10:新入生歓迎会
新入生歓迎会。大広間には一つしかないシャンデリアに魔法の光が燈され、薄暗い不気味さを演出していた。
ぞろぞろと集まってきた一年生たちは一度足を止め、付き添いの先輩に笑って促されて大広間に入る。寮ごとに分けられたテーブルには空の皿とカトラリーが揃っていた。料理はまだ置かれておらず、中央がぽっかりと空いている。
席は名簿順だった。リンダは自分でも気づかないうちに席の遠い翡翠を目で探していたのだろう、不安に見えたのか隣の席の女子生徒が話しかけてきた。
「ね、あなたがハーツビートのお姫様よね? 私、ローゼスタ・ラインシャフト。あなたと同じ一年生よ。よろしくね!」
「ルーナ・リンドバーグ。私のこと、知ってるの?」
「もちろん! とっても綺麗な赤毛で目立ってたもの。まるで本当の妖精みたいね。私のことはローゼでいいわ」
「なら、私はリンダで。そんなにこの髪目立つ?」
「目立つわ。こんなに見事な赤は見たことがないくらいよ」
リンダは目を丸くした。そういうローゼスタはブループラチナの髪に浅瀬の海の色をした瞳だ。好奇心に満ちた顔は美人とは言い難いが、愛嬌のある顔立ちをしている。丸い目と大きな口に、リンダはパグに似ていると女の子に対して若干失礼な感想を抱いた。
「そうなんだ……。家族はみんな赤毛だから知らなかったわ」
リンダは口調が砕けないように気を付けながら会話を続けた。だいぶ慣れてはきているが、気を抜くと元の男言葉が出てしまうのだ。
ハーツビート家の特徴はこの赤毛だ。リンダは箒作りに没頭していて貴族令嬢の交流の場であるお茶会にも参加せず、家に閉じこもってばかりいた。おまけに使用人もハーツビート家の系列の者だから赤毛ばかり。例外は嫁いできた祖母くらいだ。そもそもリンダは人の髪の毛にそこまで関心がない。
「そうなの? でも、貴族のお嬢様ってお茶会とかするんじゃないの?」
ローゼスタはぐいぐい来る。いかにも興味津々の目をされて、リンダも悪い気はしなかった。
「一度お婆様のお茶会に参加したけど、つまらなかったから止めたわ」
「つまらないの? アフタヌーンティーなんて憧れるけど」
「マナーや言葉使い、指の動かしかたまで見張られても? お菓子食べ放題って言うから行ったのに。騙された気分だわ」
思い出したらむかついてきた。お婆様の友人という老婦人はさすがに品があってリンダも背筋を伸ばしたが、彼女が連れていたリンダと同い年だという少女はあからさまに見下してきたのだ。言葉ではなく態度でだったが、言動の端々がレディらしくないリンダを見て、これみよがしに嗤っていた。
フライヤは幼い孫に友人を、と親切心だったのだろうが、あいにくリンダはああいうねちねちした女は大嫌いだった。
「リ、リンダ?」
「あら、ごめんなさい。ちょっと思い出しちゃって……。その時に会った子がね、すごーく嫌な子だったの」
「そうなんだ……。貴族も大変なのね」
だから遠縁の娘を呼び寄せたのだろう。ハーツビートを名乗っているがあの黒髪では本当に縁が薄そうだし、入学式でのやりとりから本家の姫を守ろうとしているのが見て取れた。きっと、リンダの友人兼護衛なのだ。
リンダは自分でも知らない間に翡翠の立ち位置を植え付けていた。
目を輝かせていたローゼスタは、貴族の実情の一端を聞いて真顔になった。女だけのお茶会という単語だけなら花とお菓子と恋話にきゃっきゃうふふしているイメージだが、現実は厳しい。むしろ女だからこそちょっとしたことで嗤われてしまう。
「ローゼは貴族じゃないの?」
「そうよ。由緒正しい根っからの平民! 猛勉強した甲斐があったわ。フレースヴェルク魔法学校に入学できるなんて最高よ!」
平民は魔力がほとんどないか、まったくないかのどちらかだ。ローゼスタは公立の幼等学校に通い、魔法を磨いてきたらしい。
「じゃあ、もう魔法が使えるんだ? すごいわね」
「……リンダは使えないの?」
