8:王子様はいた
ひっそりといた彼。
寮決めの騒動ですっかり影が薄くなってしまったが、今年度の魔法学校には彼も入学している。
ラグニルドの王太子、モーブレイ・アドマイザ・マケドニウスである。
本来なら誰よりも脚光を浴び、輝かしい学校生活の第一歩を踏み出すはずだった彼は、特に注目されることなく無事にエーギル寮に決まった。
ハジムアベル校長はオロオロしていたが、モーブレイは気にしなかった。なぜなら、彼は生まれて初めての恋に舞い上がっていたからである。
通りすがりに見ただけの彼女たちは、モーブレイに鮮烈な感動を与えてくれた。
鮮やかな真紅の巻き毛、夢のように神秘的な瑠璃色の瞳、人形のように白い肌、可憐な唇にはおっとりとした笑みを浮かべていた。
夜空のような漆黒の髪、光に透かした蜂蜜のごとき金の瞳は誇り高くきらめき、象牙の肌に唇の赤さが際立っていた。
ラグニルドの王太子は、あろうことか二人に同時に一目惚れという離れ業を決めてしまったのである。
嫋やかで優美なルーナ・リンドバーグ。
妖艶で高貴なジェダイト・リリー。
いうなれば静と動。まったくタイプの違う二人は甲乙つけがたかった。王太子たる自分にふさわしい。モーブレイは二人との出会いを神に感謝し、どちらか一人を選べない運命を呪った。
王太子の彼がジェダイトのことを知らないのは、ハーツビート家が王家に報告していないからだ。王家に事情の説明をして了解を取ろうものなら、気を利かせた王家が翡翠を暗殺しかねない。今でこそ平和だが、この国はつい百年ほど前まで血で血を洗う戦争を繰り広げていたのである。そしてその戦争で勝ったのが現ラグニルド王家であるマケドニウス家だ。そういう意味でハーツビートは王家をまったく信頼していなかった。
ともあれ初恋に浮かれたモーブレイは、ふわふわした気分で寮に入った。二人のことなど名前しか知らないが幸い同級生。これから親しくなっていけばいい。
しかし、モーブレイの思惑は脆くも崩れた。
まず寮に入って部屋に案内され、荷物の整理をして、寮の談話室で説明会があった。彼は王太子ではあるが魔法学校の生徒は身分関係なく平等とされており、また寮にメイドなどいない。誰もが自分のことは自分でやるのだ。
それでも名乗りさえすれば敬意を払い、誰かが世話係になるだろうという予想は大きく裏切られた。
なんとあの球体女子生徒がエーギル寮に入ったのだ。
どこのお姫様なのか彼女は先輩や同僚生にあれをやれこれをやれと命令口調でわめき散らし、あの体系ではたしかになにもできないだろうと周囲が手を貸した。不幸にも同室になってしまった一年生は入学初日に疲労困憊だった。
談話室での話題はモーブレイそっちのけで彼女が掻っ攫っていた。しかし彼の不幸はここから加速する。
「ユーフェミア・エリザベート・ジークズルです」
声は可愛らしかった。体形のせいか鼻にかかった甘ったるい声は、球体が少女であることを証明した。ユーフェミアはここでまた、別の意味でも注目を浴びた。
『あの』ジークズル公爵家の令嬢。妻が死んだのをこれ幸いと後妻と後妻に産ませた娘を迎え入れ、正統な跡継ぎであった嫡男と姫君を追い出した、ジークズル家の悪辣姫。先祖伝来の魔道具を売り払い、気に食わない使用人を容赦なく解雇し、公爵家を凋落させている元凶。
とんでもない生徒がエーギル寮に入ってきた。
生徒たちは戦慄した。後妻と公爵はこの学校で恋に落ちたのだから娘のユーフェミアにもそれなりの魔力はあるのだろう。それでもあれほど家名に泥を塗っておいて、よくもぬけぬけと入学できたものだ。
エーギル寮は勇気の精神を掲げる寮だ。もしやこの女と過ごすことで勇気を培えというのだろうか。もはや度胸試し。同室の生徒の目が死んだ。
そこに彼らにとっての救世主が現れた。
「モーブレイ・アドマイザ・マケドニウス。知ってのとおり、ラグニルド王家の第一王子である」
モーブレイが白い歯を輝かせて名乗りをあげるや、ユーフェミアが突進した。お前動けるじゃねえかと誰もが思った。
「モーブレイ様、お会いしたかったです……!」
「えっ? 君は……ジークズル君だったね」
「嫌ですわ水臭い。ユーフェとお呼びになってください」
あっ。エーギル寮生は気がついた。この女、ものすごくわかりやすい王子狙い(ヒロイン)だ。素早く目線を交わし、うなずきあう。
「い、いや。そういうわけには……」
球体に迫られるという恐怖にモーブレイは助けを求めて周囲を見回したが、寮生はみんな微笑ましげに二人を見ていた。
「なんだ! 王太子殿下とジークズルの令嬢はそういう仲だったんだね!」
寮長の腕章を付けた男子生徒が手を叩いた。
そういう仲ってどんな仲だ。
モーブレイは蒼ざめ、ユーフェミアは頬を染めた。
「部屋割りはしちゃったけど、そういうことならジークズル嬢は個室にしよう。相部屋じゃ語らいもできないからね」
ユーフェミアと同室になった生徒の目が生き返った。
寮長も寮生も、王太子だからとモーブレイに配慮するつもりはさらさらなかった。先の戦争で身内が死んだ者も多いのである。王家を恨む生徒だっていた。モーブレイが学校に入学したのも単なる箔付けではなく、同世代に溶け込み友人を作り、貴族を親王家派に引き込むのが目的であった。ノブレスオブリージュを見せつけて権威を高めよ、と王に命令されているのだ。
つまりモーブレイはユーフェミアを拒否できない。もしも拒否すれば、王家に親しむ生徒は皆無になるだろう。他家を踏みつけにして王家に就いたのだから役に立て、と寮長の目が言っている。初恋に浮かれている場合じゃない。
賛成! と談話室に拍手が木霊した。
お世話係決定の瞬間であった。
応援よろしくお願いします!