7:フレースヴェルク魔法学校
どっきどきの入学式!
今日はもう一話投稿します。
魔法学校へは転移魔法や馬車ではなく、ネズミが迎えにやってきた。
リンダと翡翠の見送りに、プルートとノヴァ、オービットとフライヤの他使用人たちも居間に集まっている。
出来上がったばかりの制服に身を包んだ二人は、初々しくも成長した子供らしい緊張感に包まれていた。
「なんでネズミ?」
「学校の使い魔なんだよ。とにかく数が多いしちょこまかしてるからどこへでも入りこめて、生徒を守るのに最適なんだって」
魔法の鞄に荷物を詰めて、迎えを待っていたリンダと翡翠は、予想外の使者に目を丸くした。
ノヴァがおかしそうに説明する。ネズミはチューチュー言いながらうなずいていた。
チューチュー言っているのに同時に副音声が聞こえるのが使い魔らしい。ちいさな体に似合わない野太い男性の声だった。
「ご入学おめでとうございます! ルーナ・リンドバーグならびにジェダイト・リリー! ワタクシは案内役であるからしてワタクシに付いてくるがよろしい!」
「そこはかとなく偉そう」
「なんとなくイラッと来るな」
好き勝手な感想を漏らすリンダと翡翠にかまうことなくネズミは足元にぽっかり空いた穴へと姿を消した。どうみてもネズミサイズの穴だ。翡翠と顔を見合わせ、リンダはためしに箒を突っ込んでみた。
「見た目と実際の大きさは違うみたいね」
「そうだな。魔法の通路になってるんだろう」
箒は抵抗なく穴を突き抜けた。
「翡翠、これ解析できそう? 罠に使えそう」
「どうかな、やってみないと。それからリンダ、学校ではジェダイトって呼ぶんだぞ」
「わかってるって。じゃあ、行ってきます!」
リンダは左手に鞄、右手に箒を持って見送りの家族を振り返った。箒を持った手を振るリンダに彼らは呆れ気味である。
箒を持っていくことは反対されたが、箒で飛行してはいけないという校則はなかったのでリンダは持ち物に加えていた。断固反対されたら作るつもりだった。
結局強行突破されるより条件付きで許可したほうが良いとなったのである。リンダの粘り勝ちだ。
「早くしないと入学式がはじまってしまいますぞ! 遅刻なんてしたらワタクシが怒られるのですぞ!」
ネズミが穴から頭だけ出してまたチューチュー言ってきた。
「今行こうと思ってたの!」
思い切りよく両足から飛び込んだリンダに続き、翡翠も「行ってまいります」と淑女の見本のような礼をして穴に飛び込んだ。
穴の中は想像していたより狭くなかった。空気もある。トンネルの中を滑り落ちていく感じだ。上を見上げると入り口はすでに閉じていたが、出口らしきところから漏れる光で真っ暗ではない。
「そういえば、リンダはこの事知らなかったの? プルート様の時に見てたんじゃないのか?」
「兄様の時は、行ってきますって言って一瞬で消えちゃったんだもん。なにが起きたかわからなかったわ。ネズミなんて見えなかったし」
手のひらサイズのネズミでは、足元を注視していない限り目に留まらなかったのだろう。気がつかなくても無理はなかった。そもそもリンダはこれまでずっと一緒だった兄との別れに、寂しさを堪えるので精一杯だったのだ。
リンダの中身はたしかにいい歳したおっさんだが、見知らぬ世界でずっと守ってくれた兄が成長し、自分だけの兄から一人前の男として巣立っていくのは誇らしくも寂しいものが込み上げた。立派になってくれて嬉しい。でももう少しだけ子供でいてもいいんだよ。息子が成長したら一緒に酒飲みたいという父親にも似た感傷だ。
「それよりこの魔法、解析できそう?」
「んー、難しいな。やってやれないことはなさそうだけど、うっかり魔法解いたら中身ごと消滅するかも」
「……なんつー恐ろしいもんに生徒運ばせてんだよ」
この『落とし穴』を使えば任意の場所に刺客を移動させられる。名案だと思ったけど自分で魔法を開発したほうが良さそうだ。
「ネズミが迎えに来るのは危険防止策なんだろうな」
足元の光が強くなってきた。もうすぐ出口だ。
「リンダ」
翡翠が手を伸ばし、リンダの手首を摑んで押しのけ、自分が前に出た。
「ジェダイト?」
