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21:トリト登場

プルートの婚約者、トリトの登場です。



 リンダと翡翠がネズミの通路で家に帰ると、兄と義父ノヴァ、祖父母に使用人まで勢ぞろいして待っていた。


「お帰りなさい、リンダ! 翡翠!」

「兄様、義父様。お爺様にお婆様、みんなも。ただいま!」

「ただいま戻りました」


 プルート、ノヴァ、オービットと順番に再会を喜んで抱き合うリンダを眺めながら、翡翠は一抹の淋しさを感じていた。

 リンダには帰りを喜んでくれる家族がいる。翡翠の家族は遠い東覇国だ。


「殿下、お帰りなさいませ」


 バッと勢いよく振り返ると、斎薇がそこに立っていた。東覇国の衣装ではなくラグニルド風のスーツ姿である。長い髪はまとめ、一瞬誰だかわからなかった。


「斎薇!?」

「ご無事でなによりでございます」


 翡翠の前で片膝をついた斎薇は彼の手を取り、額に押しいただいた。

 懐かしい顔に翡翠の涙腺が緩む。それを堪えて訊ねた。


「どうしてここに? まさか、母上になにかあったのか?」

「いいえ。今日から夏休みに入られるということで、お顔を見に来たのです」


 黒曜妃が直接来られればいいのだがそれは許されない。それでも手紙ではなく直接話を聞きたいだろうと、オービットが打診したのだ。


「積もる話もありましょう。翡翠殿下、夕飯にはお呼びしますから部屋でゆっくりしてください」

「はい。オービット殿、ありがとうございます」


 目の前で家族のだんらんを見せられるのは辛いだろう。申し訳ないが、今日ばかりは翡翠に気を使ってやれなかった。積もる話があるのはオービットたちも同じである。

 自分にあてがわれた部屋に入ると、やはり疲れていたのかほっと息が漏れた。


「殿下、あらためてご無事でなによりです」

「うむ。母上は息災か?」

「はい。殿下の不在が他の宮に知られぬよう努めておられます」

「そうか……。ご苦労をおかけする」


 斎薇は曖昧に微笑んだ。

 翡翠は重く沈みこんだが、黒曜妃は亡きリリャナの親友だったのだ。あのリンダの母と親友、そして翡翠の母である。


 我が子を守る母親ほど恐ろしいものはない。黒曜宮を探ろうとして来る者を、あの手この手で翻弄していた。まして翡翠はハーツビートにいる。彼女が手加減する必要はどこにもなかった。


 フレースヴェルク魔法学校を卒業した魔女の怒りだ。斎薇は母はか弱く守ってやらねばならないと信じている翡翠に真実を伝えるべきか迷った。


「殿下からの手紙にたいそう喜んでおられました。ドリアードを救出するとはさすがは陛下の子だ、と。リンダ様との友情も、リリャナ様と自分を思い出すと懐かしんでいるご様子でした」

「そうか。一時の慰めになったのなら嬉しい」


 翡翠の手紙はまずハーツビートに送られ、商会を通じて黒曜宮に届けられる。翡翠がラグニルドに逃亡しているのは絶対の秘事だ。使い魔からでもハーツビート直通となればたちまち怪しまれるだろう。よって、東大陸と貿易している系列企業を通じてのやりとりになっていた。幸いなことにハーツビートの製薬会社は東覇国にもある。婦人病の薬やその手の効果のあるお香など、後宮に納入しているのだ。


