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19:幼生



 昼間の森は鬱蒼とはしているものの、木々の合間から差し込む太陽で明るかった。土の匂いと木の匂いが充満し、鳥が歌っている。こんな時でなければ遠足気分を味わえただろう。

 学校長、ハジムアベル・ヘパリティス・ヘカテは覚悟を決めてドリアードの元へ向かっていた。

 服装はいつもの黒いヴェールに黒マント。これは別に彼の趣味ではなく、フレースヴェルク魔法学校校長の正装である。


 フレースヴェルクとは古代魔法語で『死を食らう者』を意味する。学校の領域を守護する根幹である、校長という存在を守るためであった。

 学校の理事である貴族たちもそれを知っているのでなにも言わない。彼らもまた、フレースヴェルクの卒業生であった。その中にはハーツビート家当主、オービットの姿もある。


 嫡男であり次期当主となるノヴァは置いてきた。ここで万が一のことがあってもノヴァがハーツビートを継承する。貴族の覚悟と矜持が表れた顔つきで前を行く校長の背中を見つめていた。


「……アクシズ殿は古代魔竜モルニル殿と並び、学校の始祖ともいえるお方です。子供たちを守るため学校に根付き、森を育ててくださいました。モルニル殿は知っての通り永き眠りについていたのを目覚めさせられましたが、アクシズ殿は森そのもの。眠ることなく護り続けてくだされたのです」


 リンダが聞いたら「ブラック企業の社畜かよ」と非難するだろう説明を校長がはじめた。


「妖精は姿を消しましたが、他の魔道具に変化はありません。私の魔力と、大地の魔力を循環させ、浄化は正しく働いています。あるいは呪いか、本当に闇に呑まれてしまったのか……」


 怪奇クラブの報告が事実なら、アクシズはもはや守護ではない別のものに成り果てていると考えたほうがいいだろう。生徒として登録してある人間を襲うのは明確な契約違反、討伐対象となる。


「校長、代わりのドリアードを召喚できますか?」


 数人の足音が静かに響く中、オービットの問いはやけに大きく聞こえた。

 孫娘をあやうく喰われかけた彼は、怒りながらも迷っている。

 学校の守護が一つでも失われたら全体のバランスが崩れてしまう。そして、次を用意するのは非常に困難だ。校長はゆるく頭を振った。


「代わりとなるドリアードが生まれた気配はありません」


 それが答えだった。契約を引き継いだドリアードでなければ守護にはなれない。人間が家を継ぐのと同じように、資格のない者はなれないのだ。厳しくも正しい、契約とはそうしたものだった。


「厳しいですな。我らの魔力で足りれば良いのですが」


 オービットはあえて明るく言った。彼の明るさに救われたように、理事たちも軽口を言い合う。


「さようですなあ。いや、こんな冒険は若いとき以来ですな」

「この老骨も久しぶりに本気を出しましょうぞ」

「我が青春の学校の礎となれるなら誉れじゃ、誉れ」

「さよう、さよう。王家に尽くすよりよほどましというやつよ」


 どっと笑いが起きた。戦争を起こし、このラグニルドを穢れと闇で覆った王家などより、青春を過ごした学び舎のほうが大切である。

 ハジムアベル校長はヴェールで隠れた目が潤みそうになった。そうだ、学校とは、勉強をするだけではない。仲間との絆、淡い恋、ライバルとの出会い、青春のすべてが詰まった思い出の宝石箱だ。二度と取り戻せない輝かしい一瞬の時。