「なにがあるかわからないから。出た瞬間俺……じゃなくてわたくしが防御結界を張りますわ。リンダは周囲を警戒してくださる?」
「突然のオネエ」
「はったおすぞ」
二人が光りに包まれた。眩しさを堪えながら目を凝らせば、周囲を取り囲む黒い人々が見えた。翡翠が自分とリンダの周囲にドーム状の結界を張った。
床に足が付き、翡翠はリンダを庇って身構える。
「お、また新入生来た!」
「入学おめでとう!」
「ようこそフレースヴェルク魔法学校へ!」
拍手と歓迎の声が湧き、在校生らしき生徒に「こっちに並んでね」と誘導された。
「……ジェダイト」
「……うん」
「めちゃくちゃ普通に歓迎されたな」
「……うん」
学校である。
リンダと翡翠だけではなく、ラグニルド中から、外国からも生徒が集まっている。
そもそも学校が危険地帯であれば、翡翠は留学を決めていない。
大広間らしき広々とした部屋にはあちこちに花が飾られ、正装した先生方も笑顔で拍手をしている。魔法で動かしているのかそれとも動く鎧なのか、全身甲冑姿のソレもガチャガチャと金属音の拍手をしていた。顔があるべき部分が空洞なので、見た目が怖い。
「……良い人たちばかりで安心しましたわ!」
「そうですわね! これから楽しみですわ!」
警戒していたのが逆に恥ずかしい。やけくそで叫べば微笑ましく見守る目を向けられて、いっそう居た堪れなくなった。
「もうすぐ寮決めの門が開くから、一年生は列に並んで待っていてね」
先導してくれた男子生徒が言った。ずらりと並んだ同じ制服の列にリンダと翡翠は素直に並んだ。礼を言う間にもまた生徒が穴から出てきて、彼は小走りで迎えに行ってしまった。
今年の新入生は二百人ほど。その全員が、当たり前だが魔法使いだ。
魔法使いの中でも特に選ばれた者が入学できる名門校である。フレースヴェルク魔法学校といえば周辺国からも一目置かれ、世界で活躍する魔法使いを多く輩出している。
大陸から離れた島国のラグニルドは、他の国にはない独自の魔法や精霊、魔法生物がいる。その神秘を学ぼうと意欲のある生徒、ふさわしい魔力を持つ生徒にのみ入学許可証が発行される。学校が生徒を選ぶのは世界多しといえどもフレースヴェルク魔法学校だけだ。
よく見れば生徒は子供だけではない。背の高い大人も期待に顔を紅潮させて並んでいた。
きょろきょろと見ているうちに最後の1人が到着したようだ。
「きゃあ! まったくもう、なんなのあの無礼なネズミは!」
そんな声が聞こえたが、それより先輩たちのクラブ勧誘アピールが凄くてよく聞こえなかった。新入生の緊張をほぐし、退屈させないための心配りだ。
「いろんなクラブがあるのね」
「プルート様は魔法薬クラブでしたわよね」
「うん。ノヴァ父様と森に行ってたし、トム爺さんと薬草の話をしていたわ。魔法薬クラブとサバイバルクラブに入っていたそうよ」
二人はやけくそのまま素早く猫を被った。クラブ案内のパンフレットを配っていた生徒が二人の会話を聞きつけてやってくる。
「君、もしかしてプルート先輩の妹さん?」
「はい。ルーナ・リンドバーグです」
その男子生徒はリンダの見事な赤毛に納得したようにうなずいて、握手を求めてきた。
「そうか、僕は三年のルルブ・クードルフ。プルート先輩には魔法薬クラブでお世話になったんだよ」
「兄様の?」
反射的に握手するとなぜか両手でぎゅっと握りしめられた。
「なにかあったら遠慮なく頼ってくれ! あ! なにもなくても歓迎するからね!」
「ありがとうございます。心強いです」
真っ赤になったルルブがごまかすように付け加えて走り去っていった。友人らしき生徒に小突かれて嬉しそうにやり返している。
「……リンダ、無防備すぎ」
「え?」
なに言ってんだコイツ、と言わんばかりの表情に、翡翠はこれみよがしにため息を吐いた。
美姫の集う後宮育ちの翡翠でも、リンダほどの美少女は見たことがない。
十一歳になったリンダは少女らしい丸みを帯びた体つきになり、どこか不思議な雰囲気もあいまって微笑まれると堪らない気持ちになる。リンダの性格をよく心得ている翡翠でさえ惑いそうになるのだ。
