81 震え
「おおおお! 何年ぶりかに聞くアーデルの声! アーデルの声がする! ドイツ語だけど!」
「Gah......! Please be quiet!」
「黙れって言われてますわよ」
「流石にこのレベルの英語は俺も分かる」
俺は電話の向こうから聞こえてくるアーデルの声に興奮しっぱなしだった。電話といっても俺の電話ではない。今、アーデルとドイツ語で喋っているのは茶髪碧眼のイケメン、ルドルフである。
彼の名前は日本に居た頃のアーデルから何度か聞いたことがあった。アーデルの男友達で、アーデルに想いを寄せていた少年だ。幸い、と言っちゃ悪いがアーデルには振られたようだが。
アーデルを駅まで見送りに来ていた彼は駅でアーデルの名前を連呼していた俺達の存在に気付き、声を掛けてきたのだ。俺達と彼女の関係、そして、俺達がドイツまでやってきた目的を彼に話すと、彼は直ぐに全てを悟った様子で何度も頷いた。
「成る程、話に聞かされていた日本人の少年は君か、って言ってますわ」
勿論、彼はドイツ人。英語は話せても日本語は話せないので、ヴィクトリアに通訳や会話を担当してもらった。
「Ok. I want to help you.」
「お? マジ? センキュー、センキュー! アイニードユアヘルプ!」
どうやら、彼は俺にも分かるように出来る限り簡単な英語で話しかけてくれているらしく、たまに会話が出来ることもあった。
「『高速バスでニュルンベルクに向かいますわよ。二時間くらいで着く筈ですわ。それまでの間、アーデルハイドの足止めは私がしますから任せて下さいまし』って、言ってますわ」
「ルドルフ君そんなお嬢様言葉なのか。......まあ、ルドルフ君の作戦は分かった。マジで助かる。Danke!」
「Don't mention it. 」
「どういう意味?」
「『礼には及ばねえなのです』みたいな感じですわ」
「ルドルフ君、お嬢様言葉とソレンヌ語をちゃんぽんにしてるん?」
とまあ、ルドルフ君という神の使いが現れてくれたお陰で何とか俺達はアーデルを追いかけることが可能になったのだった。
現在、ルドルフ君は高速バスの中で既にニュルンベルクに着いたアーデルを足止めするためにアーデルと電話をしている。話の内容はよく分からない。
「ドイツのバスって電話とかしてもマナー違反じゃないのな」
「みたいですわね。ルドルフ以外にもしている方、居ますし」
「文化の違いだなあ。......アーデルが何か優しい声出してる。めっちゃ、嫉妬。てか、そうだよな。アーデルがドイツに居た間、ルドルフはアーデルと仲良く色々としてた訳だろ? うっわ、羨ましい!」
「Noisy!」
「ごめんなさい」
「『うるせえのです』って感じでしたわね」
「やっぱり、ルドルフ君ってソレンヌ語話者なん?」
しかし、アレだ。ルドルフとアーデルが気心知れた仲感を出しながら喋っていると、やっぱり、モヤっとした気分になる。この前知ったが、ドイツの学校は日本で言う小4から高3まで一貫らしい。
アーデルとルドルフが出会ったのがいつなのかは分からないが、かなり長い付き合いである可能性が高いのではないだろうか。
「俺はアーデルとお風呂入ったし。俺はアーデルに朝、起こしてもらってるし」
「急にマウント取り始めるのやめなさい。後、日本語で言っても通じませんわよ。......というか、あんまり騒ぐと向こうに聞こえますわよ」
と俺を窘めるヴィクトリア。まだ、向こうに着くまで一時間くらいある。短いようで長いその時間は俺を焦らすには十分であった。
早く、アーデルに会いたいという気持ちと、まだ、アーデルに何を言うか決めていない焦りが込み上げてくる。ここはイメージトレーニングだ。イメージトレーニング。目を瞑り、アーデルの姿を思い浮かべて、彼女に出会ってまず最初に何を言うかを考えろ......。
俺達は長いバスの旅を終え、ニュルンベルク駅に降り立ち、アーデルが居る所を目指して歩いた。アーデルの現在地はそれとなくルドルフが電話で聞き出し済み。さあ、そろそろ、アーデルとの再会だ。そう思っていた時、その事件は起きた。
『ケイが、ケイが好き......』
バスから降りたということで、ルドルフは携帯をスピーカーモードにして、アーデルの声を俺達にもよく聞こえるようにしてくれていた。そんな中、ルドルフの携帯から聞こえてきた声がそれだった。
それは明らかに日本語で、明らかに嗚咽混じりだった。
『ううっ......ごめん、ごめんなさい』
低く、今にも壊れてしまいそうな日本語が携帯から流れる。その瞬間、俺の頭の中にあったイメージトレーニングの成果は全て吹っ飛んでしまった。俺は一人でアーデルが居るという中央ホールの入り口を目指して走り出す。距離的にはもう目と鼻の先であった。
走り出して数十秒で目的地に着いた。そして、直ぐにあの綺麗な金髪が目に飛び込んできた。右手でスマホを耳に当てている彼女こそ、アーデルに違いなかった。
⭐︎
「......とまあ、こういうことでして。たかさごの協賛や月見里の後押し、アデーレさんの共謀、ヴィクトリアの全力支援、ルドルフ君のお人好しの結果、俺はここに居ます」
「貴方達......」
アーデルは小さな溜息を吐き、俺を追いかけてきたヴィクトリアとルドルフに視線を飛ばした。そして、彼女はゆっくりと俺との距離を詰める。
「アーデル......」
彼女のエメラルドグリーンの瞳を俺は見つめる。多幸感が波のように心に押し寄せ、全ての感情をさらっていった。
アーデルは暫し、俺のことを見つめると不意に俺の顔に手を伸ばし......