 闇堕ちさせてなるものか。教え子を死なせてなるものか。想いを胸に、校長は任命式以来となる懐かしのドリアードの前に立った。

 校長の古い友は、報告されたとおり赤黒く染まった幹に人の顔を浮かび上がらせ、果実なのか犠牲者なのかわからない人頭を垂れ下がらせていた。


「……むう……」

「これは……」


 あまりにも悍ましく、傷ましい姿に、校長と理事たちは呻きを上げて立ち竦んだ。

 しかし、我に返って身構えた彼らを襲ってくる気配はない。ただ時折枝葉を揺らし、様子を見ているようだ。


「……行ってみましょう」

「校長、危険ですぞ」

「敵意はないようです。私はフレースヴェルクの校長、彼を見届ける義務があります」


 校長が近づくと、揺らめいていた枝がそっと伸びてきた。理事たちがすかさず魔法で攻撃しようとしたのを校長が手で制する。

 どうするのか、と固唾を飲んで見守る彼らの前で、校長がマントの前を開けた。


「っ! 校長!」


 校長のマントは魔道具の一つだ。校長という存在そのものがすでに学校の守護であり、その魔力を高め、守るのが黒いマントである。マントの中に本物の肉体があるかどうかは理事ですら知らない秘事であった。

 そのマントの中、校長の腹があるべき部分に枝が潜り込んでいく。異様すぎる光景を目の当たりにした理事たちは口を開け、吐き気を堪えるように手で覆う者もいる。


「……そう、そうですか。そうでしたか……。それは……はい」


 校長はドリアードと会話をしているらしい。やがてしゅるしゅると枝が出ていき、校長が膝をついた。


「ハジムアベル!」


 オービットが駆け寄ると、大丈夫と言ってうなずいた。ヴェールの下で汗をかいているらしく、水滴が地面に零れ落ちて黒く染める。


「……どうやらアクシズは寿命が近いようです」

「では、代替わりを?」

「ええ。……しかし戦争でラグニルドの魔力は乱れ、大地は穢れてしまいました。ドリアードは地中深くに根を張り木々の長となる魔法生物ですからね、学校の結界で守られていても影響を受ける。大切な時期に戦争に巻き込まれ、守るだけで精一杯になり次代を生む力が足りなくなった。やむなく侵入者共の魔力を吸収していましたが、悪しき魂の魔力では闇が濃い。それで、あのような姿になってしまったようです」


 あの垂れ下がった人頭は新しいドリアードになるはずだった、幼生の成れの果てだった。

 ドリアードは樹木人なので実から生まれる。正しい幼生であればあんな禍々しい首ではなく、人の胎児に似た体を持っているはずだった。頭から伸びた蔓で養分と魔力を貰い、気に入った場所に根を下ろす。成体となっても根付かないドリアードは森を転々として棲み処を替え、人と交流を持つこともあった。アクシズは、はるか昔にそうして学校に根付いたドリアードだ。


「でも、もう大丈夫です。……新たなドリアードが生まれたら、盛大に祭りをやりましょう。アクシズを送る時も、派手に祝ってやりましょう」

「校長……」


 水滴は、汗ではなかったようだ。


「長い永い間、私たちを守ってくださってありがとう……。アクシズ……」


 理事たちは長年の感謝を伝えようとドリアードの幹を撫で、魔力を注いだ。青春時代を見守ってくれていたアクシズも恩師である。子供に返ったように笑いながら口々に声をかけた。

 オービットも同じようにドリアードに抱きついた。大人の男が五人で両手を広げて抱きついて、やっと一周できるほどの巨木だ。世界樹の森にもドリアードはいるが、ここまで長寿のものはここだけだろう。


 突然頭上でべきっと音がして、太い枝が降ってきた。地響きをたてて地面に落ちる。

 まさか寿命が尽きたのかと見上げたオービットの前に、ドリアードの幼生がふわりと伸びてきた。


「リンダ……?」


 オービットは思わず孫娘の名を呼んでいた。色こそドリアードらしく全身薄い緑、幼生のためかうっすら透けているが、その顔立ちはリンダとそっくりだった。


 ――世界樹の姫に……。


 葉擦れのような、ささやかな子供の声が言った。オービットは落ちた枝を見て、幼生を見る。


「これを、リンダにくださると?」


 ドリアードは素材として最高級に入る。長命であり魔力も強く、賢者と称されるほど豊富な知識を持っている。樹というより精霊に近く、素材にするには枯れるのを待つか、頼んで分けてもらうしかない。誇り高い樹木人が自ら枝を分け与えるのは非常に珍しいことだった。