貴族なら家庭教師に教わるはずである。平民への皮肉と取ったのかローゼスタがムッとした。
「ひと通り使える、と思う」
「思うって?」
「勉強中にしか使ったことがないから。あ、でも空を飛ぶのは得意!」
どちらかというとリンダの教育には淑女のマナーや礼儀作法に時間を割いていた。あとは魔法学校に必要な基礎教育だ。
魔法を習っても掃除や洗濯をする必要がない環境にいたのだ。魔法で火を熾すことも、畑に水を撒くこともなかった。リンダが積極的だったのは空を飛ぶことのみだ。
育ちの違いを見せつけられたローゼスタはさらに苛立ったが、それどころではなかった。
「空を飛ぶって、どうやって?」
「そりゃもちろん箒で。大変だったのよ、なにせ木の棒だから尻が割れそうになるし。座り心地や操作性もあるけど、最初は全然飛ばなくてさ。トム爺さんにヒント貰ってようやくエンジンに気がついたの。で、飛べるようになったらなったでスピード出過ぎるし暴れるし。兄様にはパンツの心配されちゃうしさ」
ツッコミどころ満載のリンダに目を白黒させていたローゼスタは、入学式にリンダが箒を持っていたことを思い出した。
「入学式に持ってた箒ってそれだったのね。反対はされなかったの?」
「そう、その箒。反対はされたけど、箒で飛ぶのは校則で禁止されてないから持ってきた!」
「……なんだか今、お兄様の気持ちがすっごいわかったわ……」
学校で飛ぶとしたら放課後だろう。私服ならまだしも、制服のスカートで飛んだらなにがとはいわないが丸見えだ。平民のローゼスタでさえ女が足を見せつける行為がはしたないとされるのは心得ている。パンツ丸見えの美少女なんて男子生徒が出血多量で保健室送りになるのが目に見えるようだ。
「でも男子の前で飛ぶのは駄目って条件つけられた」
「あたりまえでしょ!」
「だから上を飛べば大丈夫!」
「そういう問題じゃなーい!」
思わず立ち上がって叫んだローゼスタに生徒たちの目が集中した。赤面して座り直す。離れた席にいた翡翠と目が合った。苦笑して会釈され、翡翠も苦労しているのだと悟ったローゼスタは、なぜリンダに話しかけてしまっただろうと若干後悔した。
「どうしたの? ローゼ」
「どうしたじゃないわよ、まったく……」
「今度、後ろに乗せてあげる。この学校広いから変なモノありそうで楽しみ」
「……ありがとう」
ローゼスタは迷った末に礼を言った。リンダの言う通り、この学校の周囲には広大な森が広がっており、空でも飛ばない限り行き着けることはないだろう。恥よりも好奇心が勝つあたり、ローゼスタは向上心が強い。乗せてもらう時はズボンを穿けばいいのだと割り切ることにした。
生徒全員が着席したところで先生方が入ってきた。先頭は校長先生だ。やはり黒いヴェールを被っている。
やがて止まったハジムアベル校長が指揮者のように両手を振ると、シャンデリアの光が流星になって飛んできた。光はたちまち大広間のあちこちに停止し、かと思えばテーブルの上でランタンの形を取った。
わぁっと生徒から歓声が上がった。
今のは基本的な魔法「光あれ(シーゲンディ)」だ。それを応用して光を星のように飛ばしたのだろうが、同じことを生徒がやろうと思ってもまずできない。魔法を言葉のように操る想像力と、魔力の調整が非常に難しいからだ。
あの校長、見た目不審者だが只者ではない。新入生は校長の実力の一片を目撃し、そして校長なだけはあると納得した。
「えー、では、新入生歓迎会の前に、君たちの先生を紹介します」
一列に並んだ教師陣にまばらな拍手が起きた。
左端の黒いレースドレスの女性が一歩前に出た。いかにも魔女らしく黒の三角帽子を被っている。年齢は四十代頃だろうか。魔法使いは長寿の者が多く、また魔法薬で若返ることも可能なため、見た目だけでは判断できない。黒いドレスに包まれた体のラインを見せつけている。
「生活魔法を担当する、ポーカリオン・ロイヤルです。生活魔法は基礎が大切になります。私の授業では、まず魔力の調整とコントロールを学んでいきましょう」
