27 テスト
「なあ、アーデル~……」
俺は何とも情けない弱り切った声で夕食のきんぴらごぼうをつまみながら彼女に話し掛けた。
「何」
「勉強したくな~い」
「そう」
「相変わらず反応うっすいな。後、二週間で期末テストだぞ、期末テスト」
ああ、自分で言っときながら更に憂鬱になってきた。もうやだ。
「ケイは勉強苦手?」
「うん。というよりも、勉強するのが苦手。モチベーションが上がらぬ。最近、暑いし」
勉強自体は得意とまではいかなくとも、苦手ではない。何時もそこそこの成績は取っている。だが、中々、やる気が出ないのだ。もう高校二年生なのだから真面目に勉強しなければいけないことは分かっているのだが。
「暑いのは関係ないでしょう」
「いや、めちゃくちゃ関係あるって。俺は鮎の生育温度レベルに涼しいところじゃないと、全ステータスがダウンするんだよ」
「要するにケイは面倒臭がりの暑がりということね」
「いや、間違ってないけども」
俺は苦笑しながらきんぴらごぼうを更につまむ。うん、少し辛めの味付けで甘過ぎず俺の好きな味だ。口の中でシャキシャキとするごぼうの触感が気持ち良い。
「初挑戦にしては我ながら上手く出来たわ、キンピラゴボウ。日に日に作れる日本食のレパートリーが増えていって嬉しいわ。……ところで、ゴボウって何?」
「知らん。何かの根」
「いや、それは分かっているけれど……。というか、人参や大根とかの根菜と違ってゴボウって本当にイメージ通りの根っこの見た目をしているわよね。初めて見たとき、軽くカルチャーショックだったわ」
「ゴボウって確かに海外にあるイメージは無いよな。中国とか韓国辺りならありそうだが」
「どうなのかしら。調べてみるわ」
アーデルは何処からともなくスマホを取り出すと、ホームボタンに指を置いてロックを解除し、検索を始めた。
「流石現代っ子。ネットを使いこなしているな。おじさん付いていけないよ」
「いや、私と貴方、1歳しか違わないから。……ごぼう自体はユーラシア大陸一帯に自生しているみたいだけど、食用にしているのは日本だけのようね。日本には元々、自生していなくて大陸からもたらされたみたい」
「ほへえ~勉強になるな。……って、違う!」
「何」
「テストだよテスト! 余裕そうな顔してるけどお前は大丈夫なのか!?」
「全然」
即答だった。
「いや、大丈夫じゃないのかよ!? すっごい平静保ってるのに!? 逆に凄いなオイ」
俺の言葉にアーデルは溜息を吐いた。
「ドイツにいた頃はセイセキは常にトップだったのよ? でも、ほら、日本のテストって問題文が日本語じゃない? 更に言えば国語は日本語だし、歴史は日本史だから。無理よ、普通に……。数学と英語だけなら良いのに」
言われてみれば確かにそうだ。あまりにもアーデルの日本語が流暢だからあまり意識したことがなかったが彼女はドイツ人。日常会話は話せすぎる程に話せるが専門的な日本語になれば話は変わって来る筈だ。
「特に社会や理科はキツそうだな」
「そう、下手したら国語よりもその二つが難しいの。確かに漢文と古文は失せれば良いと思っているけれど、現代文ならある程度の読み書きは出来るし漢字もドイツで暮らしてた時から勉強してたから、ある程度は読めるわ。日本に来てからも小説を書いたり、人と喋っているお陰で日本語力は着々と付いていってるし」
『漢文と古文』その言葉を口にするとき、彼女から凄い殺意が発されたことを俺は見逃さなかった。しかし、彼女には安心して貰いたいものだ。漢文と古文が一切出来ないのは何も彼女だけではないのだから。はあ……。
「でも、理科や社会は専門用語や日本の歴史なんて知るか潰すぞって感じになるんだろう?」
「その通り。化学記号なら分かるけれど、一からスイソだのショウサンだの、コンデンエイネンシザイホウだの覚えてられるかって感じだわ」
「まあ、そうなるだろうな......」
「一応、昔から何時日本に転校しても良いようにって多少の日本の勉強は親から教えて貰っていたからそのお陰で0点、なんてことにはならないだろうけどそれでもキツイものはキツイわ。日本史なんて絶賛マンガで勉強中よ」
アーデル、俺が知らないだけで裏では凄く努力しているんだなあ。俺も見習わなくては。
「まあ、何だ。勉強で分からないこととかあったら俺に何でも聞いてくれ。一年生の範囲くらいなら教えられると思うから」
俺は鯖のみりん干しをほぐしながら言った。
「……Danke」
「おう」
それからは俺もアーデルも黙々と飯を食べ続けた。静かで暖かいこの空間が何だかとても気持ち良い。俺は一時の幸福を享受した。
数分後、二人の箸が同時に止まる。
