89 試練
月日は知らぬ間に猛烈なスピードで過ぎていき、気付けば三月になった。暦の上ではとっくに春だが、今年はまだまだ寒い。
そんな春休み目前のある日、俺は空港の到着ロビーでグルグルと歩き回りながら唸っていた。
「......んー」
「どうしたんですの? この人」
「朝からこの調子なんですよ。ウチが話しかけてもずっと、何というか......上の空で」
「久しぶりにアーデルハイドと会うから緊張してんじゃねえの?」
「緊張なら私もしてるよルカ君......アーちゃんに会うの二ヶ月ぶりくらいだもん」
「多分、向こうの方が緊張してるだろ。出来るだけいつも通り迎えてやろう」
「いつも通りが分かんないから困ってるんだけどなあ」
とか何とか周りが話しているのが聞こえてくるが、今の俺にそれに構っている余裕はなかった。悩ましい。非常に悩ましい。チラチラとスマホの時計を確認しながら俺は深い溜息を何度も吐いた。
「マジでどうしたんだよ、五十六番。アーデルネキがもう少しで帰ってくるんだぞ? もっと、喜べよ」
「アーデルハイドも、笑顔で、迎えてもらった方が、嬉しいと思う」
「......いやな、これ見てくれよ」
ごもっともな言葉を口にする霊群とルミに俺はアーデルとのメッセージアプリでのやり取りを見せた。
「『気の利いた出迎え、考えておいてね。期待してる』って、あるね」
「ひええ......相変わらず、結構サドいな。あのドイツ人」
ルミの読み上げた文章を聞いて若干、引きながら言葉を溢す霊群。
「結構というか滅茶苦茶、サドだよアイツは......。自分の帰国が俺に取ってどれだけ大きなイベントかを理解しつつ、その上でこんな無茶振り吹っかけて来てるんだから」
「うぇ、しかも、コレ、送られてきてるの今日の朝じゃん。対策期間短いな」
蜂須賀はアーデルのメッセージの送られてきた時間に注目して目を丸くする。
「成る程、こうやって相手の頭の中を自分でいっぱいにする作戦ですか。あの人、中々、策士ですね」
「月見里は絶対に見習わなくて良いからな」
「えー」
「それより、『気の利いた出迎え』とやらについてのアイデアを出してくれ」
「抱き付くと見せかけて、飛び蹴りでもしたら良いんじゃないですか」
「お前はアーデルのことを何だと思ってるんだ」
「敵です。日本の土地を踏んだ、その瞬間から」
目が本気だ。
「手の甲にキスでもしろよ」
「おかえりって言うと同時に薬指に指輪を嵌めるというのはどうですの?」
「却下に決まってるやろ」
「あ、先輩! 敢えて全然、嬉しくなさそうにするのとかどうですか? 若しくは帰ってきても無視するとか!」
「嬉々としておぞましい作戦を提案しないで。てか、陰湿過ぎるだろお前」
「廃人になってた先輩を激励して、彼女をドイツから連れ戻させたんだからコレくらい敵意剥き出しでもバチは当たりませんよ」
最近、後輩が怖い。
「シンプルにぎゅーって抱きつきに行ったら駄目なの?」
「駄目。それやったら、ドイツで怒られた」
「あー、愛情表現が稚拙だの何だのとボロクソに言われてましたわね。その後、五六にアーデルハイドがキスして......」
「ヴィクちゃんその辺りで止めようか」
「割と手遅れじゃないか?」
霊群がプルプルと震えている月見里に目を向ける。
「き、きす......ウチの居ないドイツで......や、やってやる。あの女、絶対に......」
「もう、マヒマヒちゃんをアーデルちゃんにぶつけるのが一番アメージングな出迎え説ない?」
「やってやるー、って言ってる奴を帰国早々に押し付けられるアーデルネキ不憫すぎる」
結局、その話し合いで『気の利いた出迎え』をするにはどうしたら良いのかな答えを得ることは出来ず、俺は唸り続けた。
「そう言えば、アーデルハイドのお姉さんは来てないのか?」
北里が俺に尋ねる。
「あー、アデーレさんは社会人だからな。仕事があるから無理らしい。昼からの出勤なのにギリギリ行けなくて悲しい、って言ってた」
「ああ、そういうことか。社会人も大変だな」
