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18:真夜中の冒険

少年と少女が冒険してるのっていいですよね。



 リンダとマッジーの報告はただちに先生に伝えられ、校長に届いた。

 先生はリンダたちがクラスのいじめに対抗して怪奇クラブに入部し、魔力の坩堝を探していることを把握していた。

 しかし、それより遥かにやばいものを発見してくるとは予想外もいいところだ。ただちに緊急会議が開かれ、理事が召集された。


「そのドリアードはおそらく学校の守護として根付いてくださった、大樹老アクシズ殿でしょう。……そのような大老がなぜ……」


 校長がヴェールの向こうで悲痛な呻きを漏らした。西北の森はただちに立ち入り禁止にされ、生徒たちを動揺させないよう怪奇クラブには緘口令が布かれている。

 なにが起きているのか真相が解明されるまで生徒を自宅に帰し、休校にするべきではという意見も出たが、学校の守護は絶対に生徒を襲わない契約を結んでいる。


「でも、あのドリアードは襲ってきましたよ? 理性を失っているのではないでしょうか」


 状況説明のために会議に出席したマッジーが蒼ざめた顔で進言した。校長先生はうつむき、理事たちもどういうことかと話し合っている。リンダは祖父が理事の中にいることに気づいたが、なにも言わなかった。


「生徒の安全が第一では。そもそも守護が失われたら学校全体が危険です」

「本当にアクシズ殿だったのか? 詳しく調査すべきでは?」

「真相が解明されるまでは生徒を寮から出さないようにしましょう」


 理事は学校の運営方針や安全を図る義務がある。ほとんどの理事が卒業生、かつ生徒が在籍している者も多く、安全対策に終始した。


「学校としては、むしろ生徒に教えることで魔法の本当の恐ろしさを見せたいくらいです」


 そう言った校長に数人の理事が賛成した。先の戦争を体験した長老たちだ。平和ボケした生徒が誘惑に負けて道を踏み外し、闇に堕ちるなどあってはならない。ならば多少刺激が強くても、魔法と魔法生物の真の姿を見せるべきではないか。前例のない今回の事件を隠ぺいするのではなく、戒めとして伝えておくべきだ。

 フレースヴェルク魔法学校の生徒は死を恐れてはならない、しかし死を侮ってもならない。すべての生命にやがて訪れる真理を学ぶ場なのだ。


 対処は学校と専門家が当たることになった。生徒は寮に籠り、森への立ち入りは禁止。魔力の坩堝探しは一時中断を余儀なくされた。


「リンダ……大丈夫?」


 会議室から出てきたリンダはオービットと言葉を交わすことなく寮に戻ってきた。夕飯も食欲がないと言ってほとんど食べず、いつもの明るさが嘘のように黙り込んでいた。怪奇クラブがなにかとんでもないものを見つけたらしい、という噂はすでに学校中に広がっている。校庭にいた生徒が血相を変えて飛んできたリンダとマッジーを見ていたのだ。

 クラスメイトは様子のおかしいリンダに蒼ざめ、自分たちが唆したせいでと後悔する者、男子二人のように自分のせいじゃないと言い張る者とに分かれた。ちょっとした嫉妬心と悪戯心がどんな決着をみせるのか、震えながら固唾を飲んでいた。


 部屋に入り、ベッドに腰掛けたリンダに翡翠がそっと声をかけた。噂を聞きつけたメイが可哀想なほど狼狽えて、いつでも声をかけてくださいと世話を焼こうとしたほどだ。厨房係のメイでは寮に入れず、無念そうだった。


「…………」


 リンダは黙り込んだままだ。白い肌はすっかり蒼ざめ、細い手は冷え切っている。

 無理もない。人が木に食べられる、地獄のような光景を目撃したのだ。今までリンダが出会った魔法生物は友好的なものばかりだった。ショックは大きいだろう。いくらリンダでも命のやりとりとは無関係のところにいた、十一歳の少女なのだ。


