幕間:妹との遭遇
ユーフェミアがモーブレイの腕にくっついて教室に入ると、それぞれおしゃべりをしていた生徒たちがぎょっと静まり返った。
「ユーフェの席はどこ?」
丸い腹が出ているせいで必要以上に偉そうに聞こえるユーフェミアよりも、その隣でちいさくなっているモーブレイが気になった。まだ学校ははじまってもいないというのにぐったりと疲労している。心なしか顔色も悪かった。
「好きなとこに座っていいみたいよ。早い者勝ち」
「あら、そうなの」
ユーフェミアは教室を見回した。
五十人ほどが入れる教室には、一人用の机と椅子が並んでいる。窓際の席は人気があるのかすでに埋まっていた。背の低い生徒は教壇に近い席を取り、開いているのは先生と目が合いそうな中央付近だ。
「モブ様、あそこに座りましょ」
許可もないのにユーフェミアはすでに愛称呼びだ。モーブレイは抵抗しているのか足が鈍い。それでもユーフェミアの体重には逆らえないのか、引き摺られるようにして彼女の歩みによって押しのけられた机の合間を進んだ。
ユーフェミアが立ち止まり、モーブレイを見る。座らないのか、と思ったが、どうやら椅子を引いてくれるのを待っているようだ。
「ジークズル君」
「モブ様、ユーフェでかまいませんわ」
言いながら、ユーフェミアが教室にいた女生徒に目を光らせる。牽制か、と悟った女子生徒は白けた表情でおしゃべりを再開した。
「ユーフェ君、学校は全員平等だ。自分のことは自分でやりたまえ」
「まあ。でもわたくしは特別でしょう?」
「そういうわけにはいかない。さあ、座って」
王太子のモーブレイにさえ従者はいないのだ。それなのになぜ自分はやってもらえると思っているのだろう。というか、王太子を顎で使うな。言いたいことはいっぱいあったが巻き込まれたくない生徒たちは黙っていた。
モーブレイが先に座ってしまわないのは、彼女と離れた席を取るつもりだからだ。モーブレイが座れば必ずユーフェミアは隣に陣取ってくるだろう。それは避けたかった。
「ユーフェ、君のために言ってるんだよ」
「モブ様……! わかりましたわ」
モーブレイが困ったように眉を下げ、小首をかしげて言うと、ユーフェミアはぽっと頬を染めた。そうよね、王子様はわたくしを想って言ってくださったんだわ。せっかく巡り合えたモーブレイを困らせてはいけない。ユーフェミアは自分で椅子を引き、そっと腰かけた。
ピシ。
微かな音がした。
見れば、ユーフェミアの座った椅子がたわんでいる。強化してあるのだろう。ぐぐぐっと持ち上がり、ぽんと跳ねると四本の足ですっくと立った。その拍子にユーフェミアがぼよんと跳ねた。生徒たちは根性ある椅子に感動した。
座ったせいで丸かった体が横に広がった。あれは尻が痛くならないのだろうかと思いつつ、モーブレイは席を一つ開けて座る。ユーフェミアがいぶかしげにモーブレイを見るが、彼女の両脇の机はほとんど肘置き状態である。ユーフェミアがなにかを言う前に、先生が入ってきた。
先生の登場だというのに緊張するのではなくほっとした空気になったことに、彼はわずかに不快の表情を浮かべる。
銀髪をきっちりと後ろに撫で付け、紅瞳が鋭く生徒たちに睨みをきかせる。先生は教室を見回し、戸惑い気味に立ったままの新入生二人とユーフェミアを見てなにもかも了解したのだろう、さっと魔法を使った。
「大きくなれ(ジーガンフィア)」
ユーフェミアの机と椅子が体に合ったサイズになる。
「移動しろ(ポチェント)」
ユーフェミアの左右にあった机と椅子が教室の両端に移動した。
「あ、ありがとうございます」
「先生、ありがとうございます」
無言のまま目で促され、二人は慌てて礼を言って席に着いた。
「さて、これより学校の説明を開始する。私は攻撃魔法を担当しているチェスター・ルークだ」
黒板の前に立ったチェスターが簡潔に自己紹介を済ませた。
