4:エンジンに火を付けろ
ついに初飛行!三話連続投稿一話目。
現実に、箒で空を飛ぶのは難しいとわかった。
リンダが前世で乗り回していたバイクのような座席もハンドルもなく、安定性もない。なにしろただの木の棒に草を括り付けてあるだけなのが箒だ。宅配パン娘はなるほど自分で箒を作っていたが、あれはいろんな魔法をかけて飛べるようにしてあるに違いない。自分でバイクを改造していたリンダは前世の魔法少女に親近感を抱いた。
好きにしていいとこの度めでたく父親になったノヴァの言質も取ってある。リンダはさっそく箒を作ってみることにした。
「杉か檜か……。竹はダメだな、ただでさえ硬くて尻にやさしくないのに節が当たったら割れ目が増えてしまう」
庭師のトム爺さんに切ってもらった木の枝を魔法で乾燥させ、それを削って座りやすいように整えていく。はじめのうちは加減がわからずデコボコになってしまったが、ナイフで削るより魔法で研いだほうが滑らかに仕上がるとわかってそちらに切り替えた。乗り心地も考えて座る部分にクッション製を持たせる。尻にやさしい仕様。
「うーん、問題は柄の部分じゃなくて後ろの箒のとこなんだよなぁ……」
箒のことには詳しくなかったのでトム爺さんの意見を参考にしている。トム爺さんはちゃんと掃除に箒を使っているらしく安心した。箒の尊厳は守られたのだ。
なんでも、箒のところに風を纏わせることで落ち葉を集めるのだそうだ。リンダが普通に風で一カ所に集めたほうが早くないかと問うと、そこまで広範囲の魔法を使える人は滅多にいないと答えが返ってきた。そして、そんな魔法使いなら使用人ではなくもっと稼げる職に就く、とも。なるほど適材適所。リンダは納得した。
「箒で空を飛ぶか。姫様は面白いことを考えなさるの」
「人生は楽しんだもん勝ちだろ?」
かっこつけてウインクを決めると、トム爺さんはかっかっかと笑い出した。
「そうじゃな。人生は楽しんだもん勝ちじゃ」
大きな手で頭をわしゃわしゃ撫でられて視界が揺れる。
「儂がよう使っとるのは藁を纏めたやつじゃ。竹の箒も良いが、ちと荒い」
「藁だとやわらかすぎない? バランスを取るのが難しいんだ」
「やわらかくてしなやかなほうが風を操りやすいんじゃよ」
「なるほど」
リンダは木の棒にくっつけるなら同じ素材のほうがまとまりが良かろうと同じ木の枝を細く削り出したものを使っていた。
だが、それだと箒ではなく木としての意識が強くなるのかもしれない。空を飛ぶものではなく、土に根を張るものだ。試作品で飛んでも抵抗が強いのは、そういう意識が箒にあるからかもしれなかった。
トム爺さんが続けていった。
「あとな、やっぱり長く使った物のほうが使い心地がええぞ」
「慣れか。そうか、癖がつくもんな」
思えばバイクもそうだった。高校生がバイト代で買えるバイクは当然のように中古で、前の乗り手の癖が付いていた気がしたものである。それがなんだか頭に来て、自分のものだと言い聞かせるように毎日毎日飽きもせず乗っていた。
「愛着を持って使っとれば、道具は応えてくれるもんよ」
そう言ってトム爺さんは愛用の箒を撫でた。爺さんの手にしっくりと馴染んだそれは、持ち手の位置に手脂がついて琥珀色に輝いている。自慢げな表情が羨ましかった。
トム爺さんはハーツビート家に仕え続けて四十年、この庭のことならなんでもお任せの年季の入った庭師である。この世界にはリンダも知っている植物と、リンダの知らない魔法植物があり、魔法植物は育てるのが難しい。ハーツビート家は魔法薬の専門家なので、様々な種類の植物が植えられていた。トム爺さんはそれらを育てるのが上手なのだ。
「姫様にはまだちょいと早かったかのう?」
「ううん、わかるよ」
免許を取ってから引退するまでの間、自分の手足のように乗っていた。エンジンが壊れれば解体業者のところへいって発掘し、自分で付け替えて乗り続けたものだ。大事な相棒だった。相棒さえいればどこまででも行ける気がした。
エンジンをかけると一瞬大きく体を震わせ、ドッドッドと鼓動を刻み出す。ハンドルを回せばいっそう激しく咆哮して走り出した。自分の体の一部みたいに自由に動いた。風を切る音、車体から伝わる振動、吐きだした煙の匂いもまだ覚えている。
「そっか、エンジンだ」
「エンジン?」
「駆動体だ、エンジンを付ければいいんだ!」
閃いた! とばかりに納屋に走ったリンダは、藁を抱えて戻ってきた。
「箒にこだわりすぎてた。これは空を飛ぶためのもので、バランスをとるのは乗り手の姿勢。エンジンがなければ力技で飛ぶしかないもんな。空飛ぶ箒と掃除用箒はそりゃあ違うよ」
