83 交渉
「アーデル、そういえば、ご両親に連絡は」
ミュンヘン郊外の住宅地にある、可愛らしい赤い三角屋根の家の前で俺はアーデルに確認した。
「一切してない」
「ああそう......」
「でも、この時間なら父も母も家にいると思うわ」
「......本当に私も行かなきゃ駄目ですの? 何か怖いのですけれど」
「ダメに決まってるでしょ。何の為にドイツまで来たのよ。貴方達も説得に協力して。......私も緊張してない訳ではないのよ」
「ルドルフ君について来て貰いたかった......」
習い事があるらしい彼とはつい先程、別れてしまった。サッカーのスポーツクラブに通っているらしい。めちゃくちゃイメージ通りである。
「ルドルフ君にこれ以上、迷惑はかけられませんわ......」
この扉の先で、俺達はアーデルの両親との直接交渉に挑むことになる。何やかんやで初対面の俺と彼女の両親。一体、どんな人なのか、一体、どんな反応をされるのか、頭がグルグルしてきた。
「......まあ、どうにかなるわよ。ケイはいつもみたいに適当にしてたら良いから」
と、言いつつアーデルは扉の鍵穴に鍵を差し込み、鍵を何やらガチャガチャとやって扉を開けた。鍵穴の上にドアノブみたいなのが付いているのだが、そこは使わないらしい。
「いや、俺はいつも真剣なんだが」
「はいはいそうね......ただいま! 帰ったよ」
アーデルは日本語で廊下の奥の方に向かって叫んだ。すると、ドテドテドテという激しい足音と共に奥の部屋から黒い眼鏡をかけたスキンヘッドの男性がやってきた。アーデルに似た緑色の目をしている。
身長は大体、180cmくらいだろうか。肩幅も広く、筋肉隆々でめちゃくちゃイカつい。
「アーデルハイド! 帰ったか! ......やっぱり、こっちがよかったよな! そうだよな!」
ペラペラの日本語を話す彼は大喜び、といった様子でアーデルに向かってそう言うと、そのアーデルを囲む俺達に目を向けて首を傾げた。
「アーデルハイド、この人達は?」
「......友達。取り敢えず、奥まで行かせて」
「......お前、ドイツに友達居たのか」
「は?」
「おっと、すまん」
アーデル、親からもドイツではぼっちだと思われているの酷いし、実際に俺達はドイツの友達ではないの、色々と悲惨だ。
「......あ、あー、初めまして。五六渓と申します」
「んうっ!? 君、日本語を話せるのか! アジア人っぽい顔立ちだとは思っていたが、やはり、日本人!?」
「あ、はい。......一応」
「あ、えっと、私も日本語、話せます。イギリス人ですけど......ヴィクトリア・ケネディです。アーデルハイドちゃんの友達で」
「くっ......」
「ちょっと、アーデルハイド、何笑ってるのよ」
「ああ、いや、貴方が普通の敬語を話しているのが面白くてつい......」
「あのね」
アーデルの父親と思しき人の前で戯れ始めるアーデルとヴィクトリア。仲良いなコイツら。
「そうかそうか、私はアーデルハイドの父親、エアハルト・フォーゲル。見ての通り......聞いての通りか。基本的な日本語なら普通に話せる。日本での生活が長かったのと、アーデルハイドに日本語を教えるためにドイツに居る間もアーデルハイドとは日本語でばかり話していたからだな! ウチの娘の日本語能力は私が育てたと言っても過言ではない! まあ、最近は私の方が娘から新しい日本語を教えて貰ってるけどな! いや、ホンマに! 知らんけど!」
多分だけど、俺の話してる関西弁教えられたな、この人。
「......まあ、私の父はこんな感じでうるさいだけで別に頑固なのじゃないから安心して」
「あ、あはは......優しそうなお父さんね」
ヴィクトリアが苦笑する。180cnのクソでか肩幅スキンヘッドマッチョに畳み掛けるように話しかけられて、俺とヴィクトリアは若干、困惑していた。
「てか、お父さんはアーデルがニュルンベルクから勝手に帰ってきたことについて疑問とかはないんですか?」
ニュルンベルクからミュンヘンに帰る旨を両親に一切、伝えていないとアーデルが言っていたことを思い出した俺は彼にそう聞いた。
