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73 不貞寝


 あれからどれだけの月日が経っただろうか。ふと、スマホで日時を確認してみる。1月23日の17時......既に一年くらい経過したかと思ったが、まだそんなものだったのかと驚く。彼女が日本を経ったのが大晦日だったので、あれから23日か。

 計算が楽で助かる。


「先輩〜? 居るんですよね? 開けてください!」


 ドンドンドンと、裏口の扉を叩く音が聞こえる。あそこの鍵、壊れてるからずっと開いてるんだけどなあ。


「んー、開いてるから入ってこいよー」


「あ、ホントだ......不用心ですね」


 あまり大きな声が出なかったので聞こえているのか不安だったが、どうやら、一応聞こえていたらしい。


「先輩、何処ですかー?」


「此処ー。寝室ー」


 と、出来るだけ大きな声で返事をしてやると、彼女はトテトテと可愛い足音を立てて俺の寝室に入ってきた。


「あ、こんにち......先輩?」


 ベッドの上でゴロゴロしている俺を見る彼女の表情が突如、凍った。


「何だよ。そんな怪物を見たような顔して」


「何で......パンツ一丁なん、れすか?」 


「えー? 何かさー、風呂のたびに服着るのダルいかなあって」


「アホかああああ! 服着なさい!」


 と、叫ぶ月見里を無視して俺は布団に包まった。


「お前は何の連絡もなく、殴り込んできたんだから仕方ないだろ」


「しましたよ! ずっと、ウチも蜂須賀先輩や霊群先輩も電話してたのに出なかったのは先輩ですよね!?」


「あのプルル、プルル、うるさい電話はお前らからかよ」


「そんな被害者みたいな言い草で居留守を認めんといて下さい! フォーゲルさんからの電話だったらどうするんですか!?」


「アデーレさん相手でも電話に出ないらしい。かかってくるわけねーよ。お前も用ないなら、さっさと帰った方が良い。風邪うつるぞ」


「先輩、見ない内に滅茶苦茶やさぐれましたね......。後、仮病はうつったりしたいので大丈夫です」


「だーれが仮病だ、誰が」


「仮病でしょ。じゃあ、病院行ったんですか?」


「行った」


「え」


「問診であることないこと言って、しっかり、風邪認定貰った」


「......いやでも、ただの風邪で二週間も休むのは無理あるでしょ」


 と、溜息を吐く月見里の顔を見ないように俺は布団を顔まで掛けた。

 俺は大晦日から今日に至るまで、ずっと学校もバイトも休んでいる。別にアーデルが居なくなったから鬱になっているとかではない......と、思う。冬休みの間、殆ど外出をせずに堕落した生活を送っていった結果、学校が始まっても家から出たくなくなってしまったのである。


「・・・・」

 

「てか、病院には行く余裕あったんですね」


「......ソ連に連れてかれた。頭の病院にも連れて行くべきなのですかね、とか言われた」


「え、何ですかあの人。先輩のこと、あんまり心配してないのかと思ったら、抜け駆けして先輩に会いに来てたんですか」


「......まー、そんなところだ」


 月見里が沈黙したのを受けて、俺は目を瞑り、本格的に寝ようと試みた。そろそろ、彼女も愛想を尽かして帰るだろう。


「ねえ、先輩」


 しかし、俺の意識が途切れそうになった瞬間、彼女は突如、叩き起こすようにそう呼んできた。


「......何だよ」


「文芸部は、フォーゲルさんが退部して、先輩が来なくなったせいでずっと、寂しいことになってます」


「......悪いとは思ってる」


「たかさごも、アフリア先輩とマスターさんの二人になって大変そうです」


「......謝っといてくれ」


「そう思ってるなら、まずは顔に布団被せるのやめて下さい!」


 と言って、月見里は憤った様子で俺が顔に掛けていた布団を勢いよく剥ぎ取った。


「んあああ......寒いい」


 一月中旬ということもあり、布団を剥がれると非常に寒い。だと言うのに、彼女はふわふわとした冬服を着ながらパンツ以外、何も纏っていない俺から布団を奪ったのだ。何という暴挙。許されざる暴挙である。


「フォーゲルさんが居なくなって悲しんでるのは先輩だけじゃないんですよ? 霊群先輩や蜂須賀先輩は話を聞いた時、顔面蒼白で足から崩れ落ちてましたし、アフリア先輩も『散々、ウチに世話になりながら挨拶も無しに帰るなんて許せねえのです』って......」


「ソ連がその台詞を言ってる情景、凄い想像出来るな」


「それだけじゃないですよ。ジョン先生も事前に知っていたとはいえ、部員が減ってあたふたしてますし、岬川の方々も凄い落ちこんでらっしゃいました。......特に、井立田先輩はもう先輩の小説が読めなくなるな、って悲しんでました」


「そうか、そうか。悲しいのは皆、同じか。じゃあ、俺も立ち直るか......とはならへんのよ」


「それは......まあ、そうでしょうけど。少なくとも、悲しみを共有出来る人は沢山居るってこと、分かっていて下さいね」


「んー」


 と、言って再び俺が布団を被ろうとすると、月見里は『させませんよ』と、布団を押さえつけてきやがった。コイツ、アーデル程ではないが、中々、力が強い。


「ウチも、一方的に敵視してただけですけどライバルみたいな存在のフォーゲルさんが居なくなって、凄い喪失感があります。......それだけ、アーデルハイド・フォーゲルって人間の存在は皆にとっても、先輩にとっても大きかったんでしょうね。ちょっと、妬けます。ウチが入院したとき、先輩、同じように不登校になってくれてました?」


