2 ヴルスト
殆ど使われることのない校舎の北側、其処の隅に存在する文芸部の部室では二つの音が響いていた。一つは俺がパソコンのキーボードを叩くカチカチという音。
そして、もう一つは先程この部活に仮入部をしたドイツ人。アーデルハイドがお湯を沸かすグツグツという音だ。......不意にカチカチという音が止まった。
「なあ、アーデルハイド」
「何?」
「そのコンロと鍋、どうしたんだ?」
「持ってきたわ」
「そうか」
俺は再び、パソコンに向き直り、頭を整理する。彼女は何をやっているんだ?
......湯を沸かしている。それは分かる。でも、何故? 何故、文芸部で湯を沸かす必要が有るんだ?
「よし、そろそろ良いわね」
アーデルハイドはそう言うと、リュックからタッパーを取り出して何か細長い物を取り出した。
......ソーセージだ。其処にはきちんと真ん中が捻られて二本に分かれている生のソーセージがあった。そして、彼女は慣れた手付きで沸騰した湯にそれを放り込んだ。ソーセージが冷たかったのだろう。湯は沸騰を止めて静かになった。
「なあ、アーデルハイド」
「何?」
「何だよそのソーセージ」
「Frankfurter Würstchen」
「は?」
「聞き取れなかったかしら? これはソーセージではなくフランクフルターヴルストヒェン。フランクフルト発祥の世界的に有名なWurstなのよ。因みにWurstというのはソーセージのこと」
じゃあ、要するにソーセージじゃねえか。
「俺が聞きたいのはソーセージの正式名称ではなく、何で文芸部の部室でそのなんちゃらブルストを茹でてるのかってことだよ」
「Frankfurter Würstchen、ね。良いじゃない。Wurst美味しいし」
「校則違反だろうが」
「バレなきゃ犯罪じゃないって、ネットのjapanisch……日本人が言ってたわ」
ネットのjapanisch。......恨むぞ。
「てか、どっちにしろ俺にバレてるからな? お前なんて退部だ。退部。最初からヤバい奴だとは思ってたが、まさかここまでだったとはな。アーデルハイドとかいう名前してる癖にスイス人じゃないし。 どうせ、口笛が何故遠くまで聞こえるのかも疑ったことないんだろ(注1)」
「最後のは関係ないでしょう......。アーデルハイドという名前はドイツでも使うの。後、退部は絶対に嫌。他の部活と違って此処は静かだし、虐めたり、ガイジン呼ばわりしてくる女子もいないから(注2)」
「いや、それはお前の都合だろ。俺は部室でブルストを茹でる後輩なんていら.......」
「静かにして」
アーデルハイドはそう言うと、無言で茹で上がった熱々のソーセージを俺の口に突っ込んできた。
「あふぅっ!? あふっ、あふっ、なんへこほしへくれるんら!」
「ちゃんと火は通っていたみたいね。召し上がれ」
俺は突っ込まれたソーセージをあまりの熱さに悶えながらも噛み千切った。口の中が肉汁とハーブの香りでいっぱいになる。
「むぐむぐ、もぐもぐ......悪くない」
「そう」
アーデルハイドは殺風景な表情でそう言った。無感情、という訳ではなさそうなのだが先程からずっと表情を変えないのでコイツが何を考えているのか全くもって分からない。
「この味はパンが欲しいな」
「バームクーヘンならあるけれど」
「何でそんなもの持ってんだよ」
「愛国心」
あ、そっすか。
「てか、愛国心がある癖に校則を破ってんじゃねえよ。規則遵守のドイツの国民性何処行った」
「この学校に鍋を持ってきてWurstを茹でてはいけない、というコウソクは存在しないじゃない」
「小学生みたいなこと言うな。後、不要物を持ち込むな、っていうのはあるからな」
「私にとっては鍋もWurstも必要な物だし、そもそも先輩も同罪よ」
「はあ?」
「Wurst、食べたでしょう?」
「待て。あれはお前が無理やり食べさせたからであってだな」
「聞こえない」
アーデルハイドは腰まである綺麗な長髪を手で弄くりながら顔を逸らした。
「ぐぬぬ」
「......うん。美味しい」
茹でソーセージを手で持って頬張るアーデルハイド。もうこの部活一体どうなっちゃったの。
「というか、アーデルハイド」
「何?」
「お前、名字は?」
「フォーゲル」
「アーデルハイド・フォーゲル......強そうだな」
何と無く、語感が。
「名字なんて聞いてどうするの?」