北里の言葉に俺は頷いた。両親をドイツに置いて、単身で日本に戻ってきたアーデルはこれから、姉であるアデーレと二人で暮らすことになる。アーデルの両親も心配していたことだが、仕事で忙しいアデーレさんとの二人暮らしは中々、大変そうだ。
まあ、生活力の高いアーデルならさほど大きな問題にはならないかもしれないが......。
⭐︎
若干の時差ボケで上手く回らない頭でも、自分の心が期待と緊張、二つの感覚に支配されていることが理解出来た。一体、彼はどんな方法で私を出迎えるつもりなのだろう。彼のことだ。必死に自分を喜ばせる方法を考えているに違いない。
可愛い。その様子を想像するだけで心の不安が高揚へと置き換わる。彼がどんな方法で私を出迎えようとも、彼の目には私が喜んだように見えるだろう。彼が私のことを喜ばせようとしてくれた、その事実にきっと、私の口元は緩んでしまうから。
「アーデルちゃん、おかえりー!」
意外にも空港で私を見るなり飛びついてきたのは彼ではなく、一つ歳上の私の友達、蜂須賀梓だった。以前と変わらない彼女の姿に帰ってきたんだな、という実感を覚える。
彼女に続いて次々と出迎えに来てくれていた友人達が私へと『おかえり』という言葉をかけてくれる。それが本当に嬉しくて、心が温かくなると同時に私は、何処を見渡しても彼の姿がないことに強い疑問を感じた。
まさか、何処かから急に飛び出してきて私のことを驚かせようという作戦だろうか。子供っぽい彼のことだからあり得る。
「お久しぶりです、フォーゲルさん。また会えて嬉しいです」
引きつった笑顔を見せながら私の同級生であり、彼の後輩、月見里真昼か話しかけてきた。
「嬉しいようには見えないけど」
「何を言うんですか、嬉しいに決まってるじゃないですか。嫌やなあもう、フォーゲルさんったら。ウチ、ずっと、フォーゲルさんの帰りを待ってたんですよ」
と言いながらトン、と私の肩に手を置いてくる真昼。正直言って、命の危機を感じるくらいに怖い。
「......ケイから聞いたわ。塞ぎ込んでたケイに発破をかけて、ソビエトと一緒に私を連れ戻す計画をリツアンしてくれたのよね。ありがとう」
「ぬ、そう言われると何というか、ウチも敵意を剥き出しにすんの、躊躇してしまいますね」
「やっぱり、嬉しくなかったんじゃない」
「いや? そんなこともないですよ。そりゃ勿論、色々複雑な感情が渦巻いてはいますが、フォーゲルさんが帰ってきてくれたのは普通に嬉しいです」
「ケイのこと、貴方に託したつもりだったのだけど?」
「薄々気付いてましたけど、あんな抜け殻みたいな先輩を貰っても嬉しくないですし、あの状態の先輩がウチを好きになってくれる訳ありません。そういう勝ちを譲ってもらう、みたいなの嫌いなんです。......いや、違いますね。勝ちを譲ってくれるならなんぼでも譲って欲しいんですが、その過程で先輩に辛い思いをさせるのは嫌なんですよ」
彼女の視線は私の目を貫き、目の裏に隠れている私に突き刺さった。
「今のは遠回しな私への皮肉?」
「フォーゲルさんがそう思ったならそうなのかもしれません」
「・・・・」
「ま、お互い様ですよ。私も先輩のことを好くことで先輩に辛い思いをさせてますし。......と、こんなところで話す内容じゃないですね。兎に角、フォーゲルさん、お帰りなさい」
その彼女の笑顔からは先程まで剥き出しだった私への敵意が消えていた。......隠しただけかもしれないが。
「ええ、ただいま。ところで、あの男は?」
「さあ? 急に何かを思いついたかと思ったら、『アーデルにウチに寄るように言っといて』って、言葉を残してどっか行きましたよ」
「......私に一番最初に挨拶を言う機会を棒に振ってまで、やりたいことがあったのかしら」
「さー? ただまあ、何かフォーゲルさん、愛されてるなーと思ってイライラしましたよ」
「ふっ。いい加減、新しい恋を見つけた方が身のためだと思うわよ」
「......先輩が卒業するくらいまでは粘着します」
早速、彼の家へ向かおうとする私に後ろから彼女がポツリと呟いた。