翡翠が逃げるとしたら第一候補はハーツビートなのだが、そこは黒曜妃が上手くごまかしている。翡翠からの手紙は黒曜妃のやる気に油を注ぐ結果になっていた。


「黒曜妃と陛下から手紙を預かっております」


 しかし、そうまでして届けた手紙を手元に残しておくことはできない。翡翠からの手紙は読んだら焼却されていた。証拠を残しておくわけにはいかなかった。


「ありがとう。斎薇はいつまでいられるんだ?」

「夕刻には戻らねばなりません」

「そうか。ではその時まで、母上への伝言を聞いてくれ。お話したいことがたくさんあるのだ」

「はい」


 両親からの手紙を震える手で握りしめた翡翠は、涙を堪えて楽しい学校での出来事を語りはじめた。


 その頃、リンダも学校でのことを家族に話していた。


「……なるほど。そんな経緯でドリアード救出に至ったのか」


 オービットが長いため息を吐きだした。まさか孫娘が他国の皇子を連れて真夜中の冒険に出たなどとは想像すらしていなかった。

 聞けば、ドリアードに呑み込まれていたのは東覇国の者だったと言うではないか。十中八九、翡翠の刺客だろう。翡翠もよくついていく気になったものだ。


 さすが我が孫と褒めればいいのか、真夜中に危険とわかって飛び込むとは何事だと叱ればいいのか、オービットはわからなくなった。


「七不思議は僕の時代にもあったけど、今はそういうのなんだね」


 ノヴァはおおらかである。今昔七不思議に感心しきりだ。


「怪奇クラブは変人揃いで有名だったな。そんなに蔵書があるなら入部すれば良かった」


 プルートは少し悔しそうだ。類は友を呼ぶ、とも思っている。リンダについていける人が集まっているのだろう。


「お爺様、メイにお礼がしたいのだけど、どうしたらいいかな?」


 リンダの問いにオービットは目を細めた。

 メイはジークズル家の分家の娘だ。ジークズルとしてはハーツビートとの縁を完全に断ち切りたくないのだろう。しかしジークズル当主はリンダとプルートに関わるなと厳命されている。下手に干渉すれば今度は契約で絶縁させるつもりであることはわかっているだろう。むしろオービットはそれを望んでいる。


 そこでメイだ。リンダの子守りとして仕えていたメイなら警戒されずに近づける。メイの忠義は本物だし、リンダもメイを信頼していた。オービットも、リンダとプルートがジークズルから逃げるのに手を貸したメイだからこそ、学校に掛け合ったのだ。


 しかし、だからといってリンダがメイに個人的な礼をすれば、それこそジークズルの思う壷である。オービットも個人的な恨みはともかくジークズル家など破滅しろとまで考えていない。それでもリンダを利用されるのは看過できなかった。


「ふむ……。そうだな、メイには世話になったが学校の料理人もずいぶん良くしてくれたのだろう?」

「そうなの! あ、学校で作ったレシピ貰ってきたから後で料理長に渡すね」

「リンダの考案したレシピか、楽しみだ。リンダ、それならメイだけではなく料理人たちにも礼をしたほうが良い。なにかあるか?」


 厨房全体への礼。リンダは考え込んだ。


 調理道具は新品同様だったし、厨房内は掃除の必要がないほどピカピカだった。リンダは無意識だったので自分でやった記憶はない。レシピ開発に不便はなさそうだった。

 そこまで考えて閃いた。


「醤油! 高価過ぎて買えないって言ってた! ウチで作れないかな?」


 ほぼ自分のための思い付きだが喜ぶだろう。勢い込んで言ったリンダに、しかしオービットたちは難しい顔になる。


「醤油か……」

「……無理なの?」

「リンダ、醤油が高価なのは東大陸のみで作られているからだけじゃないんだ。醤油の製法は秘伝とされていて、あちらで管理されているんだよ」


 しょぼんとなったリンダを慰めようと、ノヴァができない理由を告げた。そう、できないのだ。醤油の製法は厳重に管理され、万が一どこかに漏らしたら打ち首である。

 東大陸では家族も連座で処刑される。醤油職人は口が固かった。


「一度醤油を食べてしまえば醤油を求めずにはいられない、とすら言われている。醤油で身を持ち崩した者がいるほどだ。だから、我が家にも醤油はないだろう?」


 いくらハーツビート家が金持ちでも、食道楽が過ぎて身上を潰すわけにはいかない。


「そんな……。じゃあ、味噌も? 味噌もだめなの!?」


 リンダの悲痛な叫びにノヴァは黙って首を振った。

 リンダは黙って諦めるような性格ではなかった。


「味噌なら……。たしか原料は大豆と塩。あとなんだっけ、発酵させるのに必要なやつ。なんか白っぽくて粒々した……。ブームになったこともあったよな。……そう、麹! 麹だ!」


