幕間:愛と欲望のメシ
今日はもう一話15時に投稿します。
強盗騒動がやっと落ち着いてきたある日、リンダは食堂でモーブレイに呼び止められた。
「ハーツビートさん、ちょっといいかな」
「なんでしょう?」
リンダにとって、モーブレイは可愛いユーフェミアの婚約者だ。人の大事な妹を球体にしたデブ専を許す気はないが、親切にするのはやぶさかではない。ただしユーフェミアのことに限る。
「その、ユーフェ、いや、ユーフェミアさんのことで……」
「詳しく話してもらおうか」
リンダが食器を脇に避け、聞く姿勢になるとモーブレイが隣に座った。
気を利かせた翡翠とローゼスタがリンダの食器を持ち、先に戻ってるからと言って返却口に向かった。
「そういえば、ユーフェはどうしたの?」
言いあぐねているモーブレイに助け舟を出す。
いつも一緒に行動しているのに今日はモーブレイしか見かけていなかった。
「ユーフェミアさんは熱を出して寝込んでいるんだ」
困りきった様子のモーブレイに、もしや難病なのかとリンダは顔色を変える。ただの風邪による発熱なら、魔法薬を飲めば一日で治るのだ。
「薬も効かない病気なの!? お医者さんは呼んだ?」
「そうじゃないんだ。医者の見立てでは風邪だろうと言われている。実は、ユーフェミアさんが、薬を飲みたがらないんだよ……」
雨に濡れても魔法で乾かして元気いっぱいだったのに、突然熱を出して倒れたのだとモーブレイは言った。
「薬を飲みたがらない? また、なんで?」
「それがわからないから君に聞きに来たんだ。ユーフェミアさんが幼い頃はどうしていた?」
モーブレイはあいかわらずユーフェミアのお世話係をしている。
自分が夏休みですっかり元に戻ってしまったことを自覚していないユーフェミアは、友人に距離をとられた原因がわからないままショックを受け、モーブレイにますます依存するようになっていた。
不安がユーフェミアの心と体を激しく混乱させていた。
ミリアのおかしさに気づいたのにいつの間にかミリアの言い分が正しいと信じている自分がいる。学校に戻り、友人と話してもアレ、と思うことが増えた。信じられないという目でユーフェミアを見る友人と、なんだか観察しているような先生の態度。一瞬だけ見せる、モーブレイの嫌悪に満ちた表情。
それが嫌悪であるというのはわかる。でも、なぜなのかがわからない。
ユーフェミアは世界で一番幸福なお姫様だったはずだ。王子様と結ばれて一生幸福に暮らす。それを邪魔するのは悪い人で、悪い人は王子様が――誰かがやっつけてくれる。そのはずだった。
そんなはずはない。他人はユーフェミアの召使ではないし、彼らには彼らの人生がある。努力を認められて、褒められて嬉しかったことを覚えている。モーブレイの役に立ちたいと決意した日を覚えている。
自分が言う前に周囲が察して望みを叶えてくれるべきだ。我儘だと批判されるのは察しないほうが悪い。
我儘ばかりでは迷惑をかける。モーブレイのことを考えると甘い気持ちになって、ありがとうと微笑まれると天にも昇る気持ちになった。
相反する感情の交錯。せめぎあいは学校に戻ってからより大きくなった。混乱は苛立ちを生み、ユーフェミアは苛立ちを癇癪で発散させることしか知らなかった。
自分の中で揺れる感情の揺れに気持ち悪くなる。ついに耐え切れず、ユーフェミアは倒れてしまった。いうなれば知恵熱である。
「ユーフェがちっちゃい時はとても元気で、薬の世話になったのなんか見たことないわ」
原因など知る由もないリンダも困った。
解熱の魔法薬は水薬でも、飲みやすいように味は調整されている。十五歳未満の児童用なら果物の味だ。
なんの解決策にもならないリンダの回答に、モーブレイは笑うしかなかった。
エーギル寮ではずっと寝込んでいてくれたほうが楽でいいとまで囁かれている。
冗談ではない、その間世話をするのは自分だ。モーブレイはさっさと完治してほしかった。熱のせいなのか、我儘が過ぎる。
ユーフェミアは薬を口移しで飲ませるようにねだってきたのだ。
これにはモーブレイは拒絶した。王子様のキスで目覚めるお姫様は美少女であってしかるべきだろう。男にだって壊されたくない夢があるのだ。
話を聞いたリンダは口元を引き攣らせた。
「一応聞くけど、ユーフェに不埒な真似してないよね?」
「するわけないだろう!? 私たちは清い仲だ!」
誤解されては堪らない。モーブレイは全力で否定した。