そんなリンダが小首をかしげ、小鳥の囀りのような可憐な声で「心強いです」なんて、不安の中で一筋の光を見つけた迷子のように微笑んでみろ。先輩風ムーブの生徒などイチコロである。おそらくリンダに夢見ただろうさっきの先輩に、翡翠は心の中で合掌した。短い夢だったな。
「なんでもない。どのクラブにするか決めた?」
「飛行クラブがない」
「あるわけないでしょ。確実に箒クラブもないわよ」
「さっきの先輩にクラブ発足はどうすればいいのか聞きに行こうかな」
「え、作るの?」
最後尾の騒ぎが収まったところで校長先生が壇上に出た。
リンダは『校長先生』というと中年太りに薄くなった髪を整髪料でなんとかごまかしている、普段はなにをしているかわからないけど怒るとおっかないおっさん、というイメージを抱いている。一番世話になったのが学年主任なら、校長先生はラスボスだ。「先生の出番ですね」と時代劇のようなセリフを言われて全力で逃げたものである。
魔法学校の校長先生は、頭から黒いヴェールを被って顔を口元まで隠し、長い白髪と髭を三つ編みにした、マントで全身をすっぽり覆った見た目完璧な不審者だった。
「えっ」
リンダは二度見した。キャラが濃いにもほどがある。
「新入生諸君、入学おめでとうございます! 私が、校長のハジムアベル・ヘパリティス・ヘカテです」
明るい口調で校長先生が言った。あまりのことに新入生が凍り付いている。そっと先輩方を窺えば、気まずそうな顔で校長先生から目を反らしていた。なるほど、察するにあまりある怪しさ。
「えー、君たちは栄えあるフレースヴェルク魔法学校に入学した生徒としての、えー、自覚を持ち、えー、勉学に励み魔法を修め、志高い魔法使いになっていただきたい」
あっ、思ったより中身は普通。見た目詐欺の自覚のないリンダはほっとした。校長先生が「えー」や「あー」を合間に入れるのは全世界共通だった。
「当校には、えー、三つの寮があります。一つ目は、えー、慈悲の精神を掲げるシーヴ寮。勇気の精神を掲げるエーギル寮、そして自由の精神を掲げるテュール寮! 寮分けはこちらの、希の門が決めてくれます。えー、この門、実は学校設立時からある古代遺物なので、えー、迂闊に触って壊したらダメですからね!」
そして校長先生がちょっとした冗談のつもりで言った言葉がちっとも笑えないのも同じだった。リンダはますます親近感を抱き、校長先生を応援した。
そんな、なにでできているかわからないものを生徒に使わせているなんて太っ腹か頭おかしいかのどちらかだ。しかも古代遺物で、壊すななんて言われたら真っ先に生徒が悪戯しそうなものである。ゆえにあれは偽物か、本物だとしたら絶対に壊れない自信があるのだ。リンダのわくわくを察した翡翠が珍しく焦った表情で「待て、フリじゃないぞ。あれはやばい」と止めていなければ喜々として試しに行っただろう。
「えー、それでは早速はじめましょう! その門を潜る者、自らの希望を述べよ!」
最前列にいた生徒がおっかなびっくり門を潜ると門が声を発した。生徒の名前を告げ、
「エーギル!」
高らかに宣言した。無事に希望する寮に決まってホッとしたのか生徒が両手を上げている。エーギル寮の生徒たちが拍手した。手招きされてそちらに向かう生徒が着ていたローブの留め具がうっすらと光り、シンボルマークを刻んだ。
生徒が次々に門を潜り、ついにリンダの番になった。
「ルーナ・リンドバーグ・ド・ラ・ハーツビート!」
門がリンダの名前を呼んだ。
ドアのない四角いフレームだけの門は、どんな金属でできているのか錆びた様子もなく、使いこまれたようでもなかった。白く輝くフレームにはびっしりと古代魔法文字が彫られている。
「テュール寮でお願いします」
リンダは軽く頭を下げた。
古代魔法文字は家庭教師に習っている。
門には『目』『舌』『口』『心臓』『右脳』『左脳』と書いてあった。一番多かったのは『髪』と『細胞』だろう。
ぶわっと鳥肌が立った。
不気味さだけではない。門からは視線と意志を感じたのだ。こいつはやべえ。リンダは背中がぞわぞわした。悟られないように門を潜る。
「テュール!」