「翡翠……」


 リンダは意を決して顔を上げた。念の為防音結界を張る。

 防音までしたことで、ただごとではないと翡翠は息を詰めた。


「翡翠、もう一度森へ行ってみる」

「……は?」


 翡翠は呆然とし、リンダの言葉を理解するなり激昂して立ち上がった。


「ばっ、馬鹿言うなっ、死にたいのか!?」

「あの人、たぶん東覇国の人だ。刺客かもしれないけど、翡翠に会いに来たんだと思う」


 東覇国、刺客、の言葉に翡翠の勢いが削がれる。目がうろ、と彷徨い、力なくベッドに座り込む。


「なんで、そう思った?」

「服だ。まるで忍者みたいな服着てた。顔つきもラグニルド人じゃなくて東大陸っぽい顔だった。ドリアードが侵入者を排除したんなら、まず刺客だろう。あの人を捕まえれば、東覇国にいる黒幕がわかるかもしれない」

「……っ」


 翡翠は奥歯を噛みしめた。

 翡翠と黒曜妃を狙っているのは金剛宮の第一皇子と金剛妃だろう。だが、他の妃たちだって翡翠は男ではないかと怪しんでいる。付け入る隙を見せたらたちまち喰われるのが後宮だ。

 皇帝と母は翡翠がいないことをごまかしているが、逃げたとなればハーツビートだと見当がつく。亡き親友の実家は黒曜妃にとって強い後ろ盾だ。東覇国に影響力がなくても、繋がりがある、という事実はそれだけ大きく受け止められる。

 ハーツビートの姫が遠縁の娘を連れてフレースヴェルク魔法学校に入学した。勘の良い者ならこれだけで察する。


「……それなら、校長たちが森に行く時に同行させてもらえばいいだろう。わざわざ危険を冒すことは……」

「間に合わない。あのドリアードが魔力の坩堝のルーツだとしたら、魔力を吸い取られているんだろう。それだけじゃなく、幹の中に取り込まれてたら……」


 リンダは食べた、とは言わなかった。あの光景は思い出すだけで震えがくる。

 あんな悍ましく恐ろしい相手がいるところになどリンダだって行きたくない。だが、行かなくてはならないのだ。あの時河童が頼んできたのは、ドリアードを助けてくれという意味だったのではないだろうか。だとしたら見捨てることはできなかった。あの忍者も、ドリアードも。


「…………」


 翡翠は考え込んだ。ここでリンダを止めるのが正解なのだと頭ではわかっている。しかし彼は東覇国の皇子として、刺客であろうと自国民を助けるべきではないかという『綺麗事』と、国で翡翠を守るために奮闘している両親、そして斎薇たちを思った。

 当事者の自分がただ守られて、逃げていていいのか――それを望まれて魔法学校に入学したと理解しても、友人がここまで『義』を見せてくれたことを無視はできなかった。そうするには翡翠は若すぎた。そして、リンダも。


「俺様も一緒に行く」

「そう言ってくれると思った」


 リンダがぎこちなく笑った。一度は運良く逃げることができたが二度目も上手くいくとは限らない。まして夜、闇に堕ちた魔法生物の力はさらに増すだろう。


「作戦はあるんだろうな?」


 魔法を吸い取られるのであれば、攻撃は効かないと思ったほうがいい。リンダは真紅の髪をきらめかせてうなずいた。


「メイに夜食を作ってもらう」


 リンダは大真面目だった。

 翡翠は反射的に怒鳴りつけそうになった。


「肉を投げつければあいつの気を反らせるんじゃないかな。生きた人間じゃなくて、魔力に反応するなら効果あると思う」

「なるほど。その間に刺客を救出すればいいのか」


 東覇国には生贄の代わりに肉を捧げた伝承がある。翡翠はそれを思い出した。


「人の頭っぽく生地で包んでもらおう。厨房から生肉だけ貰うのは不自然すぎる」

「盗むわけにもいかないしな」


 窃盗は校則違反だけではなく犯罪である。メイに頼めばなんとかなるかもしれないが、お嬢様の気が触れたなどと大騒ぎになったらこっそり森に行くこともできなくなる。


「善は急げ。今から厨房に行ってみよう。メイならいるかもしれない」

「寮の門限はもうすぐだぞ。どうごまかす?」

「心配すんな。十二時過ぎたら明日の朝だろ」


 ものすごい屁理屈だった。

 寮の入り口にドアはないが、生徒が夜中に抜け出したら感知する魔法がかけられている。同時に侵入者を阻むため、門限が過ぎたら生徒でも入れずに先生に申告しなければならなかった。門限破りはもちろん減点だ。