ぶつぶつ言いながら藁を纏め、手際よく柄に括り付けていった。スピードに負けて空中分解しないように、魔法でさらに接着させる。気分よく飛んでる時に部品落下はシャレにならない。落ちていくのが藁なら風になびくだけだが人体はペースト状だ。
魔法はリンダにとって、よくわからないけど便利なもの、という認識しかなかった。精霊だの系統だの教えられ、きちんと呪文もあるらしいが、覚えなくても使えるしきちんとした呪文は融通が利かない。使い勝手が悪いのだ。
ただし、勉強は一応真面目にやっている。やっぱりというか使っちゃいけない呪文があるらしく、そういう危険な魔法は法律で禁止されているからだ。危険を危険と知らずに使うほうが危ない。リンダは真剣に学んだ。
今までリンダが製作した箒はトム爺さんの箒を見本にした掃除用だ。陸空兼用ではなく、空を飛ぶのに魔力を吸い取られ過ぎていた。そのため浮いたとしてもすぐに落下してしまい、リンダが望むような飛行はできなかった。
今度は最初から、空を飛ぶために作る。魔力に反応して駆動する浮遊魔法と、方向性を持たせるための風魔法だ。
そうして出来上がった箒はボディは樫でエンジンは藁製の、まだ新品で白く輝いて見えた。生まれたばかりの箒にリンダは思わず頬擦りする。
「よし、初飛行といくか」
「気をつけるんじゃぞ、姫様」
「わかってるって!」
庭の中央に走り出たリンダは颯爽と箒に跨った。ひらひらしたドレスの裾が邪魔だったので尻の下に挟みこむ。クッションが効いているのか硬さはなく、これなら尻が三つに割れる心配はなさそうだ。
すぅっと息を吸いこんだ。
箒の柄を握る手に力を籠め、魔力を集中させる。ようは、気合いだ。
ふわっとリンダを中心に風が渦を巻いて円を描いた。尻に敷いたスカートがはためく。手にびりびりとしたものが伝わってきた。エンジンが目覚めようとしている。もう少し、まだ。
エンジンに火を付けろ。心臓を動かせ。空を飛ぶために生まれたもののごとくなれ。
「……乗りこなしてやる。安心して、空を飛べ」
リンダは箒に語りかけた。
手に伝わる、箒の息遣いが抵抗を止め、伏せた獣がリンダを試すような気配を感じる。リンダは目を伏せた。
物を作るのは昔から好きだった。様々な部品が合わさって一つの目的のために生み出されるそれは、時に思いもよらない反応を示すことがある。作動確認はいつも緊張した。本当に動いていいか、こちらに問いかけるようにゆっくりと目を覚ます物たち。
「お前に俺が憧れた名をやろう」
リンダは目を開けた。生み出した物に名を付けるのは製作者の特権だ。
「――カタナ」
震えが止まり、バッと藁が風を摑んだ。リンダは笑った。
「行くぜ相棒! 飛べー!!」
足に力を入れて思い切り蹴り上げた。
瞬間、体に重力がかかり咄嗟に目を瞑る。耳元でびゅう、と風を切る音がした。全身を硬直させ、ブレーキをかける。
目を開けた。
「わぁ……」
遠くの景色が広がっていた。
振り返るとハーツビートの広大な屋敷がずいぶん下にあった。ぐるりと見回せば庭から続く世界樹の森が地平線の向こうまで緑で覆い尽くしているのが見える。黒々とした山の稜線がパズルのようだ。
リンダの箒――カタナは空中で停止したまま、早く走り出したいとばかりに毛先を震わせている。リンダはそっと相棒を撫でた。
風が冷たい。急上昇したわりに耳が痛くなることはなかった。ぐっと上体を前に傾けて進んでみる。それほどスピードは出していないが、目に当たる風が痛かった。
しばらく飛んでいると下から叫び声が聞こえた。トム爺さんが慌てた様子で降りるよう手を振っている。声を聞きつけたらしい使用人も叫びながら集まってきていた。
「カタナ、いったん降りよう」
庭に螺旋を描くようにゆっくりと高度を下げていく。試運転にしては上出来だ。
ふわっと一回逆噴射して空中で停止し、箒を止める。地面に足を付けるとトム爺さんが真っ青な顔をして抱きついてきた。
「トム爺さん、ついに飛べたよ!」
「いきなり飛ばねえでくだせえ姫様! 死ぬかと思いましたよ……!」
「落っこちるようなドジ踏むかよ」
「儂の心臓の心配をしてくだせえ……」
胸を張るリンダを抱きしめ、トム爺さんはがっくりと膝をついた。年寄りには刺激が強かったらしい。
リンダはけろりとしているが、一瞬で雲の上まで飛んだリンダを目撃したトム爺さんは生きた心地がしなかった。あの高度まで飛べるのは世界中を探しても使い魔か龍である。こんなことができる魔法使いはリンダしかいないだろう。
執事に呼ばれたノヴァとプルートが心配そうに駆けてくる。生まれたばかりの相棒を手に、リンダは二人に向かって手を振った。
私は物に名前を付ける人です。