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1:実家に帰らせていただきます

初回連続投稿二話目。



 なんてこったい。

 この世界、魔法があるのに箒で空を飛ばない。


 物心ついたばかりのルーナ・リンドバーグ・ド・ラ・ジークズルはその事実に愕然となった。


 よくよく思い返してみれば、一度たりとも空を飛ぶ人を見たことがなかったのだ。父が王城に行く時もドアに細工していたようだし、手紙は鳩が直通で届けてくれる。ちょっとしたお出かけなら歩けばいい。公爵家がどんな家かも知らないリンダは怠けてんじゃねえと腹が立つほど人は移動に苦労していない。おそらく宅配便や郵便という事業は存在しないのだろう。ついでにいうと、電話すらなかった。いくらなんでも度が過ぎている。


 ようやく見つけ出した箒に跨ったリンダを見た使用人は手に持っていた洗濯物を取り落とし、蒼ざめた顔で子守りであるメイに報告に走っていった。

 慌てた表情でやってきたメイがリンダから箒を奪い取り、部屋に戻されてしまう。気が触れたとでも思ったのか、継母と義妹ができてからというもの、リンダは腫れ者扱いだった。


「お嬢様、箒に跨るとは何事ですか?」

「空を飛ぼうと思ったの」


 途端、メイが変な顔をした。


「……空、を、箒で?」

「うん! 魔法使いなんだから、空を飛ばなくちゃ!」


 リンダの主張にメイは首を捻るばかりだ。

 メイは義妹が来てからリンダの子守りを外され、義妹付きになった。メイはリンダの子守りだと主張したのだが、継母と義妹に甘い父親のドヴェルグは継母の言う通りにせよと言うばかりでメイの話など聞いてくれなくなってしまった。いかに義妹といえども他人のメイドを奪うのは品のない行為とされているというのに、すっかりあの二人に骨抜きにされているのだ。


 義妹付きにされてもメイは隙を見てリンダの面倒を見てくれる。別にいいよと言ったら絶望した顔をされてしまったので、リンダはメイの好きにさせることにした。


「お嬢様……。人は空を飛びません」


 深い深いため息を吐きだしながらメイが言った。


「魔法があるのに? じゃあ、箒はなにに使うの?」

「箒は掃除道具です。悪戯はいけません。さあさ、遊ぶのでしたらお兄様のところに行きましょう」


 リンダの手を引いて公爵家の長くて広い廊下を歩きながら、どうしてこんな、奥様が儚くなるのは早すぎました、とメイがぶつぶつ呟いている。


 母の死が理解できないほどリンダは子供ではない。しかしその後が問題だった。喪が明けておらず悲しみの癒えないプルートとリンダを思いやることなく、父が再婚して腹違いの妹までいると暴露してきたのだ。後妻の連れ子などではなく、正真正銘父の実子としてだ。


 驚く間もなく継母と義妹は好き勝手に家の改革をはじめた。リンダの子守りだったメイを取り上げ、長年母に仕えてきたメイド長を解雇し、必殺嘘泣きを駆使して父を操った。父の優先順位は瞬く間に変わってしまった。妻を愛する良き夫であり子供たちに尊敬されていた父は、長年の愛人とその娘を一番にかわいがり、リンダを厄介者扱いしはじめるクソ親父と化した。そして公爵家当主の寵愛がどこにあるかを理解した使用人たちは素早く保身に走った。プルートは跡継ぎの嫡男だから良いとして、リンダは彼らにとってもはや姫君ではなくなった。存在を無きものにされ、一人でいることが多くなっていった。


 突然の変化にリンダの幼い精神が悲鳴をあげたのだろう。メイがそう思っていることを知らず、リンダ本人は口煩く言ってくる連中がいなくなったと喜んでいた。コーシャクレージョーだかなんだか知らないが、やたら言葉使いや礼儀作法にうるさくて、うんざりしていたのである。コーシャクレージョーだろうがソーサクレージョーだろうが関係ない。どこにいようとリンダはリンダの好きなことをするだけだ。


「メイ、私に構うことはないわ。ユーフェミアのところに行ってあげて?」

「いいえ、ユーフェミア様はお昼寝の時間でございます。気になさることありませんわ」


 ユーフェミアというのが義妹だ。日陰の身からいきなり太陽にさらされて我が世の春とばかりに好き勝手にふるまっている。少々やんちゃだが、かわいいものじゃないか。自分の若かりし前世に思いをはせるリンダにはユーフェミアの我儘など微笑ましいばかりだった。


 言葉使いはあんまり乱暴だとプルートが卒倒して泣きだしてしまうので気をつけるようにしている。がみがみうるさい家庭教師ならまだいいが、メイにまでとばっちりがいくのは避けたいところだ。


 リンダは中身が元ヤンのおっさんなので、見た目の幼女っぷりに騙されている兄やメイを見ると申し訳ない気持ちにさせられる。現に今もおいたわしいと涙ぐむメイに「邪魔だからあっち行ってろ」とは言えなかった。