 嫁の何度目かのブームでハマったのが塩麹だった。他にも甘酒ブームが来たこともある。


「コージってなんだい?」


 しかし甘かった。厳重に管理されているものがそうそう公開されているわけがないのだ。


「米から酒造る時に使うやつ!」


 そしてリンダの知識も大雑把だった。

 ノヴァがオービットを見る。オービットも真剣な表情だ。


 米からできる酒はワインやビールと違い透明なため『清酒』と呼ばれている。こちらも東大陸から輸入されているが、製法は秘伝ではなかった。米食が一般的ではないためラグニルドに米農家は少なく、酒を造るほど収穫量がない。清酒もあまり一般的ではなかった。米はどちらかというと家畜のエサ用だ。


 もしも本当に味噌と醤油ができれば大変なことになる。一大事業だ。


「そうか。では、清酒を分離させて麹が取り出せるかやってみよう。上手くいけば味噌と醤油ができるかもしれん」

「東大陸と戦争になりそうですか?」


 ノヴァが呆れたような、からかうような表情で言うと、オービットはニヤリと笑った。


「なに、十二歳の少女が思いつくのだ、いつまでも隠し通せるものではなかったというだけよ。それに製法も材料も知らずに造るのだからできたものは醤油っぽいなにか、だな」


 かくしてハーツビートをあげての手前味噌と自家製醤油造りがはじまったのである。



 ◇



 事の次第を聞いたトリトは「まあ」と目を丸くし、くすくす笑った。


「それで、少し変わった匂いがしているのですね」

「ごめん、匂う? 婚約式までに間に合わせるってお爺様が張り切っていて」


 ハーツビートの屋敷に着いたトリトは、いつもなら森林の香りのする屋敷内に一風変わった匂いが漂っているのを嗅ぎ取っていた。もう少しではしたなく鼻をひくつかせるところだったと冗談を言う。応接室には花が飾られていてさすがにあの異臭はしなかった。


 醤油は魚料理に合うと評判だ。本当に完成すればハーツビートは大きく躍進するだろう。当然トリトの実家にも、その恩恵が行く。


 いまだに体の弱いトリトではなく、もっと良い娘をと言ってくる貴族たちがいるのだ。彼らへの牽制になるとも考えてくれたのだろう。その気持ちが嬉しかった。


 トリトは俯きそうになり、なんとか苦笑に留めた。侯爵令嬢のトリトは、貴族夫人の役目はなによりもまず血を繋ぐことだと理解している。魔力はあっても体の弱い自分には、恋も結婚もできないと諦めていた。プルートが現れるまでは。


 プルートは出会ったばかりの頃年下の癖に妙に世話焼きの少年だった。トリトはフレースヴェルク魔法学校に入学したものの高熱で病院に送られることも多く、留年していたのだ。プルートはそんなトリトと同寮になるや食事から生活習慣にまで口出ししてきた。理由がわからず、戸惑うばかりのトリトだったがプルートのおかげで授業を受けられるようになり、だいぶ健康になってきた。


 そんな風にそばにいて恋が芽生えないはずもなく、プルートは正式に交際と婚約を打診してきた。一生大切にしたい。大切にします、ではなく、したい、と言ったプルートには、愛する者を喪う恐怖とトリトを守れるという喜びが混じり合っていた。


 なぜトリトだったのだろうか。プルートはうつくしい少年で、しかも貴族だ。女の子たちに人気があった。プルートならもっと健康で丈夫な女を婚約者にできただろう。魔法学校の生徒なら魔力もお墨付きだ。プルートにはいくらでも選択肢があった。


