72 嗚咽
「......え、いや、あの、何かの冗談。あ、え、あ、アーデルのサプライズに協力してるとか......です、よね?」
可愛い赤色と緑色の包装紙が巻かれた箱を持って、俺の家の玄関に立つアデーレさんに俺はそう言った。
しかし、彼女は驚いたような、悲しむような表情を浮かべながら首を振った。
「確かにサプライズに違いはないデスケド......まさか、Adelhideがキコクすることをケイさんに言ってなかったナンテ......」
演技にしてはあまりにもレベルが高過ぎる彼女の反応を受けて、俺は軽い眩暈がした。息が荒くなる。アデーレさんと話す俺の意識の裏側で、無意識の俺が最近から今日に至るまでの彼女の様子とアデーレさんの突き付けてきた事実を結び付ける。
しかし、その事実はあまりにも受け入れ難く、全く、現実感が湧かなかった。
「へ、へえ、は、ははっ......そういえば、そんなこと、言ってた気もするかなあ......ははっ」
「まだ、飛行機の中だと思うので電話、掛けられないデス。明日になったら掛けてミマス。いや、でも、そんな、ケイさんに黙って帰るナンテ......」
「あ、良いんですよ。はい、うん。な、何か思い出してきたかも。アイツ、帰るとか言ってたような、うん、言ってた、かな? あはは......」
口から出ようとする音を何も考えることなく吐き出す。何か喋っていないと気が狂いそうだった。
「あの、コレ、Adelhideから渡しておいてって言われたプレゼントデス。イチオウ、渡しておきマス。サプライズプレゼントだから、って私に頼んできたんデスけど......」
「あ、ありがとうございます、わざわざ」
「イエイエ、本当にスミマセン。私、あの子がキコクすることをケイさんに言ってないなんて、ゼンゼン、思わなくて......その、あまり長居してもごメイワクだ思うので今日は帰りマス。明日になったら、あの子に電話を入れておきマスカラ......」
「あ、は、はい。ありがとうございます。さようなら」
ガチャリとアデーレさんが玄関扉を閉めた瞬間、俺は鍵をかけることも忘れてその場に崩れ落ちた。
アデーレさんと話すことに気を逸らすことで、何とか無視していた思考の波が突如、俺の頭に押し寄せる。何故、アーデルは俺に黙って帰国したのか、何故、アーデルは今朝、俺に会いにきたのか、最後の挨拶のつもりだったのか......。
そもそも、どうしてアーデルはドイツに帰ることになったのだろう。両親の仕事の都合だろうか。彼女の頭に少しでも日本に残ろうという気はなかったのだろうか。いや、彼女のことだ。十中八九あっただろう。
部活の皆のことや、ソ連、蜂須賀......きっと、俺の存在も彼女の悩みの種になっていたのではないか。彼女は誰にも打ち明けることなく、独りで帰国という悩みを抱えていたのだ。それに俺は気付いてやれなかった。俺は彼女に何もしてやれなかった。
俺はただ、口を開けて待っていれば直ぐに元通りの生活が戻ってくるだろうと、そう思っていた。いつも、そうだ。俺はアーデルにしてもらうばかり。彼女の役に立てたことなんて殆どない。優しく、俺を理解してくれている彼女に全てを委ね、全てを負わせていた。でも、それでも彼女は俺に愛想を尽かすことはなかった。
今日の朝、俺に会いにきてくれたことがその証明だ。
「ああっ......あああああっ......っぅえ」
気付けば訳も分からずに泣いていた。まだ、彼女がこの地から去ってしまった実感は湧いていない。実感もなければ、未だに彼女が居なくなった事実を信じられずにいる。それなのに、それなのに、既に涙が止まらなくなっている。
「ごめん、ごめんな、アーデル......辛かったよな。全部、独りで苦しんでたんだよな」
誰に聞こえる訳でもないのに、そんな小っ恥ずかしい独り言を言ってしまう。
「う、うう、ぇぃやあああああああああああ」
自分でも経験したことのないくらい変な泣き声を漏らし続けている内に、更に嫌な思考が頭を過ぎり、まるで火を焚けば焚くほど、薪がくべられるように、泣けば泣くほど更に俺は涙を流していった。
それからどれだけの時間が経っただろう。ひとしきり泣いた俺は震える手で丁寧に、丁寧にアデーレさんから受け取ったアーデルのプレゼントである、箱のリボンと包装紙を剥がした。
箱の中にあったのは更に小さな、細長い箱。その箱を開けると、中からはチェーンからチャームまで全てが銀色の無骨な印象のペンダントが出てきた。そのペンダントはただのペンダントではなく、チャームの部分が開閉可能なロケットペンダント。
チャームを開いてみると、中にはこの前、クリスマスパーティーの場にて、アーデルの提案で撮ることになったあの集合写真が入っていた。
「......アーデル」
強い溜息が出た。たかさごに行ってソ連とマスターに気持ちをぶちまけることも考えたが、今はまだ営業中だし、やめておくことにする。
「チッ、マジで何でなんだよ.....」
俺の体の中で散々肥大した悲しみは行き場を失い、やり場のない怒りとなって外に放出された。
そして、散々泣いて、散々怒鳴り散らした俺は遂に、気力を無くし、気絶するように寝てしまった。