「諸君らはこれから三年間、このフレースヴェルク魔法学校で学ぶことになる。知ってのとおり、学校はいかなる身分の者であれ平等だ。今年はラグニルドの王太子なる者が入学したが、ここでは身分など意味を成さない。ただし、魔法学校の生徒として礼節ある言動を心掛けたまえ」
チェスターのあてこすりにモーブレイは顔色を変えたが、他の生徒がうなずいているのを見てぐっと黙り込んだ。
「一年生は生活・攻撃・防御・魔法薬学の理論と実技を学ぶ。クラスごとにコマ割りされているので間違いのないように。遅刻は成績にマイナスされる。各教室はこの後、寮生が案内する。迷子にならぬように」
先生の淡々とした説明は続く。
「校内は食堂以外飲食禁止。ただし、昼休みのみ校庭での飲食が認められる。たまに菓子を持ち込む者がいるが見つかりしだい没収、罰則が待っている。各人の成績は寮の総合ポイントに換算される。優秀寮に選ばれるのは寮生の誇りだ、各々励みたまえ」
先生に褒められたり、テストの点数が良ければプラス。遅刻や校則違反はマイナスに、それぞれ寮のポイントになる。一位の寮は終業式で表彰されるのだ。これは団結力と連帯責任を生徒に学ばせるための制度だった。
「秋の光臨祭はポイントの稼ぎ時だ。クラス対抗戦、クラブ発表、個人でのトーナメントと、実戦での実力を競い、技を見せあう。諸君らはまだ一年生だが、だからこそ己の実力を見極められよう。せいぜい励むといい」
学校での祭りが物騒なのは戦争の名残だ。対人戦闘でためらっていたり、集中が切れれば死が待っていた時代。将来を期待された生徒たちが簡単に死んでいくことに、学校も忸怩たる思いがあったのだろう。
特に近年の生徒は戦争を知らない世代だ。戦力に数えられる魔法使いは同時に大地の守護者でもある。名門校の威信にかけても優秀な魔法使いを育てなければならなかった。
「今、ラグニルドは平和だが、闇に呑まれる魔法使いはいつの時代にも現れる。正しい道とは何か。学校生活でよく考え、人と己を知り、何者にも負けぬ魔法使いとなることを期待している」
チェスターはモーブレイなど見ようともせずに言った。生徒たちも真剣に耳を傾けている。
「次に寮だが、寮長の他に学年ごとに男女二名監督生が選ばれる。寮の規範となるべき役目だ。寮生の相談に乗ったり、違反者を取り締まったりとやることは多いがそのぶんポイントも加算される。選出されたらしっかり勤めるように」
監督生はその名の通り生徒を監督する役職である。校則違反者を発見、先生に報告し、場合によってはその場で罰則を言い渡すこともできる。嫌われ者になりがちではあるが、その反面生徒の相談に乗ったり、慕われていないとできない役目でもあった。他寮生に罰則を与えることもできるため、公平性が求められる。
チェスターの説明が終わったタイミングで、廊下に人影が集まってきた。
「……ああ、時間か。校内の案内は先ほど言った監督生がしてくれる。あれはエーギル寮だな」
コンコン、とノックされ、チェスターの了解の後にドアが開いた。
「失礼します。エーギル寮二年監督生、セルゲイ・シェルバートです。チェスター先生、エーギルの新入生を迎えに来ました」
貴族の子供は学校での振る舞い、ルールを知らない者もいる。そのため校内案内ではそうした教授室への入室の仕方などを教える意味でも上級生が請け負っていた。上級生ができないのでは見本にならないため、この日のためにきっちりおさらいをさせている。
「ちょうど説明が終わったところだ。よろしく頼む」
「はい。じゃあエーギル寮の子は廊下に並んで」
ユーフェミアに捕まるより早くモーブレイは立ち上がった。が、彼女はなかなか立てないようで甘える声でモーブレイを呼んでいる。
モーブレイは監督生を見たが、困った表情で微笑むだけだった。
「……ほら、行くよユーフェ君」
「はぁい」
そこにまた寮監が迎えに来た。ドアが開いているからそのまま声をかけている。
