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76 冷たい夕食


「おーい、ヴィクトリアー? そろそろ、起きろよ」


 アーデルの故郷であり、アーデルが現在、住んでいるという都市、ミュンヘン。その都市の国際空港であるフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港に離陸するのが30分後、というところで俺はヴィクトリアの肩を揺すった。


「んぐぁ......」


 涎をダラダラ垂らしながら爆睡しているヴィクトリアの口元をティッシュで拭いながら、俺は更に彼女に起床を促す。


「おーい、そろそろ着くぞ、起きろー」


「......ぁあ?」


 物凄く不機嫌そうで、低い声と眠そうな表情で彼女は俺を睨んできた。怖い。めっちゃ怖い。


「いや、だから、そろそろ、ミュンヘン......」


「後、何分」


「え、いや、多分、40分? いや、30分くらい?」


「じゃあ、5分前でも良いでしょ。何でそんなに早く起こす必要があるの。寝る」


 お嬢様言葉は完全に何処かに置いてきたらしく、ヴィクトリアはただただ不機嫌そうに言い放つと、また、夢の世界に入っていってしまった。


「......そういえばコイツ、いつも寝坊してたよな」


 起きるのが苦手なタイプなのだろうか。


「ヴィクトリア、向こうに着いたらどうせ、また寝るんだから。あんまり寝るなよ」


 俺達がドイツに着いた時、ドイツは時差の関係で夜なのである。

 そのため、俺とヴィクトリアは極力時差ボケ防止の為に機内では寝ないようにしていたのだが、ヴィクトリアは割と早い段階で寝てしまい、俺も4時間くらい寝てしまった。

 ミュンヘンに着いたらまた、ホテルで寝ることになるので本当はあまり寝ていないのが望ましいのだが。


「黙れ」


「ええ......せめて、ですわ付けろよ。怖いって。この際、なのですでも良いから」


「......ぐがぁー」


「アーデルはよ帰ってきて......」


 寝起きの悪い金髪を見ながら俺は、同じ金髪でありながらいつも俺より早起きをして、俺の布団を引き剥がしていたアーデルが恋しくなった。


⭐︎


「グーテンアーベント! ドイツ! グーテンアーベント! ミュンヘン! 会いにきたぞ、アーデル!」


 入国審査や荷物の受け取りなど、諸々を済ませた俺は改めてフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港を見渡してそう叫んだ。フランツ・ヨーゼフ、といえばオーストリアの皇帝の名前として有名だが、フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス、というのはドイツの昔の政治家の名前らしい。

 流石、ドイツの主要都市の国際空港、非常に近代的だ。近代的過ぎて、日本とあまり違いが分からない。ただし、空港内を歩く人の大半がヨーロピアンな感じの金髪や茶髪の人々であるという日本との違いは存在するが。


「眠い......早くホテル行こ......」


 完全にお嬢様言葉を喪失しているヴィクトリアが欠伸をしながらそう言う。


「おー......取り敢えず、地下鉄行くぞ地下鉄。Uバーンって奴。Uボートみたいでカッコいいよな」


「うん......分かった。ねえ、何か凄い沢山皆から連絡きてんだけど。ま、良いか。眠いし」


「適当だなオイ。因みに俺は暇つぶしに使い過ぎてスマホの充電切れた」


「機内で充電してなかったの?」


「充電器忘れちまったんだなこれが」


「馬鹿じゃないの。ま、ホテル着いたら貸してあげる。地下鉄こっち」


 スマホで地下鉄の方向を調べてくれたらしいヴィクトリアの行く方向に俺は付いて行った。ヴィクトリアが居るお陰で券売機もわざわざ日本語対応のものを探さずとも、ドイツ語と英語のみ対応のものを使えるのでとても助かる。


「それにしても、よく分からんシステムだよな、ドイツ? ミュンヘン? の公共交通機関のシステム。改札ないし、ゾーンとかいう概念も謎だ」


「ああ、ゾーンはロンドンにもあるけど、改札がないのは珍しいよね......」


 ミュンヘンの公共交通機関、電車、地下鉄、トラム、バスは全てチケットが共通。改札はなく、チケットは機械で日付を打刻するシステム。しかも、降車時にチケットの提示は必要無い。たまに抜き打ち検査があるらしいが。

 更に難解なのは、ミュンヘン中央駅を中心に1ゾーン、2ゾーン、3ゾーン......と円上にエリアが分けられており、どのゾーン間を移動するかによって値段が変化すること。

 1ゾーンから1ゾーンまでは〜ユーロ、1ゾーンから2ゾーンまでは〜ユーロ、という感じである。アデーレさんから概要は教えて貰っていたし、面倒臭かったので全ゾーンに対応した三日間乗車券を購入したので特に困ったことはないが。後、付け加えるならドアを開けるのは手動、若しくはボタンを押す必要がある。

 ただ、そんな日本とのギャップも彼女が日本で同じように苦労していたことを考えていると、何だか彼女と感覚を共有出来たような気がして、何だか嬉しく思えてきた。

 そうこうしているうちに、俺達は地下鉄(Uバーン)近郊鉄道(Tバーン)路面電車(トラム)とを乗り継いでアーデルの家近くの街のホテルにたどり着いた。チェックインは世界共通語話者のヴィクトリアにお任せである。

 因みに此処に辿り着くまで、何度も道を尋ねたり、乗るべき電車を尋ねたりする必要に迫られたが、その全てを彼女が眠そうにしながら捌いてくれた。心から彼女に感謝である。


「五六、じゃあ、私は寝ますわ。また明日、起こしに来て下さいまし」


 自分の部屋を前にして、やっと、お嬢様言葉が戻ってきたヴィクトリア。彼女は空港を降りてからずっと、普通の喋り方をしていたので逆に違和感が凄い。


「ちゃんと起きてくれよ......? 起きなかったら一人で朝食、食いに行くからな」


「スマホ、枕元に置いておきますからモーニングコール頼みましたわ」


「ヤー......」


 そんなこんなでヴィクトリアと別れた俺は彼女の部屋の向かいに位置する、自分の部屋に入った。時刻は大体、20時半。移動に手間取ったり、買い物をしたりしていたせいでかなり良い時間になってしまった。

 俺は早速、ベッドに腰掛け、ホテルの近くのスーパーで購入してきたパンにチーズを乗せて齧った。カルトエッセン......ドイツで広く浸透している調理を必要としない冷たい夕食という奴だ。

 この国、というか欧州の多くの国ではコンビニが普及していないので不便と言えば、不便である。


「明日はアーデルと会えるかなあ」


 叱られても、拒絶されても構わない。もう一度、彼女の声が聞きたい。俺の中はそんな思いでいっぱいになっていた。

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