 継母と義妹の登場以来可哀想な娘だと思われていることを感じつつ、リンダは放っておいた。リンダにしてみれば放置してくれるのは喜ばしいことであり、礼儀だのなんだのとそれどころではなかったからである。


 この世界には、魔法なるものが存在する。掃除だって洗濯だって、魔法一つで片付くのだ。なのに箒がある意味とは。空を飛ぶ以外にはないと思っていた。


 実母が死んだというのに薄情な、とは思うが、母との思い出は実はあまりないのだ。せいぜい絵本を読んでもらったり、一緒にお茶を飲んだりだとか、その程度である。公爵家の奥様は料理などせず、家族団欒もなかった。忙しい忙しいとちょこまかと家の中を駆け回り、ぐうたらしてないで家の手伝いをしな、と叱りつけることもない。リンダの知る『母』とはあまりにもかけ離れた母親に、なにかの罠じゃないかと思ったくらいであった。


 その反動か、兄のプルートはリンダには非常に甘い。リンダは兄に反対されたことも叱られたこともなかった。舐めるようにかわいがるという表現があるが、これがそれか、とリンダは鳥肌立てつつ納得したものである。やさしい虐待というやつだ。実の兄がやばい。


 コンコンコン、とメイがプルートの部屋のドアをノックすると、苛立ったように誰何された。


「誰だ?」

「お坊ちゃま、メイでございます。お嬢様も一緒です」

「入ってくれ」

「失礼いたします」


 プルートの部屋に入ったメイとリンダは、その惨状に唖然となった。

 青と緑の壁紙は無残に剥がれ落ち、家具があちこちに浮いて中身が部屋中をびゅんびゅん飛び交っている。その中に立つプルートは抑えきれない怒りに赤い髪を炎のように巻き上げていた。


「に……兄様?」


 仁王像かよ。言いかけたリンダはあえてそっと呼びかけた。魔力暴走させていたプルートは、さすがに幼い妹を傷つけてはならないと理性を取り戻したのか、部屋を元に戻した。家具が定位置に戻り、飛び出していた中身がしゅぽんと吸い込まれ、壁紙は何事もなかったかのように壁に張り付いた。


「リンダ、どうしたんだい? ヤツらになにかされたのか?」


 穏やかな笑みを浮かべているが、直前の仁王があるので逆に怖い。継母と義妹などもはや「ヤツ」呼ばわりだ。


「それが……」


 そこでメイの持つ箒に気がついたプルートが首をかしげる。


「兄様、どうして箒で空を飛ばないの?」

「箒で空……を、飛ぶ?」


 プルートもメイと同じく変な顔になった。かまわずに疑問をぶつける。


「お掃除は魔法でひょーい、でしょ? 箒はどうするの? なにを掃除するの?」


 リンダの瑠璃色の瞳には純粋な疑問だけがあった。メイの困惑に、リンダが箒で空を飛ぼうとしたことを察したプルートが苦笑する。あいにくプルートも箒でなにを掃除しているのか、その場面を見たことがなかった。


「箒は掃除道具だが、そういえばあまり使われないな。リンダは空を飛びたいの?」

「うん! 魔法使い、魔女は空を飛ぶものなの!」


 勢いよくうなずいたリンダの頭をプルートがそっと撫でた。興奮した子供の体温は高く、額に汗が滲み真紅の巻き毛が張り付いている。


「面白いことを考えるなぁ、リンダは……」


 兄に褒められたリンダがぱっと笑い、メイの困惑が深くなる。プルートがなにに怒っていたのか知らないが、だったら発散させれば良いのだ。盗んだバイクで走り出す年頃には早いし窃盗は犯罪だ、そもそもこの世界にバイクがない。箒で空飛んで嫌なこと忘れようぜ、とリンダはプルートを誘った。


「風をね、びゅーんってして、スカーッとするのよ。そうすると嫌なこともぜんぶ忘れられるの。ね、兄様、いいでしょう!」


 リンダの主張に、しかしプルートの眉根が寄った。彼が気にしたポイントはもちろん「嫌なこと」だ。

 メイが心配するのもわかる。突拍子もないことだ。公爵令嬢らしくない。


 箒で飛ぶのなら馬のように横座りではなく跨るのだろう。しかもスカートだ、下から見上げればスカートの中が見えてしまう。一部のマニアックな人は大喜びしそうだ。あらゆる意味で危険である。なによりはしたない。


 そんな姿をあの継母と義妹に目撃されたらここぞとばかりに攻撃してくるだろう。プルートは怒りが再燃しそうになり、慌てて耐えた。兄を励まそうと明るくふるまっているリンダを怯えさせるわけにはいかない。


 あの二人が家に来てから父は変わった。いや、もしかしたら今の父が本来の父だったのかもしれない。父と継母は学生時代に恋人だったというし、引き裂かれた恋を恨んでいたのだろう。母が死に、ようやく邪魔者がいなくなったのに、その子供がいつまでも居座っている。邪険に扱うのは復讐のつもりなのかもしれなかった。