「チェスター先生、失礼します。テュール寮二年監督生、テオドア・ダックスです。テュール寮一年生を迎えに来ました」
二人の監督生は他の教室で説明を受けていた生徒を引き連れていた。テュール寮の中に真紅と黒の少女を見つけたモーブレイが「あっ」と叫んだ。
「君たちが噂のハーツビート家の姫だね」
ようやく対面で来た初恋の二人に、モーブレイはさらりと青い髪をかきあげて爽やかな笑みを浮かべてみせた。
「はい」
「そうですけど、あなたは?」
振り返った二人はモーブレイよりユーフェミアを見てぎょっとした。すかさず翡翠が前に出てリンダを背に庇った。
「自己紹介が遅れたね。私はモーブレイ・アドマイザ・マケドニウス。このラグニルドの王太子さ」
モーブレイの名乗りにリンダは興味がなさそうにユーフェミアを見続け、翡翠が警戒度を上げる。他の生徒はある者は驚き、ある者は嫌悪を滲ませていた。マケドニウス王家はつくづく人望がない。
「ルーナ・リンドバーグです」
「ジェダイト・リリー」
一応の礼儀として二人は名乗ったが、家名は言わなかった。長ったらしくてめんどくせえ、というのがリンダの言い分だ。貴族の場合、家名まで名乗るのはいざとなったら家が出てくる、家が責任を持つ、という意味にもなりえる。
わざわざ王太子が声をかけてきてフルネームで名乗ったとなれば婚約の打診と取られかねない。翡翠は黒い瞳に不快を露わにした。
微笑みを浮かべたモーブレイがリンダと翡翠に美辞麗句を並べる前に、くっついていたユーフェミアが叫んだ。
「ルーナですって? まさかルーナお姉様なの!?」
「誰?」
リンダはいぶかしげに首をかしげた。知り合いにこんなインパクトのある少女はいないはずだ。一度見たら忘れられないだろう。
「ひどいわ、お姉様。お忘れになったの? ユーフェミアですわ!」
「はぁ!?」
まさかの妹を名乗った球体に、リンダはまじまじと目を見開いた。
「ウソだ! ユーフェはそんな球じゃなかった!」
「なっ、誰が球ですって!? ひどいわお姉様、そうやってユーフェを貶めて、またわたくしからなにかを奪うつもりですのね!?」
「ひでぇのはそっちだ! ユーフェミアはもっとちいさくて可愛かったんだぞ! そんなナリでよくもユーフェを名乗ったな、本物はどこだ!」
突如はじまった姉妹喧嘩に、チェスターが何事だと教室から出てきた。
「廊下は静かに! ……ルーナ・リンドバーグ、そこの生徒は間違いなくジークズル家のユーフェミア嬢だ。門が入学者を間違えることはない」
「そ、そんな……」
リンダは愕然と肩を落とし、ユーフェミアはふふんと勝ち誇る。
「……使用人を次々解雇したってメイが言ってた。ユーフェ、もしかしてジークズル家で虐待されてたのか!?」
ハッと顔を上げたリンダが真剣な表情でユーフェミアに迫った。
「ぎ、虐待?」
「ルーナ・リンドバーグ、なぜそう思う」
「ドカ食い、暴食はストレスの反動で良くあることだろ。ユーフェ、新しいメイドに苛められたり、食事に嫌がらせとかされたの?」
「リンダ、ストレスってなに?」
この世界にストレスという概念はなかった。類似品に肩こりも存在しないものになっている。
「精神的にしんどいこと。嫌がらせやいじめなんて心が辛くなると、少しでも逃げようと食欲が暴走するんだ」
「そんなこと、あるわけがありませんわ! お父様もお母様もユーフェが一番大切だと言ってくれますもの。メイドたちだってわたくしを世界一うつくしい姫だと褒めてくれるのよ。それに、わたくしには婚約者だっていますわ!」
自分は世界で一番幸福な姫だと信じているユーフェミアは虐待をすぐさま否定した。そして、本来の目的であったモーブレイの腕を取り、リンダに見せつけて笑ってやる。
リンダの瑠璃色の瞳が濃さを増してモーブレイを射抜いた。
「なるほどデブ専か」
「違うっ!!」
モーブレイは思いっきり否定した。
「女を自分の好みに仕上げたい気持ちはわからなくもないが、これはやりすぎだ。ユーフェミアを早死にさせたいのか」