「「ご馳走様でした」」
手を合わせて俺とアーデルはそう言った。
「なあ、アーデル?」
「何」
「いや、その……何と言うか、テストが終わるまでお前がウチに来るのは止めにしないか?」
「何故? 私が居たら勉強に集中出来ない? メイワク?」
俺は彼女の言葉に激しくかぶりを振る。
「いやいやいや、アーデルのことを迷惑だなんて思ったことは一切ないんだが、ウチに来たらアーデルの勉強時間が削られるだろ? アーデルが飯作ってくれたり、色々と手伝ってくれてるのは目茶苦茶感謝してるんだけどさ。アーデルだって学生だし、俺がアーデルの勉強時間を奪うことは出来ないかなって。元々、アーデルの時間を奪ってる気がして何と無く責任感じてたし」
アーデルは手を顎にやり、軽く頷いた。
「ふうん……」
「何だよ」
「貴方らしいなと思っただけ。後、何度も言うけれど此処へは私が勝手に来て、勝手に好き勝手やってるだけだから貴方がそのことでセキニンを感じる必要は無いのよ? 私、合い鍵すら渡されてないし」
そう言えばコイツ、いっつも裏口から不法侵入してきてるもんな。
「いや、合い鍵渡すなんて図々しいことが出来る訳無いだろそりゃ……」
「その割に何時も裏口は鍵、掛かっていないけれど?」
「実はあれ、鍵の部分が壊れてて鍵かけられへんねん」
「いや、それは直しいや」
アーデルがそんな風に関西弁でツッコミを入れる。まさかコイツ、俺が関西弁をよく喋るせいで関西弁を操れるようになってきてるんか? 俺は標準語を話すときもかなり関西弁のイントネーションで話すからな。有り得ない話ではないでこれ。
「この辺治安良いし、大丈夫大丈夫」
「頭の可笑しいドイツ人の娘に不法侵入されてる時点で治安もへったくれもないことに気付きなさい」
「……それもそうだな」
俺は苦笑する。初めて俺の家に不法侵入してきたときも言ってたなその自虐。
「ま、良いわ。ケイの折角の優しさ、尊重してあげる。テストが終わるまでは此処に来るのは止めにするわ」
「うっわ、えぐいくらいに高飛車な言い方するやん」
「ただし、此方からも条件があるわ」
「え、何? 勉強に集中して欲しいから家に来ないでって言っただけなのに条件とかあんの? え? 何かめっちゃ怖いんやけど」
「テストが終わったら合い鍵渡しなさい」
やっぱり怖かった!?
「ん?????」
「だから、テストが終わったら合い鍵渡して」
「いや、何故」
「私のしている行為を不法侵入から合法侵入に昇華させるため」
合法侵入とかいうバラドックスワード止めて?
「号砲侵入か何かの間違いだろそれ。大砲の音と共に侵攻していくドイツ軍が目に浮かんだわこちとら」
「最強のドイツ軍を敵に回したくなければ大人しく合い鍵を渡すことね」
軍をちらつかせた要求止めろよ。お前は1938年を生きているのか(注釈一)。
「まあ、うん。そこまで言うなら、渡すよ、うん。お前なら安心だし」
その言葉にアーデルは満足そうに頷いた。
「宜しい。あ、今日は泊まって行くわね。お風呂も入ったし、歯を磨いたら直ぐに寝ようかしら。パジャマどこ?」
「……和室の引き出し。右の一番上。食器洗いはやっとくから着替えてこい」
「了解」
やっぱり、俺の家に当たり前のように年頃の少女の歯ブラシやパジャマが置いてあり、寝室が確保されてるの何かが可笑しいと思う。
俺が食器を片付け終わり、勉強をしていると歯を磨き、着替えを終えたらしいアーデルがダイニングにやってきた。いや、アーデルのパジャマ姿かわい! 何時も見てるけどやっぱりかわい!
「精が出るわね」
「ああ、まあな。でも、やっぱやる気が出ないな。何か全てがダルい」
「そう」
「対応が塩いなあ~。アーデル励ましてえ」
「テンションがウザいわね。そうだ。今回のテストを頑張ったら夏休みがあるじゃない」
「夏休みとかバイトぐらいしか予定ないンゴ」
俺の言葉にアーデルが『む……』と言葉を漏らした。
「最後まで話を聞きなさい。……夏休みは海に行くわよ」
彼女の言葉に俺は沈黙する。理解が追いつかない。ナウローディング。頑張れ、俺の脳。処理しろ。頑張れ。頑張れ。
「……え何それマジ!? うっそん。え? やったあ。え? 嬉しい」
どうにか処理が追いついたらしい。
「私が居るからには貴方に退屈な夏休みは過ごさせないわ」
「いや、夏休み一緒に海に行ってくれるとかもうそれ俺達付き合ってるでしょ。事実婚ならぬ事実交際でしょ。付き合って下さい」
「ないから」
「何でだよおっ!」
注釈1:1938年のドイツは武力を背景にオーストリア併合をイギリスに認めさせたり、チェコスロバキア領ズデーテンランドを割譲させたりしていた。