温和な顔に終始にこやかな笑みを浮かべるポーカリオンに、ぽーっと見惚れている男子生徒多数。女子生徒は羨ましそうに彼女の胸を見ていた。
次は銀髪に紅瞳の、スーツを着こなしたチェスター・ルークだ。
「攻撃魔法を担当するチェスター・ルークだ。攻撃魔法は危険を伴う。一つの油断が死に直結すると心得ろ。けして気を抜かぬよう励むことだ!」
どうやら彼が偉そうなのはいつものことらしい。チェスターの隣にいた男性教師が苦笑した。スーツを着ているが、チェスターと比べると崩れた印象を受ける。
「防御魔法担当のウノ・ドロワーズ。言いたいことはチェスター先生と同じだけど、攻撃魔法と違って防御魔法は地味だからね、防御を疎かにすると死ぬと思っておいてください。教科の関係で攻撃魔法と合同授業になることもあります。これからよろしく」
チェスターとは反対に軽い口調で釘を刺してきたウノは、髪を赤・青・黄・緑の四色に染めていた。蒼い瞳はやさしげだったが、どこか冷静に一年生を観察しているようだ。
「……じゅ、呪術を担当する、ソーシャ・ゲラートです……。こ、こ、こっちはお友達のアナベル。よ、よろしくお願いします……」
ソーシャは長い黒髪を垂らし、前髪で半分隠れた顔から赤い瞳を覗かせていた。大切そうに抱きしめているのは古い少女人形。先生方の中では一番若く見えるのに、それをだいなしにする陰気さだった。
次の先生は金髪に碧眼。やや歳はいっているが充分女にもてそうな爽やかスマイルで挨拶をしてきた。
「拙者はタオ・シドミノ。錬金術を教えているのである。みなさーん! 錬金術はミラクル! 楽しくお勉強するのであります!」
ぱちん、とウインクまで付けたタオは、辮髪だった。白い歯と共に輝く頭皮。白い道士服を着て、いろんなことを勘違いした外国人、といった怪しさだった。
「古代魔術を教えている、トレカ・ターニングだ。古代魔術は現在の魔法とは違い、未知の世界といっていい。古代魔法文字、精霊魔術、古代契約の研究をしたい者はぜひ古代魔術の選択を視野に入れてくれ」
青い髪に金色の瞳をしたトレカは無表情に、まったく抑揚のない声で言った。詰襟のスーツに黒いローブを羽織っている。低い声は聞き取りやすく、それだけに無機質なのが残念だった。
次の先生は身なりにまったく頓着しないのがよくわかる皺だらけのシャツによれよれのズボン、それを白衣でごまかしている男だった。髪はすべて白いが老けた感じは受けない。背は低く、黒い瞳が楽しげに輝いている。
「魔法薬学のイーゴ・テンゲン。魔法薬は主に魔力に反応するものとしないものがあり、扱いに非常に気を使います。で、あるからして授業には集中するように。校外学習で森に行くこともあります。準備は怠りなくするように気をつけてください」
イーゴは意外なほどの美声だった。リンダはあれがプルートの言っていたイーゴ先生か、と好意的な目で見た。授業だけではなくクラブ活動でもお世話になった恩師だという。実習重視で、いろんな薬を作らせてくれたそうだ。イーゴの授業は今から楽しみだった。
「占術のソリク・マシューです。残念ながら占術は適性がないとまったく意味を成しません。未来を見る度胸のある生徒は選択してみてくださいね」
ソリクはまったくやる気のない態度で言った。ショッキングピンクの髪を縦ロールに巻き、つまらなそうにダイスを弄っている。服装はスーツにやたらふりふりなシャボ。なんというか、ちぐはぐな印象の男だ。
最後の1人は鮮やかな虹色のローブを着た女性だった。紫の髪と虹色瞳、華奢な体にローブが良く似合っている。
「あの……マリカ・ニーチェ・ドガー。召喚術を教えています……すみません。えっと、召喚は異界から幻獣を呼び出したり、使い魔を作成したり、します。それで、あの、それなりに危険、なんです……」
