1 出会い
この学校にはとある部活が存在する。文芸部だ。メジャーでなくともマイナーではないこの極めて地味な部活は我が学校において最大の危機に瀕していた。部員が居ない......もとい、居ないに等しいのだ。その部員数、なんと驚異の二名。しかも、一人は病気を拗らせて入院中なので実質一人だ。
「そして、その一人が俺なのか......」
俺は不満そうに独り言を言って、深いため息を吐きながらパソコンに小説の文を打ち込む。だが、その手はあまり動いていなかった。
面白い物語というものが思い浮かばないのである。それは今日に限った話ではない。もう一人の部員が入院して、来なくなってからずっとである。俺は小説を書くときは一人で黙々と書きたいのだが、同時に話し相手がいないと落ち着かないのだ。
だからと言って、もう一人の部員を病院から連れ出してくる訳にもいかないしどれだけ宣伝をしても部員は増えないので今日もため息を吐きながらダラダラとパソコンに向かうしかない......筈だった。
「五六! 仮入部を希望する生徒がやって来マシタ!」
突然、文芸部の顧問でありアメリカ人英語教師のジョン・ドルトン(原子説の提唱者ではない)が部室の扉を開けてそう言ってきたのだ。(注1)
「はい?」
「此方の方デス! なんと、ドイツの方デスヨ! 上手くやってくださいね五六!」
そう言うと、仮入部を希望しているという金髪の少女を一人残してMr.ジョンは去っていった。幾らなんでも唐突過ぎると思いながら俺は少女に視線を向ける。
「ああ......えっと、文芸部部長の五六渓だ。五六って書いてふのぼりって読む。取り敢えず、自己紹介してくれるか?」
俺は先程から一言も声を出さない少女に恐る恐る話し掛けた。何の説明もなくこんな
仕事を押し付けやがって。
あの英語教師許さん。......というか、ドイツ人らしいがこの娘は日本語を話せるのだろうか。やっぱり、グーテンタークとか言ってくるのか?
「Hello. Nice to meet you.」
「・・・・」
「My name is Adelheide.」
英語だこれ。
「其処はドイツ語話せよ!? 何故、英語を話した!? グーテンタークって言えよ!」
「グーテンタークじゃなくて『Guten Tag』」
「いや、日本語話せるなら最初から日本語で話せよ」
「見た目の割に、口数は多いのね。先輩」
肩まで掛かった金髪を揺らしながら、アーデルハイドは俺を見つめた。
綺麗なエメラルドグリーンの目だ。
「誰が口数を増やさせていると思ってんだか。......つーか、お前一年なの?」
俺は二年生。俺を先輩と呼ぶと言うことは、必然的に彼女は一年生と言うことになる。
「Ja」
「は?」
「ドイツ語でYesを意味する」
「いや、何故ドイツ語で言ったし」
「キャラ付け」
あ、はい。
「てかお前、敬語は? I am senpaiよ?」
「外国人からすると敬語はとても難しいの。多目に見て」
「成る程。なら、仕方ないな」
いやまあ、そのアニメとかでよくある丁寧な女性口調も難しいと思うけど
「......というのは建前で、ただ単に敬語を使うのが面倒臭いからだったりします」
「ざけんな。敬語使え」
「パワハラは格好悪いと思います」
「うるせえ。いや、別に俺は敬われるような存在じゃないからタメ口でも良いんだけど。他の先輩には敬語使えよ?」
「他の先輩にシテキされたら、サキホドのタテマエをリュウヨウするから大丈夫です」
......何と言うか、もう良いです。
「仕切り直すぞ。お前はこの部活に仮入部をしたい、そうだな?」
「Ja」
「でも、よりにもよって何で文芸部なんだ? 部長の俺が言うのもアレだがこの部活、滅茶苦茶人気ないぞ? ドイツ人ならほら、吹奏楽とか」
