27:先生はつらいよ
学校の先生とは激務である。授業の用意から受け持ちクラブの監督、テストの作成と採点。さらにフレースヴェルクは生徒たちへの得点制があるので彼らの行動をよく見て、贔屓などのないよう気を使わなければならない。
公立校によくある生徒会がない代わりに寮長と監督生がいて、彼らの報告を聞き適切な指導をしなければならなかった。なんといっても十二歳から十五歳までの多感な年頃の子供を預かっているのだ。杜撰な指導などすれば、生徒は敏感に察してたちまち風紀が乱れるだろう。
ただでさえ忙しいのにさらに頭を悩ませているのが、ジェダイト・リリーとルーナ・リンドバーグの連名で提出された、迷宮探索のレポートだった。
「生徒が七不思議解明に乗り出すことは今までにもありましたが、ピンポイントで二つも発見した子はいません。しかもこんな短期間に!」
悲鳴のように声を荒げたのはハジムアベル校長だ。ヴェールに隠れた顔は見えなくても泣きたい気持ちはわかる。
「ハーツビート所有の書物を読みこんだのでしょうね、迷宮についてよく考察されています。優を付けるしかないでしょう。学会に送ることも検討してみては?」
「今年はテュール寮の加点が多いですね」
新学期の職員会議で議題に上るのは、夏休みを満喫しすぎてやらかした子、宿題が間に合わなかった子、研究に励み優秀なレポートを提出した子など、良くも悪くも目立つ生徒だ。
「テュール寮ならローゼスタ・ラインシャフトもだ。なんなんだ、あのレポートの数。本当に一年生か?」
「彼女、着眼点は悪くないんですよね。ただあっちこっちに興味が行くせいか、腰を据えた研究ができていない。そこが子供ですね」
ただでさえ貴族の血を引く生徒は扱いが難しい。学校は平等と銘打っていても哀しいほどに魔法の質という点において差が出てくるのだ。特にジェダイト・リリー――翡翠は東覇国の次期皇帝かと噂されている皇子である。今のところばれないように気を使っているが、学年が上がっていけば嫌でも突出せざるをえないだろう。そう考えればリンダが目立っているのは良い目晦ましだ。
翡翠とは逆にローゼスタも心配な生徒である。平民の彼女は魔力こそ貴族に及ばないものの、努力と才能でそれをカバーしている。入学早々絡まれたように、悪い意味で目を付けられやすい。ローゼスタもまたリンダに振り回されているせいで目立っているが、リンダのおかげで同情もされている。
「学校の守護を暴かれるのはあまり良いことではありません。正体がわかれば対策が取れてしまいますからね。あまり、彼女の好奇心を刺激しないように気をつけていきましょう」
校長としても悩ましい。守護を祀るのは校長の役目だった。侵入者から生徒を護り森や魔法生物を護るための守護なのである。忘れられても困るが暴かれても困る、神秘とはそういう類のものであった。解明されてしまえば学校の守護を解放することも可能になってしまう。学校の存続がかかっている。
校長と教師陣がリンダ対策を話し合っている間、ポーカリオンは難しい顔をして考え込んでいた。
「ポーカリオン先生? 気になる生徒がいましたか?」
校長が声をかけると彼女はハッと顔を上げた。会議中なので帽子は脱いでいる。
「ユーフェミア・エリザベートなのですが……」
ポーカリオンは言葉を濁した。ユーフェミアもリンダと縁続きだ。
受け持ちクラブの部員とはいえ一人の生徒に肩入れするのは褒められたことではない。しかし、このまま放っておくのもためらわれる。
「ユーフェミアの宿題ですが、ドリルのはじめは自分でやっていたようなのですが、後半はあきらかに他人の筆跡です。夏休みもクラブに顔を出したのは前半だけでした。今日、学校に来た彼女は、まるで入学初日に戻ってしまったかのようです。体形もそうですが、性格はだいぶ変わってきていたのに……」
モーブレイと再会し、クラブの友人と話をしているうちにユーフェミアも違和感に気づいたようだった。自分でもなぜなのか理由がわからずに戸惑っていた。
