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36 険悪


 海を堪能した俺達が空を見上げると、既に空の青色は燻み始めていた。


「もう5時か。そろそろ帰るか」


 俺はスマホのロック画面に表示された数字を見て、そう言った。


「もうそんな時間かよ」


「楽しい時間が過ぎ去るのは早いですわね」


 不満そうな井立田にヴィクトリアは笑いながらそう言った。


「確かに楽しかったな。今度は不知火と行こ。アイツ、引きこもりだし。偶には外に連れ出してやらんと」


「とか言っちゃって、ぬい先輩の水着を見るのが本当の目的なんですよね?」


「好きな子の水着が見たいってのは極めて健全な気持ちだと思うぞ、俺は。なあ、五十六番?」


「.......そうかもな」


 突然、振られた言葉に俺は少し迷いつつそんな風に返答した。アーデルの方から目を逸らしながら。


「ウチも海水浴、初めてでしたけど凄く楽しかったです。はむはむ」


 海水浴場から駅へと向かう途中、串に刺さったイカの素焼きをワイルドに齧りながら月見里はそう言った。


「イカ焼き旨いよな。俺も好き」


「「イカの素焼きをイカ焼きとは認めない」」


 俺と月見里は言葉を重ねて、北里にそう言った。


「えっ......」


「自分なあ、あんま、舐めたこと抜かしてたら南港に沈めんぞ」


 戸惑う北里に対し、俺は畳み掛けるように言葉を放った。


「イカ焼きとはイカと小麦粉の生地を鉄板に押し付けて焼く粉物であって、イカの素焼きの名前では決してありません」


「いやいやいやいや、イカ焼きって言ったらイカをそのまま焼いたもんだろ。名前的にもそっちがイカクレープって名前に変えるべきだ」


 すると、霊群が突如、話に割り込んできた。チッ。コイツは根っからの関東勢だったな。


「でも、霊群先輩、たこ焼きって聞いたら何を想像します? たこの素焼きですか? 生地の中にタコが入った丸い粉物を想像しますよね?」


「いや、まあ、うん、確かに......するな」


「では、生地を纏ったイカ焼きがイカ焼きを名乗ることの何がおかしいのでしょうか?」


 ヤバい。何か、月見里がヒートアップし始めた。


「あー、はい、そこまでね。食べ物を巡る争いは宗教戦争の次くらいに厄介だから」


 蜂須賀が月見里と霊群の間に入って、争いを仲裁する。確かにキノコとタケノコ、どちらを取るかの戦争が日本史上、最も長く続いていることを考えれば、食べ物が絡む戦争というのは厄介なものなのかもしれない。


「関西風のイカ焼き、食べてみたいわね......」


「アーデルハイドは、タレとか、大丈夫なの? 私、ちょっと、苦手」


「私の味覚はケイによってカンサイフウに開発されてるからむしろ大好物よ。たこ焼きもお好み焼きも」


 ルミの質問にアーデルはそう答える。今日も焼きそばを凄い勢いでズルズル食べてたもんな。


「ケイのリョウリ、美味しい?」


「さあ、味付けはかなり薄めだし、ルミの口に合うかどうかは......」


「おい」


 味付けが薄めなのは仕方ないだろ。ずっと、料理は爺さんのために薄味を心がけて作って来たんだから。


「じゃあ、アーデルハイドは、嫌い? ケイのリョウリ」


「いえ、私はとても好きよ、ケイの料理。確かに塩分の濃い料理の多いドイツと違って物足りなく感じることもあったけれど。今ではケイの味噌汁を週に数回は飲みたいくらいだし」


「ふふっ、そっか」


 ルミは何故か嬉しそうに笑う


「ねえねえ、俺の味噌汁が飲みたいとか、それってもしかして遠回しに告白してます? アーデルさん」


「その理論でいくと、週に数回味噌汁を飲む日以外は浮気をするということだけれどそれでもOK?」


「ダメに決まってんだろ。ナインだ、ナイン」

 

