79 事件
「カリーブルストうっま。何これ。帰ったらアーデルに作ってもらお」
翌朝、案の定、中々起きなかったヴィクトリアを叩き起こした俺は二人でホテル近くのドイツ料理屋へと足を運んでいた。
スマホの充電器を彼女から貸してもらうのを忘れていたのでモーニングコールを掛けることが出来ず、彼女の部屋の戸をガサ入れをする大阪府警ばりに叩くハメになったのは帰国後の話の種にするつもりだ。
「完全にアーデルハイドを連れ帰れる前提で話してるの流石ですわね。うん、美味しい。やっぱり、ドイツはソーセージですわね」
「ブルスト、な」
「Sausageですわ」
急にネイティブの発音で対抗してきやがった。
「......流石に緊張してきたな」
「あら、五六に緊張なんて感覚があるなんて初めて知りましたわ」
「いや、まあ......アーデルと会うのもちょっと緊張するけどさ、それよか、アーデルの親御さんと会うのが怖い。一回も会ったことないから」
幾ら、アーデルが日本に戻りたいと願ったとしても、彼女の両親の承諾なしに彼女を連れ帰る訳にはいかない。アーデルを連れ戻すためには彼女の両親との対話が必須なのである。
「聞き忘れていましたけれど、アーデルのご両親って日本語を話せまして?」
「多分。アーデルが日本語を得意になった理由の一つに親が日本語を話せたことがあるって言ってた」
「成る程。それなら問題な......」
スマホのの画面を指でタップしたり、スライドしていたヴィクトリアの指と声が突如、止まった。
「どした」
「......ごめん。私眠くて、昨日、殆どスマホを確認してなかったんだよね」
彼女の言葉からお嬢様風味が抜けた。ただごとでないことが彼女のスマホには映っているらしい。
「詰めなさい」
そして、ヴィクトリアは俺に低い声でそう告げた。
「指を?」
「そのパンを早く口に詰めなさい!」
そう言うと、ヴィクトリアは有無を言わせず、俺のプレートに残っていたトーストを口に突っ込んできた。
「んぐっ!?」
「Can I have the bill, please? ......Thank you, Have a good day! 行くよっ!」
目にも止まらぬスピードで店員を呼び、チップと料金を支払うとヴィクトリアは俺の手を引いて、外へと走り始めた。
「待て待て待て待て!? 何だよっ!? どうしたんだそんなに急いで!」
「アーデルハイド、後、40分くらいでニュルンベルクに行ってしまうらしいですわ! 多分、今頃、ミュンヘン中央駅に向かっている頃かと!」
「......マ?」
「マジですわ! ほら......」
ヴィクトリアが見せてきたスマホの画面にはアデーレさんが送ってきたらしいメッセージが表示されていた。
『申し訳ありません。私の両親との連絡不足です。先程、母に連絡をしてそれとなくハイジの様子を聞いてみたところ、ハイジは明日の10:30の便でミュンヘン中央駅から出ているICE(日本の新幹線みたいなものです)に乗って祖母の住むニュルンベルクへと向かうことになっているみたいです。連絡が遅れて本当に申し訳ありません。明日、ミュンヘン中央駅でハイジを待っていてあげて下さい』
そこには普段、若干の拙さを感じさせる日本語を話す彼女のものとは思えないくらい、しっかりとした日本語で紡がれた文章があった。
彼女がこの文を送ってきてくれたのは、昨日の夜。俺達がスマホを機内モードにして、飛行機の中でうとうとしていた頃である。
その後のアデーレさんは焦燥感を文に滲ませながらも『気付いていますか?』『電話しますね』などと、何度も通知を送ることで俺達にメッセージの存在を気付かせようとしてくれていたらしい。
ホテルやアーデルの家への行き方、電車の乗り方などの重要な情報は全てメモアプリにメモしている。それ故に、俺達はドイツに着いてからもネットを使う必要に迫られることがなく、機内モードの存在を完全に忘れていたのだ。
ホテルに着いてからも俺はスマホの充電が切れていたこと、ヴィクトリアは強い睡魔に襲われていたことが原因でスマホを確認することはなかった。その結果、この悲劇が起きたのである。