親や使用人に宿題を手伝ってもらう生徒は毎年一定数いるものだが、ユーフェミアは特に気になる。
「ジークズル家ですか。あそこの深淵は闇が深いですからね」
校長がため息を吐きだした。リンダたちとは別の意味で頭の痛い生徒だ。
「結婚式をしていないんでしたっけ? ただでさえ呪いが強いのに守護もなしではきついでしょうに」
「ユーフェミアの魔力は悪くありません。ジークズルの血を引いていますからね、ある程度の耐性もあるでしょう。ただ、あまり続くと彼女の心身がもつかどうか……。長期休暇のたびに家に帰って呪いに当てられていては精神が錯乱してしまいます」
できることならこのまま家から遠ざけたほうが良い。幼いからこそ呪いは馴染みやすく耐性も付くが、それだけに離れた際の反動も大きいはずだ。
問題になるのはミリアの血が濃い場合だ。彼女はジークズルに認められていなかった。
「モーブレイの婚約発表はなかったな?」
「ええ。せめて卒業後すぐに結婚して家を離れられたらと思いますが……」
貴族の結婚式は単なるお披露目ではない。新たな家族ができたことをその家と領地に伝える儀式なのだ。土地神や精霊からの祝福を希う祭りなのである。
ミリアはそれをしていなかった。リリャナが死んだばかりでは式をやったところで神も精霊も集まらなかっただろう。自分たちを支えてくれていたリリャナがこの世を去って悲しんでいるところに新たな妻を迎えたから祝えと言われても、激怒して呪われるのが関の山だ。ドヴェルグはほとぼりが冷めるのを待っているようだが、神や精霊、妖精は人間よりずっと軽率に呪うし祟る。そして一度嫌うと何年どころか本人が死んでも呪う。あいつの血が残っている限り呪い続けるのがあたりまえの世界の住人だ。
おまけにドヴェルグとミリアは正統な後継者であるプルートとリンダをハーツビートに売り渡してしまった。ジークズル家を守護していたモノたちがいっせいにハーツビートに渡ってしまってもおかしくない愚挙であった。
「フレースヴェルクの守護の強さが仇になりますか。はぁ……。ドヴェルグ君は、学生時代も真面目とは言い難い子でしたが、公爵となっても変わりませんか」
「リリャナさんが亡くなって、抑えが効かなくなったのでしょう」
校長の嘆きにイーゴ・テンゲンが同意した。
それほど愛しているのなら、ミリアのために護りを固め、親や親戚を説得し、功績をあげてミリアを迎えていれば良かったのだ。後になって慌ててももう遅い。リリャナ一人に役目を押し付けた結果が今だ。
「ジークズル家は理事ですよね、なにか言ってきましたか?」
ポーカリオンはわずかな期待を込めて聞いた。理事が我が子の教育に口を出すのは問題だが、ユーフェミアを思っていればひと言くらいあってしかるべきである。
「母親からはありましたねえ。ユーフェミア君とモーブレイ君の恋路を応援しろだとか、他の生徒が苛めているのではとか、ルーナ君を近づけさせるな、とか。まあ、クレームですな」
「過保護というか、馬鹿親ここに極まれりだな」
どうやらミリアは学校にいちゃもんをつけたらしい。校長が乾いた笑いを漏らした。ミリアを『公爵夫人』ではなく『母親』と呼んだことには誰も言及しない。
「なんと言いますか、なぜこんなことまで考えねばならんのかわかりませんな! あの家のことはあの家に任せればよろしい。理事であるのは公爵本人なのであるからして、我々が口出しすべき問題ではありませんぞ!」
ようするに「やってらんねえ」である。生徒一人ひとりの家庭問題まで抱えていたら人手も時間も足りないのだ。
「そうですね。今年の一年生はなにかと問題が多い。ジークズル家の問題に関わってはいられませんよ。特に今学期は光臨祭があります、気を引き締めていかないと今度はなにが起きるか」
ウノ・ドロワーズがおどけながらなんの救いにもならないことを言った。
光臨祭は学校をあげて行う祭りだ。守護と生徒の結びつきを強め、結界を再構築する。