「ん。まあ、それなら良い。……良いのか? 思い切ってねだってみたユーフェの純情もてあそんだ? そこでキスもできない甲斐性なしにユーフェを……?」
どうしろというのだ。
ユーフェミアとどうこうなる気もない上に一目惚れした相手に甲斐性なしと言われ、モーブレイは泣きたくなってきた。
「薬を飲みたがらないってことは、ユーフェのお見舞いに行ったのよね?」
「ああ」
「お見舞いって、普通花とか持ってくもんだと思うけど、なにか渡した?」
「あっ」
考えてなかった。
気まずそうなモーブレイに、リンダは深いため息を吐きだした。
「……学校と寮の行き帰りじゃしょうがないとはいえ、ちょっと寄り道して花を摘むくらいはできるでしょ。熱が出て気弱になってるところに手ぶらじゃ、乙女心が傷つくわよ」
なにせユーフェミアは、リンダと違って好きな男から贈られたならそこらの石でも喜ぶ、正真正銘の乙女である。ちょっとした気遣いで良かったのだ。
気が利かない男、と他ならぬリンダに落胆されて、モーブレイは落ち込んだ。
「ここはやっぱ手作りだね。風邪にぴったりのお菓子があった!」
リンダはなにを閃いたのか、一転して笑顔になった。
モーブレイを連れて向かった先はお馴染の厨房である。
リンダを見つけたメイがすっとんできた。
「お嬢様! ……そちらの方は?」
どうやらメイはモーブレイの同伴に慌てたようだ。彼女は学校に王太子がいることは知っていても、本人を見たことはなかった。もしもリンダの交際相手だと言うのなら見極めてやる。そんな強いまなざしがモーブレイを射抜いた。
「ユーフェの彼氏」
「ユーフェミアお嬢様の芥子?」
「?」を頭に浮かべたメイに、彼氏は通じないのかと言い換える。
「ユーフェの恋人。婚約してるって言うけど、私はまだ認めてないからね!」
後半はモーブレイに向けてのセリフだ。
認めるもなにも、まずモーブレイ自身がユーフェミアとの婚約を認めていない。王家の発表すらないのにユーフェミアとリンダだけはなぜか信じている状態である。
「ユーフェミアお嬢様の……。はっ、まさか料理対決ですか!?」
メイはすっかりリンダに毒されている。
「違うってば。ユーフェが熱出して寝込んでるって言うから、お見舞いになんか持たせてやろうと思って」
「まあ。お二人ともなんてお優しい!」
メイはちょっと得意げなリンダに理解を示した。未来の義姉として、モーブレイを躾けてやろうというのだろう。
「というわけで、卵と砂糖とミルクを用意してくれる?」
「はい!」
材料の少なさにほっとしつつ、メイは素早く用意した。
カレーの時は煮込まれたスパイスの匂いがなかなか消えず、しかも厨房だけでなく食堂まで広がり、ハーツビート家の姫が考案した薬膳料理だと話が広がるやカレー祭が開催されたのだ。しばらくスパイスを食べたくないと思うほど料理人は頑張った。
「今日作るのは風邪の定番、プリンです」
リンダは高らかに宣言した。
三つの材料を混ぜて蒸すだけの簡単な菓子は、子供が突然友達を連れて来た時に重宝したものだ。
「ミルク温めてるから卵はよろしく。泡立たないように混ぜておいて」
「わ、私もやるのか!?」
「なに言ってんの。モブ君がメインでやるの! ユーフェのためでしょ!」
リンダに喝を入れられたモーブレイだが、料理どころか卵を割ったこともなかった。見かねたメイが脇で指導する。
「卵はこう持って、平たいところに軽く当ててヒビを入れます」
「こ、こうか!?」
おっかなびっくり卵を調理台にぶつける。力が弱すぎてヒビどころか無傷だった。
「もうちょっと強く」
「こうだな!?」
「はい、それで大丈夫です。そうしたらボウルの上で両手で割りましょう」
「殻が入ったぞ!」
「とっちゃえばいいだけですよ」
ボウルの中に入った卵の殻を取り除き、モーブレイに泡だて器を持たせた。
「初心者なら泡立ってもしかたないと開き直って、ガッとやっちゃってください」
「う、うむ」
良いのかと思ったモーブレイだが、厨房のスタッフが良いと言うなら良いのだろうと開き直った。
モーブレイもリンダと同じく料理はともかく魔法薬の授業で似たような作業をしたことがある。手慣れているとはいえないが、それなりに様になっていた。
「そっちできたー?」
ミルクを温めていたリンダが覗き込んできた。
「ああ。だが、泡が」
「それは魔法で消せますからお気になさらず」
「よし。じゃあ少しずつ加えていくから、手を止めないでね」
卵にミルクと砂糖を加えて混ぜる。出来た泡はメイが片っ端から消していった。