 厨房に行くと、はたしてリンダを心配していたメイが待っていた。夕飯を食べなかったリンダが夜中にお腹を空かせてやってくると思ったらしい。


「お嬢様っ。お腹空いたんですね? なにか召し上げりますか?」

「メイ、簡単なのでいいからお肉をパンに包んでくれる? 温めるのは部屋でやるから翡翠の分もお願い。急いでね」

「お任せ下さい!」


 寮の門限が迫っていることを理解しているメイは、魔法を駆使してあっという間に皿に山盛りのパンの肉詰めを作り上げた。リンダの指示でパン生地の中に肉を詰め込んだ、簡易的な肉まんだ。


「気合い入れました!」

「ありがとうメイ!」


 メイに抱きついて感謝するリンダ。一方、皿を受け取った翡翠は魔法使いが気合いを入れて作った肉まんに冷や汗が湧いてきた。

 ちょっと雑なのは急いでいたから仕方がないとしても、皺の寄った部分が絶妙に目と口だ。今にも「タベテェ」と叫びそうである。


「お嬢様、急ぎませんと門限ですわ」

「うん。メイ、ありがとう。おやすみなさい」

「おやすみなさいませ」


 メイに見送られて部屋に戻った翡翠とリンダは、狂気の肉まんと目を合せないように袋に詰め、時を待った。


「リンダ、どこから出る? 先生にばれたらまずいぞ」

「窓から行く。あの窓枠を外せばいい」


 二人の部屋は寮の三階。窓はあるが、万が一にも事故の無いよう、半分しか開かないようになっている。

 当然のように言ってのけたリンダに、翡翠は眉を寄せた。プライバシーのため、ベッドとベッドの間にはカーテンがかけられている。


「リンダ……、もしかしてもう何回か抜け出してるだろう」

「わかった? 夜中に飛ぶのって気持ちいいんだ。寮のゲートは魔法で侵入者感知するけど、窓はノーマークだった。朝方戻ってくればばれないって」

「朝起きるのが遅いわけだよ……」


 安心と信頼の実績から来る提案だったわけだ。先生方もまさか窓から箒に乗って抜けだす生徒がいるとは夢にも思うまい。たしかに門限は決まっているが、朝方なら朝練や授業の準備で出入りしている生徒もいる。不審に思う者はいなかったのだろう。規則の穴というか、規則の解釈を独自にしすぎている。


「リンダ」

「どうしたの? 少し寝とくか?」

「いや、いい。リンダ、俺様はドリアードに捕まった人間が誰でなんの目的であれ、助けるべきではないと思う」

「……なんで?」


 リンダの澄んだ瑠璃色の瞳が翡翠をじっと見つめてくる。


「怖気づいたわけじゃない。ただ、学校に忍び込んでおいてあっさり捕まるようじゃ、助けたところで意味はない。……飼い主に殺されるだけだろう」


 翡翠が助けても、任務に失敗したとなれば国に逃げ帰っても戻る場所はない。一族もろとも叱責されて殺されるだけだ。ならば手こずっていると飼い主に思わせておいた方が、少なくとも彼の一族は保証される。


「東覇国はそういう国なんだ。だから家全体で一人に仕えるのではなく、兄弟がばらけて家を築く。斎薇は武門の家だが俺様に仕えているのは斎薇の一家だ。彼の兄弟は他の妃や、軍部にいる。連帯責任で族滅されないように分散させるんだ」