「だから違うと言っているだろう!?」
初恋の少女にとんでもない誤解を受けたモーブレイは必死で否定を続けた。
「言い訳はいい。私が最後に見たユーフェはそれは愛らしくて、誰からも好かれる子だった。それがこんな……。恋は人を変えるっていうけど、あんまりだろ」
「お姉様、モブ様を悪く言うのはやめて!」
ユーフェミアがヒロインの気配を察知して動いた。モーブレイを庇い、きっとリンダを睨みつけている。
「ユーフェ……。でも、そんな体で苦しくないの!? 嫌なことは嫌って、ちゃんと言わなきゃ!!」
「違うんだ……」
真っ青になって顔を覆ったモーブレイをよそに、チェスターは別の可能性を考えた。
モーブレイの好みはともかく、虐待ではないというのなら別の精神的負荷がかかっていると考えられる。そして、最近のジークズル家の凋落。
ジークズルの深淵の呪いに、気づかぬうちにユーフェミアが侵されているのだろう。彼女の魔力では抵抗も対抗もできなかったに違いない。肉体も精神も耐え切れず、それが負荷となり暴食となって現れている。
「そんなことを言って、本当はわたくしが羨ましくてたまらないのでしょう! お姉様、わたくしのものを欲しがるのはもうやめてっ!!」
そう叫んだユーフェミアがモーブレイに抱きついた。勢い余って肉壁と石壁に挟まれたモーブレイが潰れた蛙のような悲鳴をあげた。
「モブ様はわたくしの大切な方なのです。この人だけは、お姉様にも奪わせないわ!!」
「ユーフェミア……」
集まってきた生徒たちは、一体なにを見せられているのだろう……と遠い目になった。
ハーツビートの兄妹が養子に入る際、ジークズル家からハーツビート所縁の魔道具を引き上げたことは周知の事実だ。封印や一時預かりでもない限り、他家の魔道具を使いこなすことなど不可能なのである。魔法使いなら知っていて当たり前の常識だ。
そしてユーフェミアとモーブレイが出会ったのはついさっき、という事実もエーギル寮の生徒たちは知っている。ユーフェミアの言い分では長年愛し合っていたように聞こえるが、マケドニウス王家の正式発表もない以上、ユーフェミアはあくまで『自称』婚約者である。
そのことをわきまえている生徒たちは、ユーフェミアの主張と現実の隔離にドン引きした。
「……いい加減にせんか!」
どうしようもない空気に切れたのはチェスターだ。原因がなんであれ、入学早々の騒動など看過しがたい。
「一年生が揃った寮から案内しろ! 行動開始!」
攻撃魔法担当教師チェスターの軍隊ばりの命令に、寮監がすぐさま我に返った。
「モーブレイ・アドマイザ・マケドニウスとユーフェミア・エリザベート・ジークズルは校内の風紀を乱したことにより減点!」
エーギル寮から悲鳴があがった。
「それと、マケドニウス! 私の話を聞いていなかったようだな? 学校では身分など関係なく平等と言ったはずだ。自己紹介にわざわざ王太子と付ける必要はない。罰として校内清掃を申し付ける!」
「え……っ」
「返事は「はい」だっ!!」
「は、はいぃっ」
よろしい、とうなずいたチェスターは、いまだぐずぐずしているエーギル寮生を一睨みして背を向けた。去り際に、
「身分などではなく自分自身を見てくれる友を作りたまえ」
そう、誰にともなく呟いた。
靴音も高らかに遠ざかるチェスターに、セルゲイが憧れの眼差しで見送る。
「チェスター先生マジかっこいい……。一年生、先生は怒りっぽいしすぐ怒鳴ってくるけど間違ったことは言わないしきちんとフォローもしてくれる。良い先生だよ。さ、遅くなったけど案内するよ、付いてきて」
セルゲイに続くエーギル寮生の列にユーフェミアと並んで加わったモーブレイは、生まれてはじめて『王太子』ではなく『モーブレイ・アドマイザ・マケドニウス』として叱られたことへの感動に胸を高鳴らせていた。
ちょろインならぬちょろ王子。