「......いや、その、だってあれ、一ヶ月くらいで退院出来るから心配するなみたいなこと言ってたし」


 と、俺が彼女から顔を逸らすと、そんな俺を彼女はクスクスと笑った。


「ごめんなさい。ちょっと、意地悪でしたね。ウチが入院したときの先輩とウチの付き合いなんて、凄く短くて薄かったですし。半年以上、濃密なお付き合いをされてたお二人に負けてしまうのは当然ですよね。フォーゲルさんはウチと違って帰ってくる見込みないですし」


「あのなあ......」


「こんな状況で言うのもアレかもしれないんですけど、ウチ、実はあのとき、結構、難しい心臓の手術して貰ってたんですよね」


「......急な告白だな」


 突如、難しい顔でそう話し出した彼女に俺は何と返事すれば良いか分からず、そんな相槌を打った。


「手術は成功したんですけど、もしかしたら、明日、一年後、十年後、いつかは分からないですけど、また病院に逆戻りかもしれないんですよね。残念ながら、あんま病状はよくないみたいで」


「は、いや、何で......そんな......」


 唐突に告げられた事実に俺は言葉を失ってしまった。どうして、今、それを彼女が打ち明ける気になったのかは分からない。分からないが、俺はそんな疑問さえどうでもよくなるくらい、頭がクラクラとしてきた。


「ごめんなさい。フォーゲルさんが居なくなってただでさえ、辛いときに、こんな追い打ちをかけちゃって。......でも、そんな未来に希望が持てなかったウチに生き方を教えてくれたのが、フォーゲルさんだったんですよ」


「アイツ、そんなことしてたのか」


「あ、いえ、フォーゲルさんが直接、何か教えてくれた訳じゃないんですけど。......フォーゲルさんって、あんまり物怖じしないっていうか、言いたいことはズバズバ言うし、やりたいことは何でもする人じゃないですか」


「そうだな。部室でソーセージ茹でるし」


 と、俺が苦笑すると、月見里はコクリコクリと頷いた。


「それを見て、ウチもフォーゲルさんみたいに自分に素直になろうって思えたんです。......いつかは分からないけど、いずれ来る自分の死をちゃんと認めて、その上で今をちゃんと生きようって、思えたんです」


 『最近のウチが、開き直ったように先輩に好き好き言ったり、図々しくなってる理由はそれです』と苦笑する月見里を俺は自分がどんな表情をしているのかも分からないまま、見つめた。


「そう、か」


「あはっ。やったあ。その顔ですよ、その顔。悲しそうで、苦しそうで、辛そうなその顔。その顔をウチにもして貰いたかったんです」


「自分に素直ってそういうことじゃないやろ......」


「えへへ。はあ、言いたいこと言えてスッキリした。ごめんなさい、悲しませて。でも、ご馳走様です」


 クスクスと笑う月見里に俺は溜息を吐いた。

 『俺の悲しそうな顔を見たい』という彼女の言葉もある程度、本当なのだろう。しかし、彼女がわざわざ、長きに渡って隠していた病気のことを今この瞬間、打ち明けた理由はきっと他にもある。


「......後悔のないように今を生きろ、グズグズしてるんじゃない、って遠回しに俺を叱ってくれたんだよな、今」


「まあ、そんなところです。別に今この一瞬を先輩なりにちゃんと生きた結果が『コレ』なら私も否定しませんけど、もし、何か心残りがあるなら......」


「月見里」


「あはい」


「ありがとう。本当に」


「大好きだ、って言ってくれても良いんですよ」


「大好きだ。愛してる」


「......性格悪いですね。どうせ、親愛の方なんでしょう?」


「今ので好きって言わなくても傷付けることになるし、親愛だって言っても、恋愛だって言っても傷付けることになるだろ。どうすりゃ良いんだ」


「積み、ですね先輩。だったらせめて、素直に言ったらどうです?」


「正直、普通に惚れそう。俺、現在進行形で何も言わずに帰りやがったアイツにイラついてる所だし」


「先輩も結構、身も蓋もないこと言いますよねー。......この前、フォーゲルさん、先輩を奪われたときは奪われたとき。自分の力不足だったんだから、みたいなこと言ってましたけど、よくよく考えたら、アレも自分はドイツに帰るから先輩は私に任せた、みたいな意味だったんですかね」


「......そう言われると、捨てられたみたいな感じで余計にイラついてきた」


「因みに先輩、今、此処で私が付き合いましょうって言ったら付き合います?」


「ちょっと、揺れるけどやめとく」


「そうですかー。それじゃあ、海の向こうのフォーゲルさんに一生、片想いを?」


「な訳」


「......仮に、フォーゲルさんが帰ってきたとして、それからなら私にチャンスあったりします?」


「すっごい嫌らしい質問してくるな、お前」


「傷付ける傷付けない、考えんで良いので、素直に答えて下さい」


「......アーデルが帰って来るまでは何も考えられない、ってのはどうだ」


「凄い曖昧やけど、まあ、及第点ですね。......分かりました。今日の20時、たかさごに来てください」


「......なにゆえ?」


「良いから。分かりましたね? それじゃあ」


 ニコニコ笑いながら言うだけ言うと、彼女は俺から剥ぎ取った布団を俺に被せて、そそくさと帰っていった。

 俺は若干の寂しさを感じながら呟く。


「......マジで俺、何してんだろ」


 アーデルの抱えていた悩みに気付いてやれなかっただけに飽き足らず、不貞腐れて多くの人に迷惑をかけていた自分にフツフツと怒りが湧き上がってきた。

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