そうやって、身をもって体感していくしかないのだ。遥かな昔に存在していた『我らが善き隣人』はもはや姿を消し、時折気配だけを漂わせている。
忘れられるのは、忘れてしまうのは、あまりに哀しい。祭りをすることで呼びかけている。そこにいるのか、と。
◇
新学期の教室は浮かれた雰囲気だ。夏休みの社交で知り合った生徒たちが互いの友人を紹介したり、旅行先での思い出を話したりと騒がしい。
リンダ、翡翠、ローゼスタは、揃いの髪飾りを着けていた。ユニコーンの角から作った、護りの魔道具だ。
「あの変態の角って思うと複雑よね……」
ローゼスタがころんと丸い球体の髪飾りを手の平に転がした。森をイメージした意匠が細かく彫られ、鬣を埋め込んだ琥珀が隣で揺れる。
「でも、魔力はお墨付きよ。さすがハーツビートの魔道具職人、腕がいいわ」
「魔除けのお守りなんだって。なくさないようにね」
一番なくしそうなリンダが言った。失せもの探しの魔法に一番お世話になっているのがリンダである。忘れ物のほかにも相棒の箒を呼んだりと、引き寄せ魔法のスペシャリストだ。
「リンダに言われたくないわよ」
「でも、なくしたらなんかダメな気がする。あの変態ロリコンユニコーン、うっかりでも怒りそうじゃない?」
翡翠がリンダに賛成した。心情的にあまり身に着けていたいものではないが、身に着けている間は安全な気がするのだ。
「護りじゃなくて、呪いじゃないの!」
ローゼスタは反射的に放り投げそうになり、それはまずいと思い直したのか髪に差した。視界に入らなければなんてことはない。
「だから髪飾りなのね……。いいわ、あの変態を私の魔力で調教してやる」
髪、特に女の髪には魔力が籠りやすい。ローゼスタならできそうだ。
チャイムが鳴って先生が入ってきた。今日の一時限目は教科関係なくテストだ。ポーカリオンはあいかわらず黒一色である。
「はい、今日は昨日も言った通りテストをします。夏休みの宿題をきちんとやっていれば解ける問題ですのでみなさん百点を目指してくださいね!」
ポーカリオンはにこやかな笑顔で無茶を言った。
同時刻、ユーフェミアとモーブレイのクラスでもチェスターがテストを宣言していた。
「なにが「えー!?」だ。昨日言っておいただろう。まさか宿題が終わった途端に一学期の内容を忘れたわけではあるまい!?」
他のクラスでも似たり寄ったりの光景が広がっていた。いっておくがなにも嫌がらせでテストをするわけではない。夏休みで弛みきった精神を引き締め、落ちこぼれる生徒には補講をして学習速度を保つためだ。補講の生徒がいると教師も大変なため、けっこう切実である。
「あと、このテストで合計点が多いクラスに光臨祭の予算が多く割り振られることになってるから、派手にやりたかったら頑張ってね」
嫌なのはわかるから、ちゃんとご褒美も用意されている。苦笑気味のウノに言われた生徒たちは俄然やる気になった。
「光臨祭には保護者の他に、外国からの来賓も来る。各々の研究成果を存分に見せつける絶好の機会であるからして、その発表は研究機関も注目している。腕試しにはちょうど良かろう」
イーゴもまた一年生に告げていた。ようするに、光臨祭は青田買いの場なのである。ここで注目されることは就職、進学、留学に有利なのだ。他の学校ではこうはいかない。世界に冠たるフレースヴェルク魔法学校はそれだけ注目されている。
さて、やる気になった生徒たちだが、夏休みの結果は残念なことにモロに出た。リンダは後半の頑張りが効いてなんとか各教科百点を取ることができた。翡翠と家庭教師、そしてフライヤのおかげである。翡翠とローゼスタも百点だ。
ユーフェミアは宿題を使用人にやらせたツケが出た。モーブレイはかろうじて九十点代。せっかく良い方向に軌道修正していたユーフェミアが元に戻った、とクラスメイトのみならずエステクラブ、寮生の間でも落胆の声が大きかった。
三歩進んで二歩下がるユーフェミア。そう簡単にはいきません。




