38 仲直り......?
姿勢を正し、呼吸を整え、気持ちを引き締めて、俺はインターフォンを押す。アーデルの家に来たのは何気に初めてだったが、その初めてがこんな形になるとは夢にも思わなかった。
「あ、ケイさん......」
暫くすると扉が開き、何やら気を落とした様子のアデーレが現れた。
「あの、アーデルが、急に居なくなってしまったんデス。『心配しないで』って、メールだけ送られてきたんデスガ......」
「行き先に心当たりとかありますか?」
「いえ、ありまセン。あの子のことだから、大丈夫だとは思うんデスガ。多分、友達の家にでも行っているのカト。ゴメンナサイ。明日くらいには戻ってくると思うノデ」
俺は暫し黙り込んだ後、頷いた。
「分かりました。また、明日、お邪魔します。あ、これ、クッキーなんですけど良かったら......」
俺は元々、アーデルに渡す予定だった菓子折りをアデーレさんに手渡す。
「わ、私は受け取れマセン。Adelheidへの物デショウ? Adelheidに渡して欲しいデス。あの子、クッキー好きだから喜ぶと思いマス」
俺は優しく笑うアデーレさんに礼を言うと、アーデル宅を後にした。家に帰る途中、蜂須賀やヴィクトリア、ルミ、月見里、ソ連など、俺の知る限りのアーデルの女友達に聞いたが、アーデルは泊まりに来てはいないらしかった。
『つーか、お前の家に行ってる可能性はねえんですか?』
スマホの向こう側からソ連がそんなことを聞いてきた。
「無いだろ。アイツ、怒ってるだろうし。......いやでも、アイツだからな」
普通は喧嘩した相手の家なんて、行くはずが無い。しかし、アーデルは普通ではないのだ。そう簡単に行動を読むことは出来ない。
俺はソ連に礼を言って電話を切ると、小走りで自宅へと向かった。
「やっぱり......」
家を出る時、電気の消し忘れはきちんと確認した筈なのに俺のリビングからは光が漏れ出ていた。
これ、強盗がリビングで寛いでる訳ではないよな? と若干の不安を抱きつつも、しっかりと施錠されている玄関の扉の鍵を開けて、俺は中へと入った。
「お帰りなさい」
すると、リビングの方からすっ飛んできた金髪娘が当たり前のようにそう挨拶をした。家の中は何だかとてもスパイシーな香りが漂っている。
「あ、た、ただいま......」
「お疲れ様。ご飯にする? お風呂にする? それとも、私?」
戸惑う俺に構うことなく、アーデルはそんなことを聞いてきた。
「じゃあ、アーデルで」
俺も俺で何故か即答してしまった。単純にアーデルを選んだ場合、どうなるのか気になったのだ。
「なら、取り敢えず荷物を置いてきて」
俺は言われた通り、靴を脱いで家へと上がり、荷物をダイニングの机の上に置いた。その中にはあのクッキーもある。
「置いたぞ」
「ん」
俺の言葉を聞いたアーデルは頷くと、手を大きく広げて此方へ来いと促した。
「え?」
「ん」
催促するようにアーデルはそう声を発する。俺は首を傾げながらも、アーデルに近寄った。
すると、突然、アーデルが広げた両手で俺の体を捕まえてきた。
「ちょ.......!?」
アーデルは無言で俺をそのまま抱き締める。夏ではあるが、クーラーの効いた部屋に居ただけあってアーデルの体はサラッとしており、少し冷たいくらいで暑くはなかった。
「仲直り」
そう呟くと、更にアーデルは俺をギュッとハグしてきた。こんなにアーデルと密着するのは、たこ焼きパーティーの買い出しの時ぶりだ。
「いやその、昨日のことに関しては完全に俺が悪かった。頼む。どうか、許してくれ」
アーデルの温度を直に感じながら、謝罪の言葉を述べるというよく分からない状況に俺は混乱する。
「そんなに謝ることはないわ。ただ、少しケンアクな雰囲気になっただけでしょう。私も言い過ぎたわ」