「頭おかいしんじゃないの貴方達」
と、言いつつ俺の頬を強い力でつねって来た。
「いた、いたひ! あーでう! いはい!」
「......ケイがお人好しで、尚且つ、私のことを大好きなのは知っているから置いておくとしてよ。ヴィクトリア、どうして貴方が其処まで協力しているのよ」
「あら、悲しいことを言いますわね。私もアーデルハイドのことが大好きでしてよ?」
「・・・・」
「いはいっ! ちょっ、はなしへっ! あーでうっ!?」
俺はヴィクトリアとの会話中もずっと、頬をつねってくるアーデルに叫ぶ。
「うるさい」
「あいでっ!」
アーデルは頬をつねる手を離した代わりに、また足を強く踏んづけてきた。感動の再会を果たしたというのにこの扱いは何なんだ。
「アーデルハイドが居ないと空間に穴が空いたようで、どうも、部活が落ち着かないのですわ。私なんて、雲雀川に入り浸っているから余計に」
「......それだけ?」
「それだけですわ。強いて言うなら、五六が哀れに見えたのもありますけれど。まあ、一番の目的は大切な友達を取り返して、いつもの日常を戻って来させることですわね」
「......そう」
既に泣き止んだアーデルは少し俯き、目を瞑ったかと思うと、大きな溜息を吐いた。
「もう何か心底、どうでも良くなってきたわ」
「それでアーデル、話なんだが......」
疲れた様子で俺にジト目を向けるアーデル。俺は彼女に対し真剣な表情を向けつつ話を切り出した。
「ええ」
アーデルは何処か達観した様子で優しく相槌を打ち、俺の言葉を待つ。呼吸を整え、言葉を整え、そして、俺は口を開いた。
「あー......えー......日本にさ、帰ってくる気、ない? いや、その、こんな状況で断るのも難しいかもしれないが......あの、うん」
声を発した瞬間、脳内で組み上がっていた文章が全て瓦解した。たどたどしく言葉を紡ぐ俺をアーデルは呆れた様子で見つめる。
「......『帰ってくる』、ね。......貴方にとって、私が帰るべき場所はあそこなのね」
「あ、いや、それは......うん。まあ、そう。アーデルがどう思ってるかは知らないが、俺はアーデルに『帰ってきて』欲しいと思ってるよ」
彼女は少し首を傾げ、俯き、溜息を吐いた。
「どうしようかしら......このまま、大陸で生きていく決心、そろそろつきそうなのよね」
「え......でも、ルドルフ君から聞いたんだが、アーデル、ストレスで不登校になってたって......」
「だから、ニュルンベルクに来たのよ。祖母の家で心を落ち着かせる為にね。まあ、親に無理矢理行かされた側面が強いんだけど......」
「アーデル」
「何」
「じゃあさ、俺がアーデルに帰ってきて欲しい、って言ったらどうする?」
俺の問いにアーデルは僅かに頬を赤くし、微笑を浮かべた。
「......貴方が私が居ないと生きていけないと泣き喚くなら、考えてあげないこともないけれど?」
「流石に女王様過ぎませんかねアーデルさん」
「あ、因みに五六はアーデルハイドがドイツに帰ってから暫く、不登校になっていましたわ。真昼に叱られて立ち直ったみたいですけれど」
「言うな言うな、恥ずかしい」
「......へぇ。そう。なら、帰ってあげても良いかもね」
「言ったな!? 今、言ったな!? 言質取ったぞ!?」
意地悪に笑うアーデルに俺は叫んだ。
「ええ、言ったわよ。日本に帰ってあげる。......両親の説得、貴方達にも手伝って貰うわよ」
と、呆れた様子で懐かしい笑みを浮かべるアーデルに俺は飛び付き、そのままギュッと彼女の身体を抱きしめた。
「アーデルううううううう! めっちゃ、寂しかったよおおおお!」
「はいはい、うるさいうるさい。まあ...... 私も寂しかったわ。怖かった。私、こっちにほぼ友達居ないし。このまま、貴方達に貰った思い出から目を背け続けて、自分を抑え込んで生きていくのかと思うと、どうしようもなく不安だった」
低い声でそう打ち明けるアーデル。月見里達が周りにいた俺とは違い、ドイツに一人で帰り、孤独を味わっていたらしいアーデルの寂しさは俺の比ではなかっただろう。
「......帰ったら、皆でたかさごにでも集まって遊ぼうな」
少し体を震わせている彼女の背中を優しく叩きながら、俺はそう言った。いや、俺の方も少し震えていたかもしれない。