希望通りだったことより、無事に通り抜けられたことにほっとした。どっと疲労感が込み上げる。背中の汗が気持ち悪かった。
「テュール!」
続いた声にはっとして振り返る。門を潜った翡翠は嬉しそうな顔だったが、リンダを見て表情を消した。
「リンダ……どうしたの?」
リンダは首を振り、もう一度門を振り返った。あの白い門は古代遺物などではない、古代生物だ。
「ううん。ちゃんとテュール寮に決まって良かった」
「そうね。ここまで来て別の寮になったら大変だもの」
テュール寮の面々は箒を持った美少女に驚いていたが、ハーツビートの妖精姫が来てくれたことを誇らしげに歓迎した。翡翠もハーツビートの遠縁となっているので姓はハーツビートだ。
「ようこそテュール寮へ! ハーツビートの二人の姫の話は聞いてるよ。僕が寮長のユーラヴァルタ・ウルズ・パロ・ゼラフィム。よろしくね」
「ルーナ・リンドバーグです」
「ジェダイト・リリーです」
制服のスカートをちょこんと持ち上げ、二人揃って礼をする。うん、とうなずいたユーラヴァルタは事情を知る一人らしい。
「君たちは同室になることが決まっている」
翡翠に同情的な眼差しを向けていた。
「寮決めが終われば寮に案内する。昼食後はクラス分けと、教室で学校の説明を受けて、夜は新入生歓迎会だ」
何度も説明したのかよどみなく言葉を続けるユーラヴァルタに、おや、と翡翠が感心した。
男だと知っている翡翠ならともかく、リンダを見て頬を染めない男とは珍しい。
「ゼラフィム先輩は、プルート様の後輩だったのですか?」
「ああ、ハーツビート先輩にはお世話になったよ。といっても僕だけじゃない、生徒はみんなハーツビート家に世話になっている」
リンダと翡翠が「またか」と呟いた。母といいプルートといい、一体なにをしていたのだろう。
そんな二人の反応に、ユーラヴァルタがくすっと笑った。
「そのうちわかるよ。大丈夫、悪いことじゃないから」
希の門から「テュール」と声がして、ユーラヴァルタは新入生を迎えに行ってしまった。
「入学早々嫌な予感……」
「うん……。あ、そういえば、さっきはなにかあったの?」
「なにかって?」
「門を潜る時。緊張してたよね」
「ああ……。ジェダイトは気がつかなかった?」
「なにが?」
リンダは周囲を窺うと、翡翠にだけ聞こえるように言った。
「門、あれ生きてるよ」
「えっ?」
「魔法生物なんだと思うけど……。じっとこっちを見て、観察して、寮を決めてる。心が読めるのかもしれない」
翡翠の顔が蒼ざめた。
「あれが……?」
門を振り返り……リンダと翡翠の目が点になった。
巨大な黒い球が、門に挟まっている。
「ちょっと! なんなのよ! 通れないじゃない!」
いや、違った。人だ。しかも声からして女子生徒。門を潜ろうとしてみっちり嵌ってしまったらしい。
「イヤァアアアア! ヤメテェ! そっ、そんな大きいの、入らないぃっ」
さすがにこの大きさの生徒は想定外だったのか、門が悲鳴をあげた。
聞きようによってはR18な門の声に、男子生徒の中には顔を赤らめる者がいた。先生たちが慌てて球体の女子生徒の救出に向かう。手を引っ張ったり背中を押したりして、なんとか門を通そうと奮闘していた。
「あっ、あっ、イヤッ、ムリィィッ」
その間も門は意味深な悲鳴をあげ続けた。女子生徒も負けじと声を張り上げる。
「痛い痛い! 早くなんとかしなさいよ! わたくしを誰だと思ってるの!?」
「イヤッ、許してっ! そんな強引にしないでェ!」
「ひいぃ!? こっ、壊さないでくださいね!?」
校長先生がメンバー入りした。悲鳴の三重奏だ。
まさかの事態に生徒たちが口元を押さえた。笑い出さないのは、嵌っているのが曲がりなりにも少女だからだ。大広間のあちこちで噎せ返ったり咳きこむ声が聞こえた。
「……やべぇ生き物だと思ったけど、ちょっと可哀想かもしれん」
「自分ではなに一つできないからね……」
リンダと翡翠は気の毒そうに言った。同情したのはもちろん門にだ。
前代未聞の騒ぎの中心人物が、ジークズルの義妹であるとリンダが知るのは、もう少し先のことになる。
予想外の妹登場でした。