 そんな話をしつつ、楽しかったこの一日の思い出を早くも回想しながら俺達は電車に乗り、到着した駅の前で解散した。


⭐︎


「じゃ、またな。俺とヴィクトリアはこっち方面だから」


「皆さん、ご機嫌よう」


「何か、いざ解散となると寂しいな。俺とルミは駅の向こう側なんだが......」


「俺とアズアズもそっち方面だわ。一緒に行こうぜ。またな、お前ら」


 駅に着き、口々に別れの言葉を言う彼らを私は手を振って見送った。唯一、家の方角が同じ彼と一緒に。


「.......私達も、帰りましょうか」


「おう。今日はどうするんだ?」


 『何を』なのか、はっきりとさせない曖昧な彼の質問に私は答える。


「夏休みで最近、貴方の家に行けてなかったし今日はお邪魔しても良いかしら」


「ん。良いぞ。買い物してないから適当にパスタとか茹でるか」


「良いわね、パスタ。手伝うわ」


「サンキュ。つっても、パスタ茹でるのに手伝ってもらうこととかそんなないけど......」


 その時、スマホから音が流れてきた。私のスマホからではない。


「チャクシンオン、ケイのじゃない?」


「あ、ホンマや。......って、母さんからじゃねえか。出て良いか?」


「ええ。待ってる」


 私に小さく『ありがと』と言うと、彼はスマホをタッチして耳元に当てた。


「あ、母さん? 何の用? 因みに今年のお盆も帰る予定やから宜しくな。うんうん......」


 相手の声は聞こえてこないが、彼の言葉を聞いている限り、相手は彼の母親らしい。仲が良さそうだ。


「は? 何言ってんの? ホンマに言ってる? は? 意味分からへんって。うん。いや、知らへんからそんなん。こっちの都合も考えてえや。いや、可笑しいやろそんなん。ふざけんなって」


 ゼンゲンテッカイ、と日本語では言うのだったか。突然、彼は攻撃的な口調になり、今までに一度も見たことがないくらいに険悪な雰囲気を出し始めた。


「け、ケイ.......?」


「うん。うん。いや、可笑しいから。ホンマにマジで。そもそも、そっちの都合で始まったことやん。いや、それに関してはええんやけどさ別に。うん。今更、それは可笑しいわ。うん、うん。いや、知るかよ。こっちのことも考えてえや。もう、切るで。バイバイ」


 一方的に電話を切った様子の彼はカバンの中に乱雑にスマホを入れると、舌打ちをした。


「あの......ケイ? どうしたの?」


「いや、別に」


「別にじゃなくて。明らかに今、喧嘩してたでしょう。何があったのか教えて」


「別にお前には関係ない」


 素っ気ない態度を取る彼に少し腹が立った。


「関係あるわ。半同居人みたいなものだし。ケイの怒ったところとか、初めて見たわ。きっと、本当に嫌なことがあったんでしょう?」


「もう、良いから。構わないでくれ」


「......何をイライラしているのよ。ケイがそんなことを言うなんて、普通じゃないわ」


 私の言葉に、更に苛立ちを募らせた様子の彼は大きな溜息を吐いた。


「知らねえよ。普通とか、普通じゃないとか」


 鼻を鳴らして彼は此方をギロリと睨んだ。


「貴方が何でそんなにイライラしているのか分からないけれど、私にその苛立ちを向けるのは可笑しいわ。オカドチガイ、って言うんだったかしら。その目を私に向けないで。気分が悪い」


「......チッ。苛立ってんのお前だろ」


 またもや彼は舌打ちをした。


「本当に嫌な目をしてるわよ、今の貴方。吐き気がする。ドロドロと溜まって、腐り切った感情をぶつけるモノが無くてもどかしいんでしょう。私を虐めてくる女達もそんな目をしているわ」


「......うるせえ」


「そう。なら、私、帰るわ。さようなら」


 彼の言うとおり、私もかなり苛立っていたのだろう。

 私は吐き捨てるように立ち尽くした彼にそう言うと、家を目指して歩を進めた。


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