「いや、別にだな。アーデルハイドの様子からして、別にトラブルが発生したとかではなく、単に帰りたくなったから帰って来たんだろう? ......まあ、帰るならせめて向こうの家で待っているであろう祖父さん達には一報してやって欲しかったが」
アーデルの父、エアハルトは笑みを崩さずに続ける。
「というかだね、私はアーデルハイドがニュルンベルクに行くのは元々、反対だったんだ」
「それは、何故?」
「決まっているだろう? 普通に娘を手元に置いて起きたかったからだよ」
俺の質問に彼はこともなげに答えた。
「あ......そういう」
すっと、俺はヴィクトリアとアーデルに目線をやる。ヴィクトリアは何かを察したような表情で口を開け、アーデルは溜息を吐いていた。
「話があるの。立ち話もアレでしょ。部屋に行かせて」
「おっ......と、そうだな! さあ、どうぞどうぞ、君達はアーデルハイドの貴重な友達だ。丁重にもてなさせて貰うよ!」
そんなこんなで俺達はアーデルとアーデル父に奥のリビングまで案内された。リビングにはアーデルによく似た金髪で緑目の女性がおり、彼女はリビングのテーブルの上に三つのカップを並べていた。
「あら、やっと、入ってきたの? ごめんなさいね、ウチのお父さん、話が長くて......あ、日本語話せるのよね?」
アーデル父同様、日本語が堪能らしい彼女は母性に溢れた優しく、穏やかな声でそう確認してきた。成る程、アーデルのちょっとトチ狂った所は父親似、バブみがある所は母親似と見た。
「え、ええ、はい。五六渓と申します」
「あ、えと、ヴィクトリア・ケネディ、です」
「ええ、ええ、五六さんにヴィクトリアさんよね。玄関の会話、聞こえてきていたわ。私はアーデルハイドの母、アデリナ・フォーゲル。さあ、どうぞ、座って? 紅茶を淹れておいたわ。イギリス人のヴィクトリアさんのお口に合うと良いけれど」
「......ウチの母さんにも見習ってほしいお淑やかさだ」
「......貴方のお母様も良い人でしょう」
俺がボソッと呟くと、アーデルも俺だけに聞こえるくらいの声でそうボソッと呟いた。
「私達が居たら邪魔でしょう? お父さん連れて買い物にでも行ってくるから安心してね」
「......いや、貴方達も同席して。というか、二人に居てもらわないと困るの。ほら、お父さんも席座って」
「ん? 分かったが......本当にお友達が居る場でしなきゃいけない話なのか?」
「そうだから早く座る」
「はい......」
アーデル父はその容姿に似合わず、アーデルには弱いらしく、彼はしょんぼりしながら席に着いた。アーデルの母、アデリナさんも首を傾げながら席に座る。
アーデルは並んで座っている両親の向かい側の席に座り、俺とヴィクトリアはそれぞれアーデルの左と右に座った。
「ねえ、というか、アーデルハイド? お友達が居たからさっきは言わなかったけど、ニュルンベルクはどうしたの?」
「止めにした。あんな所に行ったって根本的な解決にはならないもん」
「そう......後でお義父さん達に連絡しないとね」
「それで、話ってなんだ? ニュルンベルクに行くのを止める、っての以外にも何か重要な話があるのか?」
エアハルトの問いにアーデルはコクリと頷くと、俺達がちゃんと横にいるかを確かめるように左右をチラッと見た。
「あのね、私、やっぱり......」
「日本に戻りたい、だろ」
彼女が言い終わるよりも早く、アーデル父はピシャリと彼女の言葉の続きを言い当てた。そして、急に席を立つと、頭を振り始めた。
「日本語話者を二人も連れてきた時点で何と無く気付いてたわクソやるぉおおおおおおおおおお! 何だよ! アンタら! まさか、日本から来たんじゃないだろうな!?」
「あ、はい。日本から片道十数時間で......」
「イカれてんのか!?」
「ええまあ......その自覚は割とあります」
「もっと、イカれてるのはこの計画の裏にはもっと多くの日本人が関わっているということですね」
「娘を! どうする気だ! Japanisch!」
「あどっちかというと私はイングランド人......」
「Scheiße!」
お父さんの暴走が止まらない。