「いや、俺を心配して声を掛けてくれたアーデルにあんな態度を取った俺が100%悪い。謝らないでくれ。本当にごめん」
「私は謝罪が欲しい訳じゃない。謝らないで。それよりもこれで仲直りね?」
俺を『許す』のではなく『仲直り』という言葉を頑なに使うあたり、何処かアーデルの意地の様な物が感じられた。
「ああ。仲直りするか。というか、喧嘩別れしてから仲直りするまでの期間短すぎるだろ」
アーデルと言い争いになったのが昨日の夜で、仲直りしたのが今日の夜ということは喧嘩別れから仲直りまで実に1日しか間を開けていないことになる。
「関係の修復はなるべく早い方が良いでしょう?」
「それはそうだな。......てか、ハグする意味あったのかこれ?」
「前にも言ったでしょう? ドイツでハグは、挨拶や親愛の表現なのよ」
「親愛の表現のハグにしてはディープ過ぎでは? アーデルから良い匂いがするせいでさっきから俺の理性がペリペリ剥がれてるんだけど」
「貴方の理性、崩れるんじゃなくて剥がれるタイプなのね。黒雲母か何か?」
「誰が『薄く剥がれやすい』理性の持ち主じゃボケ」
アーデルの分かりにくい喩えに俺はそうツッコミを入れる。我ながら、黒雲母なんていう分かりにくい喩えをよく捌いたものだ。
「でも、私みたいな美少女に抱きつかれて悪い気はしないでしょう?」
アーデルは幸せそうな微笑を浮かべて聞いてきた。クソお......可愛い。
「そりゃ、な。でも、マジでそろそろ俺の理性が限界だから離れてくれ」
「理性が限界を迎えたらどうなるのかしら?」
「俺が衝動的にアーデルを押し倒そうとして返り討ちに遭う」
アーデルの圧倒的な力と護身術に俺が叶う筈が無いからな。
「ふうん.......確かに貴方に押し倒されるのはシャクね」
「だろ? 俺、痛いの嫌だから早く離してくれ。それにアレだぞお前、日本では家族でもない限り、男女はそう簡単にハグなんてしないんだからな。日本の文化に出来れば合わせてくれ」
「じゃあ、どういう状況なら家族でも親族でもない男女はハグをするの?」
アーデルは無表情で、しかし、サディスティックな口調で聞いてくる。
「そりゃあ、まあ......その男女が互いのことを好きな場合、とか?」
「私、ケイのこと好きよ。ケイは私のこと嫌い?」
アーデルは首を傾げて聞いてきた。俺の顔がカッと赤くなる。
「いや、勿論、好きだけど。そういう好きじゃなくてさ」
「じゃあ、どういう好きなの? 教えて」
何時にも増して、アーデルが積極的に聞いてくる。
「だからさ、そりゃ、恋愛感情が伴う好きだよ」
「......貴方、私に何度も付き合えって言って来てたじゃない。あれも恋愛感情が必要なんじゃないの? それとも、アレは冗談?」
アーデルは畳み掛けるように俺へと聞いてくる。ヤバい。良い答え方が分からない。
俺はアーデルが好きだ。恋愛感情を伴って好きだ。しかし、彼女は俺のことを友達としか思っていない筈。変に告白なんてしたら彼女の迷惑になる。
「ま、まあ、アレは給料のアップが絡んでたし......」
俺がおどけた様子で笑うと、アーデルは身の毛もよだつような殺気を俺へと向けて来た。獲物を狙う猛禽類の様な殺気だ。
「へえ、そう。貴方、そういう人なのね」
「あ、いや、そのですね、違う。いや、違わないけど......」
「まあ、貴方が私のことを見た目だけは良い変な女友達程度に思っていたのは知っていたけれど。それにしても、散々、付き合えと言ってきてジョウダンでしたは酷いんじゃないかしら」
アーデルが俺の体を抱きしめる力が強くなる。いや、抱きしめるというより締め上げるという感じだ。
「そ、それは、ごめ」
「私は貴方が好きよ。恋愛感情を伴って好き」
「......へ?」
俺の言葉を遮るかの様にアーデルが放った言葉はその場の空気を凍らせた。