「あとはこれを濾しながら器に入れて」
「液体なのに濾すのか?」
「舌触りが良くなるんだよ」
本来ならカラメルソースを先に入れておくのだが、リンダは入れない派だ。カラメルソースはあまり好きではなかった。
「これを蒸して固めたら完成! な、簡単だったろ?」
「ああ」
モーブレイははじめて自分で作った料理に感激している。そわそわする彼にくすっと笑い、メイがトレイにプリンとスプーンを二つ乗せた。
「食べ終わったら返却してくださいね」
「ユーフェをよろしく。不埒な真似はしないように!」
するわけないだろ。
モーブレイは心から思ったが、口に出せば今度は「ユーフェミアのどこが気に入らない」と難癖つけられるのがわかりきっていたので黙って持っていくことにした。
「ユーフェ君、いいかな? モーブレイだ」
ユーフェミアの部屋のドアをノックすると「どうぞ」と返事があった。
朝よりも酷い掠れ声に眉を寄せつつ中に入る。
頭を起こすのもつらいのか、ユーフェミアはベッドにぐったりと横たわっていた。枕元のテーブルには解熱剤が朝のまま置かれている。
「モ、」
モブ様、と呼ぼうとしたユーフェミアが激しく咳きこんだ。その度にベッドがみしみしと揺れている。
「熱が上がっているんじゃないか?」
トレイを薬の隣に置いたモーブレイは、失礼と断ってユーフェミアの額に手を当てた。
汗に濡れて熱い皮膚に不快感を覚える。手を放そうとした瞬間、なにかがモーブレイの魔力にひっかかった。
「食欲はある? 甘いものなら食べられるかと思って、作ってきたんだよ」
今のはなんだったのかと不思議に思いながらもプリンを見せると、まさかモーブレイの手作りかとユーフェミアが熱で潤んだ瞳を瞬かせた。
「厨房の者に風邪でも食べられるものをと教わってね。ほら、これを食べたら薬を飲もう?」
ユーフェミアは感激して、素直にうなずいた。
朝、せっかくモーブレイがお見舞いに来てくれたのに我儘を言って、呆れられてしまったのではと怖かったのだ。
本当に口移しにしてほしかったわけではなく、ただもう少し親密になりたいだけだった。そう、今みたいに額に手を当てて熱を測るような気安さのある仲になりたかったのだ。
「自分で食べられないかな。じゃあ、ユーフェ君あーんして」
モーブレイがリンダのことを言わなかったのは、言うなとメイに釘を刺されたからだ。
リンダと一緒に作った、なんて言ったらユーフェミアは絶対に食べない。リンダが問題なのではなく、恋人が自分に内緒で別の女とはじめての共同作業をしていたら、誰だって不愉快になる。
たしかに、リンダに対するユーフェミアの敵愾心を思うと黙っていたほうが賢明だ。
ユーフェミアは好きな男の「はい、あーん」に熱で火照った頬をさらに赤くしている。
スプーンで掬ったプリンを零さないように口元に運べば、ちゅるっと一瞬で吸い込まれていった。
弱っていても衰えない吸引力にびくっとなったモーブレイだが、先程と同じなにかを感じて気を引き締めた。
魔力の乱れだ。熱で暴走しかけているのかもしれないが、それにしては切実なものがあった。
本当に微かなその感覚は、モーブレイのプリンまで食べたユーフェミアの図太さに、気のせいだったのかと過ぎ去って行ってしまった。
それよりも、一心不乱にプリンを貪っているユーフェミアの幸せそうな顔のほうが、モーブレイにはよほど大切だった。
自分ではじめて作った、手作りの菓子だ。これほどまでに美味しい顔で食べてもらえれば誰だって嬉しくなる。
「ユーフェ、ほら後はこれを飲んで。ゆっくり休むといい」
モーブレイを見つめていたユーフェミアの目から、つっと涙が横に流れた。耳にかかる前に指先でそっと拭ってやり、水薬をスプーンで何度も運んで飲ませた。
「大丈夫。私がついているからね」
モーブレイは幼い少女を看病している気分になった。父性とでもいおうか、ユーフェミアが可愛く、守ってやらねばと思ったのだ。
ほんの一瞬だけかすめた魔力は本来のユーフェミアのものだった。ミリアに毒されていたものから逃れようともがく、幼いユーフェミアの恋心だ。
モーブレイはユーフェミアの手を握って励ますと、食器を下げるために部屋を出ていった。
リンダとモーブレイは、リンダは意識して、モブは無意識に「元気になーれ」をプリンに込めました。魔力最強の二人によるおまじない。こうかはばつぐんだ!
そして、ようやくモブが違和感に気づきました……!頑張れ、モブ!お姫様の呪いを解くのは王子様の役目だ!




