何が分かんだよ!』やったっけ? そんなことよお人に言えたなアンタ」
関西弁で煽ると煽りのレベルが向上する気がするの。
「死ねっ!」
すると、折角の華麗に決まった俺の煽りを無視して谷口は俺を靴の裏で踏みつけてきた。
「東ベルリン!?」
俺は苦痛の声を漏らした。叫んだ言葉に深い意味はない。ただのアーデルリスペクトだ。......結構、余裕だな俺。痛いけど。その時、高校全体に予鈴が鳴り響いた。
「覚悟しとけよ。お前」
それを聞くと、谷口は舌打ちをして去っていった。全く、最悪の朝だ。
☆
「ということが有りまして」
「誰が貴方と仲良しこよしよ」
「ツッコむところそこなん?」
「確かに私に関することで貴方に怪我をさせたのは謝るけど火に油を注いでるのはどう考えても貴方でしょう?」
全身、絆創膏だらけの俺にアーデルは呆れたように言った。
「おっしゃる通りでございます。というか、谷口の件でアーデルが謝るのもおかしな話だしな」
「全くよ......で、ケガは大丈夫なの?」
「ああ。まだ、体の節々が痛むけど」
「そんな時はコレを食べると良いわ」
そう言ってアーデルがカバンから取り出したのはハンドルのような結び目があり茶色く、表面が光沢を帯びているパンのようなものだった。
「何ていうんだったっけこれ」
名前が出てこない。
「Brezeln、よ」
「ああ、そうだ! プレッツェルだ。ドイツ語でも発音似てるな......って、違う!」
「ノリツッコミ頂きました」
「な、ん、で部室にプレッツェルを持ち込んでんだよ! てか、お前部活動をしようとしてないだろ! お前が文芸的なことしてるの見たことないぞ!」
俺は興奮したようにそう叫んだ。いや、突然ソーセージを茹で始めるのに比べたらまだマシかもしれないが、この学校は昼食以外の食べ物の持ち込みは禁止なので校則違反に変わりはない。
「ブンゲイテキって言われても、何をしたら良いのかさっぱりなの。小説は書いたことないしタンカ? とかハイクもよく分からないわ。で、Brezeln要る?」
「要る。……これは間違いないな」
表面が少し硬くて歯応えが有り、中にはギシっと柔らかい生地が詰まっている。小麦本来の味が口全体に広がり、それを後押しするかのように岩塩が俺の舌を喜ばせた。
「怒っていた癖にさらっと味わっていくスタイル、嫌いじゃないわ」
「ありがとな。んで、部活動で何をしたら良いか分からない......か。よくよく考えたらウチの部活って今まで自分達の好きなことを好きなようにしてたから、他の文芸部みたいに皆で一つのジャンルに取り組む、ってことをやったことがないんだよな」
「今、入院中の部員さんは何をしていたの?」
「アイツも小説を書いてたな」
俺の言葉にアーデルは考え込み、そして口を開いた。
「なら、私も小説を書いてみようかしら。日本語の勉強にもなるし」
「おう。そうしろそうしろ。まずは構想を練るんだ......」
そんな風にして今日の部活動は進んでいき、終わりを迎えた。そして、その帰りしなにソイツは現れた。
「よう、五六」
谷口だった。
「はい、こんにちはあ。朝のことを後悔して謝りに来たんやったら寛大な心で許してやるで?」
「んな訳ねえだろ。後、その関西弁やめろ。俺はお前をぶん殴ってフォーゲルさんを紹介してもらうために来たんだよ!」
「あっらまあ、えらい、欲どしいお人やなあ」
俺がどちらかというと大阪よりも京都弁っぽい関西弁で呆れていると、谷口の背後に立つ者が居た。
「私に何か用かしら」
長い金髪に緑色の瞳、なんかよく分からんけど色々ドイツっぽい食べ物がわんさか出てくるカバンを持つ少女、アーデルハイドである。
「ああん? 誰だよ……ってフォーゲルさん!?」
「名前を知って貰えているようで嬉しいわ。あ、ケイ、待っててくれてありがとう。貴方の分も買ってきたわよ」
自販機から戻ったアーデルがミルクティーを俺に渡してきた。
「はい、おおきに」
関西弁は......止まらない!
「ちょ、ちょっと待ってくれ。フォーゲルさん」
俺とアーデルのやり取りを見ていた谷口が狼狽しながら言った。
「何」
「何でこんなのと帰ってんだよ! それに下の名前で呼びあってるし......何か弱味でも握られてるのか!? そうなんだろ!? こんな陰キャがフォーゲルさんに好かれる筈がないしな! 嫌なことをされているなら俺に言ってくれ!」
その言葉を聞いたアーデルは此方に視線を送ってきた。『コイツが谷口か』という意図があっての視線なのだろう。俺はそれに何度も頷く。
「心配してくれてありがとう。私は何もされていないから大丈夫よ。それよりも貴方、ケイに暴力を振るったって聞いたけど本当?」
その言葉に谷口の顔が曇る。
「い、いや、それは......」
「事実なのね。それで? ケイには謝ったの?」
「ソイツ、謝るどころかまた俺を殴ろうとしてきたで」
「ふうん。そう」
アーデルは俺の言葉に頷いて谷口を見ると、不意に彼の手を掴んだ。そして、そのまま力強く握る。
「えっ、あああああああああああああああああああっ……!?」
アーデルの50越えの握力には敵わなかったらしく、谷口は悲鳴をあげている。
「少し、お話をしましょうか」
そして、アーデルと谷口は仲良く手を繋いだまま人気のない公園へと歩いていく。俺は谷口の悲鳴が遠くから聞こえるのを気にせずにバイトへと向かった。
毎度のことですが評価、ブクマ、感想、レビューお願いします!!!?