「……リンダ、ハーツビートのお爺様のところに行こうか」


 リンダが空を飛びたがるのは、一種の逃避願望なのではないか。プルートはそう考え、祖父の家に行こうと提案した。メイが息を飲んだのを視線で制する。


「お爺様のところ? 兄様も一緒?」

「もちろんだ。ハーツビートのお家なら、箒で飛んでも叱られたり笑われたりしないよ」


 たぶん。ちいさな呟きは、メイの悲鳴じみた声に遮られた。


「お坊ちゃま!!」

「行く! ハーツビートのお家で空を飛ぶの!」


 両手を上げて喜ぶリンダにプルートは満足そうに笑った。


 リンダはこの家を出ていけるのなら出ていったほうが良いと思っていた。継母は言葉にこそ出さないが自分たちを疎ましく思っていることを隠さないし、義妹は父に愛されている優越感を見せつけてくる。正妻の子と愛人じゃあな、とリンダは申し訳なく思ったくらいだ。誰が悪いかといえば家庭内の調整をしない父なのだが、父もやっとこさ後ろめたさが消えてほっと一息したいところだろう。正直浮気者の父を一発殴ってやりたかったが、あんなのを殴って兄を悲しませるくらいなら家出したほうが百倍ましだ。仕返しは後でもできる。

 それに、メイには悪いが月日が経つにつれ使用人も扱いに困るだろう。今でさえ申し訳なさそうな顔で無視をしてくる。上司のパワハラでいじめなんて誰もやりたくないはずだ。


「お嬢様……」


 メイが悲しそうな顔をした。


 リリャナが病に倒れて以来、リンダを育ててきたのはメイだ。義妹付きにと継母に言われたのを一度断ったと聞いている。子守りならもう一人雇えばいい、と。

 違うのだ。継母と義妹はリンダの子守りだからメイが欲しいのだ。母親代わりのメイを奪い取ることによって得られる優越感と達成感が欲しいのだ。


 稚拙な独占欲だ。リンダには逆らうつもりもなかった。しょうがねえ親子だな、と呆れるくらいにはリンダは継母と義妹をかわいく思っている。だからといって黙ってやられるつもりはないし、あの二人と兄なら断然兄をとる。比べるまでもなかった。


「父様も継母様も、ユーフェミアも、私と兄様がいないほうが嬉しいよ。本当の家族はわたくしたちだけよーって言ってたし」


 言ったのはユーフェミアだ。なんというか、わかりやすい悪役で笑いを堪えるのが大変だった。

 母を喪ったばかりの子に母が健在な子が言っていいセリフではない。プルートとメイの顔色が変わった。思い出し笑いを堪えようとうつむき、そのちいさな肩を震わせるリンダは、泣くのを堪えているようにしか見えなかった。


「本当かい? リンダ」


 あまりのことにプルートの声が掠れている。


「うん。私たちがいないほうが気兼ねなく過ごせるだろうし、邪魔したら悪いよ。ハーツビートのお家に行けるならそっちに行こう?」


 ぱっと顔をあげたリンダが笑っているのがいっそう憐れだった。メイはみるみる涙ぐみ、プルートは怒りに任せて魔法を使った。音を立てて開いたクローゼットから衣服が飛び出し、いつの間にやら現れたトランクの中に吸い込まれていった。ぱたん、とトランクが閉じ、鍵のかかる音がした。

 たちまち支度を終えたプルートは、実に良い笑顔を浮かべた。


「今すぐ行こう。リンダ、部屋に行って支度しよう」

「ドレスとアクセサリー類は置いて行ったほうがよろしいと思います。絶対に返せと言ってくるでしょう」


 目元を拭ったメイがきりっとした顔で言った。返せもなにもリンダのものはリンダのものだが、奪うつもりだったのなら言ってきそうだ。


「そうだな。ドレスはハーツビートで揃えればいいか。下着と、後は母様の日記を持って行こう」


 リンダの部屋に踏み込んだプルートは、数枚の下着をトランクに放り込んだ。開けっ放しのドアから母の日記帳が鳥のようにページを羽ばたかせて飛んできた。まっすぐトランクに入る。


「リンダ、他になにか必要なものはあるかい?」

「ない! 早く行きましょう兄様!」


 リンダがぐいっと手を引くともう片方の手でトランクを持ったプルートが声を上げて笑った。メイが感極まったように目元を赤くしている。

 ジークズル公爵家の嫡男と姫君の出立がたったこれだけなんて、他の貴族が聞いたら憤激しそうだ。だが、もう、プルートとリンダが気にすることではない。


「メイ、今までありがとう」


 ばいばい、と手を振るとメイが泣きながら手を振り返した。その後ろに父と母の肖像画が飾られている。親子三人、仲良くやれよ。そう思ったリンダは父の肖像に向かって告げた。


「あばよ!」



一応これでも一番年上だと思ってますのでリンダは気を使ってます。

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