「ドイツ人なら皆、音楽的センスがあるみたいなヘンケンを止めて。もし私が『日本人なら皆、カラテが出来る』と言ったらヒテイするでしょ?」
アーデルハイドはニコリともせずにそう言った。つまり、そういうことなのだろう。
「......悪かった」
「別に怒っていません」
と言いつつ、目が笑ってないよ? 怖い。このドイツ人怖い。
「じゃあ、アレだ。運動部とかはどうなんだ」
「運動は嫌いではないけど、私はそれよりも文芸部が良かったの」
「何故に」
「私、日本語ペラペラじゃない?」
「自分で言うなよ。まあ、上手いとは思うけど。日本に来てから長いのか?」
たまに単語の発音がドイツ語っぽくなってはいるが、全然聞き取れるし彼女の日本語力の高さを否定することは出来ない。
「いえ、日本に始めて来たのが数日前よ」
「......マ?」
「マ。両親が日本育ちのドイツ人だから何時か日本にテンキンになったときのために日本語をドイツで教えてくれてたの。自分で勉強もしてたし」
「すげえな。どんな勉強をしてたんだ?」
先程の様子だと英語も堪能らしい。3ヶ国語を操れるのは普通に感心する。
「特に役に立ったのは実際に日本人達とネットで会話をすることね」
「因みにそのネットって言うのは?」
「SNS。鳥が飛んでる奴」
「其処は魔窟ぞ」
どうやらこのドイツ人はSNSのジャパニーズヲタク達との会話から日本語を吸収したせいでこんなんになってしまったらしい。
どうりで話し方に電波の気がある訳だ。
「失礼なことを言われた気するわ」
「いや、何で分かったんだよ」
「いや、何でヒテイしないのよ」
「嘘は嫌いだ」
「ア、ハイ」
「で、結局日本語が上手いのと文芸部に仮入部したいのにはどんな関係があるんだ?」
俺は溜め息を吐いて彼女に尋ねた。
「文芸部って小説書いたり詩を作ったりするのよね? 自分の日本語力をひけらかせるじゃない」
アーデルハイドは真顔で言う。
「帰れ」
ひけらかす、なんて難しい動詞よく知ってたなと思いつつ俺は少女の体を持ち上げて部室の外に出すと、扉の鍵を閉めた。
「待って。今のは嘘。嘘だから開けて。実際は日本語が好きだからもっと日本語を勉強したいと思ったの。というか、さらっと今、体を触ったわね? そういうのってセクハラと言うのよね? でも、今回だけは開けてくれたらフモンにしてあげる。どう?」
「・・・・」
「フノボリケイ。開けて。部員に困っているのでしょう。私が入部してあげるわ」
「・・・・」
「それに貴方は友達が居ないのよね。ジョン先生から聞いたわ。私も思うようにクラスに馴染めなくて悩んでいたの。そのことを彼に相談したら『だったら五六と友達になったら良いデス。暗くてボッチの彼ですがきっと貴方となら相性が良デスヨ』って言われたの。私が友達になってあげるから、ね?」
イラッ。
「・・・・」
「......もう良いわ。ごめんなさい」
本当に帰ろうとしているらしいアーデルハイドの足音を聞いて俺は苛立ちながら部室の扉を開けた。
「いや、何でそのタイミングで引くんだよ。後少しでキレそうなところで寸止めされて消化不良なんだけど」
「貴方は私のことが嫌いみたいだから」
「いや、嫌いではないが。......もう良いよ。入れ」
「良いの?」
「良いって言ってるだろ」
「そう」
俺に対して好意的な態度を取っているわけでもなく敵対的な態度を取っているわけでもない、クールな雰囲気の実に掴み所のない少女。それが俺の彼女の第一印象だった。
「まあ、取り敢えずは仮入部からな」
「ええ。私自身、本入部の気持ちが揺らぎ始めてるし。この部活の部長について知って」
「え......」
「心配しなくてもただのドイツジョークよ」
これが俺とアーデルハイドとの出会いだった。そして、これがこれから始まるこの狂ったドイツ人との騒がしすぎる日常の幕開けだったのだ。