 ラグニルドに比べて厳しい制度だ。この国では一人の責任は本人が取るべきで、親兄弟にまで波及しない。東覇国は家族ごと囲うことで忠義を確固たるものにしている。責任だけではなく恩恵も与えられるため、よほどのことがない限りは一家全滅などということにはならない。


「翡翠はそれでいいんだな?」


 刺客というのはよほどのことだ。暗殺という技術はただの戦闘とは違い、必殺のための腕を磨く。そのために金と時間を費やして育てたのだから、失敗すれば死が待っているのは納得済みだろう。

 それでもせめて家族にだけは情をかけたいと思ってしまうのは、翡翠の甘さだった。リンダの強いまなざしに、翡翠はしっかりとうなずいた。


「ああ。俺様は東覇国の皇子だ。俺様が見届けてやる」


 二人が出発したのは学校全体が寝静まっただろう二時過ぎだった。リンダは特注で作らせた飛行服に着替え、翡翠は東覇国の衣裳を身に着けた。それから皇帝直々に渡された小刀を懐に入れる。鞘には螺鈿細工が入り、柄には東覇国の皇族を示す紋章が刻まれた、翡翠の身分を証明するものだ。

 ランタンは持ったが灯りは点けずに飛ぶ。先生に目撃されたら大変だ。


「リンダ、そろそろ」

「うん」


 森の上まで来てようやく火を点けた。魔法ではなく蝋燭なのは、魔法を察知されないためだ。

 ぽっ、と周囲が明るくなり、温度のある光に翡翠はほっとした。風で消えないように気を付けつつ、ランタンの持ち手を箒の柄にかけた。


 空から見下ろす森はただ黒々とした闇だった。リンダが見たドリアードがどこにいるのかもわからない。

 昼間に出直してきたほうがいいのでは、と翡翠が言いかけたところで、リンダの目が捉えた。


「――いた」

「どこだ? 見えない」

「あそこ。うっすら光ってる」


 翡翠は懸命に目を凝らすが、発光しているものなどどこにも見えない。

 身を乗り出したところでリンダが箒を下降させた。慌てて袋から肉まんを取り出して構える。ざわざわと鳴る葉擦れの音が緊張感を煽った。


「来た!」

「それ! 喰らえっ」


 翡翠にもようやく迫ってくる木の枝が見えた。葉はなく、触手のように二人に絡みつこうとしている。思い切り投げた肉まんに気づいて軌道を変えた。


「効いた!?」

「うっそだろ!!」


 翡翠は笑った。投げた肉まんに枝が群がっているうちに近づく。枝が伸びてきた方向に、周囲の木々よりもなお黒い、悍ましい姿のドリアードが立っていた。


「翡翠! あそこ!」

「!!」


 太い枝の間に、瘤のように盛り上がっているところがあった。

 リンダがスピードをあげて突っ込んだ。

 耳元で風がごうごうと唸りをあげている。こんなに風が強いのに、汗が額に滲むのを感じた。奇妙なほど意識が鮮明になっている。


 あの中にいるのは誰なのだろう。ドリアードの前を通り過ぎる瞬間、体を傾けた翡翠の目と、木の枝に覆われた隙間から覗く目が合った。


「あっ!?」

「っ!」


 がくん、と突然箒が止まった。背後から伸びた枝が、箒の藁を摑んでいた。


「っ、こいつ!」


 翡翠は懐から小刀を引き抜くと枝を切りつけた。びちゃっ、と樹液が噴き出す。生臭い。血の匂いに似ていた。枝は箒に絡みつき、同化しようとしている。


「やめろっ! リンダのカタナになにをする!?」


 枝を摑んで切っている隙を突いて足首に絡みつかれた。

 あっ、と思う間もなく空に放り投げられる。リンダに向かって無数の枝が絡みついていくのが見えた。


「リンダァァ!!」

「翡翠!!」


 翡翠は魔法で着地をやわらかくすると空を見上げた。リンダは箒を奪われないよう懸命に飛んでいる。

 クソッ、と吐き捨てた翡翠はドリアードに登ろうと足をかけ――止めた。


「う……っ」


 デコボコとした木の幹には人の顔が浮かんでいた。いや、人の顔が瘤になっていた。翡翠が手を伸ばすと口を開け、目玉のない目を開いた。眼球があるべき部分には木の根が伸びていた。