「まあ待て、ヴィクトリア。急いては事を仕損じる。電車よりも多分、タクシーの方がミュンヘン中央駅に近い」
「タクシーなら駅前に沢山停まってたけど」
「よし、行くぞ!」
俺とヴィクトリアはホテルの最寄駅へと猛ダッシュ。待機中のタクシーに乗り込んでミュンヘン中央駅へと急いで貰った。
ヴィクトリアの英語が当たり前のように通じるのだからやはり、ドイツの英語教育は凄い。
「間に合うかな」
「間に合わせるしかねえだろ......あー、電車遅れてねえかなあ」
俺はアデーレさんに、メッセージを今見たのでミュンヘン中央駅に急行している旨を伝えつつ、タクシーに揺られた。
⭐︎
10:10、ミュンヘン中央駅に到着。やはり、TバーンやUバーンを使うよりはかなり早く着いた気がする。
「ヴィクトリア! ICEの乗り場って何処!?」
「アデーレさんが地図送ってくれてる!」
「ああ、ホントだ! 行くぞっ」
タクシーの支払いを素早く済ませた俺達はドイツ版新幹線、ICEのホームに向かってダッシュした。この時間だと、既にアーデルはホームに入ってしまっているだろうか。
「そういえば、入場券ってどうやって買うの!?」
「ドイツの電車だから多分、改札ないやろ!」
「あそっか!」
「てか、ニュルンベルク行きのホームってどこやねん!?」
「分かんないですわ!」
お嬢様言葉と標準語を行ったり来たりしているヴィクトリアと関西弁が出てしまっている俺はそんなことを言い合いながらICEの乗り場に向かった。
しかし、ICEの乗り場に着いたのは10:25。既にアーデルの乗るものと思われる電車が駅には停まっていた。
「......アーデルウウウウウウ! アーデルハイドおおおおおお! ハイジいいいいい!」
非常識にも駅のホームでそう叫ぶ俺。アーデルらしき人物は何処にも居なかった。
「多分、アーデルハイド、既に乗り込んでるよね」
「......いや、まだだ! アーデルのご両親が見送りに来てるかもしれない。それにこんだけホームでギャアギャア騒いでたら中のアーデルが気付くかも。アーデルハイドオオオオオオオ」
「......はあ。分かった、分かった。アーデルハイド! 来ましたわよ! 五六が寂しくて死んじゃうから出てきて下さいまし!」
電車の窓から車内のアーデルが見えないだろうかとホームを歩きながら、俺達は大きな声で彼女を呼んだ。
しかし、遂に俺達の奮戦虚しく、電車の扉は閉まり、アーデルを乗せたと思われる電車はニュルンベルクを目指して走っていってしまった。
「......あーあ」
俺は大きな溜息を吐いた。
「ニュルンベルクって、此処からどのくらいの距離があるのかなあ......」
「滅茶苦茶、遠い訳ではなかったと思う。ドイツの主要都市の位置は覚えてる、俺、凄い」
「言ってる場合か。......ICE、交通費、高そうだし、他の交通手段があったらそっちが良いかな」
アーデルはニュルンベルクに行ってしまった。彼女はニュルンベルクの駅から祖母の家まで移動する筈だ。彼女の祖母の家が何処にあるのかも、どれくらいの距離なのかも、分からない。
分からないが、諦めるつもりは毛頭なかった。わざわざ、ドイツまで付いて来てくれたヴィクトリア。何度も何度もサポートをしてくれているアデーレさん。アーデルが帰ってしまったことで一人、腐っていた俺の目を覚まさせてくれた月見里。そして、今回の作戦のためにお金を貸してくれたマスター。
俺はリュックサックにぶら下げている『TAKASAGO』のポスターに目をやり、深呼吸をした。
このポスターをどんな思いでソ連が作ってくれたのか、皆がどんな思いで俺をこの地に運んできてくれたのかを考えると、諦めるなんてことが出来る訳がない。
「インフォメーションみたいなのがあると思うから、其処に行こう。英語も通じる筈だ、頼む」
「任せて下さいまし」
俺達が気持ちを切り替え、ミュンヘンからニュルンベルクへ、追撃戦を行おうと決意したその時だった。
「Excuse me. can I talk to you for a minute? 」
青い目と柔らかい茶色の髪を持った少年が英語で俺達に話しかけて来たのは。