胸の前で手遊びしながらおどおどと言うマリカは、まるで自分の授業に自信がないようだった。それでも虹色のローブには時折何かの影が過ぎるあたり、やはり彼女も只者ではないのだろう。
この中で三年の選択授業となるのがトレカの古代魔術、ソリクの占術、マリカの召喚術である。どれを選んでもいいし、適性を見て他の科に行くことも可である。三つすべてを選択するのも自由だ。
「先生のキャラが濃すぎる」
「さすがは魔法学校、一味違うわね」
まばらな拍手にびくっと体を竦ませたマリカは、慌てて頭を下げて元の位置に戻った。
リンダは家にいた家庭教師との違いに感心した。ローゼスタも幼等学校の先生と違いすぎたのかため息を吐いている。
二人とも一年生なので選択授業はまだない。呪術と錬金術は二年に進級してからの授業になる。
それでも授業がとても楽しみで、そして不安になる紹介だった。一年科目の先生方がまだまともそうなのは、一年かけて慣れろ、染まれ、ということなのだろう。
「こんなやべえ先生に会えただけでも学校に来た価値あるわ」
座っていなければ笑い転げていそうなリンダに、ローゼスタは呆れた表情になった。どうもこの美少女は見た目通りではないらしいと気づき始めている。
黙っていれば妖精なのに……。いや、この言動こそが妖精らしい、というべきか。妖精とは気まぐれで、楽しいことが大好きだ。軽率に人の子を攫い、取り換え、気に食わなければ呪いをかける。人間の感覚では推し量れない神秘の生物である。
「さて、それでは新入生歓迎会をはじめます! 皆さん、おおいに飲んで食べて楽しんでください!」
先生方が席に着いたところで校長が開会を宣言した。ぽん、と軽い音と共にテーブルの中央に料理が現れ、グラスにはジュースが注がれている。
「わっ、すごい!」
ローゼが歓声をあげた。目の前のごちそうにか、それとも魔法にか、身を乗り出している。今のは認識阻害の魔法か、空間に収納していたのか、どちらだろうとリンダは思った。翡翠はと見れば同じことを考えたようで眉を寄せてじっと料理を睨んでいる。
メニューは王道のローストチキン、豚の足煮、スターゲイジーパイ、ヤンソン・フレステルセ、なんだか悪意のありそうなメニューである。サラダはまともだった。ただし、本日の目玉であろうケーキは三段重ね、しかも生クリームが山盛りである。むしろ生クリームの山状態だった。
どうやって取り分けるのかと思っていたら、なんと料理のほうから皿に乗ってきた。
「潔い……!」
「いやっ、なんか意識がありそうで食べにくい……!」
身を乗り出していたローゼスタは思いっきり引いていた。
リンダがナイフとフォークを持つと、皿の上のローストチキンが振動し始めた。芸が細かい。
「いただきます」
リンダがさくっとナイフを入れ、口に運ぶ。味は普通のローストチキンだった。リンダには味付けが濃く脂っこい。万人向けする味だ。
「リンダ……食べて平気?」
「ん? 普通に美味しいよ?」
「そ、そう。ねえ、そういえばさっきの「いただきます」ってなに?」
ラグニルドには「いただきます」という言葉がなかった。リンダも前世で意味など考えたことはなかったが、言わないと怒られたものである。そのせいか今でも言うようになってしまっている。言う理由も意味も関係なかった。
「食べる前の挨拶? みたいなもの?」
「なんで疑問形? おまじないみたいなもの?」
「たぶんそんな感じ」
なるほど、とうなずいたローゼスタがいただきますと言ってローストチキンにナイフを入れた。くたりと力を失ったのが手に伝わり、嫌そうに顔を歪めた。
「昼食は普通だったのに、どうして楽しみにしていた歓迎会のメニューがこんななのよ……」
「料理人が気合い入れすぎたんじゃない?」
「そんなのってアリ!?」
ローゼスタは嘆くが、それが魔法というものだ。なにが起きるかわからない。
リンダはこちらを見上げてくるニシンの潤んだ目と目を合せないように、パイにフォークを突き立てた。
ツッコミ役登場!リンダの親友は翡翠とローゼです。