 翡翠は咄嗟に肉まんを取り出すと口に突っ込んだ。息を吸い、吐き、それから意を決して頭を踏んづけてドリアードに登る。


「リンダ! 頑張れ!!」


 自分を叱咤するように励ますと「オメーが頑張れ!」とくぐもった叫びが返ってきた。それでこそリンダだ、と笑いが漏れた。


「あはっ」


 笑ったことで力が湧いてきた。噛まれないように気をつけて登る翡翠の前に、ひときわ大きな瘤、木の枝が密集したものが現れた。さっき目が合った男がいた瘤だ。

 翡翠は息を飲み、顔を近づけた。男の顔はすでに見えなくなってしまっている。気のせいだったのだろうか。小刀は振り落とされた時に落としてしまって手元にはない。翡翠は枝の隙間に指先を捻じ込むと力任せに毟り取った。

 生木は固く、繊維が柔らかいため簡単には折れてくれない。それでもなんとかちぎっていくうちに人の顔らしきものが見えた。もう一息、と枝を押しのける。

 枝の合間から現れた男は死人のように蒼ざめ、痩せこけていた。両手で男の頭を摑んで顔を近づける。


「しっかりしろ!」


 翡翠が東覇国語で呼びかけると、うっすらと目を開いた。


「東覇国黒曜宮が皇子、翡翠である。……そなた、私を殺しに来たのか」


 翡翠の名乗りに男は弱々しく笑い、かすかにうなずいた。

 翡翠は顔を離して、ただ男を見た。安堵か失望かわからない感情が胸を吹き抜けて力が抜ける。


「……名は?」


 男は翡翠を見つめるだけで答えない。刺客とは思えぬほど彼の目に憎しみはなく、殺意もなかった。生きることを諦めた人間の瞳がそこにあった。


「私が覚えて、家族に伝えてやる」


 男の乾いた目が揺れた。唇が、かすかに動いた。


「…………」


 翡翠はしばらく男を見ていたが、瞼を閉じるのを確認して再びドリアードを登りだした。もはやリンダは飛んでいない。木の枝に絡みつかれ、それに支えられた状態だ。


「リンダ!!」


 急激に魔力を吸い取られたリンダは気を失っていた。リンダ、と呼ぶ翡翠の声にぴくりと瞼が動いた。


「リンダ……?」


 誰だっけ、と思い、そういや今の自分はリンダだったと思い出す。

 そこでハッと気がついた。


「カタナ! カタナは……?」


 ランタンの火は消えていたが、カチカチと金属の当たる音がしていた。枝の籠の中は暗く、リンダが丸まっていられる程度の広さしかない。

 リンダが潰されなかったのは、カタナが支柱になり枝から主人を守っていたからだった。湾曲状になった柄からミシミシと軋む音がする。メイのリボンが微かに光っていた。


「カタナ!」


 パシッと音がして、柄から欠片が零れ落ちた。


「カタナ、俺のカタナが折れちゃう……っ」


 なんとか相棒を取り戻そうと、リンダは圧し潰そうとしてくる枝を力任せに引っ張った。ぐん、と魔力を吸い取られて血の気が引く。一瞬意識が飛んだ。


「こ、……っな、くそぉ!」


 箒と枝の隙間になんとか肩を入れて隙間を作り、腕と足を通す。全身でカタナに抱きついた。


「カタナ、飛ぶぞ!!」


 ブオン、と懐かしいエンジン音が頭の中に響いた。

 しがみついたまま魔力を流すと、しゅるしゅると枝が伸びてリンダに絡みついてきた。リンダはそのまま全速前進させた。ぎゅっと目を瞑る。

 がつん、と頭がぶつかった。痛みに唇が歪んだ笑みを刻んだ。


「俺の頭突きをくらいやがれぇっ!!」


 両腕が持ち上がらないほどフラフラになるまで喧嘩して、それでも負けなかった最終兵器だ。固さはお墨付きである。

 ぶちぶちっと枝がちぎれた。髪が引っ張られて痛い。それでも加速した。

 バリッ、と突き抜けた。