 そんな疑問はリンダと会って氷解した。ハーツビートの妖精姫と謳われるプルートの妹は公爵令嬢とは思えぬお転婆ぶりで、使用人たちの手を焼かせていた。


 なるほど、この人はシスコンなのだな。トリトは理解した。


 リンダに危険が及ばないよう、リンダがとんでもないことをしでかさないよう、プルートはあれこれ手を回している。それで止まるようなリンダではないが、そんなあれこれ細かく気を回す愛情を向けても大丈夫な女だとトリトは認められたのだ。たしかにあれだけ口を出されては、普通の女には重いしうざい。この時ばかりは虚弱体質に感謝した。


 わかってしまえばハーツビートは自分の家より居心地が良くなった。ひと言もトリトを責めないし、少しでも体質を改善しようと食事や薬を改良してくれる。責めるどころかトリトの反応を見て、薬の味を改善したら評判が良くなったとトリトを褒めてくれるのだ。トリトを必要としている、と言葉でも態度でも伝えてくれる。自分でも誰かの役に立てるのだとトリトに自信をつけさせてくれた。


 ここまでされたらトリトも頑張ろうという気持ちになる。いつもなら外出後には必ず熱を出して寝込んでいたのに、プルートと会うだけで体も気持ちも楽になった。恋というのはここまで素晴らしいものなのかと感動する。


「わたくし、プルートに出会えて良かったですわ」


 今飲んでいるお茶も、プルートが考案しハーツビートの薬草園で育てた薬草茶だ。効能重視ではなくトリトが飲みやすいように工夫されている。普段口にするものだからこそ、美味しくなければならないと言っていた。


「どうしたの、急に」

「想うお方に想われて、幸せだと思ったの」


 プルートは心配そうに眉を寄せた。トリトにそんなことを言われるとまるで遺言のように聞こえてしまう。


「私こそ、トリトと出会えて幸せだよ。長生きしようね」

「ええ」


 ほんのりと頬を染めて素直に愛を伝えてくるプルートに愛おしさが募る。この人と一緒なら長生きできる気がした。


「リンダちゃんはどうしているの? 夏休みだけど、クラブ活動で学校かしら?」


 そんなプルートの妹とトリトは仲が良い。いかにも元気いっぱいのリンダは不健康の見本のようなトリトに元気を分けてくれる。

 プルートが苦笑した。


「部屋で魔道具の作成をしているよ。翡翠……いや、ジェダイトは合宿だ。……ジェダイトを婚約式に出席させるわけにはいかないし、当分は学生寮に行っていただくことになる」

「そう……仕方がないとはいえ残念だわ」


 翡翠のことはトリトには伝えてあった。翡翠は女装させているので、しかも美少女に化けるのであらぬ疑いを生じさせるよりは、きちんと教えておいた方が良いと判断したのだ。秘密だといえばトリトは親にも話さない信頼があった。

 徹底して隠すために、多くの貴族が集まる婚約式や社交に翡翠は出せなかった。分家の娘としても、身分が低いためという理由がある。


「祝いの品を預かっているよ」


 プルートの申し訳なさそうな顔に、トリトはわかっていると微笑んだ。


「かたじけなく思いますわ。殿下からではなく、ジェダイト様個人からですわね?」

「ああ。……殿下からであれば、君の箔付けにもなるんだが」

「まあ」


 プルートの気遣いが嬉しくもあり、またおかしくもあり、トリトはつい笑ってしまった。

 トリトはプルートに愛されていればそれでいい。プルートと共に生き、プルートの力になれればそれで良かった。体が弱いことも、跡取りが望めないだろうことも事実。悲しいけれど、トリトとプルートは改善すべく日々励んでいる。今さらどこの誰に批判されようと気にすることではなかった。

 それでもプルートがトリトのために箔付けすることを考えた、東覇国の皇子を利用しようとしてくれたことが嬉しく、そんなことを気にせずにいられる今の自分がおかしかった。とても誇らしかった。