「いやほら、さっきからずっとお前のことアーデルハイドって呼んでたけど、やっぱり初対面で名前で呼ぶのってなんか......アレじゃん? いや、ドイツではどうなのか知らないけど」
「日本のファーストネームの扱いはアニメとか見てるから分かるけれど、ドイツも同じ感じよ。親しい間柄になってからファーストネームで呼び合うの。......いや日本ほどキョクタンでもないけれど。日本人って男女の場合は恋人かとても親しくない限り、ファーストネームでは呼び合わないのでしょう?」
よく日本の文化を学んでいらっしゃる。
「ま、そういうことだ。だから、これからはフォーゲルと......」
「いえ、アーデルハイドと呼んで」
「何故に」
「ファーストネームで呼ぶ相手って情が湧くでしょう? 部活をツイホウされる可能性が減ると思って」
「追放される前提なんはどないなん?」
「私も先輩のことをケイと呼んであげるから。あ、別に私が貴方に好意を抱いているからそう呼びたいとかそんなのではないから勘違いしないで。ただ、貴方にファーストネームで呼ばせるなら私もそうした方が釣り合いが取れると思っただけ」
その面倒臭いツンデレみたいなの止めろ。
「呼ばなくて良い」
「良いじゃない。ケイ」
「先輩を何だと思っているんだお前は」
「ハイジドイツ人だから分からない」
「しばいたろかこら」
そんな俺の言葉にハイジは少しだけ目を輝かせた。え? 何この娘怖い。
「ケイって何処出身?」
「大阪。というか、俺のことを名前で呼ぶのは決まりなのかよ」
「やっぱり。オオサカベンっぽいのが聞こえたからそうじゃないかと思ったの。ケイは一家に一台タコヤキ機のあるオオサカジンなのね」
凄い偏った知識。
「別にそんなに興奮することではないだろ。後、別に大阪人でも一家に一台たこ焼き機がある訳じゃないぞ。......ウチにはあるけど」
俺がそう言うとアーデルハイドは俺の手をギュっと掴んできた。
「Really?」
「お、おう」
「今日、ケイの家にお邪魔するわ」
お、謙譲語使えてる。
「たこ焼きが食いたいのか?」
「そう」
「だが断る」
「なん......だと?」
ノリやすいなコイツ。
「いや、普通に考えて女子が男の家に行くとか宜しくないだろ。俺、独り暮らしだし」
「ケイは私のことを襲うの? 女の敵。悪漢」
アーデルハイドは俺を蔑むような目で見ながらそう言った。え、何で俺こんなに言われてんの?
「違うわ」
「それなら、良いじゃない」
いくない。
「お前の両親も心配するだろ」
「私の両親、11時くらいまでは帰ってこないから大丈夫」
「大丈夫じゃないが」
「お願いするわ」
「お願いされても困るが」
俺がそう言うと、アーデルハイドは俯いて負のオーラを出した。
「友人を置いて、ドイツからハルバルやって来たというのにクラスでは女子から早速、ガイジンということで虐められて、体目当ての男子からは変なアプローチをされて、やっと見つけた自分に最適な筈の部活の先輩にも突き放されて......」
「ど、同情を誘っても駄目」
「日本に来てからユイイツ、心を許せた人。それが貴方。出会って直ぐに貴方は他の男子とは違うと直感的に感じた」
「お、おだてても駄目」
アーデルハイドは俺の言葉を聞いて尚、話を続ける。
「先生が言ってた通り、貴方となら仲良くなれそうな気がしていたの。......いいえ、今でもしているわ。お願い。私を見捨てないで」
めんどくせえ。
「無駄に話を壮大にしてるけど、要するにタコヤキが食べたいだけなんだよな?」
「ええ。因みにさっき、貴方を褒めた言葉の殆どは嘘だから思い上がらないように」
待って。何でコイツこんなに態度デカイの? しばきたい。
「......分かったよもう」
そして、もうなんか全てが面倒臭くなってしまった俺はそう言ってしまったのだった。
第二話でした! 少しでも興味を持って頂けた方はブクマ、評価、感想、レビューを宜しくお願いします!
(注1) アーデルハイドは作家ヨハンナ・スピリの作品『アルプスの少女ハイジ』の主人公、ハイジの本名。日本ではズイヨー映像を制作とするアニメで多くの人に認知されている。「口笛は何故、遠くまで聞こえるの」という歌詞が有名。かなり面白いので未視聴の方がいれば是非。
(注2) 文脈にもよるが、「ガイジン」という言葉は一般的に快く思わない方が多い。使うならより中立的な「外国人」が無難。勿論、どちらであろうとも疎外的な意味を込めて、言うのはもっての外だが。