「リンダ!」

「翡翠!」


 リンダを捕らえていた枝の塊を登っている翡翠がそこにいた。二人が手を伸ばす。


「リンダ!」

「翡翠! 良かった!」


 リンダの手を摑んで浮いた翡翠は片手を伸ばして箒の柄を握り、もう片方もリンダの手から離すと逆上がりの要領で箒に乗ってきた。


「リンダ、無事だったか」

「カタナが守ってくれたんだ。メイのリボンも」


 メイが護りを込めたリボンはドリアードの枝にも負けずにカタナの力となった。壊れるまでリンダを守ろうとしてくれたのだろう、刺繍の部分が擦り切れている。

 そうか、とうなずいた翡翠はリンダを見て金の瞳を潤ませた。リンダの可愛らしい顔、その額には血が滲んでおり、真紅の髪も引きちぎられたのか毛先が乱れている。指先などぼろぼろで爪が剥がれかけていた。

 公爵令嬢として何不自由なく育てられたリンダには、相当な痛みだろう。なのに、リンダはなんてことない顔で笑った。


「会えた?」


 それだけを聞いてきた。


「ああ。名前も貰った。いずれ、家族に返してやるつもりだ」

「そっか」


 リンダが手を伸ばして翡翠の頭を乱雑に撫でた。

 よくやった、と言葉で言われるより胸に来て、翡翠はぐっと目を瞑った。


「リンダ、あれはおそらく人を喰いすぎて闇に堕ちたんだと思う」

「ドリアードって森の賢者って呼ばれてる魔法生物……植物? だろ? そういう生き物も闇堕ちすんの?」

「魔法生物だからだ。人間だって闇に呑まれれば堕ちる。本能が強い生物ほど呑まれにくいが、悪しき穢れた人間を食べ続けていれば……」


 はじめのうちは魔力を吸い取って森の外に追い出していたのだろう。しかし穢れた魔力を吸い続けるうちに人間そのものを取り込むようになっていった。ドリアード自身に闇堕ちした自覚はなく、学校のため、生徒のためだと今も信じて侵入者を退治しているだけなのだ。


「学校の浄化作用が低下してる? いつからいたのか知らないけど、自浄くらいはできるはずだよね?」


 リンダの核心を突く推理に翡翠はハッとした。そのとおりだ。フレースヴェルク創立からいたのならとっくに闇堕ちしている。浄化するシステムが組み込まれていなければ学校全体が危険地域だ。


「それだ、リンダ。ドリアードが俺様とリンダを襲ってきたのは穢れない魔力で浄化しようとしたんだ」

「そっか……。苦しかったんだね」


 リンダが呟いた。

 この時リンダが思い浮かべていたのは『二日酔いの時に飲むしじみの味噌汁』だった。あれはつらいし吐き気で苦しいし全身が痺れたように重くなる。震える指でお椀を持ち上げて飲む、しじみの味噌汁の沁みることよ。


 翡翠が訊いたら闇落ちと二日酔いを一緒にするなと怒りだしそうなことを思いながら、リンダは憐れみの目でドリアードを見た。

 河童たちが頼んできたことを思うと、あれはここの森の主だったのだろう。


「其れならもう少し、魔力を与えておく?」


 リンダの魔力を吸って満足したのかドリアードは沈黙している。リンダと翡翠が脱出し、伸びていた枝も力を失って地面に落ちていた。


「そうだな。魔法を使えば吸収するだろう」

「浄化の魔法はまだ習ってないし、グリコナーでいっか」


 箒はずいぶんダメージを受けたようで飛び方がおぼつかない。リンダはカタナを励ましながらドリアードの上まで行った。


「やるよ」

「ああ」


 綺麗になれ(グリコナー)

 二人同時に魔法を唱えた。

 降り注ぐ魔法を喜ぶように、ドリアードが葉を揺らしていた。




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