「っ!」

「あら?」


 ふいに、強い魔力を感知した。腰を浮かせたプルートがソファに座り直し、トントンと爪先でテーブルを叩く。すぐに執事が入ってきた。


「今のはリンダか?」

「は、はい。先程お嬢様の部屋で歓声が聞こえたと報告がありました」

「魔道具が完成したのかな。今の感じじゃよほど良い物のようだ。それはともかく、トリトが来ている、少し魔力を抑えるように伝えてくれ。いや、こちらから行こう」

「はい」


 執事も先程の魔力を感じ取ったようだ。プルートはともかく、トリトは少しの魔力当たりでも体調を崩しやすい。ひと言注意したほうがいいだろう。


「トリト、気分はどう?」

「ええ……大丈夫ですわ。むしろなんだか爽やかな、すっきりしたような感じがします」


 対面の席からトリトの隣に移動し、額に手を置く。トリトが目を閉じた。

 トリトの魔力は特殊なのだ。プルートやリンダがごく自然に操れるようになったのに対し、トリトの魔力は体内で好き勝手に暴れ回り制御しきれない。しかも濃密なものだから制御しきないと熱や食欲不振が起こり、暴走させないよう体力を消費する。


「本当だ、いつもより落ち着いているね。リンダの魔力でびっくりしたのかな」

「そうかもしれませんわ。わたくし、いつもリンダちゃんに元気をもらってますもの」

「歩ける? リンダの部屋に行くけど、ここで待っているかい?」

「大丈夫ですわ」


 プルートがトリトの手を取って立ち上がろうとしたところで、リンダが飛び込んできた。


「兄様! トリト姉様!」


 額に汗をかき、息せき切って走ってきたリンダは「お家で飛んではいけません」と覚えていたらしい。プルートはにっこりした。

 リンダの後を追いかけて、メイドが遅れてやって来た。


「お、おじょっ、さまっ、はしって、走っては、いけませんっ。今日っ、は、トリト様がいらしてますのよっ」


 メイドの息切れ具合からすると、リンダは飛ぶように駆けてきたのだろう。リンダの不思議そうな顔と、言葉もままならないメイドにトリトは困ったように口元を隠した。本当に、ハーツビートは退屈しない。楽しいことばかりだ。


 この後リンダに待ち受けるお説教を思うとますます笑い出しそうになった。


「リンダ、トリトの前だぞ」

「ごめんなさいっ。杖が完成したの、トリト姉様の杖よ! 早く見せたくって」

「杖?」


 リンダが「じゃーん」と取り出した杖を反射的に受け取って、トリトは首をかしげた。


今まさに生木から削りだしたばかりのような杖は白く、芯のあるやわらかさだった。なめらかな肌触り。長さは三十センチほど。トップに青のような碧のような、不思議な色彩を放つ石のようなものが埋め込まれていた。


「ドリアードから貰った枝と、人魚の鱗で作ったの。姉様、魔力を流してみて?」


 プルートは危うく叫びそうになった。ドリアードもそうだが人魚の鱗も魔法使い垂涎の素材である。どうやって入手したのか問い質したかったが、今は杖の能力を確認するのが先だ。

 トリトが促されるまま杖に魔力を流すと、ぎゅんっと魔力が吸われて人魚の鱗が閃光を放った。


「よっし成功!」


 リンダが両手の拳を握りしめた。

 トリトは急激な魔力の消費に驚いたものの、いつも体の中で暴れ回っていた魔力に一本芯が通ったような、体を苛んでいた熱がすっと抜けていったような、不思議な感覚に呆然としているう。


「い、今のは……?」

「トリト! 大丈夫か!?」


 プルートが焦り顔でトリトの肩を摑んだ。揺さぶりたいのを堪えているのは、そんなことでさえトリトは体調を崩すからだ。


「リンダちゃん、この杖は、なに?」

「?」


 なにと言われても、ドリアードと人魚の鱗で作った杖だ。質問の意味がわからないリンダに、もどかしそうにトリトが言った。


「杖に魔力を流しただけなのに、あんなに苦しかった魔力が静まったわ。いえ、体中で好き勝手に暴れていた魔力の方向性が決まったような……、安定しなかったわたくしの魔力がわたくしの言うことを聞いてくれたの!」