 ――雷に乗って、来た。


 それだけ告げると幼生は樹に戻っていった。新たなドリアードの思念体だったのだろう。


「リンダが……」


 オービットも校長も、発見時のことだと解釈した。まさか夜中に抜け出して会いに行ったとは想像もしていない。


「ハーツビート君の魔力を吸うことでかろうじて理性を取り戻したのでしょう。その枝は礼でしょうね」


 校長が感嘆まじりに言った。これだけの大きさの枝なら、箒を作ってもおつりがくる。

 ドリアードに礼を告げ、魔法で浮かせた枝を持って彼らは学校へと帰還した。


 リンダはカタナが飛べなくなってしまったことに落ち込んでいたが、祖父が無事帰ってきたことに喜び、ドリアードの枝に狂喜乱舞した。巨大な枝を掲げて踊るリンダに、翡翠たち怪奇クラブの部員たちもほっと笑いに包まれる。


 七不思議の一つ『魔力の坩堝』の正体は、学校の守護であるドリアードだった、ということで決着した。残念ながら因縁つけてきた男子生徒にこれといった罰は与えられなかったが、解決とドリアード救出のきっかけとなった怪奇クラブは大量に加点され、評判になったことで入部希望者が殺到した。

 ただし、即日退部した者がほとんどだった。


「見た? あの二人、部長の洗礼で泣いて逃げたわよ!」

「見たみた! よくまあぬけぬけと来たなと思ったけど、ざまあみろだわ!」


 タッジーの怪談にべそかいて逃げ出した例の二人に、ローゼスタと翡翠は溜飲を下げた。

どうやらあの二人、リンダたちの活躍をまぐれだ偶然だと教室で言いふらし、あれくらい自分にもできると見栄を張ったらしい。クラスでは本当に魔力の坩堝を探し出したローゼスタたちを見直す者がほとんどだった。全校集会で説明されたし、本当に危険だったと知って囃し立てたことを謝罪してくれたのである。当然、二人は反感を買った。そこまで言うならやってみろと責められ、見栄を張った手前断ることもできず、またこれをきっかけにリンダたちに近づいて美味い汁を吸ってやろうと怪奇クラブに入部してきたのだ。怪奇クラブの悪評を立ててくれた相手に部長が手加減するはずもなく、とっておきの怪談を披露されたというわけである。


「ローゼスタさんはどうするの? 退部する?」


 フローレスが心配そうに聞いてきた。もともと期間限定入部のつもりだったローゼスタだが、まだ全部の本を読めていない。卒業するまで読み終わらないだろう。


「いいえ。できるかぎりこちらに来ます。七不思議はあと六つ残ってますし、他にも学校は謎が多くて楽しそう!」

「私も、冒険者クラブの合間に来ます。案外こちらのほうが鍛えられそうですし」


 翡翠とローゼスタは笑って言った。

 リンダは、聞くまでもない。部室の片隅に陣取り新しい箒作成に忙しくしていた。ドリアードがくれた枝でカタナ復活プロジェクトだ。

 錬金術のタオ・シドミノと魔法薬学のイーゴ・テンゲンが分けてくれないかとやってくるほどの素材だ。気合を入れて作っている。


「あ……っ」


 枝から箒の柄となる部分を削りだしていたリンダが声をあげた。


「翡翠、翡翠!」

「どうしたの、リンダ」

「ほら、コレ!」


 その最中に枝から出てきた翡翠の小刀によって、二人の冒険は無事隠蔽されたのだった。




七不思議編終了!次回からしばらく幕間続きます。

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