 トリトはしだいに涙目になっていった。魔力だけは強力だったがそれはトリトの体を蝕み、いつか魔力に呑まれてしまうのではとずっとずっと恐ろしかった。魔法を使えば多少は収まるがコントロールが難しく、幼い頃は魔力暴走のたびに倒れ、学校に入っても実習授業の後は熱を出していた。成人するまで生きていられないと言われた体を、騙しだまし生きてきたのだ。


「姉様の魔力はあっちこっち行って言うこと聞かないって前に言ってたでしょう? だから筋を通してやればいいと思ったの。んーと、ね、ぐずって泣いてる赤ちゃんにガラガラ振って注意を惹きつけて泣き止ませたりするでしょ? そんな感じ」


 長年トリトを悩ませ死を覚悟までさせた体質の解決策が赤ちゃんのガラガラ。トリトは気が遠くなってきた。

 トリトから杖を借りたプルートは自分でも魔力を流してみた。その流れを感じ取る。


「……なるほど。魔力を吸い取るドリアードの特性を利用して魔力を一点に流し込むのか。人魚の鱗に入っているのは光よ(ジーゲンディ)かな」

「さすが兄様! 鱗に入ってる魔法は変更できるから、好きなのに変えてね」

「トリト、体の調子はどう?」

「驚くほど良いわ。こんなに体が軽いのは生まれて初めてかもしれない。プルート、どうかして?」


 プルートは杖を握ったり振ったりして確かめている。


「そうか、ここに人魚の鱗を嵌め込んで、あらかじめ使う魔法を固定しておくことで、必要な量だけ魔力を吸い取られるんだ。そして魔法が固定されているから方向性が安定する。よく考えたね、リンダ」

「それで魔力が一定方向に安定したのね! すごいわリンダちゃん!」

「え……」


 きゃっきゃしている二人には申し訳ないが、リンダにそんなつもりはまったくなかった。魔法少女の杖なんだからエフェクト付けないと、と思っただけである。

 魔法の変更ができるのはアレだ、新たに強敵が現れると必殺技も新しくなるから、リンダなりに気を使ったのである。


 これで後はマスコットキャラクターがいれば完璧! などと言い出せない雰囲気に、リンダはちょっぴり冷や汗を流し、笑ってごまかすことにした。



 ◇



 トリト・アクオーン・ワダツ・クリーネ侯爵令嬢は、海の民であるクリーネ侯爵家の末姫である。

 セルリアンブルーの長い髪、陽が昇る寸前のような赤と紫が入り混じった瞳。背は低く、体つきは華奢なのに胸は大きい。魔法少女によくある『中盤から出てくるお助けお姉さん』キャラそのものだ。面倒見が良くて、主人公と人気を二分するやつ。トリトとはじめて会った時からリンダはそうとしか考えられなくなった。


 いつも熱を出して寝込んでいるお嬢様なんてお約束すぎる。魔力を吸い取るドリアードで杖を作ったのは苦しむ子供を放っておけなかったからで、そのアイテムを杖にしたのはリンダにしてみれば当然の流れだった。人魚の鱗に思いがけない効果があったのは結果オーライというやつだ。


 魔法少女計画は黙っておこう。何度も杖を振って光を出しているトリトに、娘もそうだったと懐かしく思いながら、リンダは賢明にもそう決意した。




急募:マスコットキャラ

私の知ってる魔法少女は正体がばれると元に戻れなくなりましたが、今もそうなのでしょうか。

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[一言] 「21:トリト登場」で清酒から麹菌を分離して醤油と味噌を造ろうとしていますが、日本酒の製造工程では濾過後に殺菌のために火入れをし、瓶詰めの直前にも火入れをします。 醤油も圧搾